第26話 盟約①
戦いの後、皆が慌ただしく動き回るなか、トーキルはリッチが消滅した場所にじっと佇んでいた。
床の上には持ち主を失ったぼろぼろのローブだけが取り残されている。
それを手に取り、広げてみる。胸と袖の部分に施された小さな刺繍に、彼ははっきりと見覚えがあった。
「やはり、あなたでしたか……」
最初見たときから予感はあった。
そして最後の魔術を見て確信した。
あの炎の壁の魔術は師が最も得意としていた術だ。
リッチは、師のなれの果てだったのだ。
かつて、このニカール山で魔素の吹き溜まりを封印した際、その処遇を巡って師と口論になったことを、トーキルは今でも覚えていた。
師は魔術の探求に熱心な男だった。いや、熱心などという言葉では生温いだろう。彼の魔術への探求心は執着や妄執といった類のものだった。
吹き溜まりを見た師は、案の定、ここに残ると言い出した。
トーキルはそれに反対した。
もちろん興味はあった。だが、濃い魔素が人体に与える影響や、引き寄せられる悪霊の脅威は無視できない。なにより、暗い穴倉にこもって生活するなど若いトーキルには耐え難いものだったのだ。
必死の説得の甲斐あって、その場は師も引き下がってくれた。
だが、その件がきっかけで師との間に大きな溝ができてしまい、結果的にトーキルは師と袂を別つことになった。
おそらく師は欲望に抗えず、ニカール山に戻ってきてしまったのだろう。あの時もっと真剣に向き合っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
ただ、今あらためて考えても、師を納得させることはできなかったように思う。
魔素にはある種の中毒性がある。一度体内に取り入れると、身体が自然とそれを求めるようになるのだ。魔術を扱えば扱うほどに身体は蝕まれ、やがて魔素なしでは正気を保てなくなってしまう。
だがそれ以上に、一度でも魔術を行使した者は、その力に魅了され、そう簡単に手放せなくなる。
魔術とは常人には決して扱うことのできない奇跡の力だ。なにもないところに火を起こし、乾燥した大地に水を湧き出させ、触れずに物を宙に浮かすこともできる。その気になれば、他者の心を意のままに操ることさえ可能なのだ。
たとえ力を扱う代償として己の寿命を差し出さねばならないとしても、多くの魔術師はその魅力に抗えず、死をも厭わず欲望の道を突き進む。
そしてそれは、トーキルも同じであった……。
トーキルは帝国領の辺境にある寒村で生まれ、八歳の頃に村を訪ねてきた魔術師に口減らしとして売られた。
魔術師に買われた子供は魔術の実験体として扱われるか、歪んだ性癖の玩具にされるかで、いずれにしろ碌な未来が待ち受けていない。
ところが、その魔術師はトーキルに身の回りの世話をさせるだけで、実験体にも玩具にもしなかった。彼が魔術以外のことにまったく頓着しない生活破綻者だということにトーキルが気付いたのは、旅に出てしばらく経ってからだった。
トーキルは魔術師の身の回りの世話をしながら世界各地を旅し、魔術を学んだ。学んだというよりは見て盗んだと言うべきか。元々素質に恵まれていたのだろう。わずか一年で魔素を取り込む呼吸法をマスターすると、正式に弟子へと昇格した。
師弟関係は十年近くにわたって続いた。
一端の魔術師として成長を遂げたトーキルは、ニカール山での一件で師と袂を別つと、独自の道を歩み始めた。
多くの人間にとって、魔術とは得体の知れない力である。
特に魔術師は魔素を取り込み続けることによって容姿が醜く変貌してしまうことから、どうしても嫌悪と畏怖の対象となってしまう。当時のトーキルはまだ若く、肉体は健康で、魔素による体質変化も微々たるものだった。
ただ、魔術を使い続ける限り、いずれ重い代償を負うことは避けられない。
自身の才能と未来に無限の可能性を感じていたトーキルは、代償なしで魔術を行使する方法を発見することで、偉大な魔術師として歴史に名を残そうと野心を抱いていた。
とはいえ、やはり魔術師は世間では肩身が狭い。
なので、トーキルは医学の道を志して勉学に励む学徒と身分を偽り、とある貴族の屋敷に下働きとして潜り込み、裏で魔術の研究に勤しむことにした。
ところが、世話になった貴族家は先代当主が残した多額の借金のせいで、貴族とは名ばかりの貧しい生活を強いられていた。
せっかく潜り込んだ家がとり潰されては敵わんと、トーキルは陰に日なたに当主を助け、少しずつ彼らの暮らしを上向かせていった。
そしてその過程で、当主の一人娘と恋に落ちた。
フローラという名のその娘は、生まれつき身体が弱かった。
滅多に屋敷の外に出られないため、トーキルはよく彼女の話し相手になった。
十年近く様々な国を旅して手に入れた知識や経験は、深窓の令嬢の好奇心を満たすのに十分な質と量があったようだった。
フローラは病弱であることを感じさせないほどの明るい性格の持ち主で、芯が強く、心根の優しい女性だった。トーキルのくだらない冗談にもころころとよく笑い、ちょっとした豆知識にも目を輝かせて聞き入った。トーキルが魔術師だと明かしても忌避したりせず、むしろ魔術師として大成することを応援してくれた。
魔術のことばかりで、ろくすっぽ女性と接する機会がなかったトーキルは、彼女の魅力にあっさりと転がされ、熱に浮かされたように夢中になった。
一方で、フローラもトーキルを頼りにし、様々な相談事を持ち掛けた。
そんなふたりが結ばれるのはごく自然なことだった。
そして気が付けばトーキルは当初の野心など忘れ、彼女の身体を治すことを目的に魔術の研究を行うようになっていた。魔術と医術を融合させ、まったく新しい治療法の確立を目指そうとしたのである。
それを知ったフローラから、「あなたはきっと多くの人の命を救う初めての魔術師になるのね」と言われ、天にも昇る想いだった。
……だが、幸せな日々はそう長くは続かなかった。
ある日、フローラが病で倒れてしまったのだ。
その病は聖霊術をもってしても癒せなかった。
神の奇跡でも救えない命はある。人の命は有限で、それが自然の摂理だからだ。
トーキルはフローラから「残された時間をあなたと一緒に過ごしたい」と言われた。
彼女は己の運命を受け入れていた。
受け入れることができなかったのは、トーキルの方だった。
「たとえ神が見捨てたとしても、私は絶対に諦めない!」
魔術は自然の摂理をも捻じ曲げる奇跡の力だ。
トーキルは愛する者を救うため、さらに魔術の研究に没頭した。
だが、研究を続ければ続けるほど、魔術が人の命を救うことに向いていないことを思い知らされた。
結局、魔素はどこまでいっても毒でしかないのだ。毒も少量であれば薬になるが、魔術によって生み出される現象は、どう工夫しようとも人体に害しか及ぼさなかった。
碌な成果が得られぬまま、フローラの病状は日に日に悪化していった。
彼女に残された時間はそれほど多くない。なのに研究は遅々として進まず、焦燥感だけが大きくなっていく。
追い詰められたトーキルは、ついに禁術の研究に手を染めた。
人を死に誘う魔術に、ただひとつだけ、それを遠ざけるものが存在する。
多くの魔術師が憧れ、師も追い求めた『不死の術』である。
不死の肉体を得られるという禁断の魔術……。
不死を求めることは生命に対する冒涜である。帝国でさえその研究を行うことを(表向きは)認めていない。もし研究していることを知られれば、罪に問われ、法の裁きを受けることになる。
それでもトーキルは禁を犯した。
屋敷を去り、地下に潜って来る日も来る日も研究にあけくれた。
が、禁術のすべてを解明するには時間も魔素も圧倒的に足りていなかった。
そのとき、トーキルはニカール山にある魔素の吹き溜まりのことを思い出した。
「あれだけの魔素があれば、ひょっとしたら……」
居ても立ってもいられず、トーキルはすぐに旅支度を始めた。
だが、ふいに鏡に映った自分の顔を見て足を止める。
そこに映っていたのは、魔術に傾倒した者がたどり着く末路……度重なる魔術の行使によってどす黒く染まり、醜く爛れた男の顔だった。
トーキルは我に返った。
不死の術とは、結局のところ死した肉体に人格を宿らせる術に過ぎない。
それで本当にフローラを救ったと言えるのだろうか。
醜い姿になってまで、彼女は生きたいと望むのだろうか。
彼女が本当に望んでいたのは、愛する者と笑いあい、何気ない言葉を交わすこと……最後の瞬間まで共に過ごすことではなかったのか。
自分がやっていることは、ただの自己満足に過ぎないのではないか。
気付くのが遅かった。
トーキルが屋敷に駆け付けたとき、フローラはすでに息を引き取った後だった。




