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黒と黒のコントラスト  作者: じっぴー
第五章
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22/45

2

 先週の日曜に起きた、自動車暴走事件。

 一週間経過してなお、事件現場はなんとも言えない静けさにつつまれていた。

 当初は事故と考えられていたが、捜査が進むにつれ、殺人事件の様相が強まっていった。

 虎次郎は、この事件のポイントになるのは、何故運転手が消えたか? にあると考えていた。殺人か殺人ではないかは、その次に来る。

 誰かが明確な理由を持って被害者である女子大生、四十万胡桃の殺害を狙っていたのか。その理由を考えるのは後でよい。

 もう一つ。

 私怨だろうと考えられている、自動車事故発生前に起きていた殺人事件。芦田渋という男が殺されていた。麻薬取引の主要人物であることから、犯人は大方絞られるため、世間的にはあまり重要視されていない事件。

 同じ場所で起きたことが引っ掛かっていた。

 一見すると無関係だった事象が、予想もできないようなつながりを見せ、そこから解決の糸口を見出せた事件が過去にもあった。

 当事者ではないが、あの事件にもそれが当てはまる。

 あの事件の場合は、社会の闇に通ずる部分はほとんどなかったが、今回はそれが多い。麻薬、宗教、暴力団、スピリチュアルな事柄等が絡むと、マスコミが手を引くことが多くなる。報道はもちろんされるが、深くは突っ込まない。

 そこに今回の事件を解決する糸口があるのではないかと考えている。

 当然、見当違いという可能性も高い。

 経験則と直感。これらは大切にすべきだと、研修で散々言われてきた。しかし、頼りすぎもよくないとも言われた。

 どっちつかずではあるが、そういうことなのだろう。

 つまり、指導して身につくものではない、ということだ。運も必要になってくる。

 中には運こそが最も重要であると唱えた講師の先生もいた。

 事件解決に向けたプロセスは、大まかには決まっているが、やはり本人の実力に大きく左右されるということだ。

 ノウハウを伝える研修は、キャリア採用組だけでなく、全新人警察官が対象となっていたのだが、こういった研修が行われるようになったのは数年前かららしい。あまりに多くの新人警官が職場に馴染めずに退職している事実があったからだという。上位はその原因を過去の新人と比較して十分な教育がされないまま採用される学生が増えたためであると考えたようだ。その教育とは、勉学のことではない。

 過去よりも現在の方が学力が高くなっていることは、省庁に勤める者としては常識だ。近年「ゆとり世代」の社会人がひどい、と度々話題に上る。虎次郎も上る側の一人なわけだが、「ゆとり世代」の人達の学力は、二十年ほど前の「詰め込み世代」と呼ばれた人達よりも平均的にかなり高い。それなのに「ゆとり世代」の学力低下が国民に印象付けられたのは、紛れもなくマスコミ、メディアの責任だろう。そしてそれに洗脳されているのが「ゆとり世代」を馬鹿にしている世代だというのが滑稽さを増幅させている。

 少なくとも「ゆとり教育」を貶している人は警察上部にはいない。その年代の犯罪発生率もそれほど高くないし、凶悪犯罪の数も変わらない。アニメやゲーム。インターネットの一般家庭への浸透で犯罪が低年齢化している、というメディアやそれに洗脳された個人も多いが、現実には何も変わっていない。

 むしろ数としては減少している。少子化の影響も少なからずあるが、割合でみても増加しているというデータはどこにもない。

 少年少女が凶悪犯罪を起こしたとなれば、四十代、五十代の人間の犯罪よりも大きく報道されることになる。もちろんそれらのニュースはインターネットで一瞬にして多くの人に情報伝達され、人々の記憶に残る。

 「ゆとり世代」とはそういった時代背景も手伝って作られた偶像であるにすぎない。過度にその言葉に反応した人が多くいたため、特別なレッテルを貼られてしまった若者たちともいえるだろう。

 虎次郎もその世代の一人ではあるが、どこか達観して遠くから見つめるようになってしまった。明らかに自分の意図しないところで作り出されたものだからかもしれない。


 時間は午前九時を過ぎたところだった。

 休日にも関わらず大勢の人が駅構内を行き来する。

 虎次郎は六日ぶりに、事件現場に戻ってきた。白骨化遺体が発見された草むらとは違い、人工的な建築物が立ち並び、どことなく息苦しさを感じる。京都の街並みが残っているせいか、コンクリートからの照り返しは厳しく感じることなく、スラックスにワイシャツという出で立ちの虎次郎にしてみても十分に耐えられる暑さだった。気がつけば、八月が目の前に迫っている。

 現場の通りは閑散としていた。

 ローマ字で黒く書かれたキープアウトの文字を黄色の背景が際立たせているテープが張り巡らされていた。それが今回の事件が、事故ではないことを物語っていた。

 例の麻薬常習犯が刺殺された路地裏にも、同様のテープが張られていた。

 こちらの方が物々しく感じるのは、路地裏独特の暗さによる演出だけではないだろう。

 いずれにしても、周辺の店にとってはありがたいはずもなく、どこか沈んだ空気を感じざるを得なかった。

 虎次郎は周囲の捜査員に声をかけようか迷ったが、自分の立場の説明をできる自信がなく、一旦現場を通り過ぎて、「マイルドリンゴ」に飛び込んだ。

 「マイルドリンゴ」は、事件が発生した日、東後円香が勧めてきた紳士服店である。当日は事件のせいで入りそびれていた。よくよく思い出してみるとそれは自分のせいだったような気がしたが、忘れてしまった。

「事件に関することなら何も話すことはないよ」

 店内に橋を踏み入れた瞬間、店の奥から縁の赤い、どこか戦隊ものの悪役がしているサングラスのような眼鏡をしている店員が、透明感のある声で言った。二十歳そこそこと言われても特に違和感は感じない。

 口調と声質のギャップが少しおかしかった。

「いや、僕は服を買いにきただけなんですけど」

 虎次郎は半分嘘をついた。

「ああ、そうですか。それは大変失礼しました」

 京都弁がふんだんにブレンドされたイントネーションで男は言った。

「やっぱり事故のことで話を聞きに来られる方が多くいらっしゃるんですか?」

 虎次郎は刑事の意識を隅に追いやり、極めて自然な口調を心掛けた。

「そうっすねえ。というかこの一週間はそういう人しかいなかったんと違うかな」

 男は虎次郎を客と認識してか、店長に戻ったようだった。

「商売あがったりじゃないですか、それじゃあ」

「そうですよ。この調子だからしばらく店閉めたらいいのに、という上司もいるぐらいっすからね。まあ逆に店の名前を売り込むチャンスだっていう上司もいるんすけど。言ってもテレビとか新聞とかでは店の名前なんて言うわけないですからね、本当に宣伝になるのか分かったもんじゃないっすよ。でもまあ、お客さん……とは言わないか……事件のことを訪ねてくる人は大勢いますし、ちょっとは繁盛してるように見えるじゃないですか。僕にとってみれば、忙しい感だけが生きがいになってるんですよ」

 男は更に饒舌になる。従来身につけていた接客術とこの一週間で鍛えられたであろう筋道立てて話す術が適度に合わさって心地よい感じがした。

 この先もっと事件のことを聞かれるとこのバランスが崩れて、アパレル独特の積極性が失われるのではないかと、虎次郎は余計な心配をした。

「とりあえず、夏にオススメの紳士服教えてもらってもいいですか?」

「え、本当に服を買いに来たんですか?」

「……そうですけど?」

 一瞬、残り半分の目的がばれてしまったのかと勘繰り、間をあけてしまった。だが店員はそれに気づく素振りを見せず、

「いや、だって目つきが違いましたもん、入ってこられた時と、事件の質問をされる時の」

 さすがはアパレル店員。人の特徴から最適であろう服を勧める職だけのことはある。出会って一分そこそこで看破されてしまった。

 こういう人こそ刑事、あるいは探偵になるべきだろうと苦笑する。

「本当に服を買いたかったってのもあるんですが……。そうですね、事件のことちょっとだけ伺ってもいいですか?」

「ああ、服欲しかったのは本当だったんですね。いや、そういうのに興味を持たない人のように思えたから」

 失礼な言動を失礼と感じないのは、話し終えた時に見せるはにかんだ笑顔の人懐っこさに起因しているのは間違いないだろう。虎次郎もひとまず苦笑いで返しておいた。

「すみませんが、お名前伺っても……」

 そこまで言って、男の胸辺りに銀色のネームプレートが見えた。筆記体で「Kabayama」と書かれていた。肩書は店長とある。

「蒲山蒼汰っていいます。一応店長やってます。あ、漢字伝えた方が良いですか?」

「大丈夫ですよ。ところであだ名はカバちゃんですか?」

「そうっすね」蒲山ははにかむ。「声が高いからかっすかねえ、タレントでもある、例の人っぽいから嫌なんすけど……。こればかりは仕方ないです」

 適当に思いついたことが的を射ていて、少し気分が良くなった。不必要なところで発揮される直感はずっと変わらない。

「失礼しました。では事件当日のことを。蒲山さんは店にいらしたんですか?」

「そうです。えっと、まずはクスリやってた人が殺されてたって話が最初ですね。この店の狭い道で男が倒れてるって噂を耳に挟んだんですね。その時僕は裏でお客様からの電話に対応していたんですが、電話を終えて店に戻るとバイトの店員の子も含めてみんな外に出てるんですよ。野次馬ってやつですね、僕自身そういった事件というか、あんまり興味がないんで、仕事に集中するように注意しようとしたんですね。それで外に出ようとしてすぐですよ。向こうの方……、えーっと北側から悲鳴が聞こえてきて……。反射的にそちらを見ると事故した軽自動車がすごい速度でこっちに向かってくるもんで、速攻でバイト君やらお客様やらを店内に誘導したんすね。無我夢中でしたね、あれは。サバンナで肉食動物に追われる草食動物ってこんな気持ちなんだなって思いましたよ。それで一人その場に残されてたんですね。もっとも僕が気付いたのは、事故が起こった後なんですが。なんかあれっすね。あんまりない名前でしたよね。夜の……ああ、四十万ですね。すんません、変な覚え方してしまって……。で、彼女だけがですね、周りから見てた人が言うには、立ち尽くしていたというか、避ける気配がないまま撥ねられたそうでね。一方で車は隣の店の壁に当たって停止した、と。僕の経験談以上が入ってますけど、こんな感じですね」

 嫌になるほど説明してきたのだろう。彼の話は淀みなく、筋道立てられていたので、頭の中で再構築の必要がなくすんなりと受け入れられた。

 こういった事件に興味はない、とは言いつつもどこか嬉々として話す姿をみると現在の状況を楽しんでいるようにも思える。

「じゃあ車から人が出てきたとか出てきてないとかはご存知ないということですか?」

「そう……っすね。僕はまったくですね。店の中で怯えてたんで……。誰か忘れたけど、堰を切ったように、そこにいた野次馬達が彼女を助けようとしたんですね。それと同じぐらいのタイミングで車にも人が駆けつけてたけど、誰もいいひん! って大声で聞こえてきて、それでどういうこと? ってなって僕も初めて現場に……というか店の外に出たんですよ」

「そこが一番気になるところですよね」

 虎次郎は手で顔を覆い、頬の肉を持ち上げた。何かを考える時の癖だった。

「犯人……という言い方は適切か分かりませんが、本当に犯人は車から出てきてないんですかね?」

「その質問、リアルに百回以上されましたよ」蒲山は苦々しい表情を浮かべた。しかしすぐに居直って、

「僕は見ていないので何とも言えませんが、そういう空気だったことは間違いないですね。今はこんな感じの通りですけど、あの日は休日だったし結構人もいっぱいいましたからね。その中で誰も見てないってもんだから大騒ぎになっちゃって。ただの暴走事故だと思ってたら全然違うやんって警察も言ってましたからね、ぶっちゃけた話」

 そういえば当日、虎次郎もこの店の前に来ていたことを伝えていなかったなと思った。今更伝えようとも思わない。

「消えた……ってことですか?」

「うーん……。人って消えることができるんですか? もしかして人じゃないとか?」

 蒲山は冗談を言った。が、あながち間違っていないのかもしれない。

「暴走事故ならこんな扱いされないでしょうしね……」

 数年前に近い場所で起きた事故を筆頭として、多くの暴走事故が発生している。たいていは病気や居眠り、アクセルとブレーキの踏み間違いといったような、人的要因が根底にある。

 そんな中でこの事故は明らかに異質だ。

 人的要因である可能性は高いが、要因の種類が違う。誰かの明確な意思が働いている。

 虎次郎は最初から事故ではなく事件であるという予測をしていた。警察も事件、すなわち殺人事件として捜査を進めているとのことだから、今のところ、その読みは正しかったといえる。

 車から脱出した方法について、蒲山店長に意見を訊こうか考えたが、実際に車を見たのは一瞬だということだったので、その考えは頭の隅に押しやった。

「そうそう、死んだ女の子、……ああ、名前……ってこのくだりもういらないですね。彼女がクスリやってた人の第一発見者だったらしいですよ」

「それなら新聞にも書かれてましたね」

「そうなんすか? いやあ僕新聞読まないんで……てかとってないですし」

「その記事には、麻薬取引組織の幹部である芦田渋の第一発見者はもう一人いた、という書き方をされていたんですけど、何かご存知ないですか?」

「ああ、これも何百回も訊かれました」

 蒲山は笑う。つられて虎次郎も声を出して笑った。

「えっと……。知らないというのが、僕の見た限りなんですが。確かに一緒にいた人がいたみたいですよ。これはバイトの子が言ってたんですが。なんか特徴的な恰好をしていたとかしていなかったとか、なんとも要領を得ない感じでしたね。特徴的ならちゃんと覚えていない方がおかしいのに。それも服装が特徴的だった気がする、って言うんですよ。いや、うちでバイトしてるんやからそこはもっと余計に覚えておいてよって思いました。そもそも男だったのか女だったのかすら分からないって言ってました。そんなことあります? いやあ、そんなカバちゃんみたいだったのかなあ、なんて」

 自虐を言って彼は微笑する。

「お役に立てず、申し訳ございません、までがセットです」

「なるほど」

 虎次郎は頬を押し上げて考える。

 性別すら分からなかったというのは新情報だ。

 新聞記事には、女の子、としっかり書かれていた。「マイルドリンゴ」の隣のレディース服専門店の店員がそう証言したとのことだった。後で行ってみようと思った。

 これは捜査上のブラフなのだろうか。

 「マイルドリンゴ」のバイトが言っていることが正しいと仮定して、本当にあるだろうか?

 性別が分からないことはあり得る話だ。職務質問をした際も、男性と思って声をかけたら女性だったというケースはたまにあった。ファッションも多様化した現代、中性的な顔立ちで、中性的な格好をした人は珍しくない。

 ただ、特徴的だった服装を覚えていないというのは引っ掛かる。

 おそらくそのバイトの子が老人で痴呆が始まっているなどということは無いだろう。蒲山店長がその話を訊いたのはいつか分からないが、多く見積もっても一週間も経過していない。

 それなのに記憶に残っていない。

 事故のショック……?

 確かに可能性は高い。いや、むしろそれ以外考えられない。

 今回の事故では四肢切断のような、おぞましい様相ではなかったものの、大きな血だまりが形成されていた。また、自分も被害者になる可能性があったことは間違いなく、恐怖心が増幅されてもなんら不思議ではない。その影響は、普段人の死に出くわさない人々にとって計り知れないだろう。

 特徴的な服装。下着同然だったのだろうか。しかしそれだと性別が分かりそうなものだ。原色のみを使ったカラフルな服装。目がチカチカして嫌になりそうだ。

 これ以上考えても、虎次郎のもつファッション知識では何も生み出されないと判断した。

 最も重要なのが、被害者である四十万と一緒にいた、というところだ。

 知り合いか、違うのか。先ほどの蒲山の口ぶりから判断するに、彼、彼女はその場から消えている。だとすると知り合いでない可能性の方が高そうだ。

 偶然、麻薬取引組織の幹部が刺されているところを発見した四十万に出くわし、彼女があまりに取り乱していたため、精神的な看護をしていたかもしれない。

 いずれにせよ、この問題は後で考える必要があるようだ。

 虎次郎はマネキンにかけられたスーツを見て、あ、と言った。

「そういえば、こういう聞き込みみたいのでも何でもいんんですけど、怪しいなというか、何かおかしいなって人物が、この一週間で訪ねてきませんでした?」

 彼は今回のような事件の場合において、犯人は現場に戻ってくるケースが多いことを知っていた。刑事という職業に興味を持って以来、趣味でこれまでの様々な事件を調べていた時期があった。

「いやほんと、誇張でも何でもなく死ぬほど多くの人を相手にしてますからねえ」

 そういって蒲山は考え込む。

「怪しい……ですか……? 大概の人が眉間に皺を寄せた強面ばっかりでしたし、記者の人でさえも雰囲気良くない人達ばっかりでしたし。あ、そういや高校生来ましたよ。探偵の真似事だとか何とか言ってましたね」

「高校生……? それは本当に高校生だったんですか?」

「明らかな学ラン姿ですからね」

「へえ」

 虎次郎は何かが引っ掛かったような気がしたが、それが何か分からず先を促す。

「や、ほんと刑事みたいな質問ばかりでしたよ。仕舞いには裏の狭い道でクスリやってた人が殺された時、あなたは何をしていましたか? っていう、アリバイなんかも訊かれちゃいましたよ。いやあ、事件のこと訊かれるのがほとんどで、僕自身のことなんて誰も訊いてこなかったですからね、印象に残ってるんだと思います」

「ああ、それは逆に刑事の方に問題がありそうですが」

 事件に関係のないと思われる人でもアリバイは確認する、というのが捜査では基本ですよ、という言葉を飲み込む。

 高校生……か。

「それは男性でしたか?」

「そうですよ」

「間違いなく?」

「断言します」

「学ランだからって決めつけてないですよね?」

「それ言い出したらキリなくないですか? 分からないですよ、誰も」

 確かにそうだ、と苦笑する。決めつけるのは良くないと、あらゆる可能性を考え、疑うことは重要だが、やりすぎもまた良くない。前に進めなくなってくる。どのようにバランスをとるかはセンスでしかない。

 それにしても、今時高校生探偵とは珍しい。少年時代に流行った漫画・アニメを彷彿とさせる。いや、今時、と言い切れるかは微妙だ。これまで現実に出くわしたことがないし、実際にいたと聞いたこともない。奏虎次郎の歴史には、架空の登場人物でしかない。

 せっかく初めて、運良くか悪くか伝え聞いたのだ。是非お目にかかりたいと思った。

「ところで……こんだけ喋ったんだから、何か報酬みたいなもんは……」

 蒲山蒼汰は例のはにかみを見せた。

「ああ、そうですね、十着ぐらい買っていきましょうか?」

 蒲山は絶句したが、すぐに店長の顔になった。

「本当ですか? 助かりすぎます」

 本当に久しぶりの客なのだろう。最上級の接客だったように思えた。

 彼自身、一人で外で服を買った記憶はなかったが、こんなに尽くしてくれる店員に出会ったことはなかった。彼以外に客がいなかったから、と言ってしまえばそれまでなのだが。

 支払いをカードで済ませた後、蒲山が社交辞令の口ぶりで言った。

「そういえばお兄さんって何やってる人? 今更やけど」

 いつの間にか、完全に店長と客という構図になっていた。

 いつの間にか、お兄さん、と呼ばれている。実際に年齢的にもそうなので違和感は無いのだが。

 彼はいくらか逡巡した。

 本当のことを言うべきかどうか。

 そもそも本当のこととは何なのか。無職。紛れもなく正しい呼称だ。しかし何となく憚られた。

 元刑事。現在の自分を隠す表現だ。悪くないが、次に警察がこの店に調査に来た時に蒲山は混乱するかもしれない。

 京都県警の事件関係者とは顔を合わせているのでさほど問題にはならないだろうが、この事件のために警察を辞めたとなれば、普通の感覚では理解不能だ。

 探偵。……探偵。

 繰り返してみてより強く違和感を抱いた。しかし思い出す。彼が警察を辞める決心をしたのは、公務員への反発が一つあった。サラリーマン時代と大して変わらない関係に辟易したのもある。しかし何より、事件を「正しく」解決したい、想いが叶わなかったからではなかったか。その想いを叶えるためには、ひょっとすると探偵が最も相応しいかもしれない。

 だがどうもしっくりこない。

 それは間違いなく、彼自身の持つ探偵像と自分がかけ離れていたからに他ならない。インバネスコートに鹿追帽。まさにシャーロック・ホームズの見てくれがそれだ。また、年齢も定年を迎えたくらいの人、というイメージがあった。

 しかし現実に高校生探偵がいると聞かされたばかりだ。虎次郎の中での探偵像は薄れつつあると言っても大げさではない。

 色々考えた末、答えは出そうにない。いやあ、という長い感動詞も限界を迎えつつある。

 結局高校生が頭から離れず、不本意ながらこう答えた。

「ただのしがない探偵、と思っておいてください」


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