私が微熱を出したら旦那様が伝説の霊薬を錬成し始めました〜魔法もチートも禁止して、ただ手を握ってもらいます〜
お忍びデートで「氷の相合い傘」を体験し、普通の夫婦としてのロマンチックな時間を過ごした翌朝。
私はベッドから起き上がろうとして、視界がぐらりと揺れるのを感じた。
「(……あれ? なんだか体が熱いし、だるい……)」
おでこに手を当てると、明らかに普段より熱かった。
昨日の通り雨で、氷の傘のおかげで濡れはしなかったものの、少し体を冷やしてしまったらしい。
喉も少し痛く、声が出しづらい。
――ガチャッ!!
「おはよう、私の愛しき――ッ!? リ、リリア!!」
朝の挨拶に(幻覚の尻尾を振りながら)部屋へ入ってきたユリウス様が、ベッドでぐったりしている私を見るなり、血相を変えて飛んできた。
「顔が真っ赤ではないか! 息も荒い! ま、まさか昨日、私が相合い傘などという軟弱な魔法を使ったせいで、君の体を冷やしてしまったのか!?」
「ゴホッ……ユリウス様……ただの、風邪です……」
私がかすれた声で答えると、ユリウス様の氷の青い瞳に、凄まじい絶望とパニックが渦巻いた。
「風邪!? ダメだ、君の美しい細胞が病魔に侵されているなど、私には耐えられない!! リリア、今すぐ君の時間を物理的に停止させ、病の進行を食い止める!!」
ドワァァァァッ!!
ユリウス様が私を『永久凍土』で冷凍保存しようと、凄まじい冷気を放ち始めた。
「(ダメ……! 『待て』のコマンドを……!)」
私は一喝しようと口を開いたが、喉が痛くて声がかすれてしまい、十分な音量が出ない。
私のコマンドが不発に終わったことで、ヤンデレ公爵の暴走はさらに加速した。
「凍らせるのは根本的な解決にならないな! そうだ、霊薬だ!! 万病を癒し、寿命を千年延ばす伝説の霊薬『神の雫』を錬成しよう!!」
彼は冷気を引っ込めると、今度は部屋の床に、凄まじい魔力で超複雑な錬成陣を描き始めた。
「待っててくれリリア! 今すぐ大陸の果てから不死鳥の血と世界樹の朝露を空間転移で取り寄せ、この鍋で煮詰めて君の口に――!!」
『ピーーーッ!! ピーーーーーッ!!!!』
その時、肺がちぎれんばかりの甲高いホイッスル音が寝室に鳴り響いた。
「そこまでだ、この狂犬!! ――『概念切断』!!!!」
ピシャァァァァァァンッ!!!!
扉を蹴破って飛び込んできたシリル様が放った極大の光の刃が、床の錬成陣を真っ二つに両断し、魔力を霧散させた。
「邪魔をするなシリル! リリアが風邪を引いたのだぞ! エリクサーを飲ませねば!!」
「アホか!! ただの風邪を引いた人間に伝説の霊薬など飲ませたら、魔力過多で体が爆発します! あんたは義姉上を殺す気か!!」
シリル様が怒鳴りつける。その後ろから、ソフィア様が氷嚢と水差しを持って静かに入ってきた。
「記録および警告。従兄殿の過剰な看病は、義姉上の生存確率を著しく低下させます。ただちに部屋から退室し、隔離されることを推奨します」
「隔離だと!? 妻が苦しんでいるのに、夫である私がそばにいなくてどうする!!」
ユリウス様が牙を剥いて唸る。
彼のもとから放たれる圧倒的な魔力とプレッシャーのせいで、部屋の空気がビリビリと震え、私の頭痛をさらに悪化させていた。
「(あ、頭が痛い……もう、二人ともうるさい……っ)」
私はフラフラと身を起こし、ベッドの端から手を伸ばして、ユリウス様の服の裾を弱々しく掴んだ。
「……ユリウス、様……」
「リリア! 起き上がってはダメだ!」
ユリウス様は瞬時に私のそばに膝をつき、私の背中を支えた。
「お願いだから……魔法は、使わないで……。部屋が寒くなったり、うるさかったりすると、頭が痛いから……」
「っ……! 私は、君を助けたい一心で、逆に君を苦しめて……!」
彼はハッと息を呑み、自分が無意識に放っていた魔力を、スッと完全に消し去った。
「ごめん、なさい……。コマンド、出せなくて……」
「謝るのは私の方だ。リリア……私はどうすればいい? 君の痛みを代わってやれない無力な私に、何ができる?」
いつもの「誇り高き番犬」としての自信はどこへやら。
病に苦しむ私を前に、チート魔法も財力も使えないただの青年となった彼は、捨てられた子犬のように震える声で私に尋ねた。
「……看病、してくれますか?」
「もちろんだ! 君が望むなら何でも!」
「じゃあ……何もしないで、ただ、ここで……私の手を、握っていてください」
私は、彼の大きな手に、自分の熱い手を重ねた。
「チート魔法も、伝説の薬もいりません。ただ……あなたがそばにいてくれるだけで、私は安心できるから」
私が微かに微笑んでそう伝えると、ユリウス様の氷の青い瞳が、大きく見開かれた。
そして。
「……ああ。君が良くなるまで、私は一歩も、ここを動かない」
ユリウス様は、私の手を両手でそっと、本当に壊れ物を扱うように優しく包み込み、私のベッドの横に静かに座った。
そこにはヤンデレの狂気も、過剰な奉仕もない。
ただ、愛する人の温もりを感じ、自分の体温を分け与えようとする、純粋な『夫』の姿があった。
「……シリル。私たちは退室しましょう。この空間に、第三者の介入は不要です」
「……そうだな。たまには、真っ当な夫の顔を見せるじゃないか」
ソフィア様が氷嚢をサイドテーブルにそっと置き、シリル様が静かに扉を閉めていく音が聞こえた。
彼の大きく、少しひんやりとした手が心地よくて、私はそのまま深い眠りに落ちた。
次に目を覚ました時、窓の外は夕暮れになっており、私の熱はすっかり下がっていた。
「(……あれ、すごく体が軽い……)」
体を起こそうとすると、私の右手が何かに固定されていることに気がついた。
見れば、ユリウス様がベッドサイドに座ったまま、私の手を両手で包み込み、そして私の手の甲に額を押し当てるようにして『微動だにせず』待機していたのだ。
「ユリウス様……?」
「ッ! リリア! 目が覚めたか!? 気分はどうだ!?」
彼は弾かれたように顔を上げ、私の顔を覗き込んだ。その目の下には、少し隈ができている。本当に一歩も動かず、一睡もせずに私を見守っていたらしい。
「はい、もうすっかり熱も下がって……。ずっと、手を握っててくれたんですね」
「もちろんだ! 君の『ただ手を握っていてほしい』という尊い命令を、私が破るはずがない!!」
私がホッとして微笑むと、ユリウス様の背後に、見えない尻尾が猛烈な勢いで現れた。
「ハァッ……ハァッ!! リリア! 私はこの数時間、魔法を一切使わず、ただ座って君の手を握るという、公爵家歴代当主の誰も成し遂げなかった『究極の無抵抗・無魔法看病』を完璧にやり遂げたぞ!! さあ!! 褒めてくれ!!」
「(……あ、やっぱりいつもの旦那様だわ)」
一歩も動かなかったことで足が痺れているのか、プルプルと震えながら私に「よしよし」を要求してくる旦那様。
私は呆れながらも、彼が魔法やチートに頼らず、本当に私のそばにいてくれたという事実が嬉しくて。
「よくできました」と、彼が握ってくれていた方の手で、その美しい銀色の髪を優しく、何度も撫でてあげるのだった。




