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三人が『探偵事務所 巌流島』に揃ったのは週の真ん中、水曜日のことだった。
「アロハ~」
「お身体は大丈夫ですか?」
「ハワイにでも行ってきたのですか?」
寿至が冗談っぽく虎次郎の声色と口調を真似ていう。彼女はそれを無視して
「もう完璧! ぱーぺきってやつよ」
「うわ、懐かしっ!」
中学の頃に流行したテニス漫画の有名な台詞を彼女がいい、それから十五年経つのかと、勝手に衝撃を受け勝手に鳥肌を作った。
「ほい、これお土産」
円香は熊のようなパンダのような、よく分からない生物のついたストラップを二つ差し出した。彼女の小さな手から二人それぞれを受け取る。
「……なにこれ」
「もちハワイは行ってないけど、まえの職場の人が送ってくれたの。なぜか三つ」
円香は寿至に視線を送りながらいった。そしていつも彼女が持っているピンクのバッグの側面を見せつけた。ファスナー式になっているポケットの先端金具に二人に渡したものと同じストラップが揺れていた。
「多分熊だと……思う」
「ありがたく受け取るけど、今時何につけるねん」
溜息交じりに虎次郎は口を尖らせる。
「熊本県のマスコットにあるように人気者だからな。実際に遭遇したらこうはいかないが。類似系としてはコアラがあるな。奴は怖い。ときにコジロー、お前のストラップ事情はガラパゴス携帯で停止していないか?」
図星なため何も言い返せなかった。スマートフォンに持ち替えてからストラップというものに関する興味を失っていると思っての発言だった。
「スマホに直接つけるタイプのものを俺は見たことないが、ケースに付いているケースはまま多いぞ」
「ああ、確かに」
どうして忘れていたのだろうと思った。スマホ所持者の手元を観察したことを思い出していれば、口から出なかったのに。なおも寿至は続けて、
「江戸時代ではストラップというものは、魔除けという意味があったそうな。現代では当然意味合いは変わってきていて、識別、区別、言うなれば個人の主張といった用途で用いられるようになっているのだがな。今回のケースでは三人共同じ熊であることから、どちらかといえば前者的な役割が強いのかもしれないな」
「うん、その通り」
円香は元気よく頷いた。
「……東後のことは後付け女王と呼ぶことにしよう」
「あ、どうも感謝いたします」
そんなやりとりを横目に虎次郎は応接間の椅子に腰かけた。砂糖が大量に溶けたコーヒーをぐいっと飲み干すと、コップを流し台に持っていった。
それを見て円香はあっと声を上げ、カバンを持ったままキッチンに身体を滑らせる。
「アイス買ってきたの忘れてた」
機敏な動きで冷凍庫に詰めている。
「はい、じゃあアイスがちゃんと冷えるまで、東後の頭でも温めるとしますか」
「えー? こんな季節に鍋なんて食べたくないよ」
「……ごめん。どうもその感性についていくことができひん」
「私も意味わかんない」
三人は応接室のこげ茶色をした長机を囲むように席についた。真ん中に虎次郎と円香が向かい合って座り、虎次郎の右隣に寿至が座った。
虎次郎が中心となってこの二日間の捜査の進展を報告し始めた。
寿至が長戸照貴弥の妻と接触した件を伝えた時は、円香もありえないといって噴き出した。しかしその妻との会話の中で、以前円香が四十万胡桃と同じ大学の華道サークル部員から聞き出した情報との矛盾がないことを知ると、安堵感が全身から放たれた。
そして、岬結良の免許証の件――
まず虎次郎は何故七年間も免許を持たずに過ごしてきたのに、突然免許取得に至ったのか、という疑問を抱いたことを前置きに、
「そこでとりあえず昨日、滋賀県の免許センターに問い合わせしてみてん」
「うん」
「落ちてた免許証拾ったんですけど、なんて言ったらじゃあ警察に届けてくださいってなるのは明らかやから、そこは逆に警察を名乗るって作戦を決行した」
「え、それこそ後で警察の方に問い合わせされたらやばくない? だってそんな刑事もう辞めてますねえ……ってなるじゃん」
「実はそれは大した問題にはならへんねんけど……ま、一応面倒くさくなるの嫌やったし、寿至の名前を拝借させていただいたんよね」
「……そんな言い方するが、俺の許可は受けずに使用したよな? 官名詐称罪にあたるところだ」
「寿至は実際公務員じゃないから当てはまらず。まあその節はありがとうございました」
虎次郎は最敬礼をした。しばらく経っても直ろうとしなかったので円香が目で続きを促した。
「えっと、この免許証番号を持った人が殺されたって事実を伝えて、そこからどこの自動車教習所に通ってたかを聞いてみた」
「何故に教習所?」
「教習所の教官って結構話するやん? 世間話ってやつ? ああいうところでの会話俺は苦手やねんけど……ああ、話が逸れたな。免許取った理由とか知れたらいいなあと思って。やっぱり俺はそこに引っかかってるわけよ。気になってるだけって言ったらそれまでやけど。絶対に誰か絡んでくるはずやねん」
そこまで言えば伝わるだろうと決めつけ、一旦話を切る。
捜査に人数をかけられるならば、もっとはっきり指示するのにと悔やむ。彼が曖昧な受け手に任せる表現をする理由は、環境にある。
仮に今、捜査本部を仕切っているのが虎次郎であれば、徹底的に怪しいと思う人物を探させるだろう。それは岬結良の周りをうろついていたとされる学生のことだ。何らかの形で事件に関わっていると思われる。だが断言はできない。そしてその男が結良が免許を取った理由と絡んでくると想像している。しかし、あくまで想像だ。
そのような葛藤と何度も同じ場所を回っているかのような浮遊感が彼の意思を弱くしているのだった。
「結果は、バツ」虎次郎は胸の前で人差し指をクロスさせて印を作った。
「どうして?」円香が乗り出してくる。
「まあほんまに警察か分からへんしやろうな、こっちも証明できひんし。あかん理由はプライバシーっていう観点からかな」
「はあ、こういう時だけ便利な言葉を持ち出しちゃうんだね。自分たちを守りたい時だけに使う言葉の一つだよね」
「他には何がある?」寿至が素早く茶々を入れる。
「もう! 何も考えてないわよ。で、奏、続き」彼女は向き直って先を急かす。
「続きもくそもこれで大体一段落やけど……。とにかく直接来てくださいってことやった。そもそも免許センターって警察がやってるところやからね、寿至のこと一発で警察のデータベースに載ってへんからバレた……って可能性はないはずやけど」
「俺としたことが、知らなかったな……。でも結果は同じか」
「え? そうなの? 確かにやけに警官多いなって思ったけど」
寿至と円香が同時にいった。
「だとするとコジローの行動は危険だったと判断せざるを得ないよな。なのに断りもなく俺の名を名乗ったと。できればその意図を説明願いたい」
寿至は円香に何の遠慮もせず続けた。
「まあオペレーターというか、そこにいる人は実は知り合いが多くて、その電話に出た人は確実に警察関係者じゃない……、まあ何をもって関係者とするかは微妙やけど……。安全協会っていう会の人やからそんなに問題ないかなと。懸念点はその人が誰かに告げ口をするかってことやけど、可能性はもちろんゼロじゃないけど、限りなくゼロに近いと思う。理由はそんな暇がないから。実はあの職種、楽やと思われがちやけど、めちゃくちゃ忙しいねん。警察からひっきりなしに俺がしたみたいな電話かかってくるし、一般人から問い合わせくるし。何にせよ県に一つしかないから激務ってわけやね」
「じゃあダメじゃん。そもそも免許センターに相談するって……」
「それは……完全なる俺のミス。ちょっと冷静になれば予測できたのに……。焦ってたというか、いやあ、反省せなあかんな」
うつむき加減で虎次郎は重い息を乗せていう。
「まあ、確かにその知り合いのオペレーターが確実に出てくれるわけじゃないから、ほんまに危なかったわな。まあ……危なかったって言っても、特に何もなかったと思うけど。一応言っとくけど、探偵やってることがバレるとマズいって話とちゃうしな。警察辞めて探偵なんてまあ、あるあるな方やし」
「それは察してたけど……。ふうん、奏もまだ抜けてるとこあるんだね」
「そりゃあ完璧超人なんていいひんしな。そもそも仕事辞めてる時点でどうかなって思うし」
「あららら、皆の心にグサリと刺さる針を飛ばしたね」
「俺は避けたがな」
「俺は想像よりも深く自分に刺さってることに気付いたわ」
改めて考えても、昨日の電話は迂闊だった。改めて考える必要のあるくらい、舞い上がっていたのかと思いを巡らす。二人には元から知っていたという体で話をしたが、実際に警察関係者が免許センターで働いているという事実には相手が電話に出るまで気付かなかった。聴いたことのある声を耳にして、そして数秒空けて脳が音声データを処理してから、あっと思った。幾分心臓が縮こまった。
そこで結果を教えられていた方が問題になっていただろう、と虎次郎は思う。一日に百件単位で電話を処理しなければならないので、全てのメモをとる余裕はない。無論、そうするよう指導しているが、人間の集中力という観点からかなり厳しい、と安全協会に指導すると県警交通課の課長は唸っていた。ではリソースをかければ良いのではという当然の議論が都度沸き起こるのだが、じゃあ人を貸してくださいという話を振ると、冷水を入れたかのようにしゅんと黙りこくってしまうらしい。
こういった、再度の出直しを依頼するケースでは、来訪時にもう一度対応することになるので前情報のメモは残さないケースが多いとのことだ。つまりオペレータの中での優先度、重要度は低い、ということである。前情報があった方がスムーズに話が進むのでは、と質問すると、どうせ誰も読まないから、という返事だった。とにかく人が足りない。少子高齢化の影響もあって今後どうなっていくのか。交通課の課題である。
「で、もったいぶって寿至にもまだ言ってへんねんけど」
寿至は自分の名前が突然出てきて驚いたのか、耳をピクリと上昇させた。
息を小さく吸い込んで虎次郎は続ける。
「岬結良の自宅も見たし、それまでの捜査でも聞いてた話やけど、彼女車持ってへんかったよな。てことはあの場所まで彼女はどんな手段で行ったのかが疑問になる。ただもう一つ忘れたらあかん大事な可能性があって。それは彼女が誰かに連れ去られてあの場所で落としたっていう可能性な。ただこれは考えにくい。理由は……指紋にある。実はこの免許証。何のケースにも入ってなくて裸で落ちてたんやけど、二人の指紋がついてたねん。一人は岬結良やと思うけどもう一人は現時点では不明。俺はこれが犯人の指紋やと思ってる。そのかなり可能性は高いと思う。じゃあ尚更誘拐されてた説が濃厚になるんとちゃうかと思ってるやろうけど」
「犯人ならば指紋は拭き取るだろう」
「あ、言われた。そう、その通り。この際理由は省くけど、犯人が免許証を故意に落としたってなったら、間違いなく手袋したりして自分の痕跡は残さへん。なのにこれには岬ともう一人の指紋がある。ってことは、犯人がいたとしたらわざと落とすなんて考えられへんわけ」
「じゃあ結論は、岬さん自身が落としたってことになるの?」
円香はハンカチを落としました? と訊くような軽い口調で質問する。
「結論は出てへん。けど二つに絞られると思う。一つは東後が言った通り、岬結良自身が落とした。故意か故意じゃないかはともかく。ほんでもう一つは、全く無関係の人、そうなると免許証に残ってたもう一つの指紋の人やと思うけど、その人が落としたか。ほんでこれがさっき切り落とした可能性。その人が犯人やとしたら、なんでわざわざ自分の指紋がついたものを、それもわざと落としたのか。取っ組み合いの喧嘩したとかなら別やけど」
「痴話とかな」
「おお……、寿至の口からそんなこと聞けるとは驚きだ。今世紀最大のサプライズだね」
「とにかく、俺は事件とは関係のない人が落とした、っていう結論以外を導き出すことはできひんかったねんな」
二人のやりとりなど聞こえなかったというように虎次郎は続ける。
「なるほど、そちら方向の結論は出ているということか」
「そう。で、話を最初に戻して、岬結良は車を持っていなかったよねっていう。じゃあ誰の車やったんやろう、ってなって。最初はその指紋を残していったであろう同乗者のかなあって思ったけど、それよりもレンタルの可能性を先に調べた方がいいかなと思って、実は石山周辺のレンタカー屋さんに聞いて回ってん」
円香が何か言いたげに二人を交互に見ていたので話を切った。
「それってさ、昨日の出来事だよね」円香は指を折って何かを数えていた。
「寿至は何してたの?」
「読書」
「あ……なるほど、じゃあ奏さん続けてください」
寿至がこの探偵事務所の経営に最も苦慮している人間であることを彼女は理解しているので深く突っ込まず先を促した。
「で、こっから膳所の方向に一号線を走って二件目のところで、岬結良を覚えてる人に会うことができて」
その県下で最も安いという謳い文句のレンタカーショップ店員は、よく覚えていますよ、と語ってくれた。
そしてパソコンのモニタの前に居座り、ブツブツ言いながらもわりかし微笑みをたたえた表情で顧客データを探してくれていた。
岬結良本人の名義で借りられていた。日も短くなりつつあった秋口だったという。レンタルお願いします、と言った彼女は鼻歌を歌いながら今にもスキップでも始めてしまいそうなニコニコ顔だったらしい。まだ夜が明けるか明けないかの非常に早い時間だったそうだ。
そんなニコニコ顔一点、車の返却に来た時は車酔いした後のような落ち込んだ表情をしていたそうだ。その際、彼女は一人ではなかった。若い男と一緒だったそうだ。直接訊きはしなかったが明らかに恋人同士にみえたと店員は証言した。
しかし、あまりに来た際と表情が違ったのと、二人がとても仲良い状態に見えたので喧嘩が理由ではなさそうだと思い、思い切って何かありましたか、と訊いてみると、
「車の中も探したんですけど、見つからなくて……。もし免許証見つけられたら、ここに連絡してもらって良いですか?」
と彼女はメモを渡したそうだ。それもあって店員は印象に残っていたのだという。
「去年の秋口か……」
虎次郎が話し終えてしばらくエアコンの音だけが部屋を埋め尽くしていたが、久しぶりに人の声が飛び込んだ。周波数はかなり低い。
「そう、じゃあここで一つの疑問が生じたわけよ。では東後くん。探偵修行と思って適当でもいいから言ってみて。適当ってのは適切の方じゃないから、そこだけ注意して。あ、似たような意味やね」
円香は溜息をわざとうめき声が乗るように調整して吐き出した。
「そうね……。あ、分かった!」五秒ほどして彼女が人差し指を立てる。ナンバーワンを表現しているのではないと想像される。
「なんで一緒にいた男が名乗り出てこないか、これじゃない? だって彼女か元彼女か知らないけど死んじゃってるんでしょ? ああ、失踪届出てなかったところを考えると別れてたってことになるのか。あれ、でもそうだったら……」
「あ」口を開けたついでに声も出した、という感じで虎次郎がいう。
「完全に伝え忘れてる情報あるわ。一昨日のチャリ捜査」
「チャリ捜査?」
「うん。岬結良の家付近まで寿至と俺でチャリ漕いだっていう話」
「それってこの探偵修行に関係する?」
「せえへんとは思うけど、東後の持つ制約条件が変化する」
「セイヤク条件ねえ」
「そう、制約」
「せ……あ、そっち。薬を作ることじゃないのか」
円香はイントネーションから気付いたようだった。なおも彼女は続ける。
「本題。えっとおそらく結良さんと一緒にいた男は多分彼女が殺されるまえに別れていました。以前奏から聞いた情報ではスマホと財布が死体と一緒に見つかったって話あったと思うんだけど、スマホには会社関係以外の人のアドレスとか連絡先は登録されていなかったし、解析しても何も出てこなかったんだよね、確か」
「自殺って断定されるまで大体一週間くらいやから、ちゃんとした解析が行われてたかは正直微妙やけどな」
「じゃあその男の人は誰か。ずばり、会社の知り合い、しかも不倫だったとか考えられないかな?」
虎次郎は随分論理が飛躍した、というか与えられた条件が少ないので精一杯の回答かと思いながら、
「ああ、会社の人、えーっと県警が話を聞いた人の中に当人はいたけども、奥さん子供がいるから、色々言えへんかったと?」
「そうそう、そういうこと」
円香はパーッと電灯が点ったような顔つきになっていた。余程自信があるのだろう。
しかし虎次郎は指摘する。
「なるほど。それやったらちょっと考えにくいな。だって岬結良と一緒にいたのは、若い男、って言ったはずやで。揚げ足取るようで悪いけど」
「あ」
「それに会社の同僚だったとしてだが、どうして被害者が車を出さなければいけない? 偏見交じりで恐縮だが、若者の車離れが叫ばれる昨今であるとはいえ、デートで女性を誘う男性が彼女に対して、免許とってくれだとか車借りてだとかお願いすると思うか?」
寿至が長い補足をした。虎次郎はそんなこと考えてすらいなかったが、間違っていなかったので小さく唸った。更に余計な一言を付け加える。
「案外円香も恋愛話には弱いのな」
「うーわ、寿至にいわれた。セクハラで訴えないといけないね。っていうか『も』って何よ『も』って。そんなところで謙遜しても許さないよ」
円香は口を尖らせる。本筋から逸れていくことを予感し、軌道修正をかける。
「ちなみに先ほど鳥谷君のいった、去年の秋口発言はヒントになっております。それと動機面はこの修行に関係ございません」
虎次郎は浅い深呼吸をして刑事時代に入手した情報を二人に伝える。
「えっとその動機面に関してやけど、岬結良は死亡する直前に仕事辞めてたねんな、やりたいことが見つかったっていう理由で。当然我々もプロやから色々考えたわけ。例えば、岬結良は会社の誰かと付き合ってたけど別れてしまい、顔を合わせるのが嫌やから辞めたと。周りへの配慮っていうのも考えらえるかな。でも実は男の方は未練があって、追いかけていって、そこで話がもつれて殺してしまった、っていうケース。他には、まあ最終的には同じところにいきつくねんけど、彼女が一方的に別れを突き付けられて嫌になって会社を辞めた、と。で私死ぬからみたいな感じで呼び出してやり直そう的なことを言う。そんなん言われたら面倒くささの極みやから弾みで殺してしまった、とかね」
「ほお……。警察もドラマでありがちな動機の線を疑うのだな」
「まあ影響力高いしなあ、ああいうドラマって。俺らの頃も周りオーストラリア行ったりしてたやん」
「いや、そんな資金力、友人は持ち合わせていない」
「ごめん、俺もやったわ。で話戻して、そういう理由もあって、結構動機の面からは探ったねんな。結構厳しい質問も会社の人にしていったわけやけど。結果は誰も知らへん、やった。勿論彼氏がいるかもっていう前提が無いわけやから、特に意識はしてへんけど、その可能性もあるやろうってことで、聞き込みした結果やで。会社で口裏合わせてる、プラス全員が心理学的嘘のつき方をマスターしてるってなったら話は変わってくるやろうけど、誰一人として、岬結良に付き合っている人はいいひん、って証言した」
「くっそー! って後出しじゃんけんすぎるやん」円香はこちらの口調になって頬を膨らませた。
「そう、それは思ったけど、さっきのヒントあったら……なあ」寿至に視線を送る。
「これで答えられなかったら……休暇の間何やっていたのかという話になる」
「休暇は休暇でしょう? そんな真っ黒なこと言っちゃって。もうあんな会社のこと思い出させないでよ」彼女は更に頬を膨らませて抗議する。「てか会社関係の人の中に彼女の親しくしてる人いないんだったら、誰を車に乗せてたことになるの?」
「……それは後で見解いうから、先に修行や」
早く秘伝の術を教えてくれとねだる新米忍者をなだめるようだなと虎次郎はにやけそうになった。
「去年の秋口がヒント? 時期が関係してる?」
「そやで」
「……もうちょっとヒント!」彼女は目をつぶって顔の前で手を合わせて、アルマジロのように体を丸めていた。
「じゃあ一個だけ。彼女の死亡推定時期は二月」
絶望、という言葉を表現してください、という指示が与えられた人を連想される姿勢で頭を抱える状態を十秒ほど続けて、彼女は言葉を発した。発したというより呟いたという方が正しい。
「そういうことか……。はあ」口元が見えないので、寿至の腹話術ということも考えられるが、そのような特技を彼は持っていない。あるいは、心霊要素が絡んでいるケースもあり得るが、これまでそのような経験をしたことはない。
彼女はバッと顔を上げ、
「そういえば免許証の話してたな」
「その通り。東後って結構、話の脈絡気にする割にこういう問題出したら前後関係シャットアウトして考える癖あるよな。で、正解は? 念のため」
「冷静というか若干冷徹なご指摘ありがとう。免許証を再発行しなかったかってことでしょ」
「うん、素晴らしい。正確には再交付やけど大した問題じゃない」
「再の場合は発行でも良いのではなかったか? 本当に大した問題ではないが」
「うわ、厳密な所忘れた。まあ後で調べてみるわ。で、詳細は省くけど、免許証の再交付はされてなかった」
寿至は唸ると同時に大きな欠伸をした。「……全然分からない」
「……というと?」
「何故犯人は彼女を殺したのか?」
「……犯人が誰か分かってるような口ぶりやな」
「それはコジローも同じだろう」
図星を突かれて鼓動が若干早まったが、すぐに冷静さを取り戻す。確かにそれを示唆するような発言があった。
「それともう一つ。どうして免許証を再発行していないのか」
「うん。それは確かに分からへん。けど、予想はできるかな、証拠はないけど」
会話する二人の顔を交互に見比べて顔を左右に振る円香が、壊れたブリキのおもちゃに見えてきたので、言葉を投げかける。
「じゃあ東後さん、さっきの君の疑問にも答えさせていただきます」
「……だから奏の敬語は吐きそうになるからやめてよ」彼女は口に手を当てている。当然虎次郎はそれを無視して、
「まずは東後の誤解を解きます。寿至の言った、それは俺も同じだろ発言について。犯人が分かってるっていうのは、この人やろうっていう見当がついてるだけで、名前も顔も分かってへんし。でもここまで来たら、後は警察に任せれば結構早く捕まりそうやなと思えるぐらいやけど。ただ、警察はこの事件から完全に手を引いてる。警察内で調べてるところバレたら左遷じゃ済まへん仕打ちを受けそうやから普通に考えたら誰も調べてへんし、この情報を与えたところで人を割かへんと思う。有名な探偵ならまだしも俺らやしな。
次に免許証を再交付してない理由。まず思いついたのは、単にその暇がなかったという単純なやつ。で、そこから深堀りしてみた。暇がないって言っても必要やったら普通再発行してほしいってなるよな? でも彼女はしてない。ってことは不必要やったってことになる。一旦思い出してほしいのが、死亡直前の彼女の周りをうろついていたっていう学ラン姿の男性がいたやんか。まだ断定すべきじゃないけど彼氏やとしたら……。仮に高校生が彼氏やとしたら……。岬結良は二十五歳やからそんなに離れてないし、実際に全くない話じゃないと思う。で、高校生が彼氏やったら当然車は持ってへん。だから彼女が車の免許を取って、デートとか行ってたんとちゃうかな、と。で、免許証失くしたけど再交付してへんのは、その男性が運転免許を取ったからじゃないかな。十八になれば、法律上は取っても問題ないわけで。
最後に、これまで与えられた条件から、免許証に残ってた指紋はこの男のやというのが最も適当な解釈かなと思うわけ。ほんで、レンタカー屋さんの話から、免許証を落としたのは、岬結良自身であった可能性が高い、と。それも偶然」
虎次郎は唇を湿らすために、一呼吸置いた。同時に二人の様子を窺ってみる。寿至は腕を組み、目を瞑っている。目を開いていたなら天井が視界に広がっているだろうと思われるくらい、頭を直角に曲げていた。円香は空気椅子をしているが如く前のめりになりまん丸の目を虎次郎に向けていた。お菓子をねだっている猫を連想した。
「というわけで、この指紋に対しては二パターンに絞られた。一つ目は、この男が犯人で、岬結良がどこかに免許証を落としたことを知りつつも、見つけられへんかったケース。まさか失くすなんて想定してないから、指紋が残ってしまったのは明らかな不注意、というか不本意。二つ目は、ただ恋人が免許証をとってくれたから、それを見せてもらう時に指紋が付いて、岬結良が桂川パーキングで免許証を落として、それに気付かへんかったと。で、彼女が亡くなるまえに別れてそのまま……、っていうケース。何で携帯にデータが残ってへんかったかは謎やけど、実はほんまに会社に嘘つくのがめちゃくちゃうまい彼氏がいたのかもしれんし」
と発言した虎次郎だったが、彼の大部分は一つ目の説を推していた。少なくとも、岬結良の周辺にいたとされる学ラン姿の男について調べる価値はありそうだ。
彼の話を聴いた円香は、そっかーと相槌を打ったきり押し黙ってしまった。彼女なりに考えることがあるのだろう。寿至はまったく姿勢を変えない。
周囲との関わりを極力避けてきたであろう彼女にとって、その男性は、どのような存在だったのだろうと虎次郎は考える。
一緒に車でどこかに出かける仲だったことは間違いなく、彼女の唯一細いつながりのあった会社の人たちの証言とは矛盾するが、特別な関係だったと推測される。そして仮にその男に殺されたとしたら、彼女の感情とまったく正反対の仕打ちを受けたとしたら……。
そうだとして一体なぜ……。
寿至のいった通り、何故彼女が殺されなければならなかったのか、その疑問は残る。金銭目的ではない。男女間のトラブルだろうか。しかしまだ若い二人。殺してしまいたくなるほどの動機とは何だろう。
いや、違う、と虎次郎は思い直す。それと同時に背中をひんやりとした風が撫でていった気がした。空調から流れる気体でないことは確かだ。
この三つの事件が一人っ子の人間を単に連続で殺していっている、というだけだったら、と想像してしまったからだ。ただ犯人はゲームを楽しんでいるのかもしれない。
そうだとしたら捉えようがない。だから動機から事件を考えるのは好きではないのだ。
しかし事件の肝が動機でないとしても、事件は解決しなければならない。それが探偵としての使命であり、また、これは動機から考えるべきではない事件であるとの思いを強くした。
「相変わらず二人共早いなあ」
「私はとにかく……寿至にも早いってどういうことよ」
「あーあー。忘れがちよね、ここに住んでるってことを」
「倒置法を使ってまで強調するようなことでないのは確かだ」
翌日、事務所に顔を出すと既に二人は応接室でコーヒーを飲んでいた。もちろんアイスコーヒーである。エアコンがまだ効ききっていないことから、円香も今来たところと思われる。
こげ茶色の机に、白い封筒のようなものが置かれていた。A4サイズのものである。
「これは何?」
「お金が入っているの」円香が即答する。
「彼女がここに来た時に郵便受けに投函されていたらしい」
虎次郎はイマイチ話がつかめない。
「ちょっと待って。順序立てて聞こう」オーバーリアクションであること承知で両手を広げて肩をすくめる。
「えっと、十五分くらいまえかな、七時過ぎにここに着いたんだけど、ポストに何かが入っていることに気付いて」
「郵便受け。何度も言わせるな」
「あ、ごめん。……ってこのくだり飽きるわ。で、それはこの封筒だったのね」円香は机上を指さす。どうも封筒には触れたくないような動作だった。「差出人見たら”手原祥子”ってなってるわけ。ここの住所は書いてなかったから、多分祥子さんが直接持ってきたんだと思う」
質問がかなり浮かんだが、とりあえず全部話を聞こうと我慢する。彼女はなおも続けて
「とりあえず中に入って、寿至に昨日誰か来た気配あったか確認したけど知らないって」
「さすがに第六感は持ち合わせていないからな」寿至は軽口を叩いたが、どこか浮ついているような、上の歯と下の歯がちゃんと噛み合わせられていない印象を受けた。
「奏が来るまで待とうと思ったけど、昨日結構遅くまで話してたじゃない? 昔の奏で考えると、今日は遅くなるかなと思って、いつになるか分からないから……っていうのは言い訳で、気になりすぎたから開けようってなったの」
虎次郎はさすがにどうして待ってくれなかったのかなどと言えなかった。学生の頃は決して早起きとはいえなかったからだ。現在の生活リズムになったことを二人に説明していなかった。
「そしたらコレ……」
円香は小刻みに手を震わせながら、封筒の中身を取り出す。分厚い茶封筒である。それを見た瞬間、全身を血ではなく蛇が駆け巡ったような錯覚に陥った。茶封筒の厚みは五、六センチくらいだった。ざらついた表面から、中に入っているものが透けて見える。茶封筒自体は開いていないので、二人はこの透けているものを見て驚いていたことになる。
「五百万くらいはあるだろうって、寿至が」
「……まだ開けてへんねんな」
「うん」
虎次郎は茶封筒に手をかける。セロハンテープで閉じられているだけのようだ。もっともセロハンテープを剥がした下に、糊付けもされている可能性は否めないが。
ハッとした時にはもう遅かった。自分の指紋が封筒にべったり付いてしまっている。どうやら自分も焦っているようだと評価した。
「まあ……本物かどうかまだわかってへんわけやな」
円香は顎を引く。
虎次郎は次に白い封筒の中身を覗き込んだ。
「あれ……? これは……?」
「え、何かあるの?」
「手紙……」
白封筒の中にはA4サイズの用紙が三枚、縦に折りたたまれた状態で眠っていた。割と女性っぽい丸い文字で埋め尽くさている。虎次郎は中身を読む前に、末尾にある名前部分を確認した。確かに手原祥子、とある。次に白封筒の裏を見る。筆跡は全く同じ、に見えた。少なくとも素人目には区別がつかない。
突然虎次郎は隣の部屋に移動した。一つのノートを引っ張り出す。以前手原祥子が来訪した際に、念のため、名前を書いてもらっていた。その筆跡と同様か確認するためだ。
応接室に戻ると、円香は腰を下ろしていた。寿至は相変わらず立ったままである。顎に手を当てているが、何を考えているか分からない。
「一緒……やな」
三つの文字を横に並べるように二人に見せる。競泳の飛び込みのような素早さで円香が覆いかぶさる。寿至はのっそりと上から見ようとしていた。おそらく円香の頭で何も見えなかっただろうが。
「う~ん、似てるとは思うけど……」というのが彼女の感想だった。円香が頭をどかせて、寿至にも見える状態になったが、彼は何も言わなかった。
虎次郎は三枚の直筆手紙を机に横にして並べる。そのままにしておくと紙が内側に閉じられてしまうので、台所からコップを取ってきて文鎮代わりにする。二枚とも端々までみっちり埋められていたので、紙の四隅に申し訳程度に置く形になった。
※
拝啓
突然のお手紙、失礼いたします。
まず大変怪訝がられていると想像しますので、同封させていただいた代金について説明させていただきます。
調査への感謝料といたしまして、五百万円納めてください。
以前探偵事務所へ伺った際には、金銭的にお支払いできるか怪しいと申しましたが、ご承知のとおり、娘のめぐみが亡くなりました。その為、めぐみのために残しておくお金が必要なくなった所存です。事務所を立ち上げられて間もない、という話でしたし、めぐみを亡くして胸にぽっかりと空虚ができてしまった私にとっては、めぐみのことを真剣に考えてくださった方々に恩返しという気持ちが強くありました。また、こんなことをおばさんが言うと気持ち悪がられるかもしれませんが、私はお三方にとても好意を感じました。私どもには子供はめぐみただ一人でしたから、男の子も欲しかったなあ、なんて思ったのです。
後に詳しく書かせていただきますが、めぐみは自殺と結論づけられました。正直私はかなり疑っております。しかし、主人がすぐに引き下がりました。たとえどんな死に方をしたとしてもめぐみは帰ってこないのだ、と言い張りました。
私はそれが主人の本意ではないことを知っています。警察のお世話になったり、周囲からの注目を浴びたりするのを極端に嫌う人だからです。というよりも、人の目をひどく気にするという表現が適切でしょうか。いつも相手の顔を窺い、相手の呼吸を感じ、多少ズレがあると気付いた瞬間、すがりつくように寄ってきます。めぐみが自殺したと警察に知らされた時は「さすが警察。すぐに答えを出す」という風にペコペコと腰を折りたたんでいました。私が警察がいないところで、本当に自殺なのかなと問うと「俺もそう思ってたんだ」という風にころりと態度を変えるのです。ただ、その自殺の懸念は警察の前ではつゆほども見せません。警察の見える状態では私よりも警察の方が強いと彼が認識しているからです。そういう人なのです。警察が自殺と断定した後で、私に向かって、泣きそうな声で、どうあってもめぐみは戻らない、と言いました。勿論涙など出ていません。私に向けた最大限の当事者アピールだったのでしょう。
こんなことは書きたくありませんが、めぐみがいなくなれば、主人は必要ありません。私は離婚届を置いて家を出ることを決意しました。あとは主人が印鑑を押せば良い状態にしておくつもりです。
ここ数日は本当にバタバタしており、まったく休む暇がなかったので、一度実家に帰ってゆっくりしたいと思います。お正月とお盆くらいしか帰っていませんでしたし、両親も若くはないですから、親孝行しなきゃですしね。皆さんはまだお若いから分からないかもしれませんが、歳を重ねると親に対する気持ちが変わってくるものなのです。死ぬまで居続けようとは思いませんが、長く居座るつもりです。こういう時ではないと甘えられませんので。……って親孝行とか言っておいて、矛盾していますね。ああ、関係のない話をしてしまいました。すみません。
このお手紙を書かせていただいている三日前に、めぐみの葬儀を営みました。あまりに早く過ぎる時間に茫然としている中で、着々とそういった法事が済まされていった印象です。夏休みではありますが、多くの生徒さん、中には嫌々連れ出された子もいたでしょうが、お通夜、葬式両方に多くの方が出席してくださりました。
その中に、当然あの人(すみません。名前を書こうと試みたのですが、なぜだか分からないのですが手が震えてしまってうまく書けません。以前めぐみがいなくなった件で疑わしいと言っていた担任のことです)も来ておりました。喪服ではなくスーツでした。学校の教師というのは激務のわりに安月給だといわれますから、仕方ないのかもしれません。
学校の教師関係の人間の中では彼だけが涙していました。うちの主人でさえ泣いていなかったのに、です。私はこれまで男の人が泣くのを見たことがなかったので、何かが胸の上あたりに刺さったような気がしました。
彼は私にお悔やみの言葉を述べる際も涙を浮かべていました。しかし私は見ていたのです。彼が席を立つまえに目薬をさしていたところを。私なりの推測ですが、三年間受け持った担任として涙の一つでも見せなければ、誠意が伝わらないと思ったからではないでしょうか。めぐみが自殺したにせよ、殺されたにせよ、この男が何らかの関わり方をしている、その疑念を強く持つことになりました。疑念というよりは確信です。
最後にめぐみの自殺に関してです。実はここからが私の最も言いたかったことでもあります。長い長い前置き、大変失礼いたしました。当初はここから先の部分のみ書かせていただく予定だったのですが、書き始めると止まらなくなっていました。先の話と絡める部分もありますが、私はめぐみは殺されたと確信しております。
報道はあまりされていませんが、それは私どもの希望でした。警察がマスコミに発表してもよいか訊いてきたので、極力情報は出さないでほしいと伝えたのです。自殺と報じられることが、めぐみにとって最も恥ずべきことのように思えたからです。いわれのない報道、自殺が確定的でないにも関わらず、警察の憶測だけで決めつけたことを世間に公表することは、警察としても恥ずべきことではないかと思います。めぐみは決して自殺するような子ではありません。
めぐみは滋賀と京都の県境にある山で、首を吊った状態で発見されました。山奥ではなく、割かし公道から離れた場所ではなかったそうです。私たちは病院で身元確認を行ったので、その場所には行っておりません。亡くなって一日足らずで発見されたのがせめてもの救いだったように思います。発見してくださったのは、その山を保有する地区の方でした。毎年夏に行われるキノコ狩りがあり、その最中に発見されたという話でした。
特に遺書のようなものはなく、ただ、いつもめぐみが持っていたカバンに、図書館で借りた数冊と財布や携帯が残されました。それらは遺留品として私たちに戻ってきました。
さすがに本は返却しなければと思い、昨日県立図書館に行きました。そこで、この手紙を必ず書こうという強い気持ちが芽生えたのです。
それは、あの男がいたからでした。向こうは私に気付いていないようでしたが、娘が借りていた本が収納されている近辺で、本を探していました。偶然と言われるかもしれませんが、めぐみはやはり彼に影響されていたのだろうと思います。
ああ、気になるほどではないのですが、めぐみがどんな本を読んでいたのだろう、と遺留品のページをめくっていたところ、しおり代わりと思われる、はがきを半分に折ったくらいの大きさの紙が挟まれていました。そこに男の人の名前が書いてあったのです。めぐみの好きな人なのか、恋人なのかは分かりませんが、私は微笑んでしまいました。私自身、そういったことをした覚えがあったからです。私の場合は当時付き合っていた人の名前でした。それを彼に貸して、返ってきたときに私の名前が書かれていれば、その本は面白かったっていう、今考えると何故そんなことを始めたのかよく分からないのですが、お互いの好みを知るために一役買ってくれました。
私はめぐみにそのような人の存在をこれまで聞いていなかったので、当然寂しい気持ちにはなったのですが、私も同じような子でしたので、何も言う権利はありません。
『外川靖也』と書かれたその紙は、こっそりとめぐみの入った棺に入れ、火葬いたしました。私とめぐみだけの秘密です。……ってここに書いてしまえば話は変わってきますね(苦笑)。
今更何をしたところでめぐみは帰ってこない、その点に関しては主人と意見が一致しています。したがって今更本当に自殺だったのか知りたいとも思いません。ただ、おそらくめぐみの死に関係しているであろう、あの人がのうのうと生きているのを許せないと思うだけです。仮にあの男がめぐみを殺したともなれば、あるいは同じ高校から別の死者が出てくる可能性だってあると思います。
調査への感謝として納めさせていただいたお金ではありますが、どうにかあの男の正体を暴いていただくために使ってほしいと願います。
警察など、何の役にも立ちません。それを今回の件で思い知らされました。ただ、それは大きな声で言ってはいけないことだと思います。現に私が平和に生きてこられた一因であると思うからです。今回の件がなければ考えなかったようなことを、さもずっと心の底から考えていた、という風に意見するのは間違っています。しかし、それをも平気で吹き飛ばしそうな、めぐみの死でした。
最後になりますが、警察よりも少人数で、警察と同じ、あるいは上回る結果を出さなければいけない、非常に厳しい仕事だと認識しています。皆さま、お身体には十分に気を付けて過ごされることを心から願っております。また『探偵事務所 巌流島』の益々の発展をお祈りし、締めとさせていただきます。長文失礼いたしました。
敬具
手原 祥子




