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黒と黒のコントラスト  作者: じっぴー
第三章
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2

 翌日の午後、虎次郎は土曜日に変死体が見つかった草むらに向かっていた。

 昨日の午後から岬結良について調べていたが、ずっとデスクワークで身体が重々しくなってきたので外に出ようと考えたからであった。

 自転車を借りて一人で行こうとしたところ、水雲に呼び止められた為、結局水雲の運転でパトカーに乗ることになった。

 十五分ほどで現場に到着した。既にあるパトカーの横に並ぶように停められた。虎次郎はありがとうございましたと言って外に出る。

 例年よりも早めの梅雨明けだったことと、連日の猛暑もあり、とても暑かった。虎次郎自身はクールビズだったのだが、現場で仕事をしている数名の捜査員の中にはきっちり長袖を着ている者もいて、大変だなあとどこか他人事に思った。ただ、琵琶湖のおかげで他県に比べて夏は一度か二度、平均気温が低いと聞いたことがある。おそらく鳥谷寿至からの情報だろう。もっとも幼少の頃から住んでいるので、そのような自覚はない。ただただ、夏は暑く、冬は寒い、そんな日本人の平均的な感情を持ち合わせていると考えている。

 風が全く吹いていないのも、この暑さに拍車をかけているようだ。

 水雲は煙草を吸ってから行くと虎次郎に伝えた。

 まず虎次郎は遠目から準備していたカメラで現場を撮影した。黒のハンディカムだったので、日光に当たりかなり高い温度になっていた。次に草むらに入っていく。こういったケースで刑事が直接現場に行くことはほとんどない。ドラマではよくある話だが、証拠となる物や手がかりとなる物が残っている可能性が非常に高く、専門家でない刑事が現場に立ち入るとそれらを消してしまいかねない。その話を刑事になってから聞いた時、なるほどなと思った。しかし同時に、本当にその方が良いのか、という疑問が沸いてきた。最終的に事故であれ、自殺であれ、捜査一課である自分たちが解決する問題である。直接自分の目で確認しておかないと浮かんでこない考えも多くあるだろう。また、捜査員任せにしてしまうと、本当に自分の欲しかった情報が入ってこないケースもあるのではないかと思う。それを放棄するのは責任という観点、あるいは刑事としての自覚という観点から、どうも腑に落ちない。

 日曜日の京都で起こった事件でもそうだった。殺人現場である路地裏には入らせてもらえなかった。彼自身、死体を見ることすらできなかった。自動車事故の方も、一見暴走した車が起こした「事故」であると見られた為、虎次郎に見学の許可が下りたものの、最初から殺人であると断定されていれば、当然立ち入りは禁止だっただろう。一般人と同じようにキープアウトと書かれたテープの後ろから見ているほかなかった。もっとも地域課の波須川のルールに対する無頓着さが生んだ結果である可能性は高いのだが。

 一通り写真に収めた後、虎次郎は見張りをしている捜査員に近づいていった。長袖を腕まくりしている。

「お疲れ様です」向こうから先に声をかけてきた。

「上司の許可はどうなっていますか?」捜査員はにっこりと質問する。

「上司……の許可はとってませんが……あ、水雲さんがいます」

「水雲……さんですか、それやったら十分上司になりますよ。何しろ僕たちの期待の星やからね」

「……どういうことですか?」

「ああ、同期なんですよ。僕なんかはここではまだ下っ端やけど、彼は既に警部でしょ? ありえない出世の早さに『中学生が権力持ったらどうなるか今にわかる』って同期内では揶揄されることも多かったんやけどね。僕はもう尊敬もなんの、敬う気持ちしか持ってないから」

 捜査員は手を合わせてお辞儀した。

「おーい、死んでへんぞー」

 署内の自販機で買っていた水を片手に水雲が歩いてきた。

「おお、水雲さんやないっすかー! 元気してはりました? あ、これは感謝してもしきれへんってのを表してるってことですよね。敬意を示す最大限の姿勢です!」

「まったく……」

「あ、すいません……。私そろそろ向こう行ってきますんで」虎次郎は割って入る。

「おお、僕はこの馬鹿と話つけておくからゆっくりどうぞ」

「いや、それ、警備やってる僕のセリフですからね」

 虎次郎は仲良し同期二人に一礼し、現場の草むらへと歩いた。

 見張り捜査員の名前は確認しそびれたが、水雲の同期と言われて、初めて納得できる人と会えたと思った。これまでに見知った人たちは皆、三十歳前後とは思えないほどの貫禄で、これまで何度死線をくぐり抜けてきたのだろうと思案するほどだった。子供の頃に想像していた三十歳は、おじさんで、なんでも知っているという風に思っていた。しかし現実はまったく違うように感じる。虎次郎自身、なんでも知っている、つまりこの世の全てを理解できるなどと、到底思わないし思えない。実際に三十歳の水雲、あるいは先輩たちを見ていると、こんなものか、という気さえしてくる。もちろんそれは、馬鹿にしているだとか、低レベルだとかそんな類の話ではない。

 結局は、自分が変わっている、変わってしまったのだと推測する。

 いざ後二年足らずで、想像していた場所に自分が立つとなると、足元がぐらついていてあまりに不安定すぎる足場に目眩がしてくる。目眩を起こしてしまうと、深くに落ちてしまうので注意深くなければならない。

 かつては三十歳までにいかに安定して、崩れない足場を作れるかが大事だと考えてきた。しかしその考え方は変わりつつあった。それはすべて、あの事件に起因している。直接彼には関わっていなかったが、それまでの仕事を辞める決心をするのに十分な事件だったことは言うまでもない。

 変わってしまったことが、悪いことだとは思わない。むしろ変わって良かったとさえ思う。

 そして何よりも、変わる機会があったことを、幸福だと思う必要があると考える。もちろん何をしないでも、時間が過ぎれば周囲が変化し、結果、自分もその変化に対応する形で変わっていく。それを勘違いして自分が変わったと錯覚してしまうことが怖いのだ。

 そんなことを考えながら高架の写真を撮っていると、突然話しかけられた。鑑識課と言ったらこの人との呼び声の高い、萩野という男だった。

「刑事君……えっと奏君やな? もしかしてこれも、殺人って考えてるんとちゃうやろな?」

「殺人とまではいかないですけど、単なる自殺ではないと思ってますよ」しかし微動だにせず、淡々と答えた。

「そうやろな。そうじゃなかったらこんなとこ来るはずないしな。まあほどほどにしなさいな。あんたんとこの上司、あれには敵わんからなあ」

 虎次郎は、どうも、と微笑んだ。「あ、その……まだ何も見つかってないのでしょうか?」

「まあ……そうやな。半年前の死体やったていうのがなあ……。持ってる情報ってのは少ないと思うなあ」

「ですよね……」虎次郎は下唇を突き出した。「ちなみにですけど、萩野さんは自殺だと思われますか?」

「自殺ちゃうやろ。って俺の勘が言ってるだけやけど。でも表向きは自殺で終わりそうな気がするな。水雲さんはまだしも、塚崎さんはそっちで進めたいんやろう?」

 萩野はズバッと言った。なんとなく清々しい気持ちになった。

「普通に考えてみいな。どうやってここ登る? 俺は当たり前に無理やし、奏君でも無理やろ?」

「私はちょっと運動不足ですからね……」

 萩野は苦笑いして額に手を当てた。「いずれにせよ、女性でここ自力で登れるのはボルダリングとか体操選手とかそういう類の人やないと無理やで。しかもそういう人らが道具を持っててこそや。さすがに自殺はないやろ」

「そう……ですよね……。報告書どうまとめたらいいんかな」虎次郎は最終報告に向けての資料をまとめる作業を思い、ため息をついた。

「もちろん、何も見つからへんかったらの話やから。俺らがなんとかするわ」

 萩野は最敬礼をした。虎次郎もそれに倣う。

「じゃあ、お互い仕事に戻りますか」

 虎次郎はよろしくお願いします、と言って再びカメラを構えた。

 確かに、萩野の言うとおりだ。虎次郎が警察に入って最初に感じた違和感を的確に表現しているように思えた。

 虎次郎はテレビや小説などをほとんど嗜まない人間であるが、刑事に対する印象は一般的なものを持っていると自負していた。自らが刑事になり、その印象は大いに変わった。変わったというより、ギャップからくる違和感に押し込まれていたという風だ。

 刑事といえば、目をギラギラさせた人間ばかりで、誰しもが上にいきたいと潰し合う、そんな印象だった。しかし現実はそんな人たちはごく一部で、ほとんどが役所などに務める「公務員」と同じだった。

 与えられた仕事を全うする。上から指示された仕事をそつなくこなす。この積み重ねで成り立っていた。

 もちろん優秀な人間はどんどん出世するが、出世に対して無頓着な人たちは基本的にそのような考えの為、着々と差が開いていく。

 いや、最も問題なのはその点ではない。

 虎次郎の思い描いていた刑事像は、事件を多く解決したいと考える人間であった。だがやはり現実にそのような人間はほとんどいなかった。直属の上司である塚崎もそうだ。

 実際に何を考えているのかは分からないが、少なくとも表向きは仕事を増やしたくない方向で事件に対して向き合っているように思えた。

 それは、県警に所属する虎次郎たちから見れば、県民にあたる人たちの、安全を守るという義務を果たしているのだろうか、と疑問に思う。

 いや、しかし、と思う。そもそも刑事の義務とは何なのだろう? 警察の義務は? 県民としての義務は?

 一度真剣に考える必要があるなと痛切に思った。

 虎次郎は時間を確認した。現場に到着してから三十分は経過していた。しかし水雲はまだこちらに来ない。きっと監視役として虎次郎について来たのだろうなと思った。

 その後、約一時間ほど現場周辺の撮影に勤しんだ。結局、水雲はその間ずっと、同期の警備員と話し込んでいた。

 現場から警察署に戻り、席についた瞬間、水雲と共に上司の塚崎に呼ばれた。


「外回りご苦労やったね」

 塚崎はまずもっとも平均的と思われる言葉を口にした。表情も非常に柔和で、優しく声をかけられたという印象だ。いつもの部下を叱る前兆である。

 そして沈黙。虎次郎はこの沈黙がとても苦手だった。それにいつにも増して長く感じた。

「とりあえず、水雲君。何か喋ることある?」

「いえ、ありません」水雲は即答した。

「そうか」塚崎はねっとりとした笑顔を作る。

「部下のミスは、上司のミス。これは当たり前の話やけど。今回の外回りは不要やと俺は思うんやけどなあ。そこんとこ水雲君、どう思う?」

 塚崎は質問を繰り返す。自分の意見を言った後で、どう思う? 一連の見慣れた光景だ。

 虎次郎は口を挟むか迷った。しかしそれは、水雲の優しさを踏みにじりかねないと思い、黙っていた。

「警視はもしかすると誤解されているかもしれないですが、私自身の考えでパトカーを出しました。それにこの外回りは価値があったと評価しています。理由は二つあります。まず一つ目。被害者の岬の自宅近辺で、外で洗濯物を取り込んでいた主婦がいたので話を聞きました。私を見て思い出したそうなんですが、この辺りに住んでいない学生がウロウロしていたことがある、との情報でした。事件……いや、変死体とは関係ないかもしれませんが、電話だけでは引き出せなかった、非常に重要な証言と考えます。何しろ私きっかけですから」水雲は自虐的に笑い、更に続ける。「二つ目は事件現場の状況です。警視も確認されたと思いますが、改めて被害者が自殺したとは考えにくい状況です。やはりあのアーチ状の防風壁、あれに登らないとあの高架からは飛び降りられません。それに命綱がなければ、プロのロッククライマーでもやりたくないと音を上げると思います。それを女性が……。不可能とは言い切れませんが、可能性はゼロに近いでしょう。改めて現場を見ることで、より細部まで目を向けることができたと考えます」

 嘘だ。虎次郎にはわかった。彼はずっと、同期の見張りと話していた。内容的には正しいが、それは虎次郎が報告書に書いていたが水雲に添削された部分の概略で、外回りで新たに仕入れた情報ではない。二つ目の理由も同様だ。添削される前の所感に虎次郎が書いていた内容とほぼ同じだった。

 塚崎は笑顔を崩さない。目尻や口元の皺がはっきり見える。明らかな作り笑顔だが、何年も蓄積された表情だからか彼を知らない人から見たらわからないだろう。

「なるほどなあ。でも二つ目のそれは俺らの仕事やないやろ? 鑑識に任せといたらええねん。素人が口出しして証拠になるはずやったもんが証拠やなくなった。いくらでもこれまでに見てきてるし、そうなる可能性もあったわけやろ? どう思う?」

 水雲は一瞬押し黙った。

「そうですね……私たちは鑑識のプロではないですが、素人でもないと思います。そういうミスが過去にはあったかもしれませんけど、私はするはずがありません」

 塚崎はほんのチラリと虎次郎に視線を移した。その動きに気づいたか定かではないが水雲は続ける。

「というより成果、すなわち、事件が解決できたら良いんやないのですか?」

 虎次郎は眉をピクリとさせた。水雲が塚崎に対して仕事の方針、あるいは結果に関する意見を言ったのは初めてではないかと思った。

「そういうことやないねんなあ、まだ若いわ」塚崎はよりねっとりと笑った。「そもそも事件という可能性を持って仕事してるところが若いねん。それは俺が判断するところで、君が決めることやない。言われるがままにやってたら出世できるんやから、水雲君ぐらいの実力があったら」

 虎次郎は内心ビクビクしていた。もしかするとどちらかが声を荒げるのではないかと訝ったからだ。二人の性格上それはありえないことだとこれまでは考えていたが、今日はどうもいつもと違う感じがした。

 それは特に水雲にいえた。完全に虎次郎の思いを代弁していた。まるでもう一人の自分を他人の中から見ているようで、少し気色悪かった。こうなってしまっては昨日の出世欲の話はなんだったのかという気さえしてくる。もっとも一度上司に意見を言ったぐらいで出世に関わらないのは明白なのだが。これまでなかったことだけに、戸惑いを感じているのかもしれないと虎次郎は自己評価した。

「まあ全然ええねんけどな、何してくれても。終わり!」

 結局塚崎は一度も笑顔を崩さなかった。

 水雲は失礼します、と礼をして虎次郎に目で休憩しようと促した。礼をして黙って後につく。

 虎次郎は塚崎の最後の言葉を考えていた。何してくれてもはどこまで含むのだろうか。文字通り受け取れば、必ず別の部署に飛ばされるか、相応の代償を払う必要が出てくるだろう。それが塚崎という男だ。

 部下のミスは上司のミス。この言葉の本質は、お前らのミスは俺のミスになるんだから精一杯行動には注意しろ、ということである。それはこれまでの彼のやり口から安易に想像できる。

 虎次郎は正式配属になってまだ短いが、周りからの話を聞く中でどういう男かはなんとなくわかっていた。

 塚崎を嫌いというほどではないし、そういう考えの人もいるのだろうな、という感情で接していた。それは今日の水雲の対応を見るまでの話だ。ねっとり笑顔の内側に隠されたどす黒い感情が、表立ってはいないものの沸々と湧き出ているようだった。それによっていけ好かないという気持ちが強くなったのは否定できない。

 だがどうして彼が上司にそのような態度をとったのか、とても気になった。しかし聞き出すつもりはない。何か考えあってのことだろう。

 「ラブモード」と「標準モード」に、「謎モード」が加わったのかと考えて、顔がほころんだ。


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