「ソフィア様が豪華客船の旅を提案しました〜旦那様が『波の揺れ』に激怒して海を丸ごと凍らせました!〜」
私のささやかな平和の祈り(折り紙)が、ユリウス様の魔力によって『一千羽のオリハルコン製殺人ドローン』へと変換され、寝室がズタボロに切り裂かれてから数日。
「……分析完了。従兄殿の異常行動は、この閉鎖空間(公爵邸)における『社会との断絶』が原因で加速しています」
壁も床も傷だらけになった寝室の中央で、ソフィア様が銀縁の眼鏡をスッと押し上げ、バインダーを叩いた。
「自分と義姉上以外の人間を『排除すべき敵』としか認識していない。これは、市井の人々の営みや、社会のルールへの理解が完全に欠如しているためです」
「それで、どうするんだソフィア。これ以上、王都の街中へ連れ出すのは危険だ」
シリル様がため息をつく中、ソフィア様は淡々と、しかし唐突に信じられない提案を口にした。
「環境を変えます。これより私たち四人で、南の海へ向かう『豪華客船での長期船旅』に出発します。もちろん、公爵の身分を隠し、一般客(ただの裕福な平民)としてです」
「ふ、船旅!? 一般客として!?」
私は驚きで声を上げた。
豪華客船でのクルーズ! しかも公爵という身分を隠しての一般客扱い! それってつまり、誰かに傅かれることもなく、周囲の目を気にしながら「普通に」生活しなければならないということだ。
「その通りです、義姉上。船というものは『閉鎖された一つの社会(生態系)』です」
ソフィア様は、二メートル離れたソファーに拘束されているユリウス様を見据えた。
「従兄殿。船の上では、あなたの暴走は即ち『船の沈没』を意味します。もしあなたが魔法を暴走させ、船体に穴を開ければ、無関係な市井の人々が命を落とすだけでなく……最愛のリリア義姉上を、冷たい海の底へ沈めることになります」
「……ッ!!」
ユリウス様の氷の青い瞳が、大きく見開かれた。
「制限のある環境下で、市井の人々と同じ目線で過ごすこと。己の暴走がどれほどの破滅(リリアの死)を招くか、その身をもって学習していただきます。よろしいですね?」
「……私が、リリアを海に沈めるだと? 冗談ではない! 私の魔力でリリアにエラ呼吸の魔法を……」
「『概念切断』で無効化します」
シリル様がすかさず冷酷な宣告を下す。
つまり、ユリウス様は「絶対に魔法を暴走させてはならない(=リリアが溺れるから)」という究極の人質(制限)を取られた状態で、一般人として船に乗らなければならないのだ。
「……チッ。分かった。リリアの命には代えられん。私がどれほど『普通の平民』として完璧に振る舞えるか、見せてやろう」
ユリウス様はギリッと奥歯を噛み締め、屈辱に耐えながらも承諾した。
(やったわ! ソフィア様の論理的脅迫が完璧に刺さってる! これでついに、平和な旅行が楽しめるんだわ!)
数日後。
私たちは大陸最大の港町から、超大型の豪華客船『オーシャン・パール号』に乗船していた。
設定は「新婚旅行中の裕福な若手商人の夫婦」と、「その護衛兼秘書」である。
身分を隠すため、服は上質だが派手すぎないものを着用し、ユリウス様の周囲を凍らせるオーラも、彼自身の強靭な精神力で極限まで抑え込まれている。
「わぁ……! 海だ! カモメが飛んでる!」
私は甲板に出て、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
どこまでも続く青い海。波の音。周囲には、談笑する一般の乗客たち。
これこそが、私の求めていた『普通の幸せな光景』だ!
「……リリア。海風が冷たい。あまり身を乗り出すな。その美しい髪が潮風で傷んでしまう」
ユリウス様が私の肩にそっと上着をかけてくれた。
その口調は穏やかで、いつものような「海を滅ぼす」といった物騒な単語は一切出てこない。
(すごい……! ユリウス様が、本当に普通の優しい旦那様になってる……!)
私は感動で胸が震えた。
ソフィア様の「船を沈めたらリリアが溺れる」という制限が、彼を見事に常識人へと縛り付けているのだ。
しかし、その直後だった。
甲板を通りかかった、人の良さそうな老紳士が私たちに声をかけてきた。
「やあ、若いお二人。新婚旅行かな? 旦那さん、こんなに美しくて可愛らしい奥さんをもらえて、本当に果報者ですな! ハッハッハ!」
「あ、ありがとうございます……!」
私が笑顔で会釈した、その瞬間。
ピキィィィン……ッ。
ユリウス様の足元の甲板が、うっすらと凍りついた。
「……はい、そうです。私の妻は、この宇宙で最も美しく、尊い……。どこの馬の骨とも知れない老いぼれが、気安く声をかけていい存在では……」
「従兄殿(旦那様)!!」
シリル様が背後からユリウス様の脇腹を思い切り小突いた。
ユリウス様はハッとして魔法を抑え込み、般若のような(引きつった)笑顔を老紳士に向けた。
「……あ、ありがとうございます。あなたも、どうぞ良い船旅を……(ギリギリギリ)」
ユリウス様は笑顔のまま、無意識に手すりの鋼鉄を握り潰していた。
老紳士は「ヒィッ!?」と悲鳴を上げて逃げていった。
「ピッ。従兄殿、殺気が漏れています。一般の平民は、妻を褒められたからといって相手の網膜を焼き切ろうとはしません。減点です」
「分かっている!! これでも極限まで我慢しているのだ!! リリアが他人の視界に入っているだけで、私の理性が悲鳴を上げている!!」
魔法は使えない。暴れれば船が沈む。
その極限のストレスにより、ユリウス様の目は血走り、唇からは血が滲むほどに自分を抑え込んでいた。
その夜。
豪華なメインダイニングで、私たちは一般客に混じってディナーを楽しんでいた。
「美味しいですね、ユリウス様! この魚料理、絶品ですよ!」
「ああ、君の笑顔が見られるなら、どんな苦痛(一般人に囲まれる環境)にも耐えられる……」
ユリウス様が私の口元についたソースを拭おうとした、その時だった。
――グラッ。
船が、ふいに大きく横に揺れた。
海上の天候が少し崩れ、波が高くなってきたのだ。
「あっ、危なっ……!」
私がバランスを崩しそうになった瞬間、ユリウス様が超反応で私の体を抱きとめた。
「リリア! 大丈夫か!?」
「は、はい。少し波が揺れただけですから……」
私が安堵の息を吐いたのも束の間。
ユリウス様の氷の青い瞳が、ドス黒い怒りに染まり、レストランの窓の外(暗い海)を睨みつけた。
「……波が、揺れた、だと?」
ゴゴゴゴゴゴッ!!
ユリウス様の全身から、これまで必死に抑え込んでいた莫大な魔力が、止めどなく溢れ出し始めた。
「従兄殿!? 何をしているのですか! 暴走すれば船が沈むと言ったはずです!!」
ソフィア様が立ち上がった。
「沈めはしない! だが、この『海』というふざけた水溜まりは、私のリリアの体勢を崩し、あまつさえ彼女に恐怖を与えた!!」
ユリウス様は、私の体をシリル様にパスすると、ズンズンと甲板へ向かって歩き出した。
「ゆ、ユリウス様!? どこへ行くんですか!」
「ソフィアの言う通り、船を破壊してリリアを危険に晒すわけにはいかない! だから私は『船を揺らしている原因(海)』そのものを排除することにした!!」
「(……はい!?)」
ユリウス様は甲板の最前列(タイタニックの先端)に立つと、荒れ狂う暗黒の海に向かって、両手を高々と掲げた。
「リリアの食事の邪魔をするな!! ――『絶対零度の静寂』!!」
ピキィィィィィィィィィィィンッ!!!!
ユリウス様の手から放たれた絶対零度の閃光が海面に着弾した瞬間。
なんと、豪華客船の周囲『半径百キロメートル』に及ぶ広大な海が、荒れ狂う波の形のまま、一瞬にしてカチンコチンに凍結してしまったのだ!!
ザッパァァン……と音を立てていた波はピタリと止まり。
船は、巨大な氷の大地にガッチリと挟み込まれ、一切の揺れを失った。
「……」
「……」
甲板に静寂が訪れた。波の音一つしない、完全な氷の世界。
「フハハハハ!! どうだリリア! もう揺れないぞ! これで君は、一切の振動を感じることなく、安全に魚料理を楽しむことができる! 船にも一切傷はつけていない、完璧な『平民のクルーズ』だ!!」
「船が進まないじゃないですかぁぁぁぁっ!!」
私は氷漬けにされた海原を見て絶叫した。
「ピッ!! ピーーッ!! 海洋生態系の完全なる破壊! および航路の物理的封鎖!! 従兄殿、限度というものを知りなさい!!」
「シリル! 早く概念切断で海を溶かして!!」
「駄目です、規模がデカすぎます!! 私の魔力では数日かかります!!」
一般客の営みを学び、制限の重要性を教えるための長期船旅は。
「船を壊せないなら、海の方を凍らせて揺れを止めればいい」というヤンデレ公爵の極端すぎる力技によって、初日の夜にして『絶対零度の遭難事件(進路凍結)』という大惨事へと変貌した。
砕氷船の到着を待つ羽目になった氷の海の上で。
私の二度目の人生の自由は、もはや海の大自然すらも打ち負かすユリウス様の愛によって、カッチカチに凍りついてしまうのだった。




