海からの凱旋!〜敵艦隊を片付けた最強のオジ様が、城に乗り込んできました〜
ユリウス様が「パパ見知り」を見事に克服し、ルーカスを抱いて穏やかな笑顔を浮かべられるようになってから数日後のこと。
公爵領に心地よい潮風が吹き抜けた昼下がり、城の大手門の方角から突如として、大地を震わせるような豪快な地響きと喚声が轟いた。
「な、なんだ!? 外敵の奇襲か!?」
執務室で書類を精査していたユリウス様が、スッと鋭い視線を窓の外へ向けた。
以前なら即座に城ごと絶対零度の氷壁で包み込みかねないところだが、今の彼はまず寝室の扉が閉まっているかを確認し、ルーカスの眠りを妨げないよう足音を完全に殺して廊下へと出た。
私とクロエちゃん、そして優雅にハーブティーを楽しんでいたシリル様夫妻も中庭へと向かう。
城の正門を潜り抜けてきたのは、軍事国家の軍勢などでは断じてなかった。
むしろ、その軍事国家の艦隊を単身で海の底へと沈め尽くし、海上交通を完全に平定した男――漆黒の長外套を風になびかせ、隻眼の奥に猛獣のような光を宿した、あの最強のオジ様だった。
「がっはっは! 門番ども、相変わらず堅苦しい挨拶をしやがる! どいつもこいつも無事だったか!」
ヴィクトル様だった。
その背後には、彼が率いる屈強な海の男たちが、敵国から没収したという目録の束や、深海の珍味、色鮮やかな南国の果物が山積みにされた巨大な荷馬車を何台も引き連れている。
長旅と激戦の潮気を微かに漂わせながら、ヴィクトル様は大股で中庭を横切ると、私を見つけて破顔した。
「よぉ、お嬢さん! 腹の荷物は無事に降ろせたようだな。……顔色もいい。安心したぜ」
「ヴィクトル様! ご無事でお帰りなさい!」
私が駆け寄ろうとした一歩より早く、ザッ……と風を切る音がして、一人の男が私の前に立ち塞がった。
ユリウス様だった。
かつての彼なら、敵意を剥き出しにして氷の刃を構え、「私の妻に馴れ馴れしく近づくな!」と咆哮していたはずの場面だ。
だが、今のユリウス様は腰の剣に手をかけることもなく、威圧の冷気を撒き散らすこともなかった。
ただ、すっきりと剃り上げられた端正な顔立ちのまま、背筋を真っ直ぐに伸ばし、公爵当主としての、そして一人の家長としての揺るぎない威厳を湛えてヴィクトル様の前に立ったのだ。
「……息災だったようだな、ヴィクトル殿。軍事国家の掃討、見事な手際だったと王宮からの急報で聞いている」
低く、落ち着いたユリウス様の声。
ヴィクトル様は立ち止まり、隻眼を細めて若き公爵を頭の天辺からつま先まで無言で見定めた。
張り詰める空気。
しかし、そこに以前のようなトゲトゲしい殺気は一切ない。
やがて、ヴィクトル様の口元がニィッと吊り上がった。
「……ほう。少しはマシな面構えになったじゃねぇか、狂犬」
「狂犬ではない。今の私は、ルーカスの父親だ」
ユリウス様は微塵も怯むことなく、正面から大海の覇者の視線を受け止めた。
「貴殿からの手紙、しかと胸に刻ませてもらった。チート魔法に逃げず、腹を括ってこの手で妻を支え、息子を抱き上げた。……約束通り、堂々と胸を張って父親をやっているぞ」
その言葉には、誰の真似でもない、泥臭い努力を積み重ねてきた男の誇りが宿っていた。
ヴィクトル様は目を丸くしたあと、耐えかねたように腹を抱えて大笑いした。
「ぶあっはっはっは!! 聞いたかシリル! あの甘ったれの若造が、自分の口から『父親だ』なんざ抜かしやがったぞ! 遠い海の上まで手紙を送った甲斐があったってもんだ!」
「ええ、ヴィクトル殿。おかげさまで私の胃はすっかり完治し、今や世界一平和な朝を迎えておりますよ」
シリル様が肩をすくめて苦笑し、ソフィア様がバインダーを開いた。
「記録。ヴィクトル氏の帰還による外敵要因に対し、従兄殿の精神安定度は百パーセントを維持。無駄な戦闘行動、完全なるゼロ。大人の男としての対応力を実証しました」
その時、コツコツと小さな靴音を響かせて歩み出てきた小さな人影があった。
白衣を纏い、愛用の指示棒を構えたクロエちゃんだ。
「ちょっと、そこの海賊もどきのおじさん」
「あぁん? なんだこの生意気そうな小娘は」
屈み込んだヴィクトル様に向けて、クロエちゃんは容赦なく指示棒を突きつけた。
「潮風と汗の匂いが強すぎ。外気には無数の雑菌が付着しています。おばさまと赤ちゃんに近づく前に、今すぐ湯浴みをして服を着替えてきなさい。衛生管理のできない大人は、この城の敷居を跨ぐ資格はありません」
「…………」
歴戦の猛者であるヴィクトル様が、たった六歳の幼女に指を差され、呆気にとられて目を瞬かせた。
そして次の瞬間、再び天を仰いで豪快に笑い声を響かせた。
「がっはっは! こいつはたまげた! ソフィアの血を引いてるってのは本当らしいな! おい狂犬、てめぇはこのチビ助に散々絞られたってわけか!」
「……ふん。クロエ先生の指導は完璧だ。お前も文句を言わずに湯を浴びてこい」
ユリウス様がフイと胸を張る。
すっかりクロエちゃんを「先生」として認めているのが可笑しくて、私は思わず噴き出してしまった。
その後、言われた通りに綺麗さっぱり湯を浴び、清潔な服に着替えたヴィクトル様が、足音を忍ばせて寝室へと案内された。
部屋の窓際、手作りの滑らかなベビーベッドの上。
ヴィクトル様が贈ってくれた白銀の毛皮に包まれ、青い貝殻のお守りに見守られながら、ルーカスはすやすやと小さな寝息を立てていた。
「……へぇ」
ヴィクトル様は荒くれ者の気配をすっかり消し去り、膝をついてベッドの中を覗き込んだ。
そのゴツゴツとした太い指先が、ルーカスの小さな頬のすぐ側で止まる。
「いい寝顔だ。毛並みも気に入ってくれたようだな。……澄んだ、綺麗な命だ」
「ルーカス、という名です。光をもたらす者、という意味を込めました」
私がそっと告げると、ヴィクトル様は隻眼を優しく細めた。
「ルーカスか。いい名だ。お嬢さんにも……そして、この不器用な父親にも似た、強くて優しい男になりそうだな」
そう言ってヴィクトル様が振り向くと、そこには息子のベッドの隣に立ち、誇らしげに、けれどどこか照れくさそうに佇むユリウス様の姿があった。
かつて嫉妬と独占欲で荒れ狂っていた男が、今は静かに、愛する者を共に見つめる強さを手に入れている。
「さてとお嬢さん、狂犬!」
ヴィクトル様が立ち上がり、ポンとユリウス様の肩を力強く叩いた。
「今夜は凱旋と誕生の二重の祝いだ! 敵国の極上酒と海の幸をしこたま持ってきたからな、盛大に呑み明かすぞ!」
「……酒なら付き合おう。だが、騒ぎすぎてルーカスを起こしたら、私が貴殿を凍結させて中庭に飾るからな」
「けっ、言ってろ!」
軽口を叩き合いながらも、二人の男の間には確かな信頼の絆が結ばれていた。
城中が歓喜と安らぎに包まれる中、私たちの新しい日々に、また一つ頼もしく温かい笑顔が加わったのだった。




