第二十五話
「文姉、おはよう」
着替えを終え、歯ブラシを加えながらダイイングに入って来た芯太を見て、トーストをかじっていた文絵は目を丸くした。
「今日はまた一段と早いのね」
「スマホで友達に起こされた」
シンクの水道の水注いだコップでうがいをしてから、眠そうな声でそう答える。
「今日も学校?」
「んー今日はデート」
二度目のうがいをの水を吐き出してから芯太は答えた。睡眠不足もあり思考が鈍っているのか、どこか現実味の無い他人事のように感じる。
その言葉に文絵は目を輝かせ、芯太の方に身を乗り出す。
「何なに? 昨日一緒の行った子? やっぱり付き合ってるの?」
矢継ぎ早に聞く文絵に、ちょっとウザいと言うかのように、小指で片耳をほじりながら「付き合ってねーよ」と憮然として答える。それから、
「告白もしてないし、されてもないし、これかるするかも判らない」と付け足す。
「何それー」
文絵は面白くないといった感じの声を出す。
「まあ多分、相手の気まぐれだと思う……それか」
「それか?」
「あ、いや何でもない。じゃあ、待たせてるんでもう出る」
夢の再現の件は部外者である文絵には特に話す必要が無いと判断し、その部分は黙っていた。
「はーい。今日は帰って来なくていいわよー」
「何馬鹿な事言ってるのか知らないけど、夕飯までには帰るよ!」
そう言って少し乱暴気味に玄関のドアを開けると、手に持ったスマホで音声通話を発信した。
「お待たせ。今家出たけど、どこに行けばいい?」
「とりあえず下まで降りて来てくれるかな?」
芯太はスマホを耳から外し部屋の鍵を閉めると、そのまま一度美紗姫の部屋を覗き込んでみた。
部屋の照明は消えているが、型ガラスの向こうのカーテンは開いていた為、まだ熱で寝込んでいるというわけでは無さそうだ。
(後でメッセージ送ってみるか)
芯太はそのままエレベータの前まで行き、ホールボタンを押す。一フロア下で待機していたかごはすぐに到着し、中に乗り込んで操作盤から一階のボタンを押した。軽いモーター音がしてかごが下り始める。一階に着くと防犯窓から、エレベーターの前で小さく手を振っている志乃の姿が見えた。
「びっくりした。マンションよく判ったな。今朝の夢で見た?」
「うん。まあ、ね」
志乃は少し曖昧な返事をする。
「へー、吉行の私服初めて見た」
白のロゴTシャツに水色のフード付きブルゾン、下は灰色のスウェットパンツにスニーカーといったスポーティーコーデだ。髪はポニーテールだが、昨日のキッチンの時のものより下目の位置で纏め、トップにボリュームが出るようラフ目に仕上げている。肩には少し大きめの白いトートバッグが掛かっていた。
芯太はこの前ショッピングモールで着ていたような付す層を想像していたので、イメージとは違うなと思ったが意外と似合っていたので、つい見惚れてしまう。
「この前、美紗姫ちゃんが選んでくれたような恰好だと思った?」
芯太の心を見透かしたように、悪戯っぽい笑顔で聞く。
「まあ何となく、そんな服着てるイメージだったけど」
「そっちの方が好き?」
「いや、そういう恰好も良いなって思うよ」
「そう? ありがとう」
満面の笑みを浮かべる志乃に、ちょっとドキッとする。
「それで、行きたい所って?」
それを悟られないよう目を逸らし、誤魔化す様に尋ねる。
「えっとね、岩田山」
「イワタ山? ……どこだっけ?」
首を傾げる芯太に、「嵐山のお猿さんが居るところ」と言っいながら両手を結んで手招きのようなポーズをする。恐らく猿の物真似のつもりなんだろけど、猫の真似にしか見えない。
「あー、猿山な。つーかよくそんな所知ってるな? つーか猿好きんだ」
志乃が言っているのが嵐山のモンキーパークの事だと気付き、招き猫ポーズの志乃の仕草に吹き出しそうになるのを堪えながらそう言葉を返した。
その言葉に志乃は、意味ありげな笑顔を向けながら「別に好きって訳じゃないよ。何となく見たくなっただけ」と言って、マンションの敷地内から車道の方に向かう。そして歩道まで出ると右に曲がって足早に歩き出した。
「おーい、バス乗るなら反対側だぞ」
芯太はマンションの入り口で立ち止まって志乃に呼びかける。その言葉に志乃は芯太の所まで引き返し、腕を掴んでやはり今来た道の方へ引っ張っていく。
「いや、だからさー」
「いいの。別にこっちからでも行けるよね」
言いかけた芯太の言だけ葉を遮るように志乃はそう言って少し歩みを早める。
確かに大回りにはなるが、しばらく行けば横断歩道もあり、バスターミナルまで行けなくも無い。しかし、志乃はその横断歩道には向かわず、手前に掛かった橋の横の遊歩道から河川敷の方へと下りだした。
「おーい、吉行。どこ行くんだよ?」
「別に……ちょっとここ通ってみたかっただけだよ」
そう言いながら河川敷まで降りて先にスタスタの橋の下を潜る志乃に追いついて話を続ける。
「春だったら桜も咲いてるけど、今の時期何もないぞ」
周りも人通りが殆どなく閑散としている。少し先でジャージ姿でウォーキングをしている中年の女性と犬を連れて散歩しているお爺さんとすれ違ったぐらいだ。
志乃は周りを眺めながら少しだけ歩く速度を緩める。そして何か言いたげに芯太の方を見た。
「? どうしたの吉行?」
「……」
少しの間黙ったまま芯太の方を見ていたが、小さくため息を吐いた後、「何でもない」といって足早に歩き出す。芯太は小首を傾げながらその後ろを追いかけ、志乃の横に並んで横顔を見た。
「何?」
志乃はちらっとだけ芯太の方を見たが、視線を前に戻した。そして河川敷の左側のい斜め向けに続き階段を、その先に見えてるショッピングセンターの建物の方に向けて上り出す。
「ねえ吉行、何か怒ってる?」
芯太は黙ったまま前を見て歩いている志乃に恐る恐る尋ねた。
「……別に」
志乃は間を置かずそう答えた後、芯太に聞こえない位の小さな声で、「鈍いって事は分かったから」とぼそりと呟いた。
芯太は、益々解らないといった表情を浮かべる。その時々でくるくると機嫌の変わる志乃に、少し困惑していた。美紗姫もよく表情が変わったが、それは解りやすいものだった。怒ってる時な等もはっきりと主張してくる。芯太は解かりにくい志乃の機嫌について困惑こそしながらも、何故か少しも嫌な気分にはならなかった。むしろ心地良かった。




