第28話 心の距離
リッチを撃退した一行は、隧道の出口を目指して移動を再開していた。
彼らの足取りが重いのは、疲労のせいだけではないだろう。
子供たちは完全に怯え切っていた。あれほどの恐怖を味わったのだ。ひょっとしたら心に癒えない傷を負ってしまった子もいるかもしれない。
ウォーレンが「こんな修羅場を潜り抜けたガキなんぞ世界中探してもお前らだけだ。胸を張れ」と励ましていたが、さすがに目に見えるほどの効果はなさそうだった。
悪霊に憑りつかれたダンとイームクレンは、生命力を吸い取られる前に解放されたからか、しばらくすると目を覚ました。
ダンは記憶が混濁しているのか、自分の身になにが起きたのかよくわかっていないらしく、身体の節々が痛いことについてしきりに首を捻っていた。
一方のイームクレンは、何事もなかったかのように先頭を歩いている。彼はつらいとか苦しいといった感情を滅多に表に出さない。そのため本当に大丈夫なのかわかりづらいのだが、無理なときは「無理だ」とはっきり口にするので、その点はラーズも心配はしていなかった。
それよりも心配なのはフィリスだった。彼女は単に気力を使い果たしたというだけでなく、あきらかに体調を崩して意識を失っていた。呼吸が荒く、軽く発熱もしている。
トーキルが薬草を煎じて飲ませていたが、「ちょっと古いので、はたしてどこまで効果があるか……」と不穏なことを言っていたので、過度な期待は禁物だろう。
とはいえ、彼女の回復を待っていられるだけの時間的余裕はなかった。
出発に際して、ラーズは自分がフィリスを背負う旨をアイラに申し出た。
約束云々は別にして、それが最善だと判断したからなのだが、返ってきたのは「この痴れ者が!」という怒号だった。
そういう反応が返ってくるであろうことを十分に予想していたラーズは、努めて冷静に説得の言葉を口にする。
「いいか、よく考えろ。再び悪霊が襲ってくる可能性はゼロではない。対処できる人間を自由に動けるようにしておくべきだろう。まさか彼女を背負ったまま剣を振り回すつもりか?」
「ぐっ……」
ラーズの言い分が正しいことはアイラもわかっているのだろう。それでも憤怒を静めるのに十秒、己を納得させるのにその三倍の時間を要していた。
「少しでも妙な真似をしたら叩き斬るからな」
と物騒な宣告されたラーズは、終始突き刺さるような視線を浴びながらフィリスを背負って歩くことになったのである。
しばらくして薬草が効いてきたのか、フィリスの呼吸がだいぶ穏やかになってきた。
やがて彼女の口から「う、ん」と吐息まじりの声が漏れる。
意識を取り戻したのだろうと思い、ラーズは声を掛けてみた。
「目が覚めたか?」
「えっと……あれ……えっ!?」
すぐに自分が背負われていることに気付いたフィリスが慌てふためく。
「いいから、じっとしていろ」
ラーズはそう言って強引に彼女を背負い直した。
「で、でも……」
「その身体で歩くのは無理だ。無理をすればかえって皆の迷惑になる」
意地の悪い言い方だったが、そう言えば彼女が大人しくなるであろうことを、ラーズは確信していた。
「……わかりました」
フィリスはおずおずと背に体重をかけてきた。ただ、アイラのときと勝手が違うからか、どうにも居心地が悪そうだった。おそらく異性に背負われた経験などないのだろう。ラーズとて小さい頃にアニーネを背負ったことがあるくらいだ。
お互いに胸部鎧を身に着けているおかげで妙な意識をせずに済むのが唯一の救いだった。
「それで、あの……どうしてわたくしたちは助かったのでしょうか?」
戸惑ったように尋ねてくるフィリスに、ラーズは何が起きたのかを簡潔に説明した。
「そうですか……コルウィンが……」
フィリスに驚いた様子はなかった。ラーズと違い、彼女は最初からコルウィンが光の勇者であると確信していたのだから、ある意味では当然の反応だった。
「先ほどは申し訳ありませんでした。偉そうなことを言っておいて、結局お役に立てませんでした……」
今度はあきらかに気落ちしたような声。
「君は最善を尽くしてくれた。謝る必要はない。だいたい、それを言い出したら俺の方がなんの役にも立てていなかった」
「そんなことは――」
「やめよう。傷の舐め合いは好きじゃない。とにかく皆無事だった。そしてコルウィンは光の勇者だと証明された。それでいいじゃないか」
「……はい」
頷きはしたものの、フィリスが納得していなのはあきらかだった。
背に感じる少女の重みは、驚くほどに軽い。この華奢な身体で皆を守ろうと全力を尽くしてくれたのだ。感謝こそすれ、責める者がいようものなら、ラーズはその者を決して許さないだろう。
「姿勢、つらくないか?」
ラーズは努めて優しく声を掛けた。
「あ、はい。大丈夫です。それよりも、あの……重くないですか?」
「平気だ。むしろ見た目より軽いくらいだ。ちゃんと食べているのか?」
「そ、それはもちろん……」
「そうか。ならいい」
あっさりと会話が途切れ、気まずさが場を支配する。会話とはこれほどに難易度の高いものだったのか。ラーズは己の甲斐性のなさに憮然たる思いを抱いた。
やがて沈黙に耐えられなくなったのか、フィリスが意を決したように小さく息を吸った。
「……あの、ラーズ殿」
「ラーズでいい」
「え?」
「共に戦った仲だ。いい加減、堅苦しいのは抜きにしよう」
「……」
背負っているせいで顔は見えないが、おそらく目を丸くしているのだろうなと、ラーズは予想した。
「で、では、ラーズ……さま」
それだとあまり変わっていないが、フィリスの声には以前よりも親しみがこめられているような気がした。
「まぁいい。それで、なんだ?」
「えっと……ラーズさまは小さい頃はどのような子供だったのですか?」
唐突かつ予想していなかった質問にラーズは面食らった。
「そんなことを聞いてどうする?」
「どうもしません。ただ純粋に興味があるのです」
「そう言われてもな……特に面白い話はなにもないぞ?」
「それでもいいですから」
先にフィリスの生い立ちを知ってしまったという負い目が、ラーズに話をするよう背中を押してきた。
「……ハルディは戦士の国だ。父は誰よりも強い戦士で、息子である俺にもそうあることを望んだ。だから俺は幼いころから父に厳しく鍛えられた。父は俺が泣こうが喚こうが決して手を抜いてはくれなかった。おかげで毎日のように打ちのめされては身体のあちこちに痣を作っていたよ」
「まぁ……」
「もっとも、そのおかげで今日まで生き延びてこられたんだがな」
「ラーズさまは、その……ハルディ王国の王子だったとお聞きしたのですが、それは本当なのでしょうか?」
ラーズは一瞬言葉を失った。
「……誰からその話を?」
おそらくハイマンだろうと予想したが、返ってきた答えは違った。
「砦でお世話になった侍女の方に伺いました」
「そうか……。だが、それも昔の話だ。今は他の者となんら違いはない」
「ですが、ラーズさまは国がなくなった今も、民を守るために戦い続けてくださっていると、その方はおっしゃっていました」
「帝国騎士としての務めを果たしているだけだ」
いつも通りの文言を、なるべく感情がこもらないように言う。
だが、次に繰り出された質問が、ラーズから平静さを奪い取った。
「ラーズさまは、今でも帝国を憎んでおいでですか?」
「……随分と思い切った質問だな」
「申し訳ありません……。ですが、もし差し支えなければ、ラーズさまの本当のお気持ちをお聞かせ願えませんか?」
本来ならば取り合うべきではないのだろう。フィリスがそこまで踏み込んでくる理由もわからない。
ただ、ラーズは彼女に己の心を偽りたくないと思った。ひょっとしたら聖者の声には聞く者の心を丸裸にし、素直にさせるような力でもあるのかもしれない。
「憎んでないと言えば嘘になるな」
「では、どうして帝国騎士に?」
ラーズは一拍置いてから答えた。
「それが国を守れなかった王族が背負うべき責任だと思ったからだ」




