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第三十五話

「えー? どの時?」

 ちょっとふざけた風に言ったその言葉に、手首を持たれた右手首を回し、お腹を強めにつねった。

「イタイイタイイタイ。何だよ突然」

 芯太は立ち止まって、背中の志乃の方に顔を向ける。少しだけ悲しそうな表情の志乃と視線が合う。

「ごめん……本当にどの件だったっけ?」

「前にこんな、風におんぶしてくれた時、約束してくれた言葉、覚えてない?」

「あー、それって夢の話じゃない? だったらたぶん違う時間軸の事だと思うから、オレは経験してないよ」

 少し困った表情になってそう言う芯太に、静かに首を横に振って続ける。

 「何かあったらオレが守る。オレが家まで連れて帰るって、笹を流しに行った帰りに……」

「? 笹? 笹ってパンダが食べる笹?」

 呆けた顔で聞き返す芯太に、しのは頷きながら「七夕の笹」と、言葉を付け足す。

 芯太は七夕の言葉で思い当たる節に気付いたが、状況がうまく飲み込めず困惑して口をつぐむ。

「思い出した? しんちゃん?」

 そう言って志乃は悪戯っぽく笑ってみせる。

「さとみ?」

 ちょっと間を空けてから頷き「今は吉行だよ」と付け加える。

「ええっ、だって……はぁっ?」

「なに? その反応」

 そう言ってクスクスと笑う。

「だって、背オレより低いし……」

「しんちゃんが伸びたの」

「メガネ掛けてないし……」

「コンタクトなの見たよね」

「髪長いし……」

「切らなきゃ伸びるよ」

「でも、こんなに可愛いし」

「……それは昔の私に失礼だよ」

 志乃はもう一度芯太のお腹をつねる。

「ていうか、名前違うじゃん」

 芯太は、はっと気付いたように言う。

「お母さんが再婚したからだよ」

「いやいや、再婚しても普通、苗字だけで名前は変わらないだろ?」

「? そうだよ?」

「でも、さとみから志乃に変わってるし……」

 芯太がそう言った後、少しだけ長めの沈黙が続く。そして短くため息をついた。

「しんちゃん、名前のこと、昔私に何て言ったか覚えてないでしょ?」

 今度は芯太が少しの間沈黙する。

「……ごめん。なんて言ったっけ?」

「女を下の名前で呼べるか、格好悪い」

 志乃は棒読み風な口調でそう答える。

「オレ、そんな事言ったっけ」

「うん。言ったよ! それでは、それを踏まえたうえで問題です。私の昔の名前をフルネームで答えてください」

「……もしかして、さとみ志乃……とか?」

「正解。里見志乃(さとみしの)です。何で覚えてないかなぁ……」

「あはは……そういえばフミ姉(ねえ)が、『しのちゃん』て呼んでた気がする」

 芯太は人差し指でほっぺを掻きながら苦笑する。

「月曜日に八年ぶりぐらいに再会した時、最初はね、友達の目とかもあって、わざと知らないふりしているのかなと思った……でも、話をしていて、あれ? 違うなって気付いて」

「いろいろ試したんだよ。昔通った道で家まで帰ったり、二人きりになれるように放課後誘ったり、眼鏡掛けて見せたり、文絵さんと三人で行った岩田山にお猿さん見に行ったり……」

 成程、常に感じていた既視感の正体は残留思念のようなものではなく、これが要因だったみたいだ。

「ごめん。それで時々怒ってたんだ」

「怒ってないよ。しんちゃんが鈍くて空気読めないから、心に穴が開いたみたいで悲しかっただけ……」

 その言葉に「あはは、それは悪かった」と、ぎこちなく笑う。

「で、そんな心に空いた穴を彼氏とてはどうやって埋めてくれるのかな?」

「オレ彼氏なんだ……」

「あれ? 自分から言わなかった? お家デートもしたし、お出かけデートもしたから彼氏だって。それとも口から出まかせだった?」

「いや、やぶさかじゃないけど、告白してもされてもいないから……」

「……それって、告白して欲しいって事かな?」 

「いや、オレから言う」

 芯太はそう言うと、背中から志乃を下ろし、しゃがんだ志乃の両手を取って優し立たせた。そして大きく深呼吸をする。

「吉行、もしよければオレと付き合ってください」

「……」

 志乃は黙っている。

「だめ……なのかな?」

 志乃は無言のままじっと見ていたが、その言葉に首を横に振って、額を芯太の胸に付けた。

「昔ね、一度しんちゃんに告白された事あるんだよ。だから今日のは二回目。返事はあの日にしてるよ。それからずっと、私はしんちゃんと付き合ってるつもりだったんだよ」

 あの時がいつの事なのかは、さすがの芯太でも理解できる。ずっと守るって言った日の事。七年前の七夕の前日。

「だから、しんちゃんとまた会えるのが分かった時は、すごくうれしかった」

「こっちに転校してきた後、しんちゃんが私の事に気付いていないって事が分かった時も別、ホントは別にそんなにショックじゃなかったんだよ」

 そう言った後、一息置いてから話を続ける。

「本当に一番寂しかったのは、私が『さとみ』って事に気が付かないで……他の誰かって認識で言い寄って来た事……その時、『ああ、私の事はもう忘れてるんだ』と思って少し寂しかった」

「……ごめん」

「ううん、これは私の我儘。だって、また会えるかななんて判らないもんね」

 もう一度大きく首を横に振って話を続ける。

「だけど、さっきの告白でしんちゃんの……芯太の本当の気持ちは解かった」

「可愛い」、「好みだ」、「オレの彼女」なんて口に出して言ってはいるものの、どこか調子の良いで重みの無い言葉。決して真剣に告白する気なんてない軽薄な態度。志乃は最初は美紗姫に対する想いがあるから取っている態度だと思っていたけど、たくさんの事を話しているうちに他に想いを寄せる女性(ひと)がいる事が見え隠れしていた。だけどそれが自分の事である保証は無い。唯一確信できる方法は、はぐらかさず真面目に想いを告げてくれる行動のみ。そしてその行動を目の当たりにし、志乃はもやもやしていた霧が晴れたような気分だった。

 志乃は、芯太の胸元から頭を話すと、自分の頭より少しだけ上にある芯太の目を見上げた。

「おかえり」

 何となく志乃の気持ちを読み取って、そんな言葉が口から出る。

「うん。ただいま」

 志乃は少しだけ顔を傾けながら、たぶんこちらに来て初めての満面の笑みを見せた。

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