最強のオジ様との別れ〜私が他の男に抱きついた瞬間、旦那様が全身から血を流して『嫉妬』を我慢しました!〜
第四王女エルザによるハニートラップ作戦が、ユリウス様の鉄壁のヤンデレ防壁と私の『お座り』コマンドによって粉砕されてから、数週間後。
城の会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
「……王都からの緊急通達です。先の作戦失敗に業を煮やした軍事国家が、ついに強硬姿勢に出ました」
シリル様が手元の書状を読み上げ、眉間を深く揉みほぐした。
「国境付近の海域に、彼らの誇る無敵艦隊が集結しつつあります。武力による、我が国への本格的な侵攻準備です」
その言葉に、私は息を呑んだ。
エルザ王女が放った「国を火の海にする」という脅迫は、決してハッタリではなかったのだ。
「フン。手間が省けた」
私の隣で、ユリウス様が冷酷な笑みを浮かべた。その青い瞳には、若き公爵としての恐るべき魔力と闘気が渦巻いている。
「私のリリアを脅かした罪、その命で購わせる。私が単身で海へ飛び、軍事国家の艦隊ごと、あの忌まわしい国を絶対零度の氷河期に沈めてやろう」
「ダメです、ユリウス様!!」
私は反射的に彼の腕を掴んだ。
「あなたが一人でそんな魔法を使ったら、大陸の生態系が壊れます! それに、いくらあなたでも、国を相手に一人で戦うなんて危険すぎます!」
私が必死に止めると、ユリウス様は「ご主人様の言う通りにする」と大人しく引き下がったが、その瞳の奥では未だ猛烈な吹雪が吹き荒れていた。
「……やれやれ。若い奴にばかり、重い荷物を背負わせるわけにはいかねぇな」
会議室の隅で葉巻を吹かしていたヴィクトル様が、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ、潮風が恋しくなってきたところだったんだ。ちょうどいい」
ヴィクトル様は愛用のロングコートを肩に羽織り、ただの散歩にでも行くかのような気楽な口調で言い放った。
「軍事国家の大艦隊だか何だか知らねぇが、俺が海に出るついでだ。途中でちょっとばかり『大掃除』をしてきてやるよ」
「ヴィクトル様……! まさか、お一人で乗り込むおつもりですか!?」
私が驚いて立ち上がると、ヴィクトル様は隻眼を細めて優しく微笑んだ。
「お嬢さん。俺は元々、海を漂う風来坊だ。こんな堅苦しい城は、俺の性分じゃねぇ。……それに、お前にはもう、俺という『安全圏』は必要ないだろう?」
ヴィクトル様の視線は、私の隣で控えているユリウス様に向けられた。
ユリウス様は私の言葉に従い、静かに、しかし確実に私を守るための魔力を研ぎ澄ませている。
「……あの狂犬も、随分と立派な『番犬』に育った。お前が手綱を握っている限り、この男はお前を傷つけるすべてのものから、命に代えてもお前を守り抜くさ」
「ヴィクトル様……」
「俺からの、最後の世話焼きだ。お前たちの平穏な新婚生活を邪魔するような連中は、この国を二度と狙わないように、俺の力で完膚なきまでに叩き潰して、守ってやる」
一切の気負いも、悲壮感もない。
ただ、世界最強の力を持つ大人の男としての、絶対的な安心感とダンディズムがそこにあった。
その日の夕刻。城の正門前で、私たちは旅立つヴィクトル様を見送っていた。
夕日に照らされる彼の大きな背中を見ていると、豪華客船での出会いや、彼に匿ってもらった時の絶対的な安心感が胸に蘇り、どうしようもなく鼻の奥がツンと痛くなった。
「ヴィクトル様……っ!」
私は堪えきれず、駆け出して、ヴィクトル様の大きな背中にギュッと抱きついた。
「今まで、本当にありがとうございました……! あなたがいてくれたから、私、ここまでやってこれたんです……!」
ボロボロと涙をこぼしながら、彼のコートに顔を埋める。
――その瞬間だった。
私の背後から、信じられないほどの『重圧』と『冷気』が膨れ上がった。
「(……ユリウス様……!)」
自分が他の男に抱きついているのだ。
これまでのヤンデレ公爵なら、間違いなく「リリアに触れる男は死ねぇぇっ!」と絶叫し、ヴィクトル様もろとも城を氷山に変えていたはずだ。
私は恐る恐る振り返った。
そこには、両手を固く握りしめ、全身をワナワナと激しく震わせているユリウス様の姿があった。
「ギ、ギギギギギギギギッ……!!!!」
ユリウス様の足元の石畳が、彼の漏れ出る魔力によってバキバキと音を立てて凍りついていく。
彼の強靭な腕の血管ははち切れんばかりに膨張し、握りしめすぎた拳からは、ポタポタと赤い血が滴り落ちていた。
「……ユリウス、様……?」
「た、耐えろ……。耐えるのだ、私……!」
ユリウス様は、奥歯が砕けそうなほど強く噛み締めながら、血の涙を流して自分自身に言い聞かせていた。
「ヴィクトルは……リリアの恩人だ……! そしてリリアは今、心からの感謝を伝えている……! それを私の下劣な嫉妬で、邪魔をしてはならない……! 私は、彼女の誇り高き番犬(夫)なのだから……!!」
凄まじい嫉妬と独占欲を、彼自身の『自制心』と『リリアへの愛』だけで必死に抑え込んでいるのだ!
「分析……!」
ソフィア様が、バインダーを持つ手を震わせながら叫んだ。
「従兄殿の嫉妬による魔力エネルギーが臨界点を突破! しかし、自己の精神力のみでその暴走を内部に封じ込めています! ……奇跡です。彼が、彼自身の意思で『我慢』を覚えました!!」
「よく耐えている! 偉いぞ従兄殿! お前も成長したんだな!!」
シリル様が感動のあまり胃薬を投げ捨て、泣きながら拍手喝采を送っている。
「……はっはっは。愛されてるなぁ、お嬢さん」
ヴィクトル様は、血を流しながらプルプルと震えているユリウス様を見て、愉快そうに笑った。
そして、私の頭をポンと優しく撫で、そっと引き剥がした。
「じゃあな。泣くのは似合わないぜ、猛獣使い」
「……はいっ! どうか、お気をつけて!」
ヴィクトル様は振り返ることなく、夕日に向かって歩き出した。
その後ろ姿は、最後まで果てしなく渋く、そして絶対的な安心感に満ちていた。
ヴィクトル様の姿が見えなくなった瞬間。
「ハァァァァァァァァッ!! 終わったか!? 終わったなリリア!! ああ、私の理性は千切れる寸前だった!!」
ユリウス様が凄まじい勢いで私に突進し、私を腕の中に力強く抱え込んだ。
「さあ! 今すぐ私に君の香りを上書きさせてくれ! あの男の残り香を、一ミリ残らず消し去ってやる!!」
「ちょっとユリウス様! 拳の血を拭いてからにしてください!!」
最強のオジ様は、国を脅かす脅威を大掃除するために、再び海へと旅立っていった。
そして、私の二度目の人生の平穏は。
「嫉妬を自力で我慢できるようになった(ただし反動がものすごい)」という、ヤンデレ公爵のわずかな、しかし確かな成長と共に、新しい夫婦の形へと歩みを進めていくのだった。




