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僕はこれまで三人殺した。ただし、結果的に、である。
自らが手を下したのは誰もいない。
手を下すとはどういうことか。意思が入っていることか。仮にそうだと定義すれば、一人は僕が手を下したともいえる。
まどろんでいた、あの瞬間。そんなデスティニー。死の協奏曲。揺れるセレナーデ。
記憶が裏切られ、意思が鮮明になる、あの瞬間。
引きちぎられるような、より剥がされるような、強い魔物に取り付かれたような、けれど僕はそこにいて。
その場で、立ち尽くしていた。
一人だった。
孤独。
甘い孤独。
冷静な目で、僕は見ていた。僕が、彼女を殺す瞬間を。
それは僕のようで、僕ではなかった。
明らかにあれは、別人だった。
あのとき分裂した僕自身が、なしたことなのか。僕自身が操っていたのか。
分からなかった。修繕しても、理解が追いつかなかった。
形成されたスペクトルを、一つずつ見直した。でも何一つとして、傾向は見られなかった。
何かに記したわけではく、誰かに見せるための思考ではない。
プロセスに価値を見いだそうとした。あくまで、自分のため。
どれほど分析しても、納得のいく解を導くことはできなかった。
若くして散る魂がどこに向かうのかを見極めようとした。
それは準備であり、先延ばしでもあった。
自らがそこに位置するとき、エネルギーの拠り所はどこに存在するか。
知りたかった。身につけたかった。
岬結良。
彼女は明らかに死にたがっていた。
あのときどうして自分だけが生き残ったのか、生き残ってしまったのかをずっと思い詰めているようだった。
だから僕は救った。
彼女は僕と共に死のうとした。否、僕を殺そうとした。
けれど、彼女がそれは不可能だと悟った。
賢明な論理、そして判断。しかし反面、僕は悲しくもあり寂しくもあった。
僕の一部分も、殺されることを望んでいたからだ。殺されたがっていたからだ。ただ彼女の比でないことは自明だし、そのレベル差が、今の僕の存在理由に強く結びついている。原因といってもいい。
岬に質問された、
「どうして僕は生きているのか」
自分を殺すため、という回答はある意味本音でもあり、ある意味嘘でもあった。
僕の声が、すべて反映されたわけではなかった。
殺す、殺さないの次元ではなく、僕の一部もまた似たような感情を抱いていたからである。
負けたい。誰か僕に黒星をつけてくれ。
勝者がいれば、敗者もいるというが、僕は敗者になったことが無かったのだ。
教えてくれる誰かと、出会いたかったのだ。
この質問を彼女がぶつけた時、彼女の中でなにかがはじけ飛んだ。そんな音がした。どんな言葉でも表現できないような、破砕音。整列が乱れ、そして砕けたのだ。
僕の答えを聞いた時ではなく、疑問を投げた瞬間だった。
彼女は僕が、嘘とはいわないまでも本当のことを言うのかを不安視していた。
そして僕は理解する。
彼女はもう、助からない。
死という池に、足を踏み入れた。僕が何を答えようとも、彼女は死ぬ。
だから僕は本音で答えた。多くを省略したが、僕の感情を的確に伝えた。
そう、僕は自分の感情を言葉にする能力に関しては誰にも負けると思わない。それは、留美子と比較してでもである。
ずっと一人、いつまでも一人。
彼女はその中で暮らしてきた。
終わりの見えない一人の生活。
その中で見つけた、ひそかに輝く小さな粒子。それが僕だったのだろう。時折彼女は口にした。
「私は、生きてる意味を知るために生きてるの」
その答えを、僕は最期に彼女に送った。彼女の耳に届いただろうか。
「岬、僕は君が死んだあと、誰かが君を殺したように繕ってあげる。つまりそれは、誰かが君に干渉していたという事実を残すこと。君が生まれた理由は、そこに残る。意味がない人生なんてどこにもない。誰もが意味のある人生を過ごしているんだ。そして誰も、一人じゃない。死ぬときは一人だなんていう人もいるし、大半の人がそうなるようにプログラムされているのが人間だけれど。岬は一人で死なない。だから、恐れることはないよ」
車通りがほとんどない道にかかる高架橋。
岬の身体が宙を滑る。落ち葉がヒラヒラ舞うような様子が僕の目には映った。実際は自由落下以外の何でもなかっただろう。地球上に存在する限り、物理法則から逃れることはできない。体感で二十秒程で彼女は落ちた。実際にその十分の一以下の時間だったことは言うまでもない。
彼女は明らかに自らの意思で落ちていった。こうなるように仕向けたのは僕であるが、最終的に決断を下したのは彼女だった。
したがって僕は岬を殺していない。
僕は地面と彼女が触れ合う瞬間の音を聴くことができなかった。当初それは自分の耳が外界との接触を拒絶していることに起因すると考えた。
しかしそれは、誤りだった。
この時間帯であれば三十分に一回でも車が通れば多い方だと、そう認識している道である。岬は知らなかったはずだが、僕は何度もここに来ていたから分かる。そうであるから、車が一台、停車していたことに目を疑った。それは、生まれて初めて感じる、恐怖だったかもしれない。
彼女は自ら飛び降りた。
紛れもなく、それは事実である。しかし、誰の目にもそう映るわけではない。
例えば駅のホームで、前から二番目で電車を待って並んでいる時に、突然前にいた人間が自分に寄りかかって倒れてきた後、次の瞬間には線路に向かってよろけて落ちたら周囲の人はどう思うだろうか。自分に接触した瞬間と、よろめいて線路に向かう瞬間だけを捉えたら過半の人は、落下した原因のほとんどを、倒れ込まれただけであろう人に見出すだろう。
したがって、高架橋にいた、男女二人。女性が落下。要素を切り取ってみると、男性が女性は自ら柵を乗り越えて欄干に足をかけ、自らの意思で中空へと身体を運びました、などと言ったところで、そんなはずはないと一蹴されて終わりだろう。
僕が目撃者であれば、絶対にそう思うだろう。
ただ、車が停車しているからと言って、落下の瞬間を見られたわけではない。ましてや夜。この暗闇の中で、わざわざ歩道橋の上を見ながら運転する人は少ないだろう。とすれば僕が見られた可能性は少ない。
とにかく今は、冷静になるに限る。僕はそう思い、しばらくその車の様子をうかがった。
しかし、誰も車から降りてこないし、その気配すらない。
寒空の下、さすがに凍りつきそうになる指先に冷たい息を当てながら、僕は懸命に動かないことを心がけた。
どれくらい時間が経過しただろうかは、今になっても分からない。
僕は、このままじっとしていることに、ポジティブな感情を抱くことができなくなっていた。
もしかしたら、車から誰も降りてこないのは、既に警察か消防署かに連絡したからではないか。僕が動くのを待っているのではないか。僕が動けば、その様子を携帯か何かで写真を撮り、不審な人物が逃げていきましたと伝達するのではないか。
僕は気が気でなくなり、この場から逃げ出したい衝動が全身を包んでいることを自覚した。また、別にいる僕は、怒っていた。尋常ではないほどの怒りに満ちていた。口端から強く噛み合わせているがゆえに発生した泡を、怒りの代わりに覗かせている。僕は僕をシャットアウトする。お前は邪魔だ。
怒りたいのは僕なのに。
ここになって、何故か岬に対する怒りがこみ上げてきた。この時間帯は車がほとんど来ないのに、その時間になるよう僕は調整したのに。どうして、このタイミングで落ちた。
いや違う。そう、僕が仕掛けたことだ。
そう、その意味では僕の意思通りに動いてくれたんだ。
それなのに、その岬に対して矛先を向けるなど、到底やってはいけないことだった。
反省のため息をこっそりと吐いた後、僕は勇気を振り絞って動くことに決めた。今になって思えば、その時の僕は何も考えていなかったと断言できる。
ただ、何があってもこの場を離れなければいけないという使命感。ここにいては、何も進展しないという焦りが生み出した感情であることに違いない。
逃げるのでなく、自分を守るためだ。
そして僕はその賭けに勝った。いや、勝負はとうについていた。ただ僕が僕を信じ切れなかっただけだ。
どのようにして歩道橋を降りたのかは記憶にない。おそらくロボットのようにぎこちない動きだっただろう。
僕が岬結良と同じ高さに立ったとき、三十メートルほど先に停まっている車のフロントドアが開いた。一人の女性がこの寒空には似合わない優雅な動きで僕と同じ空気に触れだしてくる。
スローモーション。僕以外の動きがそうなったと錯覚せざるを得ないほどだった。この寒さへの震えはもちろんなく、むしろその女性の周りに桜が舞っているとさえ思えた。
蜷川留美子だった。
彼女はこちらに身体を向けた。僕はその場に立ち尽くしていた。足がアスファルトと結合している。そんなことを思った。
僕は倒れている岬結良に目を向けることができなかった。しかし、目の端は確実に彼女の寝姿を捉えていた。
そこで僕は初めて違和感を抱いた。
彼女は、道路に直接倒れていない。
岬の下に、何かが敷かれていた。僕は最初それを彼女から流れたものだと信じ込んでいた。しかしそれは、真四角な形状をしていた。作為的な働きかけがないと、そのように血だまりが形成されるとは思えない。
遠目からであるが注意深く観察してみると、シートのようなものだと判った。
僕の心を見透かすように蜷川留美子は言った。
「ブルーシートよ」
「ブルー……、いや、それより君は……」
「不毛な会話よ。私には全部分かるの。それよりまずあなたのブルーな気持ちを取り除きなさい」
僕はもしかすると泣いているのかもしれない。だが目の下をさすってみても水滴は付いてこなかった。
留美子はどうやら、僕の行動を、岬結良の行動を読んでここに駆けつけたようだ。無論留美子に岬のことを話した覚えはなかった。どういったルートで僕を調べたのかは分からないが、とりあえず僕は胸をなで下ろしていた。触れ合う空気は冷たかったが、温かい血液が心臓によって循環しているのが分かった。
「彼女はここでは死んでいないわ」
そう言われて僕は意味が理解できなかった。他の僕ならすぐには気づけただろうが、僕には無理だった。しかし、漆黒のブルーシートの上に寝転がる岬を目の端が捉えた瞬間、点と点とが結びついた感覚を味わった。
「どこで岬は死んだんだろう」
僕は疑問を口にする。この返答で留美子の発言を受け入れたことを意味していることに彼女は気づくはずだ。
「高架下。それ以外はあなたで考えなさい」
それだけ言うと、彼女は降車した時よりもゆったりとした、それでいてキビキビした動作で車に乗り込んだ。
車は発進する。
エンジン音は微塵も聞こえなかった。おそらく電気自動車だろうと僕は思った。
留美子を見送った後、僕は何から手をつければいいのか分からなかった。無いに等しく思えた彼女との会話を反芻し、手がかりを探ってみる。しかし、考える時間は多く残されていない。車通りが少ないとはいえ、まったく無いわけではない。
岬結良はここでは死んでいない。
ここで死んでいたとすると、何か不都合があるのだろうか。
留美子の真意は僕に伝わらなかったが、彼女の言うとおりにしていれば大丈夫だという妙な安心感があった。その安心感だけが僕の脳細胞を動かしていた。
とにかく、ここから岬と共に離れよう。
決断すると、僕の手足は操られるかのように動き出した。本当に操られていたのかもしれない。目玉だけが空中に置かれていた。僕は一部始終を客観的に見ていた。
岬を直視しないように、ブルーシートを折りたたむ。シート越しに彼女の肉体の感触が僕の手を伝ってくる。ただそれは、触れたという感覚だけだった。柔らかさだとか、冷たさのようなものは全く感じなかった。操られていたせいだろう。
完全にシートで包むとそれは小さな山のように見えた。大きなマロングラッセを連想した。
この場から離れたいという想いだけで動いてきた身体が、僕に戻ってきた。
このまま抱きかかえるか、それとも転がしていくか。
前者は僕の肉体的に厳しいが、後者は第三者の目を考えたときに採用には至らなそうだ。どうしようかと立ち尽くして考えようとした時、またしても心臓がバクンと唸った。
先ほど留美子の車が停まっていた場所に、別の車が停まっていた。
いや、正確には同じ場所ではない。おそらく、彼女の車の死角になっていたのだろう。確かめるまでもなく、その車は誰も乗っていないと思われた。運転席側のフロントドアが十センチほど開いていたし、その下に街灯に照らされて光る鍵が見えたからである。
ということは留美子は一人で来たわけではなかったのか。
突然僕は心臓が急激にしぼむのを感じた。留美子には知られてもいい。しかし、彼女以外に知られたら……。そう思った途端、胃液が逆流し出した。喉の奥に酸味を感じる。
いや、待て。別の可能性もある。車を運転していたのは留美子だけだったという可能性が……。
他の僕が、一斉に喚いた。
なんだ、これは。
これは、使える。
いつか、使おう。
採用だ。いや……、もっと深く考えよう。
ちょっと待て、先にやることがあるだろう。
沈黙。
静けさが余計に際立つ。
そこから先は、僕の目だけの記憶になる。目以外の機関はすべて仕事をしていなかった。僕の意識下で動いていなかった。
僕は見ていただけ。
ブルーシートを後部座席に積んだかと思えば、すぐに降ろし、トランクに積み直す。車は軽自動車のようだ。僕はあまり運転した経験がないので車種までは分からない。
僕は鍵を拾い、運転席の取っ手に手をかける。鍵はかかっていなかった。鍵穴に鍵を差し込み、時計周りに手首を捻る。けたたましい音が耳をつんざく。不思議と恐怖はなかった。その音が誰かに気づかれたら、といった不安もなかった。ただ淡々と僕は体を動かしていく。
ブレーキペダルを踏んだまま、センターコンソールにあるシフトレーバーを「P」から「D」に移動させ、ステアリングの下に位置しているサイドブレーキを下ろそうと試みる。が、既に下ろされていた。停車位置が坂道ではないからであろうが、僕は怪訝に思った。だからと言って別段行動を起こすわけではない。
ゆっくりとフットブレーキを外すと、クリーピング現象により、少しずつ車は前に進んでいく。周囲だけが動いている、奇妙な感覚だ。
徐々にアクセルペダルを踏み込んでいく。同時に、車体は加速し闇へと飛び込んでいく。
僕は目でしかなかった。だから時間という概念を持たなかった。後から考えれば、二、三時間は走らせていたのだと思う。見たこともない、走ったこともない、歩いたこともない、舗装はされているが僕にとっての道なき道を、延々と走り続けた。
やがて琵琶湖沿いを走っていることに気がついた。道行く先に現れる信号は、大半が黄色点滅だった。ほとんど信号待ちをすることなく、滑らかに進行していく。やがて、湖は川と呼べるほどの幅になった。この川の名は知っている。瀬田川だ。
川沿いを一定の速度で車は走る。
一定間隔で立ち並ぶ街灯。一つ一つがまるで僕を照らすスポットライトのような役割である錯覚を受けた。お巡りさん、犯人はこいつですよ、と。
しばらくして見知った道だと気づいた。
車速は一定であるが、どことなく遅くなった印象を受ける。一度も走ったことのない道の方が時間が経つのが遅いイメージを持っていたが、間違っていたのかもしれない。
そして、駅舎が目に入る。
数時間前、岬と歩いた道。目をつむれば、二人の姿が瞼の裏に映るだろう。もっとも車を運転しているのでそんな危険は犯せない。
一分も経たない内に信号に引っかかった。直近で停まったのはいつだったかなと考える。
ふとメータパネルに目をやると、右ウインカーランプが点滅していた。音が聞こえないのすぐには気づかなかった。車線も右折レーンにいつの間にか移動している。
信号が青に変わる。時間も時間なので対向車はない。すぐに右折する。
五十メートルほど進んだところで停車した。
僕は車から降り、トランクを開けた。あれだけ車を走らせたのに、形状に何の変化もなく、ブルーシートは佇んでいた。僕は抱きかかえて、左手にある木々が雑然と生い茂る藪へと足を向けた。網が張り巡らされたフェンスが行く手を阻む。
どうしようかと考える間もなく僕は、ブルーシートを藪の中に投げ込み、フェンスに足をかけ、藪側へと飛び降りた。草が一定の長さで生えているので、足にかかる衝撃はほとんどなかった。
数メートル奥に入り込み、ブルーシートをほどく。
これまで見ないようにしていた彼女のが自然と目に入る。視線を動かすことはできても首が動かせないので、どうしても目についてしまう。
綺麗だった。素直に僕はそう思った。
これが自然なのだ。これが、自然に還った姿なのだ。
限りなく神に近く、僕たちが崇拝してやまない存在へと向かっていくのだ。
僕は空を仰いだ。星一つとして見えない、曇天。
夜なので晴れか曇りか、その判別は星の光でしかできない。次いで、何やら道路のようなものが目に入る。高速道路だろうか。いや、名神や新幹線はもっと北を通っていたはずだ。いずれにしても川に橋が架かっているため、高架になっているのだと予想する。
そこで僕が何故ここの場所に来たのか思い至った。
留美子のあの発言だ。
正しい判断だったかは分からないが、結局僕は僕に言われるがまま、留美子に従ったことになった。
僕はサッと岬に目を戻した。
変わらない表情。変わらない目。
紛れもなく、数時間前まで彼女は生きていた。紛れもなく、それは事実。僕がそれを証明できる。岬が死んでも、岬は一人じゃない。
僕はブルーシートを血が付いている方を内側にして折りたたむと、岬に僕の痕跡が残っていないことを確かめた。
死体発見の時期にもよるが、仮に明日見つかれば確実にアウトだろうなという予感はしていた。この高架から飛び降りたと思われてそのまま調べられなければ問題ないが、シートでくるまれた証拠は残っているだろう。彼女はダウンを着ているが、どこにこのシートの痕跡が残っているやも知れない。したがって現状僕がそれを調べることはできない。
発見が遅くなれば遅いだけ、その痕跡は風化していくと思われる。
彼女は身寄りがなく、会社も辞めたので誰にも通報はされない。だからその点は有利である。
僕はフェンスを乗り越え、助手席のドアを開けた。グローブボックスを開くと、革手袋が入っていた。それを着用すると、再び僕は彼女のいる場所へと戻る。
これならブルーシートの痕跡を調べて消し去ることができる。なるほど、と僕は感心していたが、想定外の行動に出た。
ダウンのポケットに手を突っ込み、彼女のスマホと財布を取り出した。岬はバッグに入れていた免許証を紛失して以来、滅多なことが無い限り貴重品は直接身につけるようにしていた。だからこの日も鞄の類いは持っていなかった。
僕は僕の知らない機器と、彼女のスマホをケーブルでつないだ。そして得体の知れない機器を慣れた手つきで操作した。数十秒で作業は終わり、次に財布を手にした。数枚の万札と、数枚のクレジットカード。カードは彼女名義のものである。僕はそれを抜き取り、自分のジーンズのポケットに入れた。代わりに彼女のマイナンバーカードを取り出して財布に収めた。味気ない財布ではあるが、元々でもあるので、問題ないだろう。
マイナンバーを残した意図について、僕は次のような解釈をした。
岬結良の生きた理由。それは、僕に殺されることにあった。
僕も彼女に言ったではないか。岬が死ねば、誰かが岬に干渉していたことを残してあげる、と。発行されて間もないマイナンバーではあるが、常々持ち歩いている人など皆無に等しい。したがって、このカードが現場に残されていたら、第三者の意思が働いたものだと見なすだろう。
だが、彼女は自殺である。それは揺るがない。飛び降り以外の外傷は無いし、誰かと接触した記録もない。おそらく先ほど僕が岬のスマホとつないでいた機器によって、僕と彼女のつながりは完全に絶たれたものとみて違いないだろう。そうでなければ、何をしていたのか分からない。
岬を救う唯一の手段だったのだ。彼女は死ぬことで、彼女が生きていたことを証明したのだ。実際に証明したのは僕だったが、明らかに彼女の意思だった。
留美子がこれを聞いたら何て言うだろうか。
おそらく留美子は、岬結良を自殺として片付けたかったと僕は思う。それなのに。
それなのに、そうではない、すなわち誰かに殺されたかもしれないという状況を、僕は作り出してしまった。手前勝手と言われればそれまでだ。しかし彼女は何も言わないように思う。それが、彼女の思考。
誰も追いつけない。僕なんかでは特に。対等になろうとした過去。明らかなエラーであったと断言できる。意味が無い。そう、意味を持たないのだ。あらゆることは、留美子にとって意味を持たない。彼女が支配しているから。
岬結良を遺棄してから、一週間、一ヶ月が過ぎた。しかし彼女が発見されたというニュースはない。発見されたところで、家族、親族がいないのと同義であるから表沙汰になっていないのではないか、とも考えたがそれはあり得ない。どういった形であれ、不審死体が見つかれば、何かしらのアクションはあるはずだ。
高架下と蜷川留美子に言われたけれど、あれは発見されにくいという意味だったのか。もっと言うと発見されないのか。
いや、それはない。高架下にも色々ある。白日に晒された高架下も当然あるし、人通りの激しい高架下もある。
ただ留美子のことだ。どう転ぼうが、どんな結果が出ようが、彼女に対してマイナスに働くことはない。
二ヶ月、三ヶ月と時は流れて、僕は次第に岬結良の存在を忘れつつあった。
そんな折、僕は手原めぐみと出会った。
間接的にあの女を殺す前日、七月の終わりに差し掛かる頃だった。
僕はその日、朝から鈍い腹痛に襲われていた。
前日の夕方のニュースで、岬結良のことが報道されていた。ニュースでは単に変死体と表現されていたが、半年近く経つのだ。損傷は激しかったことだろう。そう思うと急に喉の奥が重苦しくなり、せり上がってくるものがあった。しかし、口からは何も出なかった。
僕は何を考えたら良いのか分からなくなった。単純な言葉で表現するなら、焦っていたということになるのだろう。
そしてその日の朝刊に小さく書かれた記事を見た。それは彼女が過去から僕に宛てた手紙のように思えた。
私は、今までこんなに苦労をしたのよ。やっと見つけられたわ。
嬉しいでしょ。ねえ、喜んでよ。私、やったのよ。
忘れていた、もう、全てを忘れ去ろうとしていた彼女からの手紙。僕は正視できなかった。焦点を合わせずに、ぼんやりとした視界が捉える情報だけを正しいと信じ、脳に処理させた。
全身から水分が奪われたような感覚だった。鏡を見たらまさしく真っ青な顔が映っていたことだろう。果たして本当に僕が映るのかは疑わしいけれど。
僕は鈍い腹痛と戦いながら、外に出た。
果てしなく澄んだ青い空だった。湿度もそれほど高くなく、割と過ごしやすいと僕は思った。まるで僕とは正反対の心を映しているようだった。
車は使わず、暑さを楽しむかのよう僕は歩き続けた。無意識のうちに、現場である高架下に足が向かっていた。岬が呼んでいるのか。
そのまま呼応するように歩を進めても良かったのだが、他の僕がそれを許しはしなかった。
そのときだった。横断歩道を挟んだ反対側の道路に、彼女が信号待ちをしていた。閑散とした道路で、片道一車線、それほど遠くない距離に向かい合う形となった。
最初僕は、岬の亡霊かという錯覚を覚えた。それはありえない、と思い直す。
そして僕が告げる。次は、あの娘だ、と。
一瞬目が合った。おそらく相手は気づいていない。しかしその一瞬で僕は悟った。彼女も独り身だ、と。彼女から発せられるオーラというのか、纏う空気というか、それらが僕に教えてくれた。窒素という媒介を通じて、僕に助けてと言っているかのようだった。
腹痛は気づいた時にはもう、治まっていた。僕は横断歩道を渡らず、彼女とすれ違うことなく、元に来た道を戻り自宅に帰った。
それから僕は、彼女の事を調べ始めた。手法はこれまでとまったく変わらず、周囲の人間による彼女の評価を集約することである。
直接当人につきまとい、当人の特徴や思考について想いを巡らせるのはストーカーと同じ行為だ。様々な角度から当人を知ることで、人間としての幅を知ることができる。主観に拘泥してしまうことは、どうしても偏った考えを持ってしまいがちなので、僕はこのやり方を採用しているのだ。
やはり彼女は独り身だった。名前は手原めぐみと云う。
滋賀県下の高校三年生で、完全に一人暮らしの生活を送っているようだった。完全でない一人暮らしがあるのかと問われれば、厳密にはないだろうが。ただ、ペットを飼っているだとか、死体と暮らしているだとか、(当たり前だが)そのようなおぞましい話は彼女周辺から出てこなかった。
調べていく中で、手原めぐみの担任はあの女と同じ大学に通っていることも分かった。これも運命だと、僕は一層彼女を救うという誓いを強くした。
手原めぐみに直接話しかける機会は思いのほか簡単に訪れた。
あの日僕は一つの大きな仕事をやり終えた後だった。それはあの女を殺すことに他ならなかったわけだが、そこで一つ達成感のようなものを感じていた。だから、手原めぐみを救うことはこの時の僕の感情としてはかなり希薄だった。牛乳を温めた際に空気とふれあう表面にできる膜のような薄さである。
しかし、現場にてある男の姿が目に入ってしまっていた。
長戸照貴弥。調査中の手原めぐみの担任教師である。
あの女と同じ大学に通う長戸。路地裏で殺されていた謎の男とのつながりがが一筋の光となって僕の頭をつんざいた。
あのバーベキューの時に出会った彼女を殺すことになった理由。僕があの女と付き合い始めた理由。
思い出す。淀みなく、フラッシュバックする。
そうして僕はやるべきことを終え、長戸をつけた。長戸は長岡京の大学に通うために借りているマンションに直帰した。午後五時を回った頃、彼は家を出た。背広を着こなしており、いつもの彼とは様子が違った。
僕は「やったな」と断じた。
既に正常には戻っている、ようにみえる。少なくとも素人目では何一つとして分からないだろう。だが、僕は何人もそういった麻薬に溺れた人間を見てきている。しいて特徴を挙げるとすると、目の色がより黒みを帯びている。もちろん色が変わっているわけではない。深さが増しているのだ。僕はそういった感覚を、幼少の頃から取り入れてきた。
しっかりとした足取りで、長戸は長岡京駅へと向かって歩き出した。彼の高校は確か夏休みに入っているはずだ。日曜日なのでそれは関係のないものかもしれないが。とにかく僕はスーツという服装に引っかかりを覚えていた。何が行われるのだろう。
教員研修でもあるのだろうか、と彼とは別の車両で漠然と考えていたが、結局長戸は高校に向かった。こんな夕方から学校に行くだなんて一体何事だろうと僕は思う。
彼が学校に入るのを見て、さてどうしようかと考えた。校舎から出てくるまでずっと見張っていようかという考えがよぎる。しかし、それが深夜に及ぶ会議とかだったら、さすがの僕でも苦しい。ともかくここまで来たのだから、徹底的にやりたいと執念のようなものが芽生えていた。
校門で五分程待ったが、部活動を終えたであろう学生以外誰も出ていかなかった。したがって、長戸は高校に用があるということなのだろうと判断した。
すぐに長戸が別の場所に移動することはなさそうなので、僕はコンビニで軽食を購入することにした。考えてみると朝食を摂って以降、食べ物らしい食べ物は何も口に入れていなかった。多少の飢渇感が胃にかけて広がるのが分かった。
長戸が入っていった商業高校は、学校への通用口が二カ所あった。国道に面している東側と、反対の西側に存在した。長戸含め、大半の人が国道に面した東側を利用しており、こちらには鉄製のスライド式門扉が設置されている。西側にもスライド式の門扉はあるが、こちらのものはアルミ製であり、レールに沿って開閉できるタイプではなかった。東門、すなわち国道側には徒歩一分程のところに地上駅があるため、西門が使用されることはほとんどなかった。
僕は長戸が西門から出てくることはないと考え、東門前で待つことにした。学校を出てすぐの歩道は整備されており、四、五人の学生が横一杯に並べるほどの幅を持っていた。また、学校側には整然と石垣が並べられており、城壁を思わせる造りになっていた。僕はその石垣に腰を下ろして食事を摂りながら待つことにする。
夏至を迎えて一月も経たないその日は、とても暑く、そしてまだまだ日が長かった。太陽は落ちる気配がない。熱はどんどん落ちてくるのに。
今考えると、周りにどう見られていたのか少々気にすべきだったと思う。でもあの時はただただ長戸への興味が強かった。
今長戸は何をしているのだろうか?
スーツを着ていく用事とは一体何だろう?
保護者会でもあるのだろうか?
いや、それだとしたら慌ただしさがこの門前でも見受けられるはずだ。
そんなことを堂々巡りさせながら僕は待った。二十分くらい経過頃だろうか、一人の女子高生が門から飛び出してきて、僕の目の前を走り去っていった。
僕の胸は高鳴る。いや、それどころではない。混乱だ。
明らかに、手原めぐみだった――
そして彼女は、泣いていた――
理由は……? などと考えている暇はなかった。僕は勝手に走り出し、彼女を追いかけた。数メートル走ってコンビニ袋を忘れているのに気づき引き戻したが、それ以降はずっと彼女を追った。
何かから逃げるように、彼女は走った。運動ができるようには見えない華奢な脚で、いつも読書をしていて発達していない腕を懸命に振って、すがりつくように。求めるように。誰かに救いを請うように走り続けていた。まさしく疾走だった。
運動を得意としている僕だが、ここ数日の調査による睡眠不足や、朝からの激動によって息が切れてきた。彼女とは常に五十メートルは距離を取っているので直接気づかれないだろうが、例えば国道を走る車などから見れば何事かと思われたかもしれない。五十メートルという距離は、車から見ると短い。
突然彼女は立ち止まった。そして移動手段を徒歩に変えた。さすがに疲れたのだろう。左手にはめた腕時計を確認すると、五分は経過していた。
それから二時間ばかり彼女は歩いた。当然僕も追いかける。
長戸を見張る名目で軽く食べておいて良かったと心から思った。まさかこんなに長い時間尾行することになるとは。それも、別対象を。
辺りは急速に暗くなっていった。僕は正直言って彼女のことを憂慮していた。主観でみても客観でみても彼女は危険な状態に思えたからだ。
一人で暮らしてきた彼女。スーツ姿で出勤した担任長戸。
泣きながら走って学校を飛び出した彼女。
これらを結びつけて仮説を立てるのは容易だったが、幅が広すぎる。明確な答えは出せそうもない。
惜しまれるように陽が落ち、待ちわびたという風に夜が主役の座にどっかり座る。気づかぬうちに街灯が、周りの店では明かりを、車がライトを点けていた。夜になっても一向に温度は下がらない。しかしもう汗も出てこない。もしかして、僕の方が彼女よりも危険なのでは? と懸念した時、彼女はある公園にそろそろと入っていった。
国道沿いにある児童公園だ。もちろん僕は初めて来る。
手原めぐみはぐしゃぐしゃになった髪を気にすることなく、疲れた足を引きずるような動作もなく、滑り台へと向かっていった。ステンレス製のどこにでもある高さ二メートル弱の滑り台だ。スカートを押さえながら、鉄のはしごを登っていく。そして頂上までたどり着くと、滑る方向に足を投げ出し、そのまま動かなくなった。
何をしているのか気になったが、頭がぼーっとして何も考えられない。公園から数メートル離れた所に自販機があったので、そこで清涼飲料水を購入する。ちょうど木が邪魔で彼女の位置からは見えないはずだ。
半分以上を一気飲みすると、全身に血液が巡ったようなくすぐったい感覚があった。血の流れを感じられたことになんとなく感銘を受ける。
彼女が見える位置に移動する。すると彼女は空を見上げていた。僕も思わず同様に見上げてみる。
綺麗だった。生まれてこの方、星をじっくり観察する機会などなかった。図鑑や、理科系の教科書、プラネタリウム。どれも仮想的な星だった。これほど吸い込まれそうな感覚に陥ることを僕は知らなかった。夏の大三角形はすぐに見つかった。とても白い星。アルタイルだ。目に見えるのは点でしかないが、実際には楕円形だ。自転が早すぎるからだと聞いたことがある。地球も正確には楕円をしていることを思い出す。あの青く光る星がベガ。アルタイル同様、恒星なのに高速で自転している星である。太陽はおよそ一ヶ月かけて自転するのに対し、これらの星は一日よりも遙かに速く自転しているのだ。
そこで僕は思った。それらの星の名は、地球だけでの呼び方だ。地球外生命体はどう呼ばれているのだろう。また、一日よりも速い速度で、という、一日というのも地球を中心とした考え方に過ぎない。だから本当にその速度が速いか遅いかは決めることができない。
ただ僕は、それらの考えを頭の外に押しやる。
そんなことよりも、今はただ夜空を彩る星たちに想いを馳せていたかった。いつも自分の上にあったはずなのに、日夜問わず、天を仰げばそこにいたはずなのに。僕は知らなかった。
手原めぐみは僕に感動を与えてくれた。だから。だから何か恩返しをしなければならない。
それが、彼女を救うということ。
今日学校で何が起こったか分からない。彼女が学校に入るところを目撃していないのだから、いつ入ったのかも分からない。長戸とは無関係の可能性だって充分ある。
でも僕は、それすらどうでも良かった。彼女が僕に与えてくれた分は、必ず返さなければならない。一人で生まれ、一人で死ぬ。そんな可哀想なことは、あってはならないのだ。
僕は残りの水分を口から全身に巡らせると、コンビニ袋とペットボトルをゴミ箱に放り込んだ。燃えるゴミも燃えないゴミも分別されていない簡易なビニール袋だった。誰か親切な人間が分類しているのだろうと思う。多く散乱していなかったので僕はそう考えた。
自分の身なりを見る。ずっと歩いてきたのだ。自分でも少し汗臭く感じたが、こればかりは仕方ないと割り切った。
そろりと手原めぐみに近づいていく。
彼女はいつの間にか体勢を変えて滑り台上で寝転んでいた。もちろん彼女は空を見ている。
見上げるように彼女を見てぎょっとした。まだ彼女は泣いていた。
いや、正確には涙が一筋、こぼれ落ちた。そしてその跡はどんどん大きくなっていく。あれから二時間は経つのに、まだ、泣いている。これで嬉し泣きの可能性は消えたと言っていい。泣く程嬉しいという感情は突発的なものでしかないからだ。
僕は余計に彼女を助けてあげたいという気持ちが強くなったように感じた。それはある種、使命的なものだった。
そしてわざとか弱い自分を装い、彼女と対等あるいはそれ以下だという意識をもって、手原めぐみに話しかけた。
すぐに僕たちは付き合うようになった。僕はいつもの名前を彼女に名乗った。
彼女はあの日、鼻歌を歌いながらスキップして帰っていった。それだけで僕の心もスキップならぬダンスを躍っていた。半分以上の成果は上げられたのだ。
一週間後、彼女は自殺を遂げた。
僕はその手助けをしただけである。
彼女は自分自身を責めていた。自分だけがこんなに幸せになって良いものだろうかと、細かい涙を流していた。
そして彼女は、一人で辛かったと言った。
僕はただそんな彼女を慰めていただけだった。頭を撫で、肩をさすり、寄り添っているだけでよかったのだ。
でも僕は、彼女が消えるシーンを見ていた。
全て彼女自身が望んだことで、僕は干渉していない。
苦しかったのだろう。その苦しさから解放されることを、心から望んでいたのだろう。
誰も手原めぐみの話を真剣に聞いてあげなかったのだろう。
まさかそれだけで彼女を救えるとは、僕は考えていなかったのだ。
最期の会話を思い出す。
風の気持ちいい森の中。アスファルトの上とは雲泥の温度差があると感じたあの空間。
「あの、なんて呼べばいい? っていうかさ名前なんだっけ」
めぐみの声は、震えていた。乾いたはずの涙痕にまた兆しが垣間見える。僕は逡巡する。僕は一度彼女に名乗った。忘れてしまったのだろうか。いや、あの日は明らかに彼女は普通ではなかった。空想に耽るように意識が奥底へと潜り込んでいたのだろう。僕が話したことなど、ほとんど頭に入っていないのだ。悲しみが胸を巡るかと思ったがそのようなことはなかった。
「ソトカワセイヤ。はずれるの外に、海山かわの川、立つに空の色である青で靖、なりの意味の也」
「じゃあ、セイヤ君って呼ぶね」
彼女の表情がパッと明るくなったように思えた。そのやりとりを以て、彼女はこの世から離れるための行動に出た。
少し離れたところから僕はテキパキと動く彼女を見つめながら考えをまとめていた。
めぐみが僕の名前を知りたがっていた。
ならば、僕がめぐみにしてやれることは一つ。
めぐみが過ごした年月が、蝉が唸るよりはるかに長いその年月が、意味のないものではなかったことを僕が示さねばならない。
それは、めぐみが愛読していた本に、僕の名前を残すこと。
準備中の彼女に僕は声をかける。
「君が生きてきた証は僕が誰よりも知ってる。だから、この本に僕の名前を君が書けば、君と僕はつながっていたことになる」
『面接の極意』というタイトルは、彼女の本意にそぐわないかもしれないと思ったが、めぐみは僕の提案を受け入れてくれた。ただ、本は借り物だから直接書けば迷惑がかかるので、別の紙はないか訊いてきた。僕は内ポケットからメモ用紙を取り出し、それを破いてペンと共に彼女に手渡した。
ゆっくりと、丁寧にめぐみが『外川靖也』という文字を書き起こしていく。
それを見て僕はいわれのない、
深い海の底を覗いたかのような
底知れぬ不安を覚えたことを、忘れることができなかった。




