第十二話
補習の束縛は、芯太の見通しよりも早く四十分程の一抜けで解放された。と言っても、借りた志乃のノートのおかげだった。
芯太は教室を出ると自習室に向かった。
沓掛高校の自習室は校舎内に点在しており、和室・個室・視聴室・ボックス席風・カウンター席風といった風にそれぞれ違った趣となっている。
芯太は、胸のポケットか付箋メモを取り出すと、無駄だと分かっていながら一応確認する。やはり自習室としか書かれていなかった。
「せめてどの部屋なのか書いておいてくれよ」
そんな愚痴を呟きながら、今度は鞄を弄ってスマホを取り出すと、志乃のIDにメッセージを送ってみる。自習室は基本的に携帯電話の使用が禁止の為、やはりというか既読が付かない。自分が探し回るのは別に構わないが、志乃を待たすのは何だか気が引けるように感じた。
三か所目の自習スペースに着き、辺りを見回す。ボックス席風の自習席で、教科書とノートを広げて自習をしている彼女の姿を見つけた。
志乃も芯太に気付き、無表情で手を小さく手を上げる。芯太は少し大きめに息を吐いて志乃の向かいの席に腰を掛けた。
志乃は教科書とノートを閉じながら「お疲れ」と小さく声を掛ける。
「あのなあ、自習室ってここだけじゃないんだぞ」
そういった芯太の言葉に「知ってる」と返した。
「じゃあ、どこの自習室か書いておいてくれよ」
「誠意を確認したかっただけよ」
無表情で彼女は答えた。
「何だよそれ」
苦笑いしている芯太を「何だろうね」とあしらう。
「あ、そうだ」
芯太は肩に掛けた鞄をテーブルの上に下ろし、志乃から預かっていた数学のノートを取り出した。
「これありがとう。すげー助かった」
志乃は「ん」と一言だけ返事をして受け取ると、今し方使っていたノートと重ねて鞄にしまった。
「吉行すげーな。下手な授業や参考書よりもよっぽど解り易かったぞ」
「それはどうも」
相変わらず無表情。
「これ、テスト前にコピーして売り出したら一儲けできるんじゃないか?」
「お金儲けの為にノート取ってるわけじゃないよ」
そこで初めて表情を変える。少しだけ怒ったような顔をしながら、手に持った教科書の角で芯太の頭を軽く小突いた。
「そのノート、また今度借りてもいいか?」
「高価いわよ」
「金儲けじゃねーか」
志乃はクスクス笑いながら教科書を鞄に入れた。
「それで、渡したいものって?」
芯太はポケットから付箋を取り出して、志乃の目の前でひらひらさせた。
「ああ、そうだったね」
最後に筆記具を鞄に片付け、代わりにちょっと紫色で花柄の付いたちょっと大きめの折り畳みの傘を芯太に差し出した。
「? 何これ?」
無意識にそれを受け取り、その後首を傾げて志乃に聞く。
「知らないの? 傘よ」
「折り畳みの傘ぐらい知ってる。これがどうしたんだっていう意味だよ」
「知らないの? 雨が降ったら頭の上に指すものよ」
「いや、だから……」
「じゃあ、渡したかった物は渡したから、帰りましょうか」
志乃は話を遮ってボックス席の長椅子のシートから立ち上がる。
芯太は首を傾げたまま、頭の上に?を2つ3つ付け、預かった折り畳み傘を鞄に入れた。
志乃が待っていた自習スペースは、昇降口から一番近い場所に位置していた。少し考えれば帰りの待ち合わせに一番適した場所であることが判るのだが、芯太は考え及ばず、教室に一番近い所から順に探していた。
自習スペースを出て、来賓用のエントランスを通り抜け、下駄箱のある昇降口へと向かう。その間志乃は特に口を開かなかった。
芯太も黙ったまま志乃の隣を歩く。彼女に聞きたいことは山程あったが、どう切り出したものか考えていた。
下駄箱で靴を履き替え、昇降口から外に出る。空模様は少しどんよりとしていた。風に仄かにアスファルトの湿ったような匂いが混ざっている。
「あれ? さっきまで晴れてたのに」
芯太は意外そうに空を見上げながら呟いた。
「校門を出る手前ぐらいから降り出すわよ」
志乃はそう言って鞄を開いて自分の傘の位置を確認する。
「そういえば朝、帰りに雨が降るって言ってたよね。天気予報でそんな事言ってたっけ?」
「どうだろうね」
興味無さげに志乃は答える。その後、芯太の方を向いて言葉を続ける。
「どうする? 一緒に帰る? バス乗り場までは方向一緒だけど」
「一緒に帰る」
志乃は芯太の言葉に、少しだに微笑んだように見えたが、またすぐに表情を元に戻して歩き出した。
「そういえばさ……」
芯太は急いで志乃の横に並んで話し掛けた。
「何?」
「一昨日の弁当の時のお箸、ありがとうな」
「何? 突然」
「ちゃんとお礼してなかったと思って」
「そっか。どういたしまして」
前を向いて歩いたまま返事をする。
「お礼に何かしたいんだけど」
「昨日送ってもらったから、それでおあいこよ」
志乃は首を横に振りながら答えた。
「えー? 他にも何かしたおいな。ノートの件もあるし……なあ吉行、こっちで何処か行きたい所とかあったら言って。連れて行ってあげるよ」
その言葉に志乃は立ち止まって芯太の方を見た。少し間を空けて口を開く。
「それって、デートのお誘いかな?」
目を細めて顔を覗き込んでくる志乃から思わず視線を逸らす。
「あはは……まあ」
「でもそれって、キミが一方的に得するだけじゃないの?」
「まあ、そうとも言う」
じっと覗き込む志乃の視線に居たたまれなくなり、芯太は少し視線を逸らした。そして誤魔化すように指で頬を掻く仕草をする。
「まあ、いいわ。考えといてあげるね……」
今度は先程より少し長めの沈黙の後、志乃はそう答えて再び歩き出した。左手首に巻かれた小さな腕時計を一度確認した後、ブラウスの胸のポケットからヘアゴムを一本取り出し右手首に巻く。
「え?」
「だからデートの事、考えといてあげるって言ってるの」
「マジで? 超うれしい」
「考えておくだけだよ」
そう言いながら自分の髪を後頭部の少し上付近で纏め、手首に巻いたヘアゴムで手際よくお団子ヘアを作る。白いうなじが見えて芯太は少しドキッとした。
「で、髪は急にどうしたの?」
芯太はそれを誤魔化すように聞く。
「ん? だって髪伸長いと、傘の露先からの雨水で後髪が結構濡れるんだよ」
志乃はそう言いながら鞄から傘を取り出して畳まれた傘地を解き始める。
それから間を置かずに、空からぽつぽつと雨粒が落ち始めてきた。芯太は鞄の中を何か考え事をしながら覗いていたが、決心したように志乃の方を向いて言った。
「傘は……使っていいのかな?」
志乃は「一応そのために持って来たんだけど」と自分の傘を差しながら答えた。
「相合傘の方が良かったな」
芯太は軽口を叩きながら借りた傘を広げた。




