第32話 決戦
沈みかけた太陽が大地を黄金色に照らし、目の前に長い影を作る。その遥か先……地平の向こうから、数多の怪物どもが迫ってくるのを、ラーズはじっと観察していた。
奴らの動きに迷いはない。ある一点を目指し、真っすぐに突き進んでいる。その目的が神託の子コルウィンの抹殺であることは、もはや疑う余地もないだろう。
ならば、やることは単純だった。
奴らの進路上に立ち塞がり、命の続く限り戦う。それだけだ。
左右には心から信頼する騎士たちが臨戦態勢を整え、後方では魔術師トーキルがいつでも呪文を詠唱できるように待機している。
誰も口を開かなかった。
言葉を発するエネルギーさえも、この戦いに費やすつもりなのだ。
ラーズは鞘から剣を引き抜き、天高く掲げた。
「騎士たちよ、ハルディの戦士の恐ろしさを存分に思い知らせてやれッ!」
――そして戦いが始まった。
口火を切ったのはトーキルの炎の魔術だった。
それは大隧道でリッチが使った炎の魔術に酷似していた。
ラーズたちの背後に巨大な炎の壁が出現し、怪物どもの行く手を遮るように左右に伸びていく。その規模は城塞の防壁を思わせるほどだった。
「さぁ、私を殺さなければ先には進めませんよ!」
トーキルは挑発するように叫ぶ。その言葉の意味を理解したのか定かではないが、怪物どもは不遜な魔術師目掛けて殺到する。
「突撃!」
ラーズの号令で騎士たちが迎え撃った。
四人の騎士が操る五本の剣が幾筋もの剣閃を走らせ、向かってくる怪物どもの首を次々と跳ねていく。
トーキルは、ときおり後ろに抜けてくるメッサーを炎の魔術で焼き殺しながら、騎士たちの尋常ならざる戦いぶりを見て畏怖を覚えていた。
同時に複数のメッサーを相手にしても、まるで問題にしていない。
魂を凍り付かせるような獰猛な雄叫びを上げ、情け容赦なく怪物どもの頭を潰していく姿は、どちらがバケモノなのかわからなくなるほどであった。
この旅のあいだ、騎士たちはずっとフィリスや子供たちを守ってきた。
だが、本来の彼らは殺戮者なのだ。
今この場に、彼らが守らねばならない弱者は存在しない。
帝国騎士としての使命も、しがらみも、制約もない。
自由は歓喜を生み、歓喜は理性を遠ざけ、獣性を呼び起こさせる。
騎士たちは野に放たれた猟犬のごとく、存分に力を開放していた。
怪物どもは、どす黒い血と瘴気をまき散らし、物言わぬ骸となって横たわる。きっと空から見下ろしたら、大地に大量の黒い斑点模様ができていることだろう。
……だが悲しいかな、人間である以上、限界はある。
怪物どもがまき散らす大量の瘴気は、確実に騎士たちの命を削っていた。
徐々に彼らの動きが鈍くなっていく。
そこへ、怪物どもの第二陣が殺到した。
いよいよトーキルにも余裕がなくなってきた。
騎士たちの打ち漏らしが増え、次々とメッサーが後方へなだれ込んでくる。
トーキルはひらすら魔術を詠唱し続けた。
無から生じた炎の塊が、怪物どもの足元で次々と爆発する。
足を吹き飛ばされた怪物が地面を転がり、そのまま炎で全身を焼き尽くされる。
開戦直後に大魔術を使い、今もこれだけ魔術を使っているにもかかわらず、自身の身体が異様に軽いことにトーキルは気付いていた。
ロウソクの最後の灯火……ではない。魔術は気合や根性でどうにかなるようなものではない。
その原因に、おおよその見当はついていた。
魔素を取り込む際に黒い瘴気を一緒に取り込んでしまっており、それが術者の能力を遥かに超えた力を魔術に与えてくれているのだ。
瘴気と魔術には親和性がある――メッサーを解剖したときからもしやとは思っていたが、どうやら間違いなさそうだった。
むろん、その効果は一時的なものだろう。瘴気が持つ毒性は魔素とは比にならない。身体を構成している組織が秒単位で崩壊しているのが感覚的にわかる。このまま瘴気を取り込み続ければ確実に死に至るだろう。
だが、トーキルにはそんなことどうでもよかった。
彼が求めているのは、この瞬間を全力で戦うための力だった。
目の前にそれがあるなら、掴まない理由はない。
胸を張って最愛の人のもとへ赴くためにも。
友との盟約を果たすためにも。
今は命が続く限り、魔術を使い続けるだけだった。
「さぁ、ここからが本領発揮ですよ!」
トーキルは大きく息を吸い込み、大量の魔素と瘴気を体内に取り込んだ。
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戦いが始まってからどれくらい時間が経っただろうか。
イームクレンは手にした長剣に目をやった。まるで剣そのものが血を流しているかのように刃からどす黒い液体が滴っている。
戦場に視線を移すと、いつのまにかラーズたちの姿が見えなくなっていた。
殺戮に夢中になっていて見失ったからではなく、周囲が煙に覆われているからだ。
トーキルが使った炎の魔術によるものだが、怪物どもの発する瘴気が濃くなっているのも一因だろう。
その証拠に、呼吸をするたびに喉や肺が焼けるように熱い。
イームクレンは自分があとどれくらい動けるかを冷静に分析し、残された時間をどう有効に使うべきかを思案した。
が、結論を出すまでもなかった。煙の向こうから現れた新手の敵集団のなかに、メッサーではない怪物が紛れているのを発見したからだ。
「鎧の怪物……」
二体いたのだから、三体目がいたとしてもなんら不思議はない。むしろ、この規模の集団なら指揮官級の個体がいないはずがない。
これまではめぐり合わせが悪く、鎧の怪物と戦う機会はなかった。
ついにその時がきたのだと知って、イームクレンは歓喜に打ち震えた。ラーズですら勝てなかった強敵である。相手とって不足はない。
ただ、望んだ敵と対決するためには、周囲にいる邪魔者を先に排除せねばならなかった。
イームクレンは標的を視界の端に留めながら、メッサーの群れの中に飛び込んだ。そして縦横無尽に剣を振るう。一太刀ごとに怪物の腕や足を斬り飛ばし、戦闘不能となったところに踵で頭部を踏み砕く。
彼が通ったあとには、怪物の流した血で小さな泉がいくつも出来上がっていた。
ようやく標的の前にたどり着いたとき、イームクレンは満身創痍だった。
だが、気力はいささかも衰えてはいなかった。むしろ、かつてない強敵を目の前にして、口元には笑みすら浮かんでいた。
鎧の怪物は話に聞いていたよりも小柄だった。体型から察するに、素材となった人間はどうやら女のようだった。
性別で相手を侮ることの愚かさを、イームクレンは誰よりも知っていた。そもそも相手は人を捨てたバケモノである。ゆえに油断は一切なかった。
イームクレンは慎重に間合いを測りながら、怪物がどのように仕掛けてくるか、あらゆるパターンを想定し、その対策を立てる。
だが、次に怪物のとった行動は、そのどれにも当てはまらなかった。
どういうつもりか、怪物がおもむろに兜を脱ぎ捨てたのである。
現れたのは、先の尖った長い耳と特徴的な切れ長の目をしたエルフ族の女だった。
その顔を見て、イームクレンは電撃に打たれたように固まった。
知っている顔だった。
銀色の長い髪は醜い触手に生え変わり、新雪のように白かった肌は無数のイボのような突起物に覆われ、かつての美しさは微塵も残っていない。
それでも、見間違えるはずがなかった。
「ナイアリー……」
イームクレンが呟いたのは、かつて彼に戦い方から生きる術まで、すべてを教えてくれた師の名前であった。




