4
正面に見慣れた灰白色の建物が見えてきた。二階建ての全国有数の大きさを誇る図書館である。その姿は西洋かどこかの厳かな洋館を連想させる。
自動ドアを抜けると、書物の匂いが鼻腔を震わせた。
冷えすぎている空気が全身を纏い、鳥肌を作って身体が拒絶反応を示した。
いつものように三十分かけて歩いてきた。
私はこの歩いている時間が一番好きだ。考え事をするときはいつも歩くようにしている。机の前に座って何か考えることができない。本を読むことや、文字を書くことはできても考えることができない。だから数学がとても苦手である。
高校では管理会計という授業がある。基本的には座学なのだが、パソコンでデータを作成することもあり、これがまた非常に苦手だ。
高校卒業後は社会に出るつもりだった私は、中学三年生の時にどこの高校に進学するかはほとんど決めていた。就職に有利だから、商業高校へ。それは既定路線だった。
しかし既定路線だったにも関わらず、就職を考えていると告げると両親は反対した。
今の時代は大学行かないと将来に困るから、と強く進学を勧められた。高校受験の時はまったくそんなこと言ってなかったのに、おそらく近所のおばさん達に言われたのだろう。高卒で就職する人はそれほど珍しくない。なのに、私のほとんど関係ない、それも小さなネットワークから得た情報一つで、私の考えをひっくり返そうとするのだ。
私は私の意思で商業高校への受験を決めた。
確かあれは、中学三年の二学期末。担任の先生と母親と私との三者面談が行われる前日だったと記憶している。
私が塾から帰ると、二人は夕食を食べていた。
普段は二人ともこんな時間に帰宅していることはそうそう無い。特にこの頃、母親は私に手がかからなくなってきたからと、仕事に完全復帰していた。私がまだ小学生の頃などは、私が心配なのか、三時か四時には仕事を終えるという中途半端な復職だった。リラックス制度かなんか、そういう類の制度があるらしい。早く家に帰ることでリラックスできるから、という所からきているのだろうか。
父親に関しては、どのような仕事をしているのか、未だによく分かっていないのだが、サラリーマンらしいということだけは知っている。いつも仕事で日が変わる頃に帰ってくるのもザラだった。昔から子供が苦手なのか、女の子が苦手なのか、仕事が休みの日でもどこかに連れて行ってもらった記憶はほとんどない。まして、どのような会話をしたかも、思い出せるのは数個しか持ち合わせていなかった。だから必然的に図書館に通う頻度が増えたのかなと思う。
二人はいきなり本論に入った。
明日三者面談だ。進路はどうするのか。まさか働くなんて……と言って両親は顔を見合わせて笑った。反抗期を過ぎてはいたが、この時点で既に両親に対して嫌悪感を抱いていた私は、水商売をするとでも言いだしてやろうかと考えた。普通に考えれば反対されるだろうが、仮に賛成されて強引に背中を押された時に断らないといけないのが嫌だったので、胸にしまっておいた。
私はずっと決めていたことを話した。
加えて高校を卒業してからは大学には行かず、就職したいと。
その時に母親は
「大学なんて頭の悪い人間の行くところよ。お金しかかからないし。どうせ入学できてもロクに勉強もせずに遊んでばかり。サークルがなんだ、バイトがなんだって言ってる人ばかりだものね。だからあなたのその選択は正解だと思うわ」
と、ニコニコ顔で熱弁していた。一方父親も
「そう、かーちゃんの言う通りだぞ。現に俺だって大学行ってないけどしっかり働けているし、家庭も築けている。逆に大学行った奴の方が固定観念に縛られて柔軟な発想ができないもんだ。しかもそういう奴らに限ってプライドも高く、こっちが仕事を教えようとするまで黙ってるんだな。自分から教えて下さいと頭を下げられないんだ。その反面、高卒組は全然違う。若さゆえの積極性があるというかな、何も恐れていないんだ。そういう人ほど早く職場に溶け込むし、円満な人間関係を作り上げる。大卒が悪いと言ってるんじゃないぞ。そんな決めつけはしない。ただ、俺が見てきた中では高卒の奴ほど使えることが多いってことだ」
ここまで言っておいて、三年足らずでこの変わりようである。私は怒りを通り越して呆れていた。父親の意見はまだ聞けていないが、必ず母の意見に同調するだろう。いつも「かーちゃんは俺がいないと生きていけないからなあ」と口元を上げているが、そんなことはない。むしろ逆である。母親が怖いのだ。何をするにしてもチラチラと母に目を向けている。母は気付いているか知らないが、私は小学生の低学年の頃から気付いていた。自分の意見を言った後で必ず母親に視線を送る。微小でも表情に変化が見られれば、「というのは冗談で」という言葉を繋げるし、その通りと言われると、天を見上げるかの如く胸を張ってみせる。
母がいなくなったら父は寂しくすぎて、兎のように死んでしまうのではないかと、時々本気で私は考えてしまっていた。
同じようなことを母親もしている。父親に対してではなく、ご近所様方に対してだ。理由はきっと同じだろう。自分に自信が持てない、それだけだ。自信がないから、他人にすがりつこうとする。その意見こそが世間の意見だと信じ込み、すがりつく。
人の目をそこまで気にして一体何になるというのだろう。人の言葉を信じ込んで、流されて、一体何が楽しいのだろう。
その上で人の意見が間違っていた場合は、その人のせいにする。父親に関しては、母に嫌われたくないだけかもしれないので、それはないと思われるが。少なくとも母は悪者扱いする。料理番組で美味しそうだったからと、特製の野菜炒めを作った時もそうだった。味の感想を求められたので、あまり美味しくないと伝えると、母も同時に口に運んだ。次の瞬間、しかめ面になったかと思うと、「こりゃ駄目だ。どうしてかな、テレビで言ってた分量通り作ったのに。あー腹立つ。多分、テレビの表示が間違ってたんだわ。平気でこういうことしてくるからなあ。そういうところが駄目よね」とブツブツ言っていた。
後から母が録画していた番組を観て分かったことだが、胡椒の量を入れ間違っていた。画面に映し出されているのは「少々」だったが、母が転記したと思われるメモには「小さじ一杯」となっていた。おそらくだが、母は一振りと書きたかったのだろう。少々と書かれているのは、一振りか、二振りだと母に以前教わったことがあり、自分がメモをする時にはそう書きなさいとも言われた。もし母も同じようにしているのならば、かなりこじつけになる気もするけれど、一繋がりで、一振りと、一杯を間違える可能性は否定できないと思った。
このような失敗を何度も繰り返す。
しかも失敗が自分起因でないと信じ込んでいることが厄介で、同様の失敗は減る気配がない。反省など全くしないのだから当然だ。
私はこんな両親が嫌いで仕方がなかった。ここへきて大学に行けと言われても、勉強なんてほとんどできないし、行ける気がしない。短大や専門学校ではなく、四年制大学を勧めるなど、経済面はどうするのだろう、と思う。
だから私は、高校から知り合った友人には、両親はいないと告げていた。知られたくなかったし、誰とも会わせたくなかった。その友人には思い出したくないから、など適当な嘘をついて、中学以前の友人の前で何か話されないように工面した。
実は学校の先生にも、私の親はいないことを周囲には告げたと話をした。唯一、親あるいは親戚が必ず顔を出さなくてはならない三者面談の日も、わざわざ日曜日の日が暮れて以降といった、誰にも会わない時間になるように頼み込んでいた。
当然最初は反対されたが、震えて泣きながら説明すると、先生も渋々であるが納得してくれた。そんな訳もあってか、三年間担任の先生は変わらなかった。
高校の教員をも動かしてしまう私の両親って一体……と苦笑してしまう。
先生には、反抗期のこじらせすぎと揶揄され続けたが、今ではそれも笑って話せるようになっていた。もちろん、私と二人きりの時間以外で両親の話をすることはなかったのだが。
しかし一方で、母親は私の学校での様子を知りたがった。顔を合わせるたびに、テスト大丈夫? や、友達との関係はどう? や、彼氏できた? など、一気にまくし立てた。
私のことを心配してくれているのは重々認識できているが、私のことを近所のおばさん連中に報告するのは目に見えている。何よりもそれが嫌だった。そしてどこかで出会えば、そうそう聞いたわよ、というように私に話しかけてくるのだ。母はもちろん、このおばさん連中もそうだ。どうして他人から聴いた話を、さぞ自分が何か成果を残したかのように自慢げに話すのだろう。話しかけられる度に、その思いと緩く首を絞められているような、脅迫されている観念に取りつかれるのだった。
結果的にこれらの出来事が私を図書館に向かわせるトリガーになったことは明白だ。自宅から徒歩三十分の距離。行きが傾斜のある坂を上ることになるので、自転車は使いたくなく、歩いていくことが定番となった。
わりかし近所にある図書館とはいえ、静かな場所だからだろう、おばさん連中は一度も見かけることはなかった。勝手な想像だが、図書館なのに煩く話し過ぎて追い出された過去があるかもしれない。
二階のカウンターでこれまで借りていた本を返し、小説コーナーに身体を滑らせた。親子連れで来ている母親の方が私を見て目で何か訴えてきた。どうやら鼻歌を歌っていたらしい。図書館に来ると、舞い上がってしまうのかそのような傾向があることは自分でも分かっていた。しかしなかなかその癖を止められなかった。
これまで何冊読んだか覚えていない。でも内容は全部覚えている。
記憶のメカニズムがどうなっているのか非常に疑問だ。学術書で勉強しようかと考えたことはあるが、これでもかと眠気が襲ってくるので諦めた。数字が絡んでくると記憶できないのだろうと勝手に思っているが、詳しいことは分からない。
夏休みに入ったこともあって、いつもより多めに借りようと思った。
どうせならいつもは読まないジャンルも良いかもしれない。ただし、やはり学術書は御免だ。
本を手にとっては背表紙のあらすじを読んでは戻しを繰り返した。
特別好きな作家はいない。大体ジャンルで選んでいる。
主に冒険小説や時代小説が好きだ。それに恋愛が絡み合ってくると尚良しである。
二十分弱悩み、私はカウンターに急いだ。予定していたよりも迷っている時間が長かった。
七冊もの本をドサッと積み上げる。
六冊は冒険やファンタジーものの長編小説だったが、一冊だけ「面接の極意」と書かれた、三百ページほどになる就職活動用の本も選んだ。
一週間ほどまえの夕暮れ、私は進路相談という名の三者面談に挑むため、母と一緒に電車に乗っていた。相談といっても、普通の人にとっては決定事項の確認の意味合いとなる。私の通う商業高校ではそれが顕著に現れる。
これでこの時間帯に母親と電車に乗るのは三度目になる。おろらくこれが最後だろう。
他人を装いたかったが、母は積極的に話しかけてきた。やけに進路の話題が少なかった。
「今度はどこで地震が起きるのかな」「昨日京都で大きな事故があったらしいよ」「あなたの学校の近くにカフェできたらしいね。行ってみた?」というような、一体全体何を聞き出したいのか分からない質問。
私は、うん、そうね、いや、わかんないという最小限の語彙で返答した。
母はそれを、三者面談から来る緊張と受け取ったのか、
「私はあなたの味方なんだから、そんな心配しなくていいのよ」
という励ましをくれた。
もしもここで全力で母を殴って電車から降りたらどうなるだろう? とシミュレーションしてみた。対価として得られるものの大きさに、一瞬真剣に考えそうになる。
とはいえ、やはり母親だ。今後のことを考えれば、高校卒業までは穏便に済ますべきなのだろう。
肝心の三者面談が始まってからも、しばらく母の世間話の時間が続いた。
もちろん先生は休暇、それも日曜日の午後、家族団欒であろう時間を割いて私のわがままを聞いてくれている。母にはこの日、この時間に面談をする意味を説明していないので、これが普通だと考えているのかもしれない。しかし、である。先生の立場に立てば早く面談を終わらせたいことぐらい、少し考えただけで分かりそうなのに。そうでなくても大人なら少しは気を遣うものではないのかと、申し訳程度にため息をついた。
呼吸と遜色ない音量だったが先生はそれに気付いたらしい。
いきなり母の話を咳払いで遮ったかと思うと、これまでニコニコ顔で相槌を打っていた人とは思えない程、渋く、そして全ての真理を悟ったかのような表情になった。
続くのは母を憎んでいた私でさえ、耳を覆いたくなるような罵声。
怯みもせずに繰り出される母の反撃。
二、三言い合いが続いた後、
「あなたの人の気持ちを分かろうとしない、自分中心の考え方がこれまでどれほど彼女を傷つけてきたか分からないんですか?」
淡泊そうにみえる見た目からは想像もつかない低い声だった。
母が返答に一瞬窮した、コンマ数秒の間でさえも私にとっては苦痛以外の何物でもなかった。
迷うことなくその場から全速力で逃げ出した。
ここから先はしばらく覚えていない。
次に自分を認識できたのは、小さな公園だった。
私は滑り台の上で、星を眺めていた。夏用の制服だったが、全く寒いとは感じなかった。まだまだ夏が続くということだろう。スカート越しに金属ならではの冷たさが伝わってきて気持ち良いとすら感じた。
幼少の頃、同じように滑り台の上で座っていたことを思い出す。あの時は確か、母親も一緒だった。
もっと遊んでいたいと、暗くなっても帰りたくないと駄々をこねる私の手を、母は優しく引っ張って笑顔で家まで連れて帰ってくれた。
あの頃にはもう戻れないのだ。見た目こそ大きく変わっていないが、中身は大きく変わってしまった。もしも今の母親があの頃に戻って同じ状況になった時、当時と同じ行動をとるだろうか。大いに疑問だと私は思った。
私はどうだろう。
見た目は当然変わったし、内面も、戻れないほど変化してしまった。
変わらないものは、何一つしてない。この状況は当然のことなのか。
心臓がキュッとして、目から耳に向けて涙が流れた。一度流れてしまえば、後は跡をペンでなぞるように次から次へと涙が走っていく。当たり前のことだと割り切った途端に、どうして涙が止まらなくなるのだろう。不思議で仕方がない。
「あの……」
突然の声に驚き、滑り台の横から転げ落ちそうになる。
「わ……ごめんなさい……驚かすつもりはなかったんです」
夜の公園で泣いているときに男性に声をかけられて驚かないわけないだろうと私は憤慨した。しかし口には出さない。
「はい、どうかしました?」
相手の声が幼さを帯びていた為、私は気を楽にして答えた。
「あ……あの……」
逆光のせいか相手の表情は見えない。しかしわなわなと動く両腕と、言葉が出てこないところから焦っているように思えた。
私は彼の言葉を待った。
「えっと……あ、あの、僕と付き合ってください」
「はい?」
「え……いいんですか?」
「違う違う! 訊き直しの『はい』だから」
この後具体的にどんなやりとりをしたかは覚えていない。ただ、最初から相手のペースに巻き込まれていたことは間違いなく、その勢いもあってОKの返事をしたことは確かだ。
私はこれまで誰かに告白したことも、されたこともなかった。人を好きになったことはあるけれど、周りには自分より可愛い子がいっぱいいて、自信を持てず、気持ちを心にとどめていた。ましてや自分に自信がないから、告白されるなんてことも考えもしなかった。
もしも学校内で、放課後に呼び出されて同じことをされていたら断ったかもしれない。どうして私を? と何度も問い詰めていたかもしれない。冷静に彼の言葉を聞くことができなかったかもしれない。とにかく私は自分の容姿に全く自信がなかった。
公園で私に告白した少年、といっても同い年らしいので、この表現はしっくりこないのだが、彼はずっと私のことが気になっていたらしい。
彼の通う私立高校は、私が通う高校と同じ市内にあるものの、JRの駅で二つほど離れていた。通学で使用する電車は同じなので、その中で見かけたとのことだった。
私は、私のどこが好きなのかを知りたいとは思わなかった。
ただ、あの状況で声をかけてくれたという事実。
たとえ好きな人とはいえ、夜の公園で一人涙に暮れている人間を見て、話しかけようとは思わないだろう。あの時の彼の勇気には、地球最後の日になったとしても、私には並ぶことができないと思う。
それと、私が泣いている理由を一切訊いてこなかったこと。
そんな中で時折顔を出す心配そうに私を見る目が、どれだけありがたかったことか。
どんな会話をしたかは覚えていないけれど、何ともいえない彼の優しさに惹かれいたことは間違いない。
それに、どことなくかっこよかった気もする。声色と反して、大人っぽい一面が言動の節々に見え隠れしていた。
連絡先を交換して、公園から家までの半分くらいはスキップしていた。小学生以来やっていなかった割に、とてもうまくできた。スキップに上手、下手があるとは思えないけれど、美しさを競う大会があれば上位に入れたはずだ。
彼と出会って三日後。ようやく彼から連絡がきた。
私はずっと公園での出来事が信じられず、自分から彼に連絡することができなかった。
メールの宛先欄に『彼』と表示された時、本当に飛び上がってしまう程嬉しかった。あの出来事が夢ではなかったのだと胸をなでおろした。
あの日以来、母親とは口をきいていない。
帰宅時に家の玄関に鍵はかかっていなかったし、勘当されたわけではないと悟った。
私は勝手に、担任の先生が何かしらの便宜を図ってくれたのだろうなと想像した。もっとも世間体を一番に気にする人だからかもしれないが。
父親とは昨日の夜、喉が渇いて台所を覗いたときに出くわした。いつものように一人でプロ野球速報とピーナッツを肴にビールを飲んでいた父親は、大きな咳払いをして、「そういえば進路どうすることになったっけ?」とテレビに顔を向けたまま言った。
どうせいつものように母にけしかけられたのだろう。
無視するわけにもいかないので「大学に行こうと思ってるよ」と嘘をついた。
父は遠慮がちに「そうか」とだけ答えた。
その返事だけで私は嘘をついた価値があったと思った。
しかし今や、来年から大学に行くことになろうが、就職することになろうが、まして高校に行かずに卒業できないなんてことになろうが知ったことではなかった。
彼と出会えた。彼に告白された。それさえあれば、他に何もいらないとすら思えた。
今の私にはそれだけで十分のように思えた。
一人の人間が持てる「幸せ」の量が決まっているとすれば、これ以上の「幸せ」を掴むことはできない。私だけがここまで「幸せ」を感じて良いものだろうか。
携帯で時間を確認すると、約束まであまり余裕がないことが分かった。
仕方がない、バスに乗るか。
歩く時間が好きなので、これまで一度も使ったこと無かったけれども。
そもそも一人でバスに乗るとなると、人生初かもしれない。校外学習や遠足で五、六人でバスに乗る機会はあったが、なんとなく前にいた人に倣っていたのでちゃんとした運賃の支払い方法が分からない。
まあ、なんとかなるだろう。
もうすぐ彼に会えるという期待が強く、ほとんどのネガティブな感情は奥へと追いやられている感じがした。
そういえば、彼の名前を聞きそびれていた。
苗字で名乗られたような気はするけれども、やはり覚えていない。
会った時に訊いてみようか。
それだと相手に失礼だろうか。
「なんて呼べばいい?」
会話のきっかけしてはおかしくないだろう。
「ていうかなんて名前だっけ?」
こう訊けば、相手が緊張していればまず苗字で名乗るだろうし、
「いや、苗字じゃなくて名前をね……」
という流れになれば理想だ。
会うことが楽しみすぎて、シミュレーションが止まらなくなってきた。これを妄想と呼ぶ人もいるらしい。妄想という言葉がプラスの意味で使われるとは知らなかった。
本当にこの世には私の知らないことがまだまだありすぎる。
彼のこともそうだ。
これまで読書をする中で、百人単位の人たちの生き様を見てきた。そんな単純に分類できるものでもないが、どういった人間がいるのか、何となくわかったつもりでいた。けれどそれは幻想だった。世界中の人達を一括りにするなんて、到底できない。
新しいことにどんどんチャレンジしていきたい。
確かに、大学に進学するのも悪くない。就職したらしたで、それも新しくて楽しい経験になるだろう。どうなろうが、挑戦したかどうかにこだわりたい。
三日前まではこんな前向きな気持ちになれるなんて考えられなかった。全部彼のおかげだと思う。
だから早く『彼』ではなく、本当の名で呼びたい。




