第三十四話
「みゆきー、自転車のカゴに私の縄跳び入れたまま!」
不意に背後から、女の子の声が叫んでいる声が聞こえる。振り向くと自転車に跨った女の子が一人と、声が遠くに届くように口元に両手を当ててる歩きらしい女の子が一人。
交差点を渡り切っていた自転車の女の子は、その言葉に自転車のかごを覗き込む。そして、「あ、ごめん」とちょっと大きめの声をこちら側の二人に掛けると結んだ縄跳びを手に取ったあと、向きを変えるため自転車を降りた。そして急いでハンドルをこちら側に返すと、自転車を押しながら横断歩道を渡って戻ろうとする。
「だめ!」
同時に志乃はそう叫んで信号が赤になった横断歩道へと歩み寄った。無意識に南へと向かう車道に一歩足を踏み入れる。
「!」
女の子はその声を聞いて、少しびっくりしたようにその場に硬直する。横断歩道を三歩程歩み出たあたり、片側二車線の歩道側。南から走って来る車両は見当たらない。志乃が女の子に歩道まで下がるように声を掛けようと口を開きかけた直後に右からの車の気配を感じ、はっとそちらに振り向くと、交差点を渡ろうとしている白いミニバンが、迫っていた。位置的にはぎりぎり当たるような近さではないが、念のため後ろに下がろうとした時足を捻り、肩に掛けたバッグがずれたせいでバランスを崩し前のめりになりかけたのを転倒しないように踏ん張ったおかげで後ろに下がるタイミングを逃す。
交差点の方に目をやると、ミニバンは交差点を超え目の前付近まで迫っていた。
車の急ブレーキの音がを聞くと同時に、視界が回転し天地が逆さになる。一瞬何が起こったのか判からなかったが、しばらくして自分が転倒していることに気付いた。空を見上げたまま何度か瞬きをする。
「このバカ、何やってんだ!」
ほんの少しの間放心していたが、不意に斜め後ろから怒鳴り越えが聞こえ我に返る。
「あれ?」
「あれ? じゃない! お前が身代わりになってどうするんだよ」
上半身を起こして声のする方に目をやると、尻もちを付いて座り込んだ芯太が睨んでこちらを見ていた。
状況から判断するに、転倒しかけたのを見て、交差点の向こう側から走り寄って志乃を歩道の方に引き倒したようだ。
少しして道路脇に停めたミニバンのドライバーが出てきて、芯太に駆け寄る。彼が無事なことを確認すると、少し興奮した感じになって説教を始めた。芯太は頭を下げたり頷いたりしながら謝罪している。志乃は自分の不注意のせいだとドライバーに伝える為、立ち上がろうとしたが、捻ったのか右足に鈍い痛みを感じ、すぐにしゃがみこんでしまった。
その様子に気付き、芯太とドライバーは志乃の方に向き直す。
「大丈夫?」
「うん……ちょっと捻っただけ」
芯太の言葉にそう返して遠慮がちに笑う。
その後、病院に連れて行こうかというドライバーの申し出を丁寧に断りを入れ、自分が体勢を崩したせいで、それを庇って彼が飛び込んできた事、車には接触していないから、事故には至っていないこと等を何度も謝りながら伝えた。
ドライバーは志乃の怪我についてまだ少し気負いしていたが、念のためにと、連絡先だけ伝えて再び車に乗り込んで走り去った。
「……で、これで解決?」
「うん、たぶん。無事解決だと思う」
手首の時計を見ながら志乃が答える。
「無事ではないと思うけど」
無造作に地面に放置されていた志乃のバッグを手に取り、歩行者信号の取り付けられた電柱に身体を支えて立っている彼女に差し出す。
「そういえば、あの女の子は?」
差し出されたバッグを受け取りながら少し辺りを見回す。
「さっきまでそこで硬直してたけど、友達となんかやりとりしてから、あっちに行ったよ」
芯太は顎で横断歩道の向こう側を指し示しながら答えた。それから「歩ける?」と声を掛けて今度は手を差し出した。
「うん。大丈夫」
そう答えて、芯太の手を取り、そちらに歩こうと一歩踏み出して顔をしかめる。
「やっぱり病院行った方が良くない?」
「ん。でも今日、日曜日だし……」
「ああ、そっか……」
芯太は少しの間考えてから、もう一度口を開く。
「じゃあとりあえず家に来る? 何か応急処置はした方がいいと思うし」
「……そうだね、お邪魔する」
志乃も少し考えた後、申し訳なさそうな顔で答えた。
芯太は「うん」と答えると、しゃがみ込んで、後ろに手を、出す。
「なに?」
「ほら、おんぶ」
少し後込んでいる志乃の方に顔を向けて言った。
「いいよ! 肩借りるぐらいにしとく」
そう言ってしゃがんだ芯太の肩に手を置いてひょこひょこ歩き出す。
「ダメだよ! 悪化するかもしれないし。ていうか、そっちの方が目立つと思うぞ。おんぶだったら、ふざけてるだけにも見えるし」
「……」
「家までだったらすぐそこだし、マンションの敷地内通るだけだから、そんなに人目も無いし」
「……わかった。ありがとう」
後半、消え入りそうな声で呟いて、芯太の両肩に手を置く。芯太は志乃が両肩を掴んだ感触を確認すると彼女の膝の下から手を通し、手首を掴んで立ち上がる。一瞬だけバランスを崩しかけたがすぐに立て直し、歩道後ろの石段を上がり、マンションの敷地内に入る。
「……」
「……」
「重くない?」
少しだけ沈黙が続いた後、志乃が口を開く。
「背中が幸せ」
「バカ……やっぱり降りる」
志乃は芯太の背中から胸を離す為、少し両手を伸ばして仰け反る。
「危ないから暴れるな。落とす、落とす」
そう言って支え直そうと志乃の手首を離して体勢を直そうと持ち上げる。
「今度はお尻触った!」
「暴れるからだろ!」
「……」
しばらく沈黙した後、志乃はクスクスと笑いだす。
「何? どうした?」
「なんか、前にもこんな事あったなって思って」
「何? おんぶ?」
「……おんぶもそうだし、怪我もそう……私いつも肝心なところで足引っ張るんだ」
「そうなんだ。昔の彼氏と何かあった?」「 志乃が大人しく背中に体を預けてきたのを確認し、手首を持って再びゆっくりと歩き出す。
「んー? 彼氏なのかな?」
「今の彼氏としては、そこんところ微妙に気になるんですけど」
「誰が今の彼氏だって?」
「だって、お家デートで手料理もお出かけデートでお弁当も作ってもらったし……」
「でも、お泊りデートははぐらかしたよね?」
芯太はその言葉に「あはは」とわざとらしく笑ってさらにはぐらかす。
「……ねえ」
もう一度短い沈黙の後志乃が口を開く。
「ん? 何?」
「あの時の約束覚えてる?」
そう言って芯太の耳元に少し顔を近づけた。




