第23話 悪霊
一行は何度か小休憩を挟みつつ、暗い通路をひたすら進み続ける。
外が見えないので、今が昼なのか夜なのかすらわからない。
ラーズは天井付近を漂う魔術の明かりを見つめながら、意識は耳に集中させていた。
広大な隧道の壁に、ブーツの踵が床を叩く音や鎧が軋む音が反響する。時おりそれらに混じって水の流れる音が聞こえてくるのは、おそらく近くに水脈があるからだろう。かつてのドワーフ族はそこから生活用水を得ていたのかもしれない。
トーキルの話によると、隧道内にある無数の枝道は居住区に繋がっているらしい。ドワーフたちは隧道内にいくつかのコミュニティを作り、それぞれの代表者が話し合いで王を選定していたのだという。古い文献には最盛期は一万人近くのドワーフが隧道内で暮らしていたとする説もあるとのことだった。
だが、今はかつての栄華など微塵も感じさせないただの廃墟である。当初は物珍しさもあったが、さすがに同じような景色が続いていると飽きがくる。暗さと怖さに慣れたのか、子供たちからも徐々に落ち着きが失われつつあるようだった。
ふいに、少し離れたところを歩いていた子供のひとりが「うわっ」と悲鳴をあげて派手に転んだ。
ウォーレンが駆け寄り「こら、隊列を乱すな」と叱りながら抱え起こす。
「大丈夫か?」
ラーズも近寄り声を掛ける。子供は大丈夫だとアピールするように大きく頷いた。
「どうやらこれを踏んづけて転んだらしい」
ウォーレンは床に散乱している白い破片を指さした。
ラーズは屈んでそのひとつを手に取ってみる。
「白骨……ドワーフ族のものか?」
「違うと思いますよ」
やってきたトーキルがラーズの手元を覗き込みながら言った。
「以前に来たときは骨なんてありませんでしたからね。見たところ、その白骨はまだ新しい。大きさや形状から見て、ドワーフ族ではなく人間の骨だと思います」
「こんな辛気臭いところにわざわざ来た物好きがいるってのか?」
ウォーレンが自分たちのことを棚に上げて言った。
「一応、貴重な遺跡ではありますからね。お宝目当ての遺跡荒らしか、それとも私のような魔術師が興味本位で入り込んだのか……」
「問題はなぜここで死んでいるのかだ。ただの事故か、それとも何者かに――」
殺されたか。ラーズはウォーレンの足にしがみついて震えている子供を見て、その一言を飲み込んだ。
察したウォーレンが子供をみんなのところへ連れて行くと、それと入れ替わるようにフィリスがやってきた。
彼女は遺体の前に跪き、死者のために祈り始める。そして、それが終わってからラーズの方を向いた。
「……ひょっとしたら悪霊の仕業かもしれません。ここはとても魔素が濃いので、おそらく多くの霊が集まっているはずです。そのなかに悪霊がいたとしてもなんら不思議はありません」
「本当にそんなものが実在すんのか? 俺は霊なんぞ見たことないぜ」
戻ってきたウォーレンが訝しげに言った。
「霊は死に直面している生物の肉体から離脱した魂の一部、あるいは思念が実体化した存在です。普通は目に見えませんし、滅多なことで人に干渉しません。ですが、魔素が濃い場所だと話は異なります。霊的存在は魔素の影響を受けやすいですから」
「……」
ウォーレンの顔はわかりやすく引きつっていた。普段の彼であれば笑い飛ばしたのだろうが、さすがに本物の聖者の口から語られたとなるとそうもいかないようだった。
「怖いなら素直に怖いって言いなよ、ウォーレン」
オッシがウォーレンの腕をつつきながら揶揄う。
「は? ふざけんな。別に怖くねぇ」
「なんならひとりで引き返したっていいんだよ?」
「だから怖くねえって言ってんだろ! だいたい引き返そうにもどこかの馬鹿が物理的に出入口を塞いじまっただろうが!」
ウォーレンに睨まれたトーキルは素知らぬ顔でそっぽを向いた。
そのトーキルにラーズは問いかける。
「そう言えば確認していなかったが、魔素の吹き溜まりとやらは隧道のどのあたりにあるんだ?」
「今、ちょうど中間地点くらいだと思いますが、もう少し進んだところにある枝道の先、居住区のあたりにあったはずです」
そう言うとトーキルはラーズの傍に近寄って声を落とした。
「……実はさきほどからちょっと気になっていることがありまして」
「なんだ?」
「先に進むにつれ、少しずつ魔素が濃くなっているんです。おそらく封印が解けかかっているのではないかと思われます。悪霊云々は抜きにしても、濃すぎる魔素は人体にも悪影響を及ぼします。長時間ここに留まることはあまりおすすめできません」
「……わかった。少し急ぐとしよう」
ラーズは一同に出発を促した。
「ところでさ、本当に悪霊が襲ってきたらどう対処すんの?」
移動するさなか、唐突にオッシが疑問を口にした。
「んなもん剣で叩き斬ればいいだろうが」とウォーレンが腰の剣に手をかけて言う。ただ、勇ましい発言とは裏腹に、先ほどからやたらときょろきょろしているのは、あきらかに悪霊を警戒してのものだろう。
「でも霊的存在なんでしょ? 剣じゃ斬れないんじゃない?」
オッシの指摘にトーキルが頷いた。
「その通りです。悪霊は普通の剣では斬れません。倒すには特殊な銀でできた武器か、聖なる加護が付与された武器が必要です」
「それだと俺たちにはどうすることもできないじゃねぇか!」
ウォーレンが憤慨する。
「大丈夫ですよ。こちらには悪霊退治の専門家である聖者殿と聖騎士殿がいますからね。たしかアイラ殿の武具には聖なる加護が付与されているはずです」
すると、アイラがここぞとばかりにウォーレンを挑発した。
「怖いのなら私の背中に隠れているといい。守ってやるぞ」
「はっ、勝手にほざいてろ。女に守ってもらうほど落ちぶれちゃいねぇよ。だいたい、俺は自分の目で見たものしか信じねえ。悪霊だかなんだか知らんが、この目で見るまでは認めねぇよ」
「あっ、ウォーレンの後ろに白い影が!?」
いきなりオッシがウォーレンの背後を指さした。
「うほおうっ!」
妙な叫び声をあげながら振り向きざまに剣を抜き放つウォーレン。むろん、彼の背後には何もいない。
「あっぶないなぁ、いきなり剣を振り回さないでよ」
「オッシ、てめぇ!」
「ふたりともそのくらいにしておけ」
ラーズはため息交じりにふたりを窘めた。子供たちのほうがよほど怯えているはずなのに、大の大人が騒いでいるのだから隊長として情けなかった。もっとも、彼らが騒ぐことで子供たちの気が紛れているという側面もあるのだろうが。
注意した甲斐もあって、その後しばらくはふたりとも大人しくしていたが、ふいにオッシが、くすりと笑みを漏らした。
「どうした、オッシ?」
「あ、ごめん。いやね、悪霊もそうだけど、このドワーフの大隧道とか魔王とか、なんていうか、世界には俺の知らないものがたくさんあるんだなぁと思ってさ。そしたらなんかワクワクしちゃって」
「だったら今すぐ騎士をやめて冒険家にでもなるんだな。この状況でそんな感想が出てくるとか、どうかしてるぜ」
ウォーレンが呆れたように言った。
「冒険家かぁ、それも楽しそうだねぇ」
そう呟くオッシの無邪気な横顔を、ラーズは黙って見つめた。
今でこそ明るく朗らか性格のオッシだが、彼のこれまでの人生は決して平坦なものではなかった。
彼は幼い頃にガラト人に両親を殺されている。孤児となり戦場で死体漁りをしていたところをラーズが保護したのだ。以来、従者として傍に置き、戦い方を教えてきた。
オッシの強い好奇心は効率よく人を殺す方法を習得するのに発揮された。元々天賦の才もあったのだろう。瞬く間に頭角を現し、正式な騎士となった。
そんなオッシをラーズはハルディの民と土地を守るために利用した。
オッシが抱いているであろう拾ってもらったことへの恩義や、ラーズの役に立ちたいという純粋な思いに付け込み、忠実な部下に仕立てあげ、多くの戦場で敵を殺させてきたのだ。
オッシは決して怒りや憎しみといった感情で人を殺さない。誰であろうが関係なく、ただラーズが敵とみなした相手を殺す。
言わば放たれた矢だ。
ラーズがフィリスを殺せと言えば、おそらく彼は躊躇なく実行に移すだろう。
戦い方しか教えず、戦場以外に連れて行くことがなかった弊害とも言えた。
もし自分ではなく別の者に拾われていたら、もっと別の生き方ができたのではないか。今からでも広い世界に出て、存分に好奇心を満たす生き方をしたほうが、彼にとって良いのではないか。
無邪気に笑うオッシを見ていると、ラーズはそう思わずにはいられなかった。
「……本当に騎士をやめて冒険家になってみるか?」
想いが自然と口を突いて出ていた。
オッシはびっくりしたようにラーズを見た。
「いきなりなんだよ、隊長。さっきのは冗談だってば。ひょっとしてふざけたから怒ってるの?」
「お前が本気で望むのなら、この任務で戦死したことにしてもいい」
「本気で言ってる? ハイマンのおっさんにばれたら責任問題だよ?」
「ばれなければいい」
「……」
ラーズの表情を見て本気だと悟ったのか、オッシは黙り込む。
だが、彼が結論を出すのに、さほど時間は要さなかった。
「いや、やめとく。俺ひとりで旅に出てもすぐに飽きちゃいそうだし。隊長やみんなが一緒だって言うなら楽しそうだけど……」
「さすがに全員は無理だな」
「ならいいよ。俺は隊のみんなとハルディ砦でわいわいやってるのが一番楽しいよ」
「……そうか」
「それに俺がいないとウォーレンが寂しがるだろうし」
「笑わせんな」
ウォーレンはそう言ってオッシの頭を小突いてから、ラーズを睨んだ。
「おいラーズ、くだらん冗談は時と場所を選んで言え。次言ったら俺がお前を軍規違反でしょっ引くぞ」
「すまん。悪かった」
ラーズは神妙な顔で頭を下げた。たしかにフィリスたちがいる前でする話ではなかった。ばれなければいいなどと、よく言えたものだ。
オッシの将来のことは砦に帰ってからあらためて考えればいい。そう気持ちを切り替え、ラーズは通路の先へと意識を戻した。
その直後だった。
「止まってください!」
突然、フィリスが大声をあげた。
ほぼ同時に、ラーズの脳内にくぐもった声が聞こえてきた。
『……生者どもよ、引き返せ。ここより先は立ち入ることを許さぬ……』
その声は耳からではなく、頭の中に直接語り掛けてくるようだった。他の者にも聞こえているのだろう。子供たちは悲鳴をあげて近くの大人にしがみつく。
「ラーズ!」
イームクレンが前方を指さした。通路の先……闇の向こうに、うっすらと人の形をした青白い靄が浮かんでいるのが見えた。
「あれが悪霊か?」
ラーズはフィリスに問いかける。
フィリスは即答せず、戸惑ったように小さく首を傾げた。
「そうだとは思うのですが……少し様子がおかしいです」
「どういうことだ?」
「この先からとてつもなく邪悪な気配を感じます。おそらくそこにいる何者かが、この先に進んでほしくないと思っているのだと思います。悪霊はその思念に引きずられている可能性があります」
フィリスのその言葉を肯定するかのように、人型の靄は宙へと躍り上がり、一行の頭上をぐるぐると回り始めた。
『――去れ』『――引き返せ』
念が頭に響く。霊体の数はいつのまにか三体に増えていた。
「気を付けろ! やつらに憑りつかれると生気を吸い取られるぞ!」
アイラが警告を発する。
「くそっ、本当にいるのかよ!」
ウォーレンはそう嘆きながら、無駄と知りつつ剣を抜いた。
「ここはあなたがたが本来いるべき場所ではありません。あなたたちこそ大人しく去りなさい!」
フィリスが決然と言い放つ。
すると三体の悪霊は一斉に彼女に襲い掛かった。
すかさずアイラが前に飛び出し、手にした剣を閃かせる。斬られた霊体は煙のようにその場で霧散した。
「――浄化!」
フィリスが残りの二体に向かって手のひらをかざした。
白い光が悪霊を包み込む。
悪霊は光と混じり合い、やがて空気のなかに溶け込むように消え去った。
「……さすが、手慣れたもんだねぇ」
オッシが感嘆のため息を漏らす。
ラーズもまったくの同感だった。フィリスとアイラの流れるような悪霊への対処は、相当な場数を踏んでいる者のそれだった。当たり前のことだが、彼らには彼らにしかない強みや優れた能力があるのだ。
狭い世界しか知らないのはオッシだけではない。自分もだ。ラーズはあらためてそれを認識した。
「さぁラーズ殿、先を急ぎましょう」
力強いフィリスの声が耳に心地よかった。




