第30話 誰がために
「大丈夫だ」
先行して外の様子を見に行っていたイームクレンの報告を受け、ラーズたちは抜け道を通って隧道の外へ出た。
ここに来るまでにトーキルが入る枝道を間違えて道に迷うといったトラブルはあったものの、どうやら無事に太陽の光を浴びることができそうだった。
外に出ると、木々の隙間から差し込む陽光の眩しさに、ラーズは思わず目を細めた。
太陽の位置から察するに正午くらいだろう。森を抜けるのに比べれば、かなりの時間を短縮できているはずだった。
あとは南下してハイマンが待つボタモイ平原に向かうだけである。
フィリスはトーキルの薬草が効力を発揮したのか、なんとか自力で歩けるくらいにまで回復していた。
むしろ老齢のベルの方が体力的に限界が近かった。今は彼女の代わりに、ルーカスや比較的元気な子供たちが交代しながらコルウィンを抱いてくれている。
それが可能なのも、ダンがひとりでほとんどの荷物を持っているおかげだった。ここまでの旅でだいぶ食糧が減っているとはいえ、圧巻の体力である。
「これで度胸があれば一端の戦士になれるんだがなぁ」とウォーレンが残念がる。
言われた当人は「はぁ、すみません」と恐縮し、頭を掻こうとして手にしていた荷物を地面に落としてしまう。すぐに拾おうとして、今度は背負い袋からぼろぼろと荷物がこぼれ落ちる。「わわっ」と慌てふためくダンの様子がおかしかったのか、子供たちから笑い声が起こった。
あと少しで安全な場所にたどり着ける。前途に希望が見えてきたからか、一行のあいだにはどこか弛緩した空気が広がりつつあった。
決して油断してはいけないとわかっていても、人間は四六時中、気を張り続けていることはできない。
そしてそれは歴戦の戦士たちとて例外ではなかった。
そろそろ森を抜けようかというときだった。
突然、左右の木々の間から何かが飛び出してきた。
全身が黒く、体毛のない犬のような見た目に、触手の生えた頭部――
「ベスティアだ!」
ラーズは叫びながら剣を抜き放つ。他の者も武器を構えて臨戦態勢に入った。
が、すでに複数の獣が木々の隙間や茂みの中から目を光らせていた。目視できるだけでも二十匹はいる。完全に囲まれたようだった。
獣の一匹が唸り声をあげてコルウィンを抱いている子供に飛び掛かる。
すかさずアイラが間に割って入り、盾で獣を打ち据えた。地面に転がったところにイームクレンが剣を突き立てて止めを刺す。
「コルウィンを守れ!」
ラーズの指示に応じ、騎士たちが素早く方陣を敷いた。
「かかってこいやァ!」
ウォーレンが剣を高々と掲げ、雄叫びをあげる。
それが契機となって、残りのベスティアが一斉に襲い掛かってきた。
戦いは熾烈を極めた。
ベスティアの動きは俊敏で、鋭い牙や爪によって、戦士たちは手足にいくつもの傷を負わされる。誰かを守りながらの戦いは、ただ敵を倒すだけの戦いよりも遥かに難しい。動きが制限される分、連携もままならない。
それでも戦士たちは懸命に剣を振り続け、なんとか半数ほどの獣を討ち取った。
すると、そこでいきなり攻撃が止んだ。
獣どもはラーズたちの行く手を遮るように前方に集まり、低い唸り声をあげながら左右を行き来しはじめる。
ラーズにはその動きが攻撃の隙を窺っているのではなく、なにかを待っているように見えた。
そして、その推測は正しかった。
「後ろからなにか来るぞ!」
ウォーレンが警告を発したのと、それが姿を現したのはほぼ同時だった。
「ば、ばかな……」
ラーズは思わず声を漏らしていた。
現れたのは全身に黒い瘴気を纏った鎧の怪物だった。
「あれって倒したんじゃなかったの!?」と狼狽するオッシ。
「あの夜倒したのとは別物ですよ。鎧の見た目が違います」
トーキルが冷静に指摘した。
「イームクレン、アイラ、前を突破しろッ!」
ラーズの指示を受けたふたりの戦士が、前方に立ち塞がるベスティアの群れに斬りこみ、強引に道を切り開いた。
「そのまま森の外へ走れ!」
ラーズはそう叫びながらも、自身は鎧の怪物の前に立ちはだかった。
一度剣を交えたことで、まともに戦っても勝ち目がないことはわかっている。頼みの綱であるフィリスの聖霊術は、彼女の体調を考慮すると当てにできない。
となれば、今は逃げの一択しかない。
だが、全員で逃げるのは論外だった。
隧道内で奇跡を起こした神託の子コルウィン。
必ずハルディの地を取り戻すと約束してくれた聖者フィリス。
ふたりは未来そのものなのだ。たとえ勝機がなくとも、彼らが離脱するまでの時間は稼がねばならない。
そしてその役目を担うのは、騎士以外にありえなかった。
ウォーレンとオッシが剣を構えてラーズの左右に並び立つ。ふたりの全身からも、ここは絶対に通さないという気迫がみなぎっていた。
「おっしゃァッ!」
いの一番に斬りかかっていったのは、やはりオッシだった。
前回やられた借りを返さんと、狂犬の異名に相応しい俊敏さで剣を繰り出す。
が、鎧の怪物は生前はかなりの剣の使い手だったのだろう。オッシの斬撃を容易くいなすと、鋭く大剣を振り回した。
剣圧で暴風が巻き起こる。まともに受ければ胴体が真っ二つになるであろう斬撃を、オッシはしなやかな身のこなしで躱してみせた。そしてすぐさま体勢を立て直し、再び斬撃を叩き込む。
今度はそこへラーズとウォーレンも加わった。
三人掛かりで一体の怪物を攻め立てる。
数多の戦場を戦い抜いてきた三人の連携は、圧倒的な身体能力を誇る怪物を完全に翻弄した。なにより、一本の剣では四本の剣を同時に防ぐことはできない。
頭部を狙ったラーズの剣が防がれる間に、オッシの双剣とウォーレンの剣が、それぞれ怪物の脇腹と脚を斬り裂いた。
怪物は斬られたことなど意に介す様子もなく、空いている拳をウォーレンの頭上に落とす。
ウォーレンは咄嗟に剣の平で受けたが、完全に威力を殺しきれず後方に吹き飛ばされた。
その間にラーズとオッシの剣が怪物に手傷を負わせるも、すべての傷が瞬く間に塞がっていく。
「――このッ!」
むきになったオッシがいつも以上に大胆に踏み込もうとする。
そのとき、怪物の動きがぴたりと止まった。
それを見たラーズは反射的にオッシの腕を掴んで無理やり引き止めた。
直後に、怪物の甲冑の隙間という隙間から瘴気が勢いよく吹き出された。
濃厚な黒い瘴気が怪物の姿を覆い隠す。
巻き込まれないよう、ラーズとオッシは慌てて距離を取った。
だが、それこそが敵の狙いだった。瘴気の中から飛び出した鎧の怪物が、逃げるフィリスたちを追って猛然と駆け出したのだ。
「しまった!」
完全に虚を突かれたラーズは、咄嗟に追うことができなかった。
「うわっ!」
そのとき、怪物の進路上――最後尾を走っていたダンが足をもつれさせて転倒した。抱えていた荷物が派手にばらまかれる。
怪物がそれを避けようなどと思うはずもなく、邪魔なゴミを掃うかのように手にした大剣を振りかざした。
「させるかよッ!」
怪物の動きに唯一反応できていたウォーレンが、素早く進路上に飛び込み、剣をかざして斬撃を受け止めた。
「ぐぅっ!」
圧力に屈して膝をつきながらも、なんとか耐えきるウォーレン。
だが、直後に怪物の全身から再び瘴気が吹き出され、ウォーレンは声にならない悲鳴をあげて地面をのたうちまわった。
そこへようやく追い付いたラーズが庇うように割って入った。
「オッシ! ウォーレンを連れて下がれ!」
オッシは一瞬躊躇したが、すぐにウォーレンを引きずってその場から離れる。
それを横目に、ラーズは雄叫びをあげて怪物に攻撃を仕掛けた。
撃ちかわされる剣と剣が、刃鳴りと火花を無数に生み出していく。
しかし、苛烈な斬撃の応酬は、さほど長くは続かなかった。
人智を超えた怪物を相手に一対一ではあきらかに分が悪い。
ラーズはすぐに防戦一方となった。
上段から繰り出された強烈な斬撃を、かろうじて剣で受け止める――が、この体勢はまずかった。
案の定、怪物が被る兜の面頬から黒い瘴気が漏れ出ていた。
浴びれば、その時点で終わる。
ラーズの背筋を死の戦慄が駆けあがった。
「うわあああああああぁぁぁぁッ!」
そのとき、絶叫と共に誰かが横合いから突っ込んできた。
ラーズは一瞬、目を疑った。
ダンがウォーレンの剣を手にして怪物に斬りかかろうとしていたのだ。
「よせッ!」
ラーズが叫んだのと、怪物が剣を振るったのは、ほとんど同時だった。
凶刃がダンの鎖骨を容赦なく打ち砕く。
間違いなく致命の一撃だった。
だが、ダンは身体に喰い込んだ剣などおかまいなしに怪物の腕に纏わりついた。口から大量の血を吐き出しながらも、決して離そうとはしない。
命を捨てた彼の行動が、その執念が、勝機を生んだ。
ラーズの戦士としての本能が、意識をダンにではなく怪物へと向けさせた。
目の前に無防備な怪物の首筋があった。
次の瞬間には、そこへ全力で剣を叩き込んでいた。
怪物の頭が宙を舞い、地面に落ちる。
ダンは目を見開いたまま、怪物の胴体と一緒に、ゆっくりと仰向けに倒れていった。
「ダンッ!」
ラーズは怪物の身体を乱暴に押しのけ、ダンを抱え起こす。
「なぜあんな無茶な真似を……」
「あ……あ……ぁ」
言葉にならない声。だが、ダンの目が必死になにかを訴えていた。
ラーズは彼の最期の言葉を受け取ろうと、口元に耳を近づけた。
「か……さんを……か、かあさん、を……たの……み……」
懸命に伸ばされた血塗れの手を、ラーズはしっかりと握りしめる。
「……お前の母親は、必ず砦まで連れて行く。だから心配するな」
ダンはかすかに微笑むと、そのまま動かなくなった。
その後、ラーズはダンの亡骸を森の外まで運んだ。
変わり果てた息子を見て、ベルは悲痛な叫び声をあげて縋りつく。そして何度も何度も息子の名前を呼び、泣き叫んだ。
「あなたの息子さんは勇敢だった……」
なんの慰めにもならないとわかっていても、ラーズにはそれ以外の言葉は思い浮かばなかった。
「そんなこと、どうだっていいの……ただ生きてさえいてくれれば……それだけで……それだけでよかったのに……っ!」
ベルの慟哭は止まらない。
フィリスは静かに涙を流し、アイラは沈痛な面持ちで下を向いている。その周りでは子供たちのむせび泣く声が幾重にも重なっていた。
意識を取り戻したウォーレンも「俺が余計なことを言ったばかりに……」と後悔の念を滲ませた。
「……みんな立て。すぐに出発するぞ」
ラーズは平坦な声でそう告げた。
深い悲しみは、際限なく周囲の者を巻き込んでいく。このまま全員が絶望に囚われる前に次の行動に移らねばならなかった。
「トーキル、すまないがダンの遺体を燃やしてくれ」
声を掛けられたトーキルは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。怪物が人間の死体を利用するとわかった以上、そうするしかないのだ。
「こんな悲しい理由で魔術を使うのは、これで最後にしたいものです……」
ラーズは何も言わなかった。




