世界一安全なゆりかご〜オリハルコンを却下された旦那様が、血と汗のヤスリがけでパパの愛を削り出します〜
お腹の中の我が子と「世界一優しいハイタッチ」を交わし、父親としての自覚が芽生え始めたユリウス様。
彼が次に目をつけたのは、生まれてくる赤ちゃんを迎え入れるための『寝床』だった。
ある日の早朝、城の中庭からドォォォンという不吉な地響きが轟いた。
私が慌てて中庭へ向かうと、そこには青黒い鈍い光を放つ、見上げるほど巨大な金属のインゴットが山積みにされていた。
その前で腕組みをして立っているユリウス様は、いつにも増して真剣な顔つきだった。
「リリア、おはよう。良い朝だな。君とお腹の子のために、最高の素材を用意したぞ」
「ユリウス様……この禍々しい威圧感を放つ金属の山は、一体なんですか?」
「太古の遺跡から空間転移で掘り出してきた、純度百パーセントの神話級金属『オリハルコン』だ! これを私の魔力で鍛造し、古代竜の火炎ブレスや大陸間弾道魔法、さらには隕石の直撃にもミリ単位の歪みすら見せない『絶対不可侵・装甲防壁ベビーベッド』を錬成する!!」
胸を張って豪語する旦那様の言葉に、私がツッコミを入れるよりも早く、小気味よい音が中庭に響き渡った。
ペチンッ。
いつの間にか現れていたクロエちゃんが、愛用の指示棒でユリウス様の腰のあたりを容赦なく叩いたのだ。
「バカなの?」
六歳の幼女から放たれる、絶対零度よりも冷え切った一言。
「オリハルコンの比重を計算したことある? そんな重いものを置いたら、城の床が抜けて下の階のシリルおじさまの頭の上に直撃するわ。それに、通気性ゼロの装甲板で密閉したら赤ちゃんが酸欠で窒息するし、金属の冷たさは乳児の体温調節機能を狂わせる。おじさん、守るどころか我が子を暗殺する気?」
「あ、暗殺……っ!? 私が、我が愛しき我が子を暗殺だと……!?」
グサリと心臓を抉られたユリウス様が、青ざめてその場に両膝をついた。
「赤ちゃんに必要なのは、核シェルターじゃありません。軽くて温かみがあって、安全基準を満たした『木製のベビーベッド』です」
クロエちゃんは子供用の小さなバインダーを開き、一枚の設計図を広げて見せた。
「いい、狂犬おじさん。ベビーベッドには厳格な安全基準があるの。柵の間隔は、赤ちゃんの頭や手足が絶対に挟まらない幅にすること。角はすべて丸く削り落とす『面取り』を徹底すること。そして、赤ちゃんが舐めても無害な天然の植物性オイルや蜜蝋で仕上げること。……さあ、作れる?」
クロエちゃんの挑戦的な視線を受け、ユリウス様はギリリと奥歯を噛み締めた。
木工。
それはかつて、私の簪を作ろうとして四百本以上の丸太を粉砕した、彼にとって最も苦い記憶のある分野だ。
「……やってみせる。我が愛する子の最初の居場所を、他人の作った既製品に任せるわけにはいかない。私の手で、世界で一番安全なベッドを作り上げてみせる!!」
こうして、魔法を完全に封印した若き公爵による、血と汗のベビーベッド製作が始まった。
用意されたのは、程よい硬さと温もりを持つ最高級のナラの木材。
以前の失敗を繰り返さないため、ユリウス様は呼吸を整え、己の底知れない怪力を極限まで制御した。
ノコギリを引く音、ノミで木を穿つ音が、驚くほど一定のリズムで中庭に響く。
かつて戦場で敵を両断してきたその卓越した身体能力が、今は「ミリ単位で木材を加工する」という驚異的な繊細さへと変換されていた。
しかし、本当の戦いはパーツを切り出した後に待っていた。
「ヤスリがけが甘い。やり直し」
「くっ……!」
クロエちゃんの厳しい検査が入る。
「赤ちゃんの肌は、大人の半分以下の薄さなの。大人が『滑らか』と感じる程度じゃダメ。目に見えないレベルの木肌の毛羽立ちすら、赤ちゃんの柔らかい皮膚を傷つける可能性があるわ。……触って、少しでも引っかかりを感じたら失格よ」
一切の妥協を許さない幼女先生の言葉に、ユリウス様の青い瞳が鋭く光った。
彼は粗い紙ヤスリから、次第に目の細かいものへと持ち替え、一本一本の柵、一枚一枚の板を、狂気的なまでの集中力で磨き始めた。
シュッ、シュッ、シュッ……。
静かな摩擦音が、陽が暮れてもなお中庭に響き続ける。
指先が摩擦熱で熱を帯びても、手のひらが粉塵で真っ白に染まっても、彼は決して手を止めなかった。
一本の柵を磨くたびに、自分の頬を木肌にすり寄せ、赤ちゃんの肌を傷つける要素が万に一つでも残っていないかを確かめる。
かつて世界を滅ぼしかねない魔力を誇っていた男が、今はただのヤスリを握りしめ、生まれてくる我が子の笑顔のためだけに、己の指先の感覚を極限まで研ぎ澄ましていた。
私は差し入れの温かいスープを持って寄り添いながら、その背中にそっと手を当てた。
「ユリウス様、少し休んでください。もう十分、すべすべですよ」
「いや、まだだリリア。君とお腹の子が安心して身を委ねられる場所にするためなら、私の指の指紋がすり減ろうとも惜しくはない……!」
彼の熱意は相変わらず重く、極端だったけれど、そこにはもう自分勝手な暴走はなかった。
そして翌朝。
中庭の木屑が綺麗に掃き清められた中央に、淡い琥珀色に輝く、美しい木製のベビーベッドが佇んでいた。
天然の蜜蝋を丁寧に塗り込まれた木肌は、朝の光を吸い込んでしっとりと輝いている。
「……完成した」
寝る間も惜しんで作業を続けたユリウス様が、かすれた声で呟いた。
私とクロエちゃん、そして胃薬の代わりに朝のコーヒーを持ったシリル様とソフィア様が近寄る。
私がそっとベッドの柵に触れてみると、指先から伝わってきたのは、まるで極上の絹織物のような、吸い付くほど滑らかな感触だった。
どこを触っても、角という角は完璧な曲線を描いて丸められており、トゲ一つ、引っかかり一つ存在しない。
「すごい……本当に、すべすべです。それに、木のいい香りがして、すごく温かい……」
私が感動のあまり呟くと、クロエちゃんも小さな指先で入念に柵やベッドの隅をなぞった。
「柵の間隔、五・五センチで均一。角の面取り、完全。塗料、天然蜜蝋のみ。……ふん、合格点(Aマイナス)をあげるわ」
クロエちゃんがバインダーを閉じ、満足そうに頷いた。
「Aマイナス……!! 初のA判定……!!」
ユリウス様はその場にへたり込み、ボロボロと大粒の涙を流しながら歓喜に震えた。
「リリア! 我が愛する妻よ! 私はやり遂げたぞ! チート魔法に頼らず、私のこの両手で、我が子のための世界一安全な居場所を創り出したのだ!!」
「ふふ、はい。本当にお疲れ様でした、ユリウス様」
私はしゃがみ込み、木屑と汗で汚れた彼の頬をハンカチで拭い、その銀髪を優しく撫でてあげた。
ユリウス様は「至福……!」と私の膝に頭を擦り付け、疲れ切った顔で、けれどこれ以上ないほど誇らしげな笑顔を見せた。
「記録。従兄殿の『父親適性値』が、ついにプラス域へと突入しました。木工職人としての転職も可能なレベルです」
「いやはや、あの狂犬がここまで繊細な仕事をするようになるとはな。これで赤ん坊がベッドの中で暴れても、安心というわけだ」
ソフィア様の冷静な評価に、シリル様も穏やかに笑って同意した。
手作りのベッドの横で、膝枕をされながら穏やかな寝息を立て始めた旦那様を見つめ、私は自身のお腹にそっと手を添えた。
不器用で、極端で、けれど世界一優しくて頼もしいパパが、あなたを待っているよ。
お腹の中の小さな命が、パパの努力を褒めるように、コトンと優しく一度だけ動いた気がした。




