第31話 別離
一行は丘陵地帯を這うように進んでいた。
そこさえ抜けられれば、ボタモイ平原まであとわずかである。
だが、一行を包む空気は重苦しい。
今回の旅が始まってから初めての犠牲者……しかも無事に合流地点までたどり着けるかもと思い始めた矢先の出来事だっただけに受けた衝撃は大きかった。
ラーズも出発を告げて以降、ずっと黙ったままだった。
ダンの死が想像以上に堪えていた。
彼の死そのものに、ではない。
これまでもラーズは多くの仲間を自分の指揮で死なせてきた。犯した失敗や抱えた後悔は数えきれないほどある。それでも戦いは続いていく。だから、慣れてはいけないと己に言い聞かせながらも、心は自然と任務遂行のために感情を切り離すことを覚えた。
だが、今は恐怖と不安をはっきりと抱いていた。
これまでの旅は奇跡の連続で、きっとその奇跡は最後まで続いてくれるものと、心のどこかで勝手に期待していた。それが、ダンの死によって終わりを迎えてしまったような気がするのだ。
先ほどの襲撃の際、空にフーガーの姿はなかった。にもかかわらず、まるで待ち伏せされていたかのように奇襲を受けた。その事実に加え、ダンの村が襲われたこと、執拗にコルウィンが狙われていることを考えれば、敵が何らかの方法でこちらの――正確にはコルウィンの――居場所を把握できているとみて間違いないだろう。
怪物どもは必ずまた襲ってくる。
それは予想というより、確信に近かった。
丘を登り切ったところで、唐突にコルウィンが泣き出した。
虫の知らせとでもいうべきか。ラーズが無意識に視線を東に向けると、遥か地平の向こうに土煙があがっているのが見えた。
嫌な予感が胸中に渦巻く。
同じタイミングで、トーキルも土煙に気付いた。
「私が確認してみましょう。魔術で意識を飛ばすので、そのあいだ誰か私の身体を支えててもらえます?」
トーキルは返事も待たずに呪文を唱えると、糸の切れた人形のようにその場にくず折れた。慌ててオッシが彼の身体を支える。
しばらくして戻ってきた魔術師の顔は、吉報をもたらす者のそれではなかった。
「メッサーの群れがこちらに向かってきています。土煙のせいで正確な数はわかりませんが、おそらく百は下らないでしょう」
「……そうか」
不愉快な予想は最悪な形で現実のものとなりそうだった。
ラーズは一同を見回した。戦える者で傷を負っていない者は誰もいない。体力も気力も限界に近い。次に襲われたらもう凌ぐことはできないだろう。
となれば、残された選択肢はひとつだけ。
覚悟はすでに決まっていた。
ふと、ウォーレンと目が合う。どうやら彼も同じことを考えているようだった。
「……いいのか?」
ラーズがそう問うと、ウォーレンは口元に皮肉っぽい笑みを浮かべて頷いた。
「アニータならわかってくれるさ」
「やれやれ、無茶な任務はいつものことだけど、これはとびきりだなぁ」
やり取りを見ていたオッシが、ため息まじりに言った。ただ、台詞とは裏腹に肩をぐるぐると回してやる気を漲らせている。
イームクレンはすでに手持ちの装備の点検を始めていた。
「――みんな聞け」
ラーズは全員に聞こえるように声を張った。
「東から敵が迫っている。お前たちはこのまま合流地点に向かうんだ」
敵、と聞いて子供たちが怯えたように身体をすくめた。
「アイラ、皆を頼む。無事にハイマン司令のもとへ送り届けてくれ」
名指しされたアイラは、鋭い眼光でラーズを睨み返した。
「貴様、どういうつもりだ?」
「我々はこれから東に向かい怪物どもを迎え撃つ」
「待ってください!」
声を上げたのはフィリスだった。慌ててラーズの前にやってくる。
彼女の腕のなかにはコルウィンがいた。神託の子が真っ先に狙われるという事実を知ってからは、自分がコルウィンを抱いていくと言って頑なに譲らなかったのだ。
「みなさん怪我をされているではないですか。そんな身体で戦うなんて無茶です。ここはみんなで一緒に逃げるべきです」
「このまま逃げても追いつかれる。そうなれば全滅だ。それを防ぐには誰かが残って時間を稼ぐ必要がある」
「でしたら、わたくしも一緒に戦います!」
「今の君についてこられても邪魔になるだけだ」
ラーズはあえて突き放すように言った。
「でも――」
「悪いが問答するつもりはない。優先すべきはコルウィンの命だ。そして君の使命は彼を無事に連れ帰ること。違うか?」
「それは……」
「それに最初に約束したはずだ。俺の命令には従ってもらうと」
「……っ」
フィリスは悔しそうに腕のなかのコルウィンを抱きしめ、項垂れた。
「そう言うことでしたら、代わりに私がお供しましょう」
トーキルが場にそぐわぬ明るい声で言った。
「貴様、なにを勝手な――」
口を挟もうとするアイラを制して、トーキルはフィリスに微笑みかけた。
「フィリス殿、勝手ながらあなたへの協力はここまでとさせてください」
「そんな……トーキル殿まで、どうして……?」
立て続けに離脱を宣言され、フィリスは狼狽えていた。
「騎士の方々だけで怪物どもの足止めをするにも限界があるでしょう。きっと私の魔術が役に立つはずです。それに実のところ足がぱんぱんでもう走れそうにありません。なので、あとは私の好きにさせてもらえませんか?」
「でも……でも、わたくしはまだあなたに何もお返しできていません!」
「いえいえ、とっくに報酬はいただいています。あなたのおじい様からね。だから、あなたが私に恩義を感じる必要なんてないのですよ。どうしてもと言うのなら、せいぜい長生きして善行を積んでください」
「トーキル殿……」
「――ということで、お供させていただきます」
トーキルがラーズの方を向いて言った。
「好きにしろ」
物好きだな、とラーズは思ったが、彼には彼なりの譲れない何かがあるのだろう。そもそも、ラーズにトーキルの行動に口を挟む気などなかった。
「おい」
アイラがラーズの腕を乱暴に掴んだ。
「私が貴様に頼んだこと、よもや忘れてはおるまいな?」
そう問いかけてくる聖騎士の顔は無表情だったが、目には強い感情の揺らぎが見て取れた。それがどういう類の感情なのか、ラーズにはわからなかった。
「もちろんだ」
「だったら必ず戻れ。貴様はまだお嬢様にとって必要な人間だ」
「善処しよう」
ラーズは真剣な面持ちで頷いてから、踵を返した。
が、ふいに腕が引っ張られる。
振り返ると、今度はフィリスに腕を掴まれていた。
「ラーズさま……」
少女は懸命に涙を堪えていた。
聡明な娘だ。誰かが犠牲にならねばならないことも、自分にそれを止めることができないこともわかっているのだろう。
己の無力さを痛感し、深い悲しみを抱きながら、それでもラーズを困らせないようにと、瞳の奥に感情を懸命に押しこめている。
そのいじらしさが、ラーズの心をわずかに波立たせた。
「……すまない、フィリス。ひょっとしたら約束を守れないかもしれない。だが、最善は尽くす。だから、先に砦に戻って待っていてくれ」
フィリスの目から涙が一筋こぼれた。
「わかり、ました……。ラーズさま、どうか、どうか無事に帰ってきてください」
ラーズは返事の代わりに、フィリスの目元をそっと拭う。
それから、彼女の腕のなかにいる赤子に語り掛けた。
「神託の子コルウィンよ……」
呼びかけに応じるかのように、赤子の瞳がラーズの方を向く。
「もしお前が本当に光の勇者で、人々のために戦ってくれるというのなら、ハルディの民が将来、この地を取り戻す戦いに挑むことがあれば、そのときは力を貸してくれないだろうか」
相手はまだ言葉も話せない赤子だ。我ながら馬鹿げたことを言っているとラーズは思った。
だが、真剣だった。
この子ならきっと聞き届けてくれる……なぜかそう思ったのだ。
「あーだぁ」
コルウィンの小さな手が伸び、ラーズの指先を握りしめた。
ラーズには彼が「わかった」と言ってくれているような気がした。
根拠などない。ただの勘違いなのかもしれない。
それでもラーズは心から安堵した。
これで本当に心置きなく戦いに赴くことができる。
「行くぞ」
ラーズは騎士たちにそう呼びかけ、決戦の地に向かって歩き出した。
三人の騎士と、ひとりの魔術師が後に続く。
「あぅあぅぁー」
去りゆく五人の男の背を、神託の子コルウィンがじっと見つめていることに気付いた者は誰もいなかった……。




