第三十三話
「ごめん吉行、状況が変わった」
「うん」
志乃はスマホからの音声を聞いていたので、その言葉にすかさず反応する。
「小学校に行くって事は考えてなかった」
この一帯の小学校の校庭は、休日でも生徒に開放され好なように利用する事ができる。但しその対象は小学生に絞られ、中高生や大人が使用するには許可が必要だった。例外として付き添いの保護者が校庭に入るのは認められているが、その際も保護者証の携帯が必要だった。その為、部外者である芯太の思考からは完全に抜け落ちていた。
「とりあえず、一旦例の交差点まで戻って来て。合流した後、南の小学校の方に向かってみる」
芯太は東側にある事故の起きる交差点に向かって足早に歩き出す。
「わかった」
恐らく歩く足を速めているのだろう、少し弾んだ息で志乃が短く答えた。
左右に竹林の茂る道路の歩道は、先が緩いカーブになっており目的の交差点はまだ見えない。芯太は少し小走りになって先へ急ぐ。意外に長いその道の先に、目的の交差点が見え始め、少しだけ進む速度を落とす。交差点の奥には、芯太の住んでいるマンションの手前の棟の建物が見えた。
交差点に着くと、大きく息を吐き出し、スマホの時間を確認する。午後五時二十六分。
「あんまり横断道路に近付かない方がいいよ」
ハンズフリー通話のままにしていたスマホのスピーカーから志乃の声が聞こえ、一歩程後ろの隅切りの方に下がる。
「まだ時間あるから大丈夫だと思うけど」
そう言った芯太の耳元から「それでも万が一があるから」と志乃の肉声が聞こえた。少し息を切らしながら両膝に手をついている。
「ごめん急がせた」
志乃はそう言った芯太の方を向き直して首を横に振り、交差点から南側に伸びる道路の先に視線を向ける。
「これからそっち見に行くんだよね。私はどうすればいい?」
「吉行はの辺りで自転車の女の子来ないか見張っていてほしい」
芯太は頷いたあとそう言うと、交差点を渡った先にあるマンションの入口の方を指差して続ける。
「あそこにベンチがあるから、あそこで見ていて。状況が変わったら対象が吉行になる可能性もあるから、交差点にはあまり近づかないで」
志乃は芯太の指の先にあるマンションの入口の低い石段の上のコンクリートのベンチの方を見て頷いた。
「じゃあ行ってくるから、ここ宜しくね」
「……気をつけてね」
「さっきと同じやりとり」
そう言って笑うと、竹林沿いに歩道を足早に歩きだした。先程と同じように竹林の木陰沿いに緩いカーブを進み小学校の方向を進む。しばらく歩くと高台になった運動場の緑のフェンスが見え始めた。芯太は学校へと続く道に繋がった交差手に着くと、正門のある西向きの通学路を覗き込んでみる。
(見つけた)
談笑しながらこちらに歩いてくる小学三年生ぐらいの女の子が三人。二人は徒歩で一人がブラウンのラインの入ったミントグリーンの自転車を引いている。自転車の前に取り付けられた白い籠にはビニール製の縄跳びが結んで入れられていた。
それを見て心臓が大きく高鳴る。
「吉行、自転車の子見つけたよ。ちょっと時間稼いでみる」
「本当に? 私も行った方がいい?」
「とりあえず大丈夫だと思う。それより事故の原因の車ってどうなのか覚えてる?」
「大体は判ると思うよ」
「じゃあ吉行はそこでその車が通り過ぎないか見てて」
「わかった」
志乃の返事を聞くと芯太は、スマホをズボンの後ろのポケットに入れて一つ深呼吸をする。
それからゆっくりと自転車を引いた三人組みの女の子の方に向かうと、自然な感じを振る舞って話し掛ける。状況の設定は先程と同じ。
「ごめん。ちょっといい?」
芯太は、わざとらしく頭を掻きながら話しかける。声を掛けられた三人は、首を傾げながら芯太を見る。
「妹が校庭に遊びに行って迎えに来たんだけど見なかった? 一年生でツグミっていうんだけど」
咄嗟に要佑の妹の名前をでっちあげる。
「学年違うからわからない」
女の子達はお互いに顔を見合わせた後答える。
「そっかー。じゃあさ、ちょっと聞きたいんだけど、校庭って小学校に通っていないお兄ちゃんでも入っていいと思う?」
自分の顔を指差しながら言う芯太に、少し考えながら女の子の一人が答えた。
「大人は首に名札付けてないと入っちゃダメだよー」
「そっかー。名札ってどうしたら貰えるかな?」
「さぁ? お家にあるんじゃないの」
「あーそうかー」
わざとらしく頷きながら、後ろのポケットでブルブルと振動しているスマホを取り出して画面を見る。時間は五時二十九分。小学生の足取りでは時間までには現場にたどり着けないだろう。芯太は軽く息を吐いてスマホをポケットに戻した。
「じゃあ、家に取りに帰るよ。ありがとうね」
そう言って踵を返してもと来た道を歩き出す。
「あー、それからさっきそこに、お巡りさんがいたから、歩道で自転車乗らないように押して帰らないと怒られるから気を付けてね」
振り向いてそう付け足すと、そのまま小走り気味に通学路を抜けて主道路の方に入った。それから再度ポケットからスマホを取り出し耳を当てる。
「吉行、時間稼いできた。そっちはどう?」
「特に何もないよ。時間まであと五、六分ぐらいだし大丈夫じゃないかな。そっちは相手が自転車でしょ。抜かれたりしない?」
「一応、自転車押して歩くように言っておいたから大丈夫だと思う。あと、他の二人は歩きだったし」
「歩いてた子二人だったの? 一人じゃなくて?」
「うん。二人だった。ショートの子と眼鏡の子」
「……自転車の子はどんな自転車乗ってた?」
「普通の子供用のサイズの自転車。チョコミントみたいな色の」
「その子違うかもしれないよ! 私が見たのはピンクの自転車だったし、眼鏡掛けた子は居なかったと思う」
「人違い?」
「かもしれない……いや、そうだと思う」
「とりあえず、急いでそっち戻るんで、吉行は周り注意してて」
「わかった」
志乃はそう言って、全部の交差点の先を見渡すために集合住宅入口の石段を下りて歩道の方に出る。見渡すと、南側の対抗車線の歩道の先で芯太が走ってこっちに向かっているのが見えた。その後ろに別の人影は無い。北側と西側の道路の先も見てみたが、こちらに向かってきている人影は見当たらなかった。
怪訝に思いながら左手首の小さな腕時計の文字盤を見る。時間は午後五時三十七分。もし今どちらかの道路から姿を現しても、予定時刻までに間に合わないだろう。事故は回避できた。志乃は両手を膝に当て、視線を歩道のアスファルトに落として安堵の息を吐き出す。
と、背後から何かが通り抜ける風を感じてはっと顔を上げる。
小学生ぐらいの女の子が乗ったピンクの自転車が、自分の右側をすり抜けて横断歩道右横の自転車横断隊を走り抜けていくのが見えた。歩行者信号は点滅しており、自転車が渡りきる直前に赤になる。志乃は声を出そうとしたがうまく出せず、その場に硬直した。




