「氷の海を脱出するために『カーリング』を提案しました〜旦那様が豪華客船を石に見立てて、乗客二千人に命がけのブラシがけを強要しています!〜」
ユリウス様が「リリアの雪遊び(かまくら)のため」という名目で錬成した超巨大氷雪城を、シリル様がチート魔法『概念切断』を乱発して粉砕した翌日。
「……駄目だ。魔力が、底をついた……」
豪華客船オーシャン・パール号の甲板のデッキチェアで、最強の生活改善指導員であるシリル様が、白目を剥きかけてぐったりと倒れ込んでいた。
「シリル様! 大丈夫ですか!?」
「義姉上……。従兄殿の無限の魔力を相殺し続けた結果、私の『概念』を切り裂く力が枯渇しました。……一日だけ、回復のための睡眠をとらせて、ください……ガクッ」
シリル様はそう言い残し、深い眠りへと落ちてしまった。
隣でソフィア様がスッと眼鏡を押し上げ、冷徹にバインダーに数値を書き込む。
「シリルの魔力残量、ゼロ。これに伴い、本船の周囲百キロメートルを覆う『絶対零度の氷』の融解作業は完全に停止しました。自然解氷を待つ場合、およそ三年と六ヶ月の月日をこの船の上で過ごすことになります」
「さ、三年も!?」
私は絶望で頭を抱えた。
食料はともかく、一般客たちの精神がもたない。
現に甲板の端では、毛布にくるまった乗客たちが「もう終わりだ……」「氷の公爵様の生贄になるしかないんだ……」と念仏を唱え始めている。
(どうしよう! ストッパーのシリル様が機能停止した今、ユリウス様がまた「三年分の愛の巣作り」とか言って暴走を始めたら、それこそおしまいよ!)
なんとかして、魔法を使わずにこの氷の海から脱出、あるいは移動する方法はないか……。
私は前世の記憶をフル回転させ、氷上で行われる『ニホンのスポーツ』を思い出した。
「あの! ソフィア様、ユリウス様! 『カーリング』というスポーツを知っていますか!?」
「……カーリング、ですか?」
私の声に、腕を組んで海を睨んでいたユリウス様が反応した。
「はい! 氷の上で丸い石を滑らせて、目的の円にどれだけ近づけられるかを競う頭脳派スポーツです! 氷の上を『ブラシ(箒)』でゴシゴシと擦ることで、摩擦を減らして石を遠くまで滑らせることができるんです!」
私は力説した。
氷の摩擦を減らして物を滑らせる。
この原理を応用すれば、魔法を使わずに、船を少しずつでも陸地の方へ滑らせて移動できるのではないか!
「箒、だと……?」
ユリウス様の目の色がサッと変わった。
「以前、君が『ソウジ』と称してその薄汚い木の棒を握った時、私はそれをへし折って捨てたはずだ。……君の手を煩わせるなど言語道断」
「ち、違いますユリウス様! 私が箒を握るんじゃなくて、乗客のみんなで手分けして、船の前の氷を擦るんです! みんなで力を合わせて氷を磨けば、きっとこの船も滑って……!」
――その言葉を聞いた瞬間。
ユリウス様の氷の青い瞳に、凄まじい『ひらめき』の光が宿った。
「……なるほど。乗客(平民)どもに箒を握らせ、氷を磨かせる。摩擦を極限までゼロにし、巨大な石(船)を滑らせる……!」
ユリウス様はワナワナと肩を震わせ、歓喜の笑みを浮かべた。
「素晴らしいぞリリア! 三年もこの海で立ち往生すれば、君の美しい肌が潮風(凍気)で傷んでしまうと危惧していたのだ! だがその『カーリング』とやらの原理を使えば、魔法(シリルに怒られること)を使わずとも、純粋な『物理』だけでこの船を大陸まで送り届けることができる!!」
「えっ!? 物理で!?」
「ソフィア! シリルが寝ている間は、君がスケジュールの管理者だな!」
「はい。従兄殿の提案する『物理的解決法』のロジックを提示してください」
ユリウス様は、豪華客船を指さし、堂々と宣言した。
「この船を『石』に見立てる! 私は船の後ろに回り、私の『腕力』のみでこの巨大な船を押し出す! そして乗客二千人全員に箒を持たせ、船の進行方向の氷を死に物狂いで磨かせるのだ!!」
「(豪華客船でカーリングをやる気ーーっ!?)」
「計算完了」
ソフィア様がバインダーを叩いた。
「乗客二千人による摩擦係数の極限低下と、従兄殿の物理的膂力を掛け合わせれば、質量約十万トンの客船を氷上で時速八十キロまで加速させることが可能です。魔法を使用しないため、条約違反にも該当しません。……計画を承認します」
「承認しないでソフィア様ぁぁっ!!」
私の絶叫も虚しく、ロボット妻の合理的な判断により、前代未聞の『デス・カーリング作戦』が幕を開けた。
「起きろ平民ども!! これより貴様らを、我が妻リリアを大陸へ送り届けるための『専属スイーパー(清掃員)』に任命する!!」
ユリウス様は船の備品庫から大量のデッキブラシやモップを引っ張り出し、毛布にくるまっていた乗客たちに次々と押し付けた。
「ひぃぃっ! 公爵様! 何をするおつもりで!?」
「いいか、私は今からこの船を『素手』で押す! 貴様らは船の先頭に立ち、進行方向の氷をひたすらブラシで磨け! 摩擦を減らせ! もし手を抜いて船のスピードが落ちてみろ……貴様らは後ろから迫り来る客船の下敷きになって物理的にミンチだぞ!!」
「「「ギャアアアアアアッ!! 強制労働どころか命がけのデスゲームだぁぁぁっ!!」」」
乗客たちは悲鳴を上げながら、箒やブラシを握りしめ、船の舳先の前方の氷上に横一列に並ばされた。
その数、総勢二千人。
そしてユリウス様は、十万トンの客船の船尾(後ろ)の氷上に降り立ち、その分厚い鋼鉄の船体に、素手で両手をピタリと当てた。
「さあリリア、君は特等席(甲板)で見ていてくれ! 私の愛の力(筋力)が、どれほどの質量を動かせるかを!!」
「ユリウス様、無理です! いくらなんでも人間の力で客船が動くわけ……!」
「――フンッ!!!!」
メキィィィィィィィッ!!!!
ユリウス様の腕の筋肉が異常なほど膨張し、足元の絶対零度の氷が踏み込みの圧力だけでクレーターのように陥没した。
そして、信じられないことに――ズズズズズッ!!と、巨大な豪華客船が、氷の上を前方に滑り始めたのだ!!
「う、動いたぁぁぁっ!!? 人間の筋力じゃない!!」
「ヒィィィッ!! 船が迫ってくるぞ!! 磨け!! 死にたくなければ氷を磨けぇぇぇっ!!」
ゴゴゴゴゴゴォォォォンッ!!
乗客二千人は、背後から迫り来る巨大な船体(十万トンの死の壁)から逃げるために、狂ったようなスピードで氷をモップで磨き、走り始めた。
シャカシャカシャカシャカシャカシャカッ!!!!
二千人分の必死のスイーピングにより、氷の表面が摩擦熱でわずかに溶け、水膜が張る。それにより、船の滑走スピードはみるみるうちに上がっていく!
「ハッハッハ! いいぞ平民ども! リリアのために氷のレッドカーペットを磨き上げろ!!」
「ヤップ!! ヤップ!!(※カーリングで『掃け』の合図)」
「(ユリウス様、無駄に専門用語を使わないでーーっ!!)」
「時速七十五キロを突破。摩擦係数〇・〇〇二。極めて順調な滑走です」
甲板で、ソフィア様が風で髪をなびかせながら、ストップウォッチ片手に無表情で実況している。
私は強風に煽られながら、手すりにしがみついて悲鳴を上げていた。
「速い! 速すぎます! 前を走ってる乗客の皆さんが死に物狂いすぎる!!」
「休むな!! あと五十キロで大陸の港だ!! 氷を磨けぇぇぇっ!!」
「「「うおおおおおおっ!! 奥様(リリア様)のためにぃぃぃっ!!」」」
もはや乗客たちは、恐怖とアドレナリンが振り切れて謎のトランス状態に陥り、一糸乱れぬ動きで氷を磨きながら時速八十キロで氷上を爆走していた。
魔法を使わずとも、ヤンデレ公爵の『バグじみた物理筋力』と、二千人の『生存本能』が合わされば、客船すらも氷上を滑るカーリングの石と化すのだ。
そして、数十分後。
「……前方に大陸の港町を視認。対象、ハウスの中心です」
ソフィア様の報告と同時に、陸地が見えてきた。
「ウォー! そこだ! スウィープ・ストップ!!」
ユリウス様が船を押し出すのをやめ、氷に両足のスパイクを食い込ませて急ブレーキをかける。
凄まじい氷の飛沫が上がり、巨大な客船はズザァァァァァァァァッ!!と氷上を滑り続け――。
ドゴォォォォォォォンッ!!!!
大陸の港の桟橋に、見事なまでにピッタリと接舷(激突)し、完璧な位置で停止した。
「……ナイス・カーリング」
ソフィア様がバインダーを閉じ、パチパチと無表情で拍手をした。
「ぜぇ……ぜぇ……はぁ……!!」
「た、助かったぁぁぁ……!!」
船の前方で氷を磨き続けていた乗客二千人は、港に到着した瞬間、全員が魂を抜かれたようにバタバタと氷上に倒れ伏した。
「見たかリリア! 君の提案した『カーリング』のおかげで、魔法を使わずにたった一時間で大陸へ帰還できたぞ!! 君の知恵と私の愛の勝利だ!!」
ユリウス様は息一つ乱さず、爽やかな笑顔(※物理的に十万トンを押した直後)で私を見上げて親指を立てた。
氷の海から脱出するための、平和な『カーリング』の提案は。
「豪華客船を石に見立てて、乗客二千人に命がけで氷を磨かせる」という、物理法則と人権を完全に無視した超絶デス・スポーツへと変貌してしまった。
ぐっすりと眠り続けるシリル様を乗せたまま。
私の二度目の人生の平穏は、摩擦係数ゼロの氷上を、ブレーキの壊れたヤンデレと共に時速八十キロで爆走し続けるのだった。




