旦那様に『何もしない』を命令しました〜過剰奉仕の忠犬に膝枕をしたら、幸せすぎて昇天しかけました!〜
ヴィクトル様から送られてきた巨大魔獣を、ユリウス様が有り余るスタミナと情熱で「完璧なガーリック・ソテー」に調理してのけた数日後。
彼はその日以来「リリアに料理を褒められた!」という事実をガソリンにして、領地経営から城の警備、果ては庭の草むしりまで、凄まじい勢いでこなしていた。
底なしの体力を持つ彼にとって、疲労という概念はないのかもしれない。
しかし、妻としては、常に私のために動き回っている彼を見ていると、少し心配になってくるのも事実だった。
「(……たまには、ユリウス様にもゆっくり休んでもらわないと)」
休日の午後。
私は日差しの入る温かいサンルームにユリウス様を呼び出した。
「リリア! 呼ばれて飛び出て参上したぞ! 次の任務はなんだ!? 大陸の開拓か!? それとも海底神殿の探索か!?」
目をキラキラ(ギラギラ)と輝かせ、幻覚の尻尾をちぎれんばかりに振って現れたユリウス様。
私は彼をふかふかの長椅子に座らせ、ビシィッ!と人差し指を突きつけた。
「ユリウス様。本日のあなたへの絶対命令は……『何もしないこと』です」
「なっ……!?」
ユリウス様の動きが、雷に打たれたようにピタリと止まった。
「な、何も、しない……? それはつまり、私が君のために紅茶を淹れることも、肩を揉むことも、君の歩く道に薔薇の花びらを撒くことも禁止されるということか!?」
「禁止です。今日は私が紅茶を淹れますから、あなたはそこで大人しく座っていてください」
私がティーセットの準備を始めると、ソファに取り残されたユリウス様は、ワナワナと激しく震え始めた。
「あ、ああ……リリアの細く美しい腕が、重いティーポットを持ち上げている……! 私が、私が代わらねば! 私の無尽蔵の力が、今ここで使われなくていつ使われるというのだ!!」
「『待て』」
「クゥンッ!!」
立ち上がろうとした彼を声だけで制圧し、私は優雅に紅茶を注ぐ。
「……記録。従兄殿の精神的ストレスが急上昇しています。彼にとって『愛する妻に奉仕できない時間』は、物理的なダメージを超える拷問のようです」
サンルームの入り口で、ソフィア様がバインダーにペンを走らせた。
「あの狂犬から行動を奪うとは……義姉上も恐ろしいしつけを覚えたものだ。見ろ、汗だくだぞ」
シリル様が胃薬を片手に、哀れむような目でユリウス様を見ている。
確かに、彼の額には滝のような汗が浮かんでいた。
強靭な肉体と魔力を持て余し、ただ座っていることしか許されない状況が、彼の本能(忠犬魂)を激しく刺激しているらしい。
「はい、どうぞ」
私が彼の前のテーブルにティーカップを置くと、ユリウス様は震える両手でそれを受け取った。
「す、すまないリリア……。君に、世話を焼かせてしまうなんて……私は、なんて無力な夫なんだ……」
「(大げさだなぁ……ただお茶を淹れただけなのに)」
本当に極端な人だ。
でも、彼が私を心から大切に思ってくれていることは、痛いほどに伝わってくる。
「……ユリウス様。紅茶、美味しかったですか?」
「ああ! 君の淹れた紅茶は、世界樹の朝露よりも甘く、私の魂を浄化してくれた!」
ティーカップを空にした彼から食器を受け取り、私はソファで彼のすぐ隣に腰を下ろした。
そして、自分の膝をポンポンと軽く叩いた。
「えっ……? リリア?」
「『何もしない』命令の、続きです。……ここ、空いてますよ」
私が少し照れながら微笑むと、ユリウス様の氷の青い瞳が、限界まで見開かれた。
「ひ、膝枕、だと……!? 妻の膝という名の、この世で最も神聖かつ柔らかい聖域に、私の重く汚れた頭部を乗せろと!?」
「汚れてません。昨日一緒にお風呂で洗ったじゃないですか」
「だが!! 私の頭の重みで、君の美しい脚が痺れてしまうかもしれない!! 万が一にも君を傷つけるようなことがあれば、私は――」
「いいから、おいで」
理屈を並べてためらう彼を、私は優しく、しかし有無を言わさぬ声で促した。
ユリウス様はゴクリと喉を鳴らし、ひどく緊張した様子で体を横たえ……恐る恐る、私の膝の上に頭を乗せた。
「……っ」
彼の大きな体が、ビクンと強張る。
私は彼の整った顔を見下ろし、その美しい銀色の髪にそっと指を通した。
「……いつも、私のためにたくさん動いてくれて、ありがとうございます。今日は、ここでゆっくり休んでくださいね」
さらさらと、彼の髪を梳くように撫でる。
何度も、何度も。優しく、丁寧に。
「あ……」
ユリウス様の口から、微かな吐息が漏れた。
ヤンデレとしての狂気も、過剰に奉仕しようとする焦りも。
私の指先から伝わる体温と、一定のリズムで髪を撫でられる安心感によって、彼の強張っていた筋肉から、ゆっくりと力が抜けていくのがわかった。
「……リリアの、匂いがする……。温かくて……こんなに、穏やかな気持ちになったのは……生まれて初めて、だ……」
いつもギラギラと熱を帯びている青い瞳が、とろんと細められ、やがて静かに閉じられた。
「……寝ましたね」
数分後。
すぅ、すぅ、と静かで規則正しい寝息が聞こえてきた。
どんな敵の前でも決して隙を見せず、無尽蔵のエネルギーで暴れ回っていた規格外の公爵様が、今は完全に無防備な姿で、私に身を委ねて眠っている。
「分析。従兄殿の魔力波長が、完全な『睡眠状態』に移行しました。……脅威度ゼロ。現在の彼は、ただの大きな犬です」
ソフィア様がバインダーを閉じ、声を潜めて報告した。
「……信じられん。あの暴走機関車が、魔法もホイッスルも使わずに、ただ撫でられただけで静まり返るとはな。義姉上、あんた本当にすげぇ猛獣使いだよ」
シリル様が、感心したようにため息をつき、そっとサンルームの扉を閉めて退出していった。
「(猛獣使い、か)」
私は、膝の上で幸せそうに寝息を立てる彼の頬を、指先でツンと突いた。
言うことを聞かせるだけが、手懐けることじゃない。
彼が背負っている強すぎる力や情熱を、安心して下ろせる場所を作ってあげること。
それが、妻である私の一番の役目なのかもしれない。
「……おやすみなさい、ユリウス様」
彼の寝顔が、時折「……リリア……好きだ……」と寝言を呟きながらだらしない笑顔に変わるのを見て。
私は呆れつつも、この平和で温かい時間がずっと続けばいいなと、彼が目覚めるまでその銀糸の髪を優しく撫で続けるのだった。




