↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
93/100

誕生!三千グラムの奇跡と、世界一優しいパパ〜世界を凍らせるその手で、愛しい我が子を抱き上げました〜

押し寄せる最後の痛みの波の中、私はユリウス様の手をこれ以上ないほど強く握りしめ、すべての力を振り絞った。


 視界が白く染まり、息が途切れそうになったその瞬間。


 ――オギャアァッ! オギャアァァッ……!!


 静まり返っていた寝室の空気を震わせるように、高く、澄んだ産声が響き渡った。


「生まれました! 元気な、玉のような男の子ですよ!」


 産婆さんの弾んだ声が耳に届き、全身の力がふっと抜けていく。


 激痛が嘘のように引いていき、代わりに胸の奥底から温かい脱力感と安堵が満ちてきた。


 荒い息を繰り返しながら、私はぼんやりとした視界で、濡れタオルで綺麗に包まれていく小さな命を見つめた。


「……男の子、ですって、ユリウス様……」


 私がかすれた声で呟くと、隣にいた夫の手が、ビクンと激しく震えた。


 ユリウス様は立ち尽くしていた。


 かつて戦場を凍てつかせ、どんな強敵をも一瞬でひれ伏せさせてきた若き公爵が、息をするのも忘れたかのように、ただ呆然と赤ん坊を見つめている。


 いつものように咆哮することもなく、黄金の魔力を爆発させることもなく。


 彼の氷の青い瞳から、大粒の涙が音もなく次から次へと溢れ落ち、シーツを濡らしていた。


「公爵閣下、元気な若君ですよ。さあ、抱き上げてあげてください」


 産婆さんが微笑みながら、柔らかい布に包まれた赤ん坊を差し出す。


 しかし、ユリウス様はサッと両手を引いて後退りした。


 その顔は、まるで壊れ物どころか、世界で一番神聖な宝物を前にしたかのように強張り、蒼白になっていた。


「ま、待ってくれ……! 私の、この手は……これまで多くの命を奪い、敵を殲滅してきた、血と冷気に塗れた手だ。こんなにも小さく、脆い命に……私の汚れた手が触れてしまえば、折れてしまうのではないか……?」


 自分の大きな掌を見つめ、恐怖に震えるユリウス様。


「バカなの?」


 寝室の隅で腕を組んでいたクロエちゃんが、静かに、けれど芯のある声で言い放った。


「狂犬おじさん。あの何百本ものヤスリがけは、何のためにやったの? あの沐浴の特訓は、何のためだったの? おじさんのその手は、おばさまと赤ちゃんのために、何週間も努力して優しさを覚えた手でしょ。……父親がビビってどうするのよ」


 クロエちゃんの言葉に、ユリウス様がハッと息を呑む。


 私もベッドの上から、重い腕を持ち上げて彼の大きな手にそっと触れた。


「大丈夫ですよ、ユリウス様。抱っこしてあげてください。……私とあなたの、大切な息子なんですから」


 私の笑顔を見たユリウス様は、一度だけ深く息を吸い込み、覚悟を決めたように両腕を差し出した。


 首を支える左手、お尻を包み込む右手。


 あの三キロの人形で何度も、何度も練習した通りの形。


 産婆さんの手から、温かな重みがユリウス様の腕へと移された。


「……っ」


 ユリウス様の全身が、微かに強張った。


 けれど、以前のようにロボットのように硬直することはなかった。


 約三千グラムの、小さな、小さな重み。


 トクトクと力強く脈打つ温かい体温が、彼の腕を通じて直接伝わってくる。


「……あたたかい……」


 ユリウス様の手のひらから、すぅっと淡い雪解け水のような青い光が漏れ出た。


 それは攻撃の冷気ではなく、ただ赤ん坊を優しく包み込み、外界の急激な温度変化から守るための、驚くほど穏やかな保温の魔力だった。


 父親の体温と魔力に安心したのか、それまで泣いていた赤ん坊が、ふにゃりと口元を緩めた。


 そして、包布からぽろりと出た小さくて赤々とした手が、空中を手探りし――ユリウス様の太い人差し指を、きゅっと、小さな力で握りしめたのだ。


「――っっっ……!!」


 ユリウス様の喉から、声にならない嗚咽が漏れた。


 彼は膝から崩れ落ちるようにベッドの脇に座り込み、腕の中の我が子を、この世の誰よりも愛おしそうに見つめた。


 その額を、我が子の小さな額へとそっと触れ合わせる。


「……私の、息子よ……。生まれてきてくれて、ありがとう……。私のような男を……父親にしてくれて、ありがとう……っ」


 ボロボロと流れる涙が赤ん坊にかからないよう、必死に顔を背けながら、彼はもう片方の手で優しく背中をトントンとあやし続けた。


 そこにあるのは、ヤンデレの狂気でも、ただの忠犬の服従でもない。


 愛する妻と子を守るために命を捧げる、本物の『父親』の姿だった。


「記録……」


 部屋の入り口で、ソフィア様が静かに眼鏡の端を拭った。


「新生児、体重三千百グラム、健康状態極めて良好。……そして、従兄殿の父親適性値、計測不能(カンスト)です。文句なしの満点を記録しました」


「……ああ、本当によかった」


 シリル様も胸に手を当て、安堵の息を吐いている。


「長年あいつを見てきたが、あんなに穏やかで優しい顔をする日が来るなんてな。……もう、ホイッスルを鳴らす必要もなさそうだ」


「ふん」


 クロエちゃんはフイと横を向いたが、その小さな口元には、確かな誇らしげな笑みが浮かんでいた。


「当然よ。私の生徒なんだから、落第なんて許さないわ」


 ユリウス様は赤ん坊を抱いたまま、ベッドで横になる私のもとへにじり寄ってきた。


 我が子を腕に抱きながら、空いた手で私の髪をそっと撫で、私の額に温かい口づけを落とす。


「リリア……ありがとう。君が、私にすべてをくれた。私の命は、今日から君と、この子のためにある」


「ふふ、大げさですね。でも……私も、すごく幸せです」


 私たちが微笑み合う中、ユリウス様の手によって、赤ちゃんは窓際の小さな手作りベッドへと運ばれた。


 丁寧にヤスリがけされた滑らかなナラの木肌と、ヴィクトル様から届いた白銀の柔らかな毛皮。


 世界で一番安全で温かいゆりかごの中に寝かされた男の子は、スヤスヤと心地よさそうに眠りに落ちていった。


 その寝顔を見つめながら、ユリウス様は私の手を優しく握り締めた。


 波乱万丈だった私たちの物語に、いま、最高に愛おしい新しい光が灯ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。