「船旅の終わりを飾る仮面舞踏会にて〜旦那様が仮面の下で嫉妬の炎を燃やしすぎて、会場がサウナ化しています!〜」
豪華客船オーシャン・パール号での旅も、ついに最後の夜を迎えた。
明朝には大陸の終着港へと到着する。
この狂気とカオスに満ちた(そして私にとっては最高の推しとのバカンスだった)船旅も、ようやく幕を閉じようとしていた。
「……義姉上。今夜は旅の締めくくりとして、乗客全員参加の『仮面舞踏会』が開かれます。従兄殿には、前もって厳重に言い聞かせておきました。……二度とホールを氷漬けにしたり、巨大な重金属マトリョーシカに封印したりしないと誓約書を書かせています」
シリル様がホイッスルを胸元に仕舞い、疲れ切った表情で言った。
この数日間、ユリウス様の暴走を食い止め続けた彼には、もはやボロボロの勲章を贈ってやりたいほどだ。
「ええ、さすがのユリウス様も、ヴィクトル様の『大人の余裕』を学んでからは、あからさまな暴走は控えていますから……きっと今夜は大丈夫ですよ」
「……だといいのですが。ソフィア、会場の監視体制を最大レベルに設定してください」
華やかなシャンデリアと、優雅な音楽が流れるメインホール。
私たちは皆、素顔を隠すための仮面を身につけ、社交会を楽しんでいた。
私は、ヴィクトル様から借りた「銀色の鳥の仮面」をつけ、彼の隣(絶対安全圏)で静かに紅茶を飲んでいる。
「ふん。仮面をかぶったところで、俺には誰が誰だかまるわかりだがな」
「ヴィクトル様、本当に洞察力が鋭いんですね! さすがです!」
私は彼への称賛を惜しまない。
ユリウス様が壁際からジリジリと私を見つめている気配を感じるが、ヴィクトル様が隣にいるおかげで、今のところ物理的な距離は保たれている。
「リリア。踊るか?」
「えっ、ヴィクトル様と、ですか!?」
心臓が跳ね上がるのを感じたその時だった。
「……おっと。ダンスは、その仮面をつけた紳士の特権にしておこう」
ヴィクトル様が指差した先には、黒い仮面で素顔を隠したユリウス様の姿があった。
彼は以前のようなモノクルを外す代わりに、なぜか腰に『中世騎士風のレイピア(※もちろん鈍ら)』を佩き、完璧な貴族の立ち振る舞いで、恐る恐るこちらへ近づいてきたのだ。
「……リリア。今夜は、君をダンスに誘いに来た。ヴィクトル……いや、この凄腕の猛者よ。レディを、ほんの一曲だけ借りるぞ」
ユリウス様の声は低く、渋く、かつてないほど『余裕のある男』を演じようと必死だった。
……正直、その腰のレイピアが盛大に邪魔で、歩くたびに壁にコツコツ当たっているのが、逆に余裕のなさを露呈させている。
私がユリウス様の手を取り、ダンスホールへと踏み出した時。
ホール全体の空気が、一瞬にして『カッカッ!』と音を立てて上昇した。
「(……あ、暑い……っ!?)」
ユリウス様の吐息が、まるで熱風のように私の耳元をかすめる。
彼はダンスをしながら、私の腰を抱く手に、あり得ないほどの熱量を込めていた。
「リリア……君が他の男の隣で楽しそうにしているのを見て、私の胸の中は、灼熱のマグマのように煮えくり返っているんだ……!」
「ユリウス様、暑いです! 仮面舞踏会の会場がサウナみたいになってますよ!」
実際、ユリウス様がステップを踏むたびに、床のワックスが熱で溶け出し、周囲の乗客たちが「な、なんだこの異常な熱気は!?」と驚いて逃げ出している。
嫉妬の炎を物理的な熱として放射するなんて、どんだけ重い愛なのよ……!
「ふん。坊主、温度調節もできないのか?」
冷ややかな声と共に、ヴィクトル様が私たちの間をスッと横切った。
「失礼。レディが暑さで倒れそうだ」
ヴィクトル様が氷の入ったグラスを軽くシェイクする。
すると、氷が鳴らす涼やかな音色と共に、ホール全体に冷たい冷気が駆け抜け、一気に適温まで下がった。
「……ッ!!」
ユリウス様のヤンデレ熱線は、ヴィクトル様の『氷の音による冷却』によって、一瞬で中和された。
周囲の乗客たちは「おお……涼しいぞ……!」「ヴィクトル様のおかげだ!」と歓声を上げ、ユリウス様は再びヴィクトル様の圧倒的な『格の違い』に、悔しげに唇を噛んだ。
ダンスが終わり、船旅の締めくくりとして、夜空に船から『色鮮やかな花火』が打ち上げられた。
甲板で花火を見上げる私たち。
その隣には、相変わらず渋いオーラを放つヴィクトル様がいる。
「……随分と賑やかな旅になったな。坊主、お前も少しは丸くなったようじゃないか」
「……ヴィクトル。私は、リリアの『自由』という名の風を、まだ完全には理解できていないかもしれない。だが……彼女を壊すことだけは、二度としないと誓った」
ユリウス様は、私の手を握りしめることなく、ただそっと、私の隣で空を見上げた。
その表情には、これまでのヤンデレの狂気が消え去り、静かな、しかし確かな『愛情』が灯っていた。
「……リリア。これからも、君の隣にいる男が、私よりも『余裕のある男』であればあるほど、私は悔しくて眠れない夜を過ごすだろう。だが、君がその場所で笑っているなら……私は我慢しよう」
それは、これまでで一番の、ユリウス様らしい『不器用で、重たく、でも嘘偽りのない』愛の告白だった。
「ユリウス様……」
「おやおや、良い旅の終わりじゃないか」
ヴィクトル様が、最後の葉巻を消しながら、小さく笑った。
豪華客船の旅は、ヤンデレ公爵が『大人の余裕』を勘違いして空回りし、最強のオジ様がそれを圧倒的なダンディズムで鎮め続け、私はその二人の間で、推しを愛でつつ死ぬほど胃を痛めるという、最高にカオスな思い出と共に幕を閉じた。
明朝、港に着いたその先には、どんな物語が待っているのだろうか。
私は、シリル様がホイッスルを鳴らし、ソフィア様が「解散後の予定表」を配り始めるのを見ながら、二度目の人生の、まだ終わりの見えない冒険(防衛戦)に、小さくため息をつくのだった。




