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勇者は知っている  作者: SDN


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第27話 盟約②

 最愛の人を失い、生きる目的も見失ったトーキルは、抜け殻となり各地を放浪した。

 彼がレンシア王国を訪れたことに特別な理由はなかった。

 強いて言えば、フローラが生前にレンシア王国で最も景色が美しいと評判のラドラス湖をふたりで訪れてみたい、と言っていたことを思い出したからかもしれない。


 ラドラス湖は評判通りの美しい場所だった。ただ、どんなに美しい景色も、見る者の心が死んでいてはもたらすものは何もない。

 虚しさを抱えたまま、トーキルは湖のほとりに立ち尽くした。

 このまま身を投げて人生を終わらせてもいい、そんなことさえ考えていた。

 すると、そこへひとりの老紳士が現れた。


 その老紳士こそ、レンシア王国の先代の王、ユライアであった。

 王位を退き隠居の身となった彼は、このラドラス湖のほとりに屋敷を構え、余生を過ごしていたのである。

 もっとも、トーキルが彼の正体を知ったのはずっと後のことで、当時は小綺麗な身なりをしたどこぞの金持ちなのだろうと勝手に思っていた。


 ユライアは不思議な男だった。

 醜く爛れたトーキルの顔を見ても、彼の瞳にはこれまでに多くの人間が見せてきた嫌悪、恐怖、憐憫、好奇といった感情が一切宿っていなかった。

 そこにあったのは、慈愛だった。

 おそらく聖者の資質を持っていたのだろう。初対面にもかかわらず、トーキルはユライアに請われるがまま、これまでの出来事を詳らかに話していた。


 話を聞き終えたユライアは、トーキルの顔をじっと見つめながらこう言った。


「おぬしはたしかに道を誤ったのかもしれない。それについて後悔するのも、自分を責めるのも当然のことだろう。だが、決して自分のことを嫌いになってはいけない。それだけはダメだ。それはおぬしを愛した者の想いを踏みにじる行為だからだ。時間が掛かってもよい。自分を許せるようになるその日まで、この地でゆっくりと身体を厭うがよい」


 示唆に富んでいたわけでも、独創性があったわけでもない。それでもユライアの言葉は、まるで渇いた大地に雨が降り注ぐようにトーキルの心に沁み込んでいった。

 聞けば、ユライアはすでに妻子を病で亡くしており、残された家族と呼べる存在は孫娘だけなのだという。

 共感……とでも言うのだろうか。似たような悲しみを背負った者同士の、ただの傷の舐め合いなのかもしれない。


 翌日から、トーキルとユライアの奇妙な交流が始まった。

 特に時間を決めずに、ラドラス湖のほとりで出会ったら挨拶を交わし、ベンチに座って話をする。

 会話の内容はユライアが世話をしている花壇のことや、おすすめの釣り場についてなど、他愛のないものがほとんどだった。

 それでも、トーキルにとってユライアと過ごす時間は、その日生きる活力を得るために必要な儀式みたいなものとなっていた。

 そして交流を続けていくうちに、気が付けばユライアに年齢を超えた友情を感じるようになっていたのである。


 それから程なくして、トーキルはユライアの援助を受け、領内の山奥に小屋を建てて再び魔術の研究に取り組み始めた。

 やはり魔術は捨てられなかった。

 人を癒す以外にも、魔術を役に立てる方法はいくらだってある。

 あの日、フローラに語った夢をただの夢で終わらせないため。

 彼女が好きでいてくれた自分を取り戻すため。

 トーキルは少しずつでも前を向いて生きていこうと決めたのである。




 それから数年は穏やかに時が過ぎた。

 トーキルは山奥に籠って魔術の研究をしながら、医術と薬学についても学んだ。そしてときおり山を下りては村人に薬草を売ったり、病人の具合を診たりする、といった生活を送っていた。

 そんなある日、山小屋にユライアの使者を名乗る男が訪ねてきた。

 使者は理由も言わず、ただ屋敷に来るようトーキルに要請した。

 数年ぶりに訪れたユライアの屋敷でトーキルが目にしたのは、酷くやつれ、病床に臥せった友の姿だった。


「きて、くれたか……」


 ユライアは傍に寄ったトーキルの手を握った。かつての力強さはとうに失われ、温もりまでもが去りつつある手。

 彼がそう長くないことを、トーキルは理解した。

 なぜ知らせてくれなかった――そんな言葉が口を突いて出そうになるのを、懸命に飲み込んだ。トーキルの過去を知るユライアが自分の死期を教えるはずがなかった。


「良い薬草がちょうど手に入ったところです。それを煎じましょう。きっとすぐに良くなります」


 空虚な励ましの言葉が、ユライアをわずかに苦笑させた。


「無益だ。それよりもおぬしに頼みがある……」


「……伺いましょう」


「わしが死んだあと、わしの代わりに孫を見守ってはくれまいか……。あの子が大人になるまででいい……どうか……たのむ……」


 そのときになって初めて、トーキルはレンシア王国のお家騒動と、孫のフィリスが置かれている状況を知った。

 妻子を亡くしたユライアにとって、唯一の肉親であるフィリスを残して逝くことがどれほどの心残りか。その不安を取り除くことで、友が心安らかに旅立てるのなら……そう思い、トーキルはユライアの手を握り返し「見守る」と誓った。


 それからほどなくしてユライアはこの世を去った。

 その日から、彼の孫娘を見守ることがトーキルの使命となった。

 といっても、フィリスの傍にはアイラという素晴らしく優秀な護衛がいたので、四六時中見守る必要はなかった。

 ロセヌ教団が魔術師を嫌悪していることもあって、トーキルは彼女たちと直接会うことを避け、遠くから見守ることにした。


 やがてフィリスが聖者となって各地に赴くようになると、トーキルは彼女の周辺ではなく、ロセヌ教団やサイラス王の動向を注視した。なにか動きがある度に、それと悟られぬようアイラに情報が渡るよう手配し、必要となれば魔術を使って不審者や刺客の排除を行なったりもした。

 ときおり、いったい自分は何をしているのだろうと思わなくもなかったが、聡明で美しいフィリスの成長を見守るのは案外悪くない日々だった。

 もしフローラが生きていれば自分にもあんな娘がいたのかもしれない……そんな妄想を抱いたことも、一度や二度ではなかった。


 そうしてあっという間に月日は流れ、運命の日が訪れる。

 フィリスの身にロセヌ神の啓示が降りたのだ。

 将来、光の勇者となるであろう赤子を救う旅……。

 彼女を待ち受ける過酷な試練に、これまでに培っていた経験や知識、そして魔術の力がきっと役に立つ。

 ユライアから受けた恩を本当の意味で返すときが来たのだと悟ったトーキルは、初めてフィリスの前に姿を晒し、旅への同行を申し出たのである。




「おーいトーキルー、出発するぞー! あんたがこないとお先真っ暗だよ」


 オッシの呼ぶ声で、トーキルの意識は過去から現在に引き戻された。


「すぐに行きますよ」


 そう応じてから、トーキルは自身の手のひらを見つめた。

 黒ずんだ肌が焦げたように硬くなっていた。

 感覚はもうほとんどない。

 禁術に手を染めた代償は決して小さなものではなかった。

 魔素の毒は肉体の芯にまで及び、そこから全身へと波及している。

 己に残された時間がそう長くないことを、彼は知っていた。


 この旅は、もうまもなく終わる。

 それと同時に盟約も終わりを迎えることになるだろう。


(いや……まだだ……)


 トーキルはすぐさまそれを否定した。

 ともすれば、ユライアは孫のためだけでなく、生きる目的を見失った友のために、あのような頼みごとをしたのではないか。

 だとすれば、まだ終わるわけにはいかない。


 初めて会ったとき、フィリスはこの醜い顔を見ても顔色一つ変えなかった。そして疑う素振りすら見せずに同行を受け入れてくれた。

 たったそれだけのことが、トーキルにはこの上なく嬉しかった。

 微笑みを浮かべたときの彼女の顔は、祖父の面影を色濃く残しており、好感を抱くのに時間はまったく掛からなかった。真っすぐで思いやりのある性格は、一緒にいるだけで安らぎを覚えた。

 旅を通じて、その想いはさらに深まっていった。

 己のすべてを賭けて、あらゆる脅威や悪意からフィリスを守る。盟約だからではなく、己の意思で、そう決めたのだ。


「さて、もうひと頑張りするとしますか」


 トーキルは頬を叩いて気合いを入れると、仲間の後を追って走り出した。


 今度こそ、道は違えない。

 最後の瞬間が訪れるその時まで、前を向いて生きる。

 それが友と、最愛の人に誓った、本当の盟約なのだから……。



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