お忍びデートで『普通の夫婦』の特訓です〜旦那様の愛が重すぎて、街の経済が回りまくっています!〜
私が手作りクッキーをプレゼントしたことで、ユリウス様が神々しい光を放ちながら神格化しかけた(そして私が物理的に口に放り込んで止めた)翌日。
「……ねえ、ユリウス様。今日は少し、お出かけしませんか?」
「お出かけ!? もちろんだ! どこへ行こうかリリア! 君が望むなら、今すぐ隣の大陸まで黄金の橋を架けよう!!」
「架けません。行き先は、城下の街です」
私は、興奮して立ち上がったユリウス様を手で制した。
「ヴィクトル様も不在ですし、シリル様たちにはお休みをいただいています。だから今日は、護衛も馬車もなし。二人だけで、目立たない平民の格好をして……その、『お忍びデート』ってやつをしてみたいんです」
私が少し照れながら言うと、ユリウス様は瞬きを二度繰り返し、そして顔を真っ赤にして口元を覆った。
「デ、デート……。リリアから、私を……街へ誘ってくれた……」
「は、はい。たまには『普通の夫婦』みたいに、街を歩いてみたいなって……」
「おおおおおっ!! 直ちに街の全店舗を貸し切りにし、すべての住人に臨時ボーナスを配って道を空けさせ――」
「『待て』!! それのどこが普通なんですか!!」
私はすかさずコマンドを発動し、札束(白金貨)を握りしめた旦那様を正座させた。
「今日は特別ルールです! 魔法での地形改変禁止! 財力に物を言わせるのも禁止! 完全に『普通の仲良し夫婦』として振る舞うこと! わかりましたか?」
「クゥン……(はい、ご主人様)」
こうして私たちは、貴族の装飾品をすべて外し、質素な平民の服に着替えて街へと降り立った。
「ふふっ、なんだか新鮮ですね」
「……ああ。君と並んで歩くのは、どんな道でも極楽浄土のようだ」
ユリウス様は「普通の夫」を演じるため、私の半歩後ろ(忠犬の定位置)ではなく、しっかりと私の隣を歩いている。
……しかし。
「(……全然、お忍びになってないわね)」
服装こそ地味だが、ユリウス様のその整いすぎた美貌、洗練された姿勢、そして内側から隠しきれずに漏れ出ている『圧倒的な強者のオーラ(と妻への巨大な愛)』が、周囲の通行人の視線を釘付けにしていた。
「ねえ、あの男の人……すっごく綺麗……」
「でも、隣の奥様を見る目が、なんだか凄まじくない……? 息をするのも忘れてるみたい……」
すれ違う人々がヒソヒソと振り返る。
当のユリウス様は、私が誰かにぶつからないよう、周囲一メートル以内に見えない魔力の障壁を張り巡らせ(魔法禁止と言ったのに防衛本能が漏れている)、私の横顔だけをガン見して歩いていた。
「ユリウス様、前を見て歩いてください。転びますよ」
「問題ない。私の足は、君への愛という名の羅針盤で動いているからな。万が一君に石っころ一つでもぶつかろうものなら、この街の地面をすべて――」
「ストップです」
そんなやり取りをしながら市場を歩いていると、ふと、露店の店先に並べられた可愛らしい花の髪飾りが目に入った。
「あ、これ綺麗……」
私が立ち止まって手に取った瞬間。
「店主!! この髪飾りから半径十メートル以内にあるすべての商品を寄越せ! いや、この露店ごと買い取ろう!!」
「ひぃぃぃっ!? な、なんだい兄ちゃん、その凄まじい眼力はぁぁっ!?」
ユリウス様が「リリアが欲しがった!」という事実だけで暴走し、店主に大量の金貨を叩きつけようとした。
「『待て』!! だから財力に物を言わせないでって言ったでしょ!! 普通に一個だけ買います!」
「し、しかしリリア! 君の美しさを引き立てるには、この店の在庫すべてを君の髪に飾らねば……!」
「頭が重くて首が折れます!」
私は彼から金貨を取り上げ、適正価格で髪飾りを一つだけ購入した。
買い物を楽しんでいると、ぽつり、と頬に冷たいものが当たった。
空を見上げると、いつの間にか黒い雲が広がり、急な通り雨が降り始めていた。
「しまった、雨だわ。どこかで雨宿り――」
私が言いかけた時、ユリウス様の顔色が変わった。
「私の愛する妻を濡らすなど、万死に値する雨雲め!! 今すぐ上空の気圧を操作し、雲ごと宇宙の彼方へ吹き飛ばしてやる!!」
彼が無尽蔵の魔力を空へ向けようとした瞬間、私は慌てて彼の手を両手でギュッと握りしめた。
「ダメですユリウス様! 魔法で天候を操らないで!」
「しかし、このままでは君が風邪を……!」
「普通の夫婦はね、こういう時……『相合い傘』をして、寄り添って歩くんです」
私が少し上目遣いで言うと、ユリウス様はハッとして、魔法の発動を止めた。
「……相合い、傘」
「ええ。だから、雲を吹き飛ばすんじゃなくて……二人で入れるくらいの、小さな傘を作ってくれませんか?」
その言葉に、ユリウス様は深く深呼吸をした。
そして、空へ向けていた強大な魔力を手元に極限まで圧縮し、指先でふわりと宙を撫でた。
――シャラァン……。
繊細なガラス細工のような音が響き、私たちの頭上に、美しい『氷の傘』が顕現した。
冷気はなく、ただ雨粒を優しく弾く、透明でキラキラと輝く特製のパラソルだ。
「……これなら、どうだろうか」
「わぁ……。すごく綺麗。ありがとうございます、ユリウス様」
私は彼に寄り添い、冷たい雨の降る中、二人きりの透明な傘の下に入った。
「リリア……」
肩と肩が触れ合う距離。傘に落ちる雨音だけが、やけに鮮明に聞こえる。
「私は、君を守るためなら世界を壊すことすら厭わない。……だが、君が望むなら、こうして小さな傘の中で、君の肩が濡れないように寄り添うだけの男になろう」
その声は、狂気に満ちたヤンデレ公爵のものでも、私に褒められたいだけの忠犬のものでもなかった。
ただ純粋に、隣にいる女性を愛し抜こうとする、一人の青年の静かな熱情だった。
「(……ずるい。そういう顔で、そういうこと言うのは……)」
私は、自分の心臓の音が雨音よりも大きくなっているのを感じながら、彼の腕にそっと自分の腕を絡めた。
「……もう少しだけ、このままくっついて歩きましょうか」
「ああ。……一生でも、歩き続けよう」
「データ収集完了。一時的にではありますが、完全に『普通のロマンチックな夫婦』の波長を観測しました」
「よかった……。これならもう、胃薬をまとめ買いする必要もなくなるかもしれない……」
城の門の陰から、こっそりと隠れて様子を見ていたシリル様とソフィア様(ちゃっかり休日を返上して監視していた)が、安堵の息を吐いた。
しかし。
「ハァッ……ハァッ……!! 終わったぞリリア!! 私の『普通の夫』の演技、完璧だっただろう!? さあ! よく我慢したと私を撫でてくれ!!」
「えっ、ちょっとユリウス様、傘の下でいきなり伏せないで!」
城の敷地に入った瞬間、ユリウス様は『忠犬モード』に回帰し、私の足元にスライディングして幻覚の尻尾を振り始めた。
「……前言撤回だ。やっぱり樽で胃薬を注文しておいてくれ、ソフィア……」
「了解しました」
劇的な進歩と、光の速さでの逆戻り。
それでも、雨降る街角で寄り添って歩いたあの静かな時間は、確かに私たちの中に『本物の夫婦』としての絆を育てていた。
私は呆れながらも、足元で目を輝かせる旦那様の頭を、傘の下で優しく撫でてあげるのだった。




