「最強のオジ様が語る悲しき過去〜旦那様が『男同士の語らい』で初めて少しだけ反省しました!〜」
豪華客船のダンスパーティーで、ユリウス様の大魔法『無限の円舞曲』が、ヴィクトル様の「グラスの氷を鳴らす音」ひとつで粉砕されてから数時間後。
深夜の静まり返った甲板で、ユリウス様は一人、冷たい海風に吹かれながら手すりを殴りつけていた。
「くそっ……! なぜだ! なぜ私の愛が、あんな初老の男のデコピンや氷の音ごときで弾き飛ばされるのだ!! これではリリアを外界の脅威から守りきれないではないか!!」
いくら魔法の出力や物理的な筋力を上げても、ヴィクトル様の『圧倒的な覇気とダンディズム』の前には全てがハエのようにあしらわれてしまう。
無敵のヤンデレ公爵にとって、人生で初めて味わう「絶対的な敗北感」だった。
「……随分と、力を持て余しているようだな、坊主」
暗闇の中から、赤い火を燻らせた葉巻の香りと共に、ヴィクトル様が静かに姿を現した。
「ヴィクトル……! 貴様、私を嘲笑いに来たのか! 今ならシリルもいない、ここで決着を……!」
「よせ。俺はアンタと殺し合いをしに来たんじゃねぇ」
ヴィクトル様は、殺気を放つユリウス様を前にしても全く動じず、隣の手すりに寄りかかって夜空の月を見上げた。
そして、低く、波の音に溶け込むような声で切り出した。
「少し、昔話に付き合えよ。俺のな」
「(……ヴィクトル様の、昔話……!?)」
実はその頃、私は眠れずに甲板へ涼みに来ており、偶然にも二人の密会の現場に居合わせてしまっていた。
私は慌てて救命ボートの陰に隠れ、息を潜めて二人の会話に耳を傾けた。
「昔話だと? くだらん。貴様の過去になど微塵も興味はない。私はリリアの未来のことしか……」
「俺も昔は、アンタと同じだった」
ヴィクトル様のその一言に、ユリウス様の口がピタリと止まった。
「俺も若い頃は、力がすべてだった。海軍の大将まで上り詰め、あらゆる敵を恐怖で支配した。……そして、俺にも一人だけ、命に代えても守りたい女がいたんだ」
「……」
「俺は彼女を愛するあまり、世界中の脅威から彼女を隠そうとした。誰の目にも触れさせず、俺の力で分厚い『結界(鳥籠)』を作り、その中心に彼女を閉じ込めた」
「(……それ、マトリョーシカの時と完全に同じ発想じゃない!)」
私はボートの陰でハッとした。
あの最強で冷静沈着なヴィクトル様に、そんなユリウス様そっくりのヤンデレな過去があったなんて!
「俺はそれで、彼女を完璧に守れていると信じ切っていた。俺の力の届く範囲にいれば、彼女は永遠に安全で、幸せだと……」
ヴィクトル様は、隻眼の右目を伏せ、苦く、後悔に満ちたため息を吐き出した。
「だが、違った。安全すぎる結界の中で、彼女の心は少しずつ窒息していった。笑顔は消え、鳥籠の鳥のように衰弱し……最後は、俺の手の届かない空の彼方(病)へと逝っちまった」
「……ッ」
「俺の強すぎる力が、俺の歪んだ愛が、一番大切な女を息絶えさせたんだ。……それに気づいた時には、もう、俺の隣には誰もいなかった」
ヴィクトル様の言葉には、深い悲しみと、途方もない喪失感が滲んでいた。
「(ヴィクトル様……そんな、悲しい過去を背負っていたなんて……)」
私は、ボートの陰で両手で口を覆い、ポロポロと大粒の涙をこぼした。
圧倒的な強さを持ちながらも、決してそれを見せびらかさず、常に一歩引いた大人の余裕を持っている理由。
それは、過去に自らの力で大切な人を壊してしまったという、取り返しのつかない『後悔』があったからなのだ。
その背中が抱える孤独な影に、私はさらに胸を締め付けられ、ヴィクトル様への尊敬と庇護欲求(推し活)が天元突破しそうになっていた。
「……なぜ、私にそんな話をする」
ユリウス様は、いつもなら「敗北者の戯言だ」と一蹴するところを、珍しく静かな声で問い返した。
「アンタの目を見ていると、昔の俺を思い出して、酒が不味くなるんでね」
ヴィクトル様は葉巻を海に投げ捨て、残った左目で、真っ直ぐにユリウス様を射抜いた。
「坊主。力で縛り付けて、視界を塞いで、行動を制限して……それで彼女の体が守れたとしても、彼女の『心』は守れているのか?」
「……」
「お前のその異常な執着は、愛じゃない。ただの『自己満足』だ。このままだと、お前は俺と同じように、その自慢の腕力と魔力で、彼女の心を握り潰すことになるぜ」
――自己満足。心を握り潰す。
その言葉は、シリル様やソフィア様の「減点です」「論理的ではありません」という事務的な説教とは違い、圧倒的な実体験(敗北)を伴った、重く、鋭い刃となってユリウス様の胸に突き刺さった。
「……私が、リリアの心を、握り潰す……?」
ユリウス様は、自分の両手を見つめた。
豪華客船を素手で押し切り、砂浜を握力でダイヤモンドに変えた、その強靭な両手を。
「リリアは……私の愛の言葉に怯え、私が造った氷の城で顔を青くし、鉄のダルマの中で泣いていた……。私は、彼女を守っているつもりで、彼女の翼をもぎ取ろうとしていたというのか……?」
「愛しているなら、信じてやることだ。目に見えない絆ってやつをな。……少しは彼女に『自由な風』を吸わせてやれ。それが男の甲斐性ってもんさ」
ヴィクトル様は、ポンッとユリウス様の肩を軽く叩き、背中を向けて歩き出した。
「話は終わりだ。俺は寝るぜ、坊主」
「……」
残されたユリウス様は、静かな波の音を聞きながら、いつまでもその場に立ち尽くしていた。
その氷の青い瞳からは、いつもの狂信的な熱が少しだけ引き、深い、静かな思索の色が浮かんでいた。
「(ユリウス様……)」
私はボートの陰からそっと立ち上がり、ユリウス様に近づこうとした。
しかし、ユリウス様は私の方を振り返ると、どこか寂しげに、しかしひどく優しい顔で微笑んだ。
「……隠れて聞いていたのだろう、リリア。すまなかったな、夜風に当たらせてしまって」
「あ、えっと……」
いつもなら「こんな夜更けに出歩くなど! 今すぐ私の腕の中に隔離しよう!」と突進してくるところだが、ユリウス様はその場から一歩も動かなかった。
「……ヴィクトルの言う通りだ。私は、君の体を守ることに固執するあまり、君の心を縛り付け、息苦しくさせていたのかもしれない」
「ユリウス様……」
「シリルやソフィアに言われても反発するだけだったが……あの男の言葉には、不思議と重みがあった。……私は、君を壊したくはない。君の笑顔を、君自身の意思で咲かせてほしいのだ」
ユリウス様は、胸に手を当て、深く頭を下げた。
「今夜は、少し頭を冷やそう。……おやすみ、私の愛しいリリア。君の夢が、自由で平和なものであることを祈っているよ」
そう言って、ユリウス様は私に触れることなく、静かに客室の方へと歩き去っていった。
「……えっ」
私は、ポツンと一人、甲板に取り残された。
信じられない。あの重力異常のようなヤンデレ公爵が、自らの非を認め、私に一切の干渉をせずに「おやすみ」と言って去っていったのだ!
(ユリウス様が……本当に、少しだけ心がやわらいだ……! ヴィクトル様、凄すぎるわ!)
最強の渋いオジ様、ヴィクトル。
彼のもたらした『大人の男の語らい』は、分刻みのスケジュールや概念切断の魔法でも砕けなかったユリウス様のヤンデレの鎧に、初めて『他者への共感と反省』という小さなヒビを入れることに成功した。
星空の下、私はヴィクトル様への推し活を一生続けることを心に誓いながら、久しぶりに「普通の夫婦の距離感」を見せてくれたユリウス様の背中を、少しだけ温かい気持ちで見送るのだった。




