「ダンディズムを学んだ旦那様が『余裕のある男』を演じ始めました〜冷徹な眼差しで私を遠くから監視し、秒速で騎士を論破しています!〜」
伝説の冒険者・ヴィクトル様との語らいにより、ユリウス様のヤンデレ公爵としての狂気は、確かに『一時的な沈静化』を見せていた。
アイマスクを外し、私に触れるのを自制し、そして何より……私を鉄のダルマに封印しようとしなくなったのだ。
「……おはよう、リリア」
翌朝、朝食の席に現れたユリウス様を見て、私は思わず噴き出しそうになった。
彼は髪をオールバックに整え、なぜか片目に『モノクル(単眼鏡)』を装着し、ヴィクトル様を意識したような渋い大人の笑みを浮かべていた。
手には、昨日の騒動を忘れたかのような、優雅に揺れるワイングラス(中身はただの葡萄ジュース)
「……今日はいい天気だな。ヴィクトルが言っていた『大人の甲斐性』とやらを学んでみたのだが……どうだ、少しは余裕のある男に見えるだろうか?」
ユリウス様は、不自然なほどキリッとした表情でウインク(のつもり)を飛ばしてきた。
……正直に言って、余裕というよりは『必死に何かの役を演じている子供』に見える。
「あ、はい……。とても、渋くて、かっこいいです……!」
「ふっ……そうか。なら、今日はリリアの自由時間を一時間だけ増やしてやろう。私はこうして、少し離れた場所から、君が社交的に振る舞う姿を静かに見守ることにする」
ユリウス様は、ラウンジの壁際へ歩いていくと、まるで映画の登場人物のように気障なポーズで仁王立ちした。
確かに近づいてはこない。
けれど、その瞳は変わらず私を一点集中で射抜いているし、何より、彼が立っている周辺だけ温度が急激に下がっている。
「……分析。従兄殿は『ダンディズム』を『距離を置くこと』と『無表情で凝視すること』と履き違えています。これでは一般客が恐怖で逃げ出します」
ソフィア様がバインダーを片手に、冷徹な一言を放った。
船旅も後半に差し掛かり、今夜は乗客を招いた最後の『社交会』が行われることになっていた。
ユリウス様は、例のモノクルを装着したまま、壁際でワイン(ジュース)を片手に、まさに『余裕のある男』を演じ続けている。
「リリア。さあ、踊ってきな。ただし、相手は私が許可した者のみだ」
ユリウス様は私をダンスフロアに送り出した。
……といっても、彼が許可したのは『船の船長(七十歳)』と『船医(八十歳)』という、極めて高齢の二名のみである。
「(……私、おじいちゃんたちとばかり踊らされてるわ……)」
私は、高齢の船医の手を引きながら、ワルツを踊る。
ユリウス様は、そんな私を遠くから眺めながら、モノクルを光らせてニヤリと笑う。
「ふふっ……いいぞ、リリア。素晴らしい社交性だ。……だが、あの男(船医)め、君の背中に触れる左手の位置が五ミリほど低い。あとで指導が必要だな」
壁際から送られる無言のプレッシャー(凍気)。
せっかくのダンスなのに、私は心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していた。
その時。一人の若く爽やかな青年騎士が、私に近づいてきた。
彼はこの船の警備を担当している、礼儀正しい好青年だ。
「……失礼ですが、お嬢様。一曲、お相手していただけませんか?」
彼は満面の笑みで、紳士的に手を差し伸べてきた。
私はドキリとした。ユリウス様の許可リストには入っていない!
案の定、壁際にいたユリウス様の空気が凍りついた。
「(ダメよ! 今そんなことしたら、また船が凍らされちゃう!)」
私が断ろうとした、その瞬間。
ユリウス様が、カツ、カツ、カツ、と優雅な足取りで近づいてきた。
その顔には、ヴィクトル様を真似た、余裕たっぷりの微笑みが浮かんでいる。
「おっと。若い騎士殿、君の情熱は素晴らしい。だが、このダンスステップの拍子、少しずれているぞ」
ユリウス様はモノクルを外すと、爽やかに微笑みながら、若者の肩に手を置いた。
「……は、はい?」
「君の今のステップだと、リリアの美しいドレスの裾を踏んでしまうだろう。いいか、社交ダンスとは『相手を輝かせる』ものだ。君のような未熟な騎士がリードするよりは、私が理論的に指導してあげよう」
「だ、ダンディズム……! 公爵閣下、ご指南いただけますか!?」
ユリウス様は、騎士の足元をジッと見つめ、淡々と話し始めた。
「まず、君の左足の重心が三度ほど外に逃げている。これは骨格の歪みだ。次に、右手で相手をホールドする力加減が四ニュートンほど強すぎる。それでは相手は窮屈だろう。極めつけは、君が今考えている『リリアを誘うロマンチックな言葉』だが……君の語彙力では、彼女の心に響く『詩』を紡ぐことは不可能だ」
ユリウス様は、騎士の足運び、手さばき、表情、果ては今朝の朝食のメニューまでを、緻密な論理と冷徹な分析で次々と指摘していった。
「……えっ、あ、えっと……」
「君はダンスをする資格がない。いや、今の君がリリアに触れれば、君自身の騎士としてのプライドが、このステップの拙さによって粉砕されるだろう。……席に戻って、出直してくることを勧める」
騎士の青年は、ユリウス様の冷酷無比かつ論理的なダメ出しに、完全に打ちのめされ、顔を真っ赤にして逃げ出していった。
「ふぅ……。教え導くのも、骨が折れるな」
ユリウス様は、何事もなかったかのようにワイン(ジュース)を呷り、また壁際へと戻っていく。
騎士を追い払ったのには違いないが、その姿はどこまでも『余裕のある、かっこいいと(勘違いしている)公爵』そのものだった。
「ピッ……! 従兄殿、威圧的かつ非生産的なマウンティングです。減点」
シリル様がホイッスルを鳴らすが、ユリウス様はモノクルを装着し、再び遠くから私を凝視し始めた。
(……ねえ、ソフィア様。これ、ヴィクトル様の『ダンディズム』を完全に勘違いしてない?)
「肯定。あれはダンディズムではなく、単なる『論理による圧殺』です。ですが、以前のように物理的な暴力を振るわず、言葉で相手を排除している分、船の安全基準は保たれています」
私は、壁際でモノクルを光らせて「遠くから愛を囁いている(つもり)」のユリウス様を見ながら、静かに紅茶を飲んだ。
ヴィクトル様を模倣した『余裕のある男』の演技は。
物理的な衝突を避けつつ、論理的なダメ出しでライバルを排除するという、極めてユリウス様らしい『性格の悪さ(ヤンデレの新たな一面)』を際立たせる結果となった。
船の安全は保たれたけれど、私の二度目の人生の平穏は、モノクル越しに飛んでくる「論理的かつ情熱的な熱視線」によって、今日もジワジワと焦がされ続けていくのだった。




