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黒と黒のコントラスト  作者: じっぴー
第三章
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「ちょっと奏君」

 全体の朝礼が終わった後で、水雲鶴もずくつるは囁くように声をかけた。

「昨日はせっかくの日曜日休みやったのに……また巻き込まれたらしいなあ」

「またって……これまでにありました?」奏虎次郎はハキハキした口調で聞き返す。

「あったやん。入ってきていきなり次の土日に」

「そうでしたっけ? 忘れました」

 奏虎次郎はそう言ったものの、当時のことを覚えていた。

「どうせ嘘やろ? 嘘つきは泥棒の始まりやで」

「本当ですって。水雲さん」

「まあええわ。とりあえず土曜日に見つかったあの変死体の書類は仕上げといてくれよ」

「わかりました」

 虎次郎はビシッと返事をした。

 水雲は虎次郎のペアの刑事である。階級は警部。三十歳。見た目はかなり幼く、普段の話し方もどこか間が抜けていて、頼りない感じもあるが、いざ事件の話をすれば顔つきや口調が大幅に変わる。仲間内からは「ラブ」と呼ばれていた。おそらく事件を愛しすぎているためだろう。

 捜査一課に配属されてから虎次郎は基本的には水雲とペアを組まされて仕事をこなしていた。当然役職も上で、上司と呼んで差し支えない続柄であるが、上司は別にいたので先輩と呼ぶのが相応しいと思っていた。しかし年齢も近く、まだほとんど「ラブモード」に入った水雲を見たことがないことから、マイペースな兄ちゃんという印象であった。そのため先輩ではあるが、何となく先輩とは思えない、良くいえば話しかけやすい人間だった。

 水雲の言った土曜日に発見された変死体というのは、今日から二日前にあたる七月二十三日に瀬田川沿いの草むらで見つかったものである。草むらといっても二メートルを優に超える高さの木々が立ち並んでおり、木が生えていないところには雑草が生い茂っている場所だった。死体はその木々に隠されていた。本来半年に一度、剪定が行われる決まりになっていたのだが、自治会がその草むらを管理する中で財政の関係から優先度を低くしたということもあり、ここ数年は一年に一度のペースに落ち込んでいた。例年は植物の活動が低調になるという理由から冬に行っていたのだが、今年は業者側の都合により夏に行われることになっていた。したがって一年半誰も立ち入っていないことが想像され、無尽に木々が生え、酷い様相を示していた。

 第一発見者は剪定業者の男性で、一年半振りの剪定とあってやる気に満ち溢れていたという。それは職人ならではの気持ちかもしれないなと虎次郎は思った。

 死体はダウンを着ており、またうつ伏せで倒れていたということもあり、最初は熊か猿が死んでいるのかと思ったという。数キロ離れた所には山があり、また、かつては山があったという土地ではあったが、住宅開発が進んでいたため、そのような動物が降りてくる可能性は少ない。しかし有り得ないことではないので、珍しいなと考えた。しかし最初毛皮に見えたものが衣服と分かり、人間だと考えを改めたらしい。 

 死後半年は経過しているものと見られ、死体の一部分は白骨化していた。

 業者の男はさぞ驚いたことだろう。虎次郎でさえもそのような死体を見たのは初めてだった。これまでも人間が人間ではない、ただの無機質な物質として捉えるしかできない状況に出くわしてきていたが、これほど強く物質だと感じたことはなかった。

 身元はすぐに判明した。ポケットに財布とスマートフォンが入っていたからだ。さすがにスマートフォンの電池は切れていたが、財布にマイナンバーカードが入っていた。

 岬結良みさきゆらという名の女性だった。年齢は死亡当時で、二十五歳。

 全国の行方不明者データベースで調べてみたが、ヒットしなかった。よくよく調べていくと、彼女は完全に独り身のようだった。家族、特に両親は幼少時代に交通事故で他界し、彼女自身はその事故で助かったものの、親戚にも引き取り先がいなかったことから児童養護施設に入所していた。

 中学卒業後は、自らアルバイトをしながら定時制の高等学校に通っていた。児童養護施設から公立高校に通うことも可能であるが、彼女は、断固拒否したらしい。国から助成金をもらうことは、高校生ではできない。もちろん一人暮らししていたのだが、その年齢で生計を立てるなど、到底できないと虎次郎は思った。

 家は、かつて両親が住んでいたところに住み始めたとのことである。当初は施設の人間が心配で何度も足を運び、手伝いを試みたものの、彼女は全て断ったとのことである。必ず一人で生き抜く、確固たる意思があったと施設の人間は証言した。

 やがて岬結良は、奨学金を借りて四年制大学に入学、卒業し、そして大阪にある印刷会社に就職した。

 しかし、やりたい仕事が見つかったと言って半年前に仕事を辞めていた。それが、今年の二月。厳密な結果は出てきていないが、死亡推定時期と重なっている。

 死因はまだ明らかではないが、頭蓋骨が陥没していたことから脳挫傷であると推察された。他に目立った外傷としては、手や足を三ヶ所ほど骨折していた。衣服の乱れはなく、また、財布は彼女の上着のポケットにしっかりと残っていた。他人と争ったような形跡は何一つ見つからなかった。

 死体が見つかった草むらはバイパスの高架下に位置しており、最初その高架から飛び降りたのではないかと思った。この考えについては、水雲をはじめとする上司も同意見だった。

 しかしその瀬田川を跨ぐような形で架けられている高架は、側面が円筒の上部百五十度をカットしたような形状の防風壁で覆われていた。つまり道路側から見ると、そり立つ壁のようになっており、忍者くらい身軽かつ運動神経が無いと道路側からは登れないようになっていた。それに、バイパスを歩いて移動することは考えにくい。もっとも自殺しようと考えている人間にとっては関係ないかもしれないが。

 ただ、与えられた条件から、単なる自殺とは思えないと虎次郎は考えていた。

 つまり、どこか別の場所で自殺した女性を、誰か別の人間が運んだ可能性は十分にある、ということだ。あるいは争った形跡が消えたような状態にしてから放置したか。現場からの情報が上がってこないと断言できないが、誰か別の人間の姿が浮かび上がってくるのではないか。

 この考えに拍車をかけているのが岬の経歴だ。会社を辞めた理由が、やりたいことが見つかったというのはよくある話ではある。実際に虎次郎もそうだったように。仮にそれが事実だったとすれば、自ら命を絶つ考えが起きるだろうか。これから新しいことを始めようと、意気揚々としている人間が人生の終わりを考えるだろうか。誰かが彼女の人生に関与した可能性が高いのではないか。

 報告書を書きながら考えていると、水雲に声をかけられた。

「奏君、一時回ったけど昼ご飯べへんの?」

「え? もうそんな時間経ってますか?」

 虎次郎は驚いた。想像よりも仕事に没頭していたようだ。

「相変わらずめっちゃ書くなあ」水雲は作成途中の報告書をしげしげと眺めながら言った。「所感を結構多めに書いてるところも相変わらずやけど」

「水雲さんは、まだ自殺だと思っておられるんですか?」虎次郎はずっと考えていた疑問を投げかける。

「可能性としてはそっちの方が高いと思ってる。まあ確かに、ほんまにあそこに登ったか、というか登れたかっていうのはわからんけどな」

「自殺を前提で話しますけど、高架の防風パネルから飛び降りたとして、どうしてそんな回りくどいことしたんでしょうか。電車に飛び込めば一発なのに」

 水雲はこれまではニコニコしながら話していたが、突然真顔になった。幼さが突然奪われたという印象を受けた。

「奏君。君の客観的に与えられた情報を読み取る能力はめちゃくちゃすごいと思うわ。僕にはちょっと真似できひん。そんな君に免じて僕の考えを教えてあげよう。さっきも言ったようにあそこに登れたかどうかは分からん。ほんでそれは、大した問題じゃないと思う。なんでやと思う? 自殺する人は、何も考えへんからなんよね。『ああ、ここ登りにくけど頑張って登って飛び降りよ』それすら当然考えへん。感情的なものは存在しいひんと思った方がいいねんな、こういう場合。この所感にも書いてくれてるけど、『やりたいことが見つかって会社を辞めた人間が死を考えるか』ってとこ。これは逆やな。死を考えたから、会社を辞めようと思った。その口実としてやりたいことが見つかったと言った。こうなるな。現状与えられた条件からはこう考えるのが妥当とちゃうかな。それともう一つ所感のこれ。『別の人間の姿』な。これが見えてきて初めて事件性ってのを疑わなあかんねん。こうして初めて、さっきのやりたいことが見つかって……はどうかな、っていう検討が始まるんよね。最初から事件やと思ってしまうと、思ってたよりも労力とお金がかかってしまう。そのお金っていうのはご存知の通り税金でまかなわれてるやろ? 無駄にしたら当然怒られるし、大事に使うってのは義務やねんな」

 初めて面と向かって「ラブモード」に包み込まれ、虎次郎は数秒黙ってしまった。

「塚崎さんに合わせてしまうからなあ、考え方とかね。一応上司やから」水雲は一言付け加えた

「いや……でも……」虎次郎はまだ自己コントロールがうまくいかず、自分の感情に口がついてきていなかったが、無理やり言葉を付けた。「水雲さんは、それでいいんですか?」

「塚崎さんのことか?」

「そうです」一回、短い深呼吸を挟んだ。「これはずっと訊きたかったんですけど、自分を殺してでも、上司に従う必要があるんでしょうか?」

「ああ、刑事の鑑やな。もちろん僕の根本もそっちやで。サラリーマンとは違うからな。上司に媚を売るよりも成果を出した方が……というか成果を出すってのが公務員としての義務やろうし。何を目的にするかなんやろうけど……。でも僕、こう見えても出世欲あるやんか? 仕方ないよね、機嫌取るのは」

「なるほど。そういうことですか」虎次郎は思わず吹き出してしまった。「難しい問題ですね」

「そうやな、僕も答えを出そうという気はないし、多分出えへんと思うわ。まあとりあえず、報告の書類第一号はそんなもんでええやろ。お昼にしようや」提案を虎次郎に投げかけた水雲の顔は、「標準モード」に戻っていた。

 それを確認した虎次郎は目を輝かせる。口元が少し緩んだ。

「先輩! 奢っていだけるんですか? あざす!」

「……はあ、こういうところは抜け目ないねんからなあ」

 水雲はため息をつきながらもニッコリと笑い、財布の入ったお尻のポケットをポンと叩いた。


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