第二十九話
少し早めのランチを終え、志乃が持ってきたパック入りコーヒー飲料をストローで飲みながらしばらくまったりとした後、中州の河川敷を上流の方に向いて歩き出す。観光案内のパンフレットやテレビドラマ等で有名な渡月橋が段々と近づいてくる。
現在使われている渡月橋は昭和初期頃に掛けられた鉄筋コンクリート製のもので、九世紀半ばに掛けられた初期の木製のものは今の場所より百メートル程上流にあったらしい。渡月橋を基軸としてその上流を大堰川、下流を桂川と呼んでいたが、現在の行政上の呼び名は合わせて桂川。大堰川の名は橋銘板に残されてる程度だ。そして大堰川のさらに上流は保津峡下りで有名な保津川となっている。
芯太達は渡月橋を背に南の渡月小橋の方へと向かって歩いた。そして渡月小橋を渡るとすぐ右横の小道に入って川の上流の方へ進む。温泉付きの旅館を過ぎ、屋形船の並んだ貸しボート屋の手前の石段を登り、檪谷宗像神社の境内の入口の鳥居をくぐると、左手に『嵐山モンキーパークいわたやま』と大きく書かれた建物が見えた。
そこで入場券を買いゲートをくぐる。そこから目的地である山頂迄は二〇分ほどの山道となっている。
山道といっても地面は舗装されているため、トレッキングシューズ等の登山用具は必要無い。手摺や階段になった所もあり、途中途中に休憩用のベンチも設置されているため、ちょっとした散歩感覚で山頂まで登ることができる。山道は木陰になった箇所も多く、先程まで歩いた河川敷の公園と違い随分と涼しい。二人は所々に設置されている猿に関するクイズを解きながら山頂までハイキングを楽しんだ。
山道を何度か折り返しながら登って行くと、猿に関する説明や注意書きの看板が増え始めたので、そろそろ頂上が近い事が判る。小屋の建った小さな公園が開け、その先の舗装された階段の左側に長い滑り台が設置されているのが見える。滑り台は兄妹だろうか男の子と女の子の二人組がはしゃぎながら滑っている。二人はその子供達を横目に目前の山頂を目指す。
「前に来た時、スケボーでこの滑り台滑ろうと思ったら、姉ちゃんと隣の部屋の子に全力で止められた」
美紗姫ではなく『隣の部屋の子』という言い方から、恐らく美紗姫が引っ越して来る前の小学生の頃の話なのでろう。
「止めてもらえて良かったね。止めてもらえなかったらきっと大怪我してるよ」
あははと笑いながらとんでもない事を告白する芯太に突き刺すような冷たい視線で言い放つ。階段の最後の一歩を踏み上がり、二人は山頂到着した。
山頂は奥行き二五メートル程度の広場になったおり、多数の猿が放し飼い状態で地面を歩いたりじゃれ合ったりしている。軽く数えただけでに二~三十匹はいそうだ。広場には南側に少し大きめの休憩小屋、北側に十基程のベンチが並んでおり、その先の開けた展望台から京都市内を一望できるようになっている。
「お猿さん、思っていたより居るね」
「丁度餌巻きの時間みたいだから、集まってるのかな」
見ると飼育員らしき男性が広場の中を行き来し、手に持った袋から餌を撒いている。何匹かの猿は、その後をつけながら餌を一生懸命餌を拾っている。
「覚えてなかったけど、結構街並みが見渡せるんだな」
芯太は開けた展望台の方に行き、観光双眼鏡が取り付けられた高台に立つ。
見下ろした直下には桂川、そしてその先に広がる市内の街並み。天気が良い為、遠くに京都タワーが霞んで見えている。
「一番遠くに見える山の先は何処に繋がってるの?」
志乃は遠くに見える少し霞の掛かった青い山脈を指差す。
「東山の方かな、音羽山? そこを超えたら琵琶湖に出るはず」
山まで距離がある為、志乃がどの山を指しているのか判らなかったので曖昧に答える。
「その先は?」
「関ケ原を抜けて飛騨の方かな? よく知らない……」
ちょっと困った顔で答える芯太を見て笑い掛ける。
「何処でもいいから遠い所に行きたいな」
「何だよ、逃避行か? 嫌な事でもあった?」
今度は芯太が志乃の方を見て笑う。その言葉に志乃は「別に」と答えて振り返って休憩小屋の方に向かってゆっくりと歩き出す。
「疲れたんでちょっとだけ休もうか」
芯太は彼女のうなじの上で揺れているポニーテールを見つめながら無言で付いていった。
小屋の中は縁台が五台程並んでおり、数組のグループが腰を掛けたり、荷物を置いたりしている。窓はカウンターが取り付けられていて、そこから小屋内で売られている餌を購入して猿にあげることができる。窓は全面に金網が張られており柵の中の人間と外からそれを見る猿達の図は、何だか立場が逆転したような不思議な感覚になる。二人は縁台に腰を掛け、餌目当てで窓の金網に張り付いたり手を伸ばしたりしている猿を観察する。
「あのお猿さん、芯太っぽいよね」
窓から窓に移動しては金網に腕を突っ込む落ち着きの無い猿を見て志乃が言う。
「どの辺が?」
「落ち着きの無い所」
「そうか? オレは要佑ばりに落ち着いてるぞ」
「いや、それは無いよ……」
志乃は即座に返す。
「あっちの子猿背負ってるのは要佑っぽくないか」
おそらく親子だと思われる子供の猿をお尻あたりに背負った猿が金網にぶら下がりながら大人しく中の様子を窺っている。
「そうだね。継美ちゃんもいるし。美紗姫ちゃんは?」
「あー美紗姫な、あいつ人見知りで知らない人の前に出るの苦手だから、どこかに隠れてる猿がそうじゃないかな」
「美紗姫ちゃんて、そうなの?」
驚いたように聞き返す。
「意外だろ?」
「うん。美紗姫ちゃん活発だから目立ちたがるタイプだと思ってた」
「人前に出たり、話題にされたりするのが嫌なんだと。馴れた相手には、ずけずけ来るけどな」
笑う芯太に「私と同じだ」と呟く。
「吉行は、最初はそういうタイプかと思ったけど、全然そんな事無いと思う」
芯太はその言葉の後に「意外と積極的だし」と続ける。
「相手によるよ」
「それは、オレに気があるって事?」
「なんか、ほっとけないだけだよ」
そう言って縁台から勢いよく立ち上がり、小さく伸びをした後、芯太の方に向き直した。
「お猿さんも見れたし、そろそろ降りる?」
「もういいの?」
「うん。満足した」
猿の居る広場まで上がって時間にすると十五分程度、もう少し居た方が入園料の元を取れるかとは思ったが、立ち上がった志乃を引き留める理由としては少し弱い。芯太は続けて立ち上がると、腰に手を当てて同じように伸びをした。それからズボンのポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。時間は丁度正午を過ぎたぐらいだ。
「じゃあ、この後どうする? 家の方に戻る?」
芯太のその言葉に、ビクンと少しだけ体を震わせたが、すぐに気を取り直し、
「そうだねー、どうしよっか?」
と逆に聞き返す。
「他に行きたい所あれば案内するけど。そういう約束だったし」
二人は休憩小屋を出て、来た山道を下り始める。志乃は何か考えるように少しの間黙っていたが、不意に立ち止まて口を開く。
「さっきの話……」
そこまで言って、躊躇するように少しの間を開けてから続けた。




