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第二十一話

「それで、天智先輩は、これからどうすればいいと思いますか?」

「この量子もつれ状態は近々に消滅する。具体的には明後日の日曜日までだ」

「根拠は?」

「気付いていないのか? 夢は一日置きに見るんだろ? 十九日に見たのは七日後の夢、二十一日に見たのは六日後の夢、二十三日に見たのは五日後の夢……」

 天智はそう言いながら、ノートに手書きの表を書いていく。

「で、今日が七月一日。今夜見る夢は恐らく明日七月二日の出来事の夢。そして次の七月三日の夜み見る夢は七月三日の出来事なんでマイナス一日後の夢……つまり夜までの時点で、もつれた量子が収束する事になる。言っている意味は理解できるか?」

「何となくは」

 芯太は少し自信無さげに答える。隣で志乃も小さく頷いている。

「それで、それまでの対策だが」

 天智はノートを閉じると、手に持った鉛筆の尻を志乃の方に向けて続ける。

「できるだけ夢の通りの行動する事。理由は解かるな?」

「未来を変えてしまう可能性があるから? ですか?」

「一見些細な出来事でも、それの影響で何か変化に繋がる可能性がある。バタフライ効果(エフェクト)っていう言葉を聞いた事無いか?」

「名前は聞いた事ある気がします。そんな名前の映画があったような……」

「北京で蝶が羽ばたいたらニューヨークに嵐が起こるとか、そんな感じだったような」

「原題はブラジルとテキサスだが、まあ概ねそんな感じだ」

「本来の意味合いは、カオス理論による予測の困難さを表すキャッチワード的なものなんだが、今回は些細な出来事が時間と共にだんだん大げさになっていくといった俗的な意味合いでの警告だ。言うなれば『釘が無いので』の童話だな」

 釘が無いので蹄鉄(ていてつ)が打てない。

 蹄鉄が無いので馬が走れない。

 馬が走れないので騎士が乗れない。

 騎士が乗れないので戦ができない。

 戦ができないので国が滅びた……

 マザーグースの有名な寓話のひとつだ。

「まあ、恐らく大事に至る可能性は低いと思うが、内容によっては当の本人が責任を感じてしまうような事象は起こりうるかもしれないからな」

 

「もし、一部の出来事で未来の結果と整合性が取れなくなった場合どうなると思う?」

「ほら、よくアニメとか小説なんかでよくある『並行世界(パラレルワールド)』として、分岐するんじゃないですか?」

「多世界解釈可能性としてはありえるが、残念ながら今回の事象には大きく矛盾する」

「どうしてですか?」

「前提が問題だ。量子もつれによる相互作用が今回の事象の原因だとしたら、さっき説明した通り第一量子ビットである未来の観測者、仮に観測者1呼ぶ事にする。それと、第二量子ビットである現在の観測者2の経験則も相互関係が同一でなければならないので並行世界の分岐は発生しない。代わりに起こりうるのは」

「あの……もし何らかの理由で夢の内容と違う状況になってしまった場合、無関係の人や物に影響を及ぼすことってありますか?」

「今回の事象はその瞬間かそれ以降にお前が観測している人間関係や物質の状態の範囲内だけの影響の可能性が高い、つまり風が吹いても桶屋は儲からない」

「でも一昨日の雨の日、湯築君に傘を貸して湯築君が濡れずに済んだら、代わりに美紗姫ちゃんが雨に濡れたんです。それって辻褄合わせのために誰かが状況を肩代わりしていることにならないですか?」

「因果律と言ってな。物事にはそうなる原因が必ず存在する。お前が言う美紗姫ちゃんが濡れた事象にも必ず要因があるはずだ。天智はその状況に立ち会っていないが、まあ大体は想像が付く」

 そういって、少しバツの悪そうな顔で目を逸らしている芯太の方を向いて聞く。

「湯築弟。お前その日、自分の傘は持っていなかったのか?」

「突然何の話ですか?」

 芯太は少し動揺しながら応える。そして視線だけ隣の志乃の方に向ける。志乃は小首を傾げながら芯太の方を見ている。一瞬目が合い、芯太は慌てて目を逸らす。少しして諦めたように小さくため息をつくと、自分の鞄の中をごそごそと探る。

 そして鞄から薄緑色をした掌に収まるサイズの小さな折り畳み傘を出すと、天智の座っている教員机の上に置いた。

「オレ、天気に関わらず常に傘持ち歩いてるんだ」

 そういって苦笑しながら志乃の方を向く。

「でも湯築君、夢では雨で濡れたって話してたよ」

「あの補習の日、美紗姫が一緒に帰ろうとして待っててくれてたらしいんだ」

「美紗姫ちゃんが?」

 芯太は「うん」と頷くと、机に置いた傘を手に取り開ける。開くと差し渡しは九〇センチメートル程度、大人一人が何とか濡れずに入れる程度のコンパクトな傘だった。

「で、帰り道で雨が降って来て、美紗姫は傘を持ってないからこれを渡して走ってバス停まで行ったんじゃないかと思う。一緒に歩くとたぶん傘突き返されるから」

 成程、あり得る話だ。

「あ、でも別に吉行のせいじゃないよ。」

 少しだけ気落ちした顔で話を聞いている志乃にフォローするように芯太は笑顔で言った。

「傘を持ってこなかった美紗姫が悪い。それにその場に居なかったんだからどうしようも無いし」

 美紗姫がその場に居たが隠れていたことは伏せて置くことにして話を続ける。

「何よりオレが濡れなかったし……オレの事、心配して傘持ってきてくれたんだろ?」

「それはそうなんだけど……」

 そうは言ってもやはり割り切れないといった表情の志乃に天智が付け加えて言う。

「これがさっき天智が言ったことの意味よ。夢に逆らった行動をとって状況を変えてしまったら変に加害者意識出てしまうだろ。心配しなくても本人が思っている程相手は気にしてないとい思うぞ。結局その状況を作り出したのは当事者本人だからな」

 そう言って天智は椅子から立ち上がりスカートの裾を整える。

「さて、それじゃあ私はもう少し堀さ上げて調べたいので中央図書館に出向くが?」

「ありがとうございました」

 二人は立ち上がって頭を下げる。

「あ、そうだ……」

 天智は制服の上着のポケットからスマホを取り出してロックを解除する。

「私のID教えておくから、状況が変わったり問題事が起きたらいつでもメッセージ入れてくれ」

 芯太と志乃も鞄からスマホを取り出しIDを登録する。

「少しは役に立てたか?」

 自分のスマホにIDを登録している二人に天智は声を掛ける。二人は「はい。とても参考になりました」「本当にありがとうございました」とそれぞれ正直に答える。

「それは良かった。それじゃあまた」

 三人で調理実習室を出た後、引き戸の鍵を閉めると、職員室に鍵を返すため二人とは反対の方へ歩き出す。

「最後にもう一つだけ聞いていいですか?」

「何だ? 湯築弟?」

「要佑とはどういう知り合いなんですか?」

 その言葉を聞いて五秒程立ち止まる。そしてその後振り返り、

「前に告(コク)ってフラれた」

 冗談なのか本気なのか判らないような悪戯っぽい笑顔を一瞬見せると、そのままゆっくりと廊下を歩いて行った。

「これからどうする?」

 いつもの校庭のベンチに腰掛け、隣で何か考え事をしている芯太に志乃が話し掛けた。

「んー、そうだな……吉行さん、今日の夢他に何か見た?」

 志乃に一昨日の深夜に見た予知の夢について尋ねる。先程天智に助言されたように、今は夢の内容をできるだけ忠実に再現した方が良さそうだ。

「そうね、一昨日見た夢は……」

 薄い雲で覆われた空を見上げながら少し考えて答える。

「お昼に君とオムライスを食べる夢、天智先輩を訪ねる夢、あともう一つ……ちっちゃな女の子がどこかの家の玄関で手を振ってる夢を見たかな」

「あー、吉行さんが家に入れてくれたのは夢で見たからだったんだ」

「そうよ。それ以外何だと思った?」

「あ、いや。恋人ごっこでもしたいんかなと」

「ばか」

 少し照れたように目を逸らして横を向く。

「で、今言ってたちっちゃい女の子ってどんな子?」

「んー、小学校の低学年ぐらいで、髪はボブヘアで前髪がちょっと美紗姫ちゃんみたいな感じだった」

「ああ」

 芯太は思い当たり、ぽんと手を打つ。

「それたぶん、継美ちゃんだわ」 

「継美ちゃん? 前原君の妹?」

 芯太は頷きながらスマホを取り出し文字を入力し始める。

「要佑、終わったら内容教えてくれって言ってただろ?」

 メッセージアプリで要祐宛に『終わった。これから報告に行く』と入力し、送信アイコンをタップする。暫くして『分かった。吉行さんも?』と返事が返って来る。

 芯太は『もちろん』と大きく書かれたスタンプ文字を送信しスマホを鞄に片付けた。

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