第24話 不死の王
空気の密度が、一段と濃くなったように感じられた。
先に進めば進むほど、どろどろとしたものが纏わりついてくるような不快感が増していくのは、おそらく気のせいではないのだろう。
子供たちはすっかり怯えきっていた。中にはずっとすすり泣いている子もいる。
ふと、ラーズはこの隧道に入ってからコルウィンがぜんぜん泣いていないことに気が付いた。
心配になってベルの腕のなかにいる赤子を見る。いずれ世界を救うとされる神託の子は、すやすやと穏やかな寝息をたてていた。この状況で眠り続けていられるのは驚きだが、赤子とは本来そういうものなのかもしれない。
もっとも、ベルがこれまでに一度も悲鳴をあげたりしていないことも大きいだろう。息子が殺されそうになったときは取り乱したと聞いていたが、悪霊の類は平気のようだった。臆病な息子と違って随分と肝の据わった婦人である。
と、ふいに先頭のイームクレンが立ち止まり、一行を制した。
「どうした、イームクレン」
「向こうに何かいる」
ラーズは通路の奥に目を凝らしたが、暗すぎてよく見えない。
「トーキル、向こうに明かりを飛ばしてくれ」
ラーズの指示でトーキルが魔術の光を操り、通路の先へと向かわせる。が、その直後に光は水をかけられたようにジュッと音を立てて消えてしまった。
一瞬で世界が闇に包まれる。それでも完全な暗闇にならずに済んだのは、イームクレンがたいまつを灯していたおかげだった。
「おや? おかしいですねぇ」
トーキルが首を傾げながら次の明かりを生み出す。今度は前のものよりも光量が増していた。
あらたな魔術の光に照らし出されたそれを見て、ラーズは全身に鳥肌が立つほどの悪寒を覚えた。
通路の先に、ぼろぼろのローブを纏った骸骨が立っていたのだ。
それもただの骸骨ではない。全身から黒いオーラを発し、本来眼球があるはずの空洞には不気味な赤い光が灯されている。一目見ただけで、この世に存在してはいけないものだとわかるほどの禍々しい姿だった。
「ウォーレン、子供たちを下がらせろッ!」
ラーズは反射的に警告を発していた。
その横で、フィリスが「まさか、そんな……」と呟く。
「あれがなにか知っているのか!?」
フィリスは深刻な顔で頷いた。
「あれはおそらく『リッチ』です。またの名を『不死の王』……。禁忌の術に手を出した魔術師のなれの果てとも言われています」
「魔術師の?」
ラーズは思わずトーキルの方を見た。
だが、肝心のトーキルは骸骨を見たまま呆けたように立ち尽くしている。
「トーキル!」
名を呼ぶと、トーキルはびくっと身体を震わせた。
「す、すみません、少々動揺してしまいました……。フィリス殿の言う通り、あれはリッチです。リッチは不死を求めた魔術師が禁術を用い、生前の人格や能力を維持したまま死体に変じたものです。大抵は術が発動する前に肉体が滅びるはずなんですが、ごく稀にああして成功したりします」
「話し合いの余地は?」
「ありません」トーキルはきっぱりと答えた。「人格があるといっても、最も強い欲求に従って動くだけの亡者ですから」
「で、倒す方法はあるの?」
しびれを切らしたようにオッシが口を挟んできた。
「霊体を浄化する以外に方法はありません」
「となると、お嬢さんの出番か」
「やってみます」と力強く頷き返すフィリス。するとアイラが、主を守るように剣と盾を構えて前に出た。
「肉体に宿ったままだと浄化は難しい。先に奴の肉体を破壊するんだ」
「そういうことならッ!」
オッシが獣のごとく体勢を低くして、一気にリッチに肉薄する。
だが、鋭く突き出した剣先がリッチの頭蓋を貫こうとする直前、オッシの身体は突風にあおられたように真横に吹き飛ばされた。「うぎゃッ!」という短い悲鳴と共に壁に激突し、そのまま床に倒れる。
「オッシ!」
駆け寄ろうとするラーズの目の前をいきなり何かが横切った。
あたりを見回すと、いつのまにかおびただしい数の悪霊が浮遊していた。
「こんにゃろうッ!」
勢いよく跳ね起きたオッシが自身を吹き飛ばした悪霊に斬りかかる――が、剣はむなしく悪霊の体を素通りした。
「阿呆が! 悪霊には普通の剣は効かないってさっき聞いたばかりだろうが!」
ウォーレンの発言を受けて、オッシは「うひゃあ!」と悲鳴をあげながら転がるように戻ってくる。
「下がってろ、邪魔だ!」
入れ替わるようにアイラが前に出て剣を一閃させた。
それでオッシを追いかけていた悪霊は煙のように消えてなくなった。
アイラはそのまま立て続けに剣を振るい、さらに寄ってきた二体の悪霊を消滅させる。だが、一体や二体消滅させた程度では悪霊の数はまったく減ったように見えず、むしろどんどん増えていた。
「おい、このままじゃ全員憑りつかれちまうぞ!」
ウォーレンが子供たちを庇いながら叫ぶ。
「わたくしが結界を張ります!」
フィリスは両手を胸の前で組み、祈りの言葉を紡ぎ始めた。瞬く間に彼女を中心に光り輝くドーム状の結界が展開される。
「早く中へ!」
アイラ以外の全員が結界の中に入る。直後に悪霊の群れが次々と襲い掛かってくるが、光の障壁に弾かれ、苦しそうに宙で悶えた。
「ざまぁみろ」
オッシが舌を出して挑発すると、悪霊はそれならばと言わんばかりに外に残ったアイラに襲い掛かった。
アイラは盾を巧みに使ってそれらをいなしつつ、的確な攻撃で一体ずつ悪霊を消滅させていく。しかし、あきらかに手が足りていない。このままではリッチを攻撃するどころではなかった。
「こいつらを一発で吹き飛ばせるような魔術とかないの?」
オッシがトーキルに尋ねる。
「ないことはないですが……ここでそんな魔術を使えば私たちも一緒に吹き飛ぶことになりますけど、それでもいいですか?」
「いいわけないだろ」
「そもそも、魔術を使う余裕がありません。あのリッチ、先ほどから私が作った光を消そうと魔術に干渉してきていて、それを防ぐだけで手一杯なんです」
その発言が嘘でないのは、トーキルの額ににじむ汗が証明していた。
光源を失えば戦うどころではない。為す術もなく悪霊に憑りつかれて全滅する未来が待っていること請け合いだった。
「くそっ、俺たちは見ていることしかできないのかよ!」
ウォーレンが悔しそうに床を蹴る。
「……ラーズ殿、わたくしの荷物の中に聖水の入った小瓶があります」
フィリスはそう言って自身の足元にある鞄に目配せした。
「聖水?」
「聖者の祈りによって清められた水です。本来は儀式などに使用する水なのですが、悪霊を祓う効果もあります。それを剣にかければ、一時的に加護を付与した状態になるはずです」
ラーズは急いで荷物を漁る。中にいくつかの小瓶があった。
「これだな?」
「全部使ってしまって構いません。他の騎士の方にも渡してください」
「わかった」
ラーズは手早く小瓶を騎士たちに渡し、効能を説明した。
剣が通じるならば、恐れるものはなにもない。騎士たちは剣に聖水をふりかけると、気合の声をあげて結界から飛び出していった。そして、次々と群がる悪霊を一刀のもとに消滅させていく。
ラーズも続こうとしたところで「待ってください」とフィリスに呼び止められた。
「結界はそう長くはもちません。わたくしの気力が尽きる前に、一か八か、浄化の祈りで肉体ごとリッチを浄化させます」
「そんなことできるのか?」
「わかりません。ですがそれ以外に方法はありません」
結界の外では騎士たちも戦闘に加わっていたが、悪霊の数が多すぎてリッチに近づけずにいる。この状況を打破できるとしたら、やはり聖霊術以外にはありえないだろう。
だが、ラーズはすぐに決断できなかった。
フィリスが無理をしているのはあきらかだった。人の身で神の奇跡を行使するのに代償が伴わないはずがない。ただでさえ前日に一度意識を失っているのだ。
そんなラーズの迷いを察したかのように、フィリスは微笑んだ。
「わたくしなら大丈夫です。自分の身体のことは自分が一番よくわかっていますから。それに――」
少女の瞳に、いたずらっぽい光が宿る。
「もしわたくしが倒れても、ラーズ殿がおぶってくださるんでしょう?」
「……そういう話だったな」
ラーズは腹を括った。
「よし。頼む、フィリス」
「はい!」
逼迫した状況にもかかわらず、フィリスの顔はどことなく嬉しそうだった。




