「最後の寄港地で『大人の思い出作り』に出かけました〜旦那様がビリヤードの球を音速で射出してバーを半壊させました!〜」
ユリウス様がヴィクトル様の『ダンディズム』を勘違いし、片目にモノクルを装着して若手騎士を論理的に圧殺するようになった数日後。
私たちの乗るオーシャン・パール号は、大陸沿岸の寂れた、しかしどこか情緒のある港町へと寄港した。
「……この船旅も、いよいよ終盤だな」
甲板で葉巻を咥えたヴィクトル様が、潮風に目を細めながら呟いた。
彼は隣でモノクルを光らせているユリウス様に視線を向け、低く渋い声で誘いかけた。
「坊主。この船が途中の港に寄るのも、ここが最後だ。どうだ、俺と二人で街へ降りて『大人の思い出作り』でもしないか? 表面上の余裕じゃない、本物の『男の遊び』ってやつを教えてやるよ」
「ほう。この私に教えを乞う隙を与えるとは。……よかろう、貴様のダンディズムの真髄、見極めてやろう」
ユリウス様はふんぞり返って答えたが、その顔はどこか「ヴィクトルの秘密を知れる」と期待に満ちていた。
「(えっ!? ヴィクトル様とユリウス様が二人で街に!?)」
それを聞いていた私は、慌てて飛び出した。
「あのっ! 私も行きたいです!!」
「リリア? 君は船の安全な部屋で待っているべきだ。男同士の社交の場に、美しい君を晒すわけには……」
「ダメです! ヴィクトル様……じゃなくて、最後の街の景色を、私の目に焼き付けておきたいんです!」
私の必死の訴え(推し活への執念)に、ヴィクトル様は「やれやれ」と苦笑いして肩をすくめた。
「俺の背中に隠れてるってんなら、連れてってやってもいいぜ、お嬢さん」
「はいっ!!」
「……お待ちください。この狂犬(従兄殿)と猛獣(ヴィクトル氏)を街へ放てば、港町が一つ地図から消えかねません」
そこへ、すかさずシリル様とソフィア様がバインダーを手にして合流した。
「生態記録および、有事の際の魔法的ストッパーとして、我々も同行します」
「……勝手にしろ。俺は観光ガイドじゃねぇぞ」
こうして、ヴィクトル様の発案による「ユリウスのための男の思い出作り」は、なぜか五人全員での大所帯な街ブラへと変更されたのだった。
ヴィクトル様が案内したのは、観光客向けの華やかな大通りではなく、港の裏路地にある薄暗い、いかにも「大人の隠れ家」といった雰囲気のバーだった。
店内には紫煙が漂い、ジャズのレコードが流れ、奥には『ビリヤード台』が置かれている。
「マスター。バーボンをロックで。……こいつらには、オレンジジュースでも出してやってくれ」
「誰が子供だ! 私にも同じものを出せ!」
ユリウス様がモノクルをカチャリと鳴らしながら抗議するが、マスターはヴィクトル様の顔を見て無言でジュースを差し出した。
「坊主。酒ってのは、己を律することができる奴だけが飲むもんだ。お前みたいに、少し離れただけで女をチラチラ見てるような奴は、アルコールで理性が飛んだら即犯罪者だぞ」
ヴィクトル様の言う通り、ユリウス様は「余裕のある男」を演じながらも、私の周りに近づく酔っ払いがいないか、五秒に一回は血走った目で店内を威嚇していた。
「……さて。ただ座ってるだけじゃ退屈だ。一勝負するか」
ヴィクトル様は立ち上がると、奥のビリヤード台へ向かい、長い木の棒を手に取った。
そして、手球(白い球)に向かって身を屈め、鋭い隻眼で狙いを定める。
――カァンッ!
乾いた音と共に、手球が弾け、見事なブレイク(最初の球割り)が炸裂した。
散らばった色とりどりの球が、次々とポケット(穴)に吸い込まれていく。
その一連の動作の、なんと美しく、余裕に満ちていることか!
「わぁぁ……! ヴィクトル様、素敵です!!」
「はっはっは。お嬢さん、これはただの物理計算と、指先のコントロールさ。力みすぎても、弱すぎてもいけない。……人生と同じだ」
「キャー! 言葉まで渋い!」
私が両手を合わせて黄色い歓声を上げていると。
――バキィィィィンッ!!!!
「……ッ!?」
背後で、凄まじい破壊音が鳴り響いた。
「フンッ。ただの球遊びではないか。こんなもの、計算などしなくとも、私の力と愛の重力があれば一撃だ!!」
ユリウス様が、ヴィクトル様に対抗して別の台でブレイクショットを放ったのだが。
その光景は、もはやスポーツの次元を完全に逸脱していた。
ユリウス様がキューで突いた手球は、摩擦で発火しながら『音速』を超え、台の上の的球を粉砕し、そのままバーのレンガの壁を貫通して、外の路地まで吹っ飛んでいったのだ!
「「「ヒィィィィッ!! 大砲の音がしたぞ!?」」」
店内にいた他の客たちが、悲鳴を上げて一斉にテーブルの下に潜り込む。
「記録……」
ソフィア様が煙を上げる壁の穴を見つめながら、淡々とバインダーに数値を書き込む。
「従兄殿の打撃エネルギー、大砲の徹甲弾に匹敵。壁の修繕費および、精神的苦痛への慰謝料を計算中」
「シリル! 貴様の『概念切断』で威力を減衰させなかったのか!」
「させたさ! させた上で壁に大穴が空いたんだよ!! どんだけ力んでるんだこの筋肉ヤンデレは!!」
シリル様がホイッスルを肺が千切れるほど吹き鳴らした。
「坊主……」
ヴィクトル様はため息をつき、バーボンを呷った。
「俺は言ったはずだぜ。『力むな』ってな。お前のその異常な出力は、全て『女に見栄を張りたい』っていう強すぎる執着から来てるんだ。……そんなにガチガチに力んでたら、いつか自分のキュー(心)が折れるぞ」
「……ぐっ」
ユリウス様は図星を突かれ、手元のキューをギリッと握りしめた。(そしてキューは握力で木端微塵に粉砕された)。
「ほら、お嬢さん。お前も一本突いてみるか?」
「えっ? 私がですか?」
ヴィクトル様は、自分が使っていたキューを私に差し出し、ビリヤード台の前に立たせてくれた。
そして、私の背後に立ち、優しくフォームを教えてくれる。
「左手はこうやってブリッジを作る。右手は力を抜いて、真っ直ぐに押し出すんだ」
「こ、こうですか?」
大人の色気と葉巻の香りが、背後からフワリと漂う。
私は推し(ヴィクトル様)との間接的なスキンシップに、心臓が爆発しそうになっていた。
――そして、その光景を。
壁際でジュースを持たされているユリウス様が、血の涙を流しながら見つめていた。
「(……殺す……!! ヴィクトルの腕ごと、あの空間を氷河期に沈めてやる……!!)」
「ピッ!! 従兄殿、殺気が漏れすぎてグラスのオレンジジュースがシャーベット状になっています! ここで魔法を使ったら、マジでこの街が終わりますよ!!」
シリル様が必死にユリウス様の腰にすがりついて止めている。
「よく見ていろ、坊主」
ヴィクトル様は、私にビリヤードを教えながら、ユリウス様に向かって不敵に笑いかけた。
「女ってのは、こうやって『自由に遊ばせておく』くらいの距離感が一番輝くんだ。ガチガチに縛り付けて、壁に大穴を開けるような男の隣じゃ、息が詰まるだけだぜ」
「……!!」
ヴィクトル様の言葉に、ユリウス様はギリッと奥歯を噛み締め、俯いた。
いつもなら「黙れ! リリアの自由は私の中でだけ許される!」と吠えるところだが、先日の『男の語らい』があったせいか、ユリウス様は反論できず、ただ悔しそうにプルプルと震えていた。
最後の寄港地での、ヴィクトル様による『大人の思い出作り(男の社会科見学)』は。
ユリウス様の音速のブレイクショットによる器物破損と、ヴィクトル様の『圧倒的な大人の余裕』を見せつけられるという、ヤンデレ公爵にとっての公開処刑場と化した。
バーの壁に開いた大穴から差し込む月明かりの下で。
私の二度目の人生の平穏は、ヴィクトル様という絶対安全圏に守られながら、少しずつ、本当に少しずつだが、ユリウス様の「力み(束縛)」を削り落としていくのだった。




