「精神修養のために『茶道』を提案しました〜旦那様が抹茶の苦みを『猛毒』と勘違いして嬉々として暗殺されようとしています!〜」
情操教育のためのドッグランで、ユリウス様が「白犬(神獣)に対抗して四つん這いでフリスビーを口キャッチする」という前代未聞の奇行(生態的退行)に走り、私たちの情操教育は完全なる失敗に終わった。
「……義姉上。屋外での物理的な活動は、従兄殿の野生(ヤンデレ本能)を不必要に刺激することが判明しました。今後は、徹底した『静寂』と『内省』を伴う屋内カリキュラムに移行します」
純白の寝室に戻り、シリルは疲労の色を隠せない黄金の瞳でバインダーを叩いた。
隣では、妻のソフィア様が「従兄殿のフリスビー滞空時間は、物理法則を完全に無視していました。霊長類としてのバグです」と冷静に分析結果を述べている。
(シリル様たちですら、ユリウス様の暴走に手を焼き始めているわ……! 何とかして、私から本当に『無害で静かな活動』を提案して、このカオスな状況を落ち着かせないと!)
「あ、あの! シリル様、ソフィア様!」
「なんでしょう、義姉上」
「静寂と内省なら、ニホンに伝わる『サドウ(茶道)』という素晴らしい文化があります! お茶を点てる一連の所作を通じて、心を無にし、相手への敬意と調和(和敬清寂)を学ぶ精神修養の儀式なんです!」
私は前のめりになって提案した。
茶道。これぞ日本の心が誇る、究極の「禅」である。
無駄な言葉を発さず、ただ静かにお茶を点てて飲む。これなら、愛のポエムを叫ぶ隙も、物理的に突進する隙もない!
「和敬清寂……。調和、敬意、清浄、静寂。なるほど」
ソフィア様が眼鏡をスッと押し上げた。
「感情の起伏を排し、厳格な手順に従って栄養分(茶)を摂取する。極めて論理的かつ、私たちの管理プログラムに合致します。採用しましょう」
「よしっ!」
私は心の中でガッツポーズをした。
そして、二メートル離れたソファーに拘束されているユリウス様に向き直った。
「ユリウス様。今から私が、ユリウス様のために静寂の心を込めて『お抹茶』を点てます。どうか、無言で、心静かに味わってくださいね」
「……リリアが、私のために自らの手で特別な飲み物を? ああ、もちろん構わないよ。君の指が触れた水なら、泥水であろうと神の甘露として飲み干そう」
私は、取り寄せた茶器と『抹茶(それに似た魔草の粉末)』を用意し、正座をして茶筅を握った。
シャカ、シャカ、シャカ……。
静かな部屋に、茶を点てる小気味よい音だけが響く。
「(ふふっ、いい感じ。この静寂こそが普通よ!)」
私は綺麗に泡立った深緑色の抹茶を茶碗に入れ、ユリウス様の前にそっと差し出した。
「どうぞ、ユリウス様。これがニホンの『お抹茶』です。お手前頂戴いたします、と心の中で念じてから、ゆっくりと飲んでください」
「ああ、いただくよ」
ユリウス様は、恭しく茶碗を両手で包み込んだ。
そして、私の点てた抹茶を口に含み、ゴクリと飲み込んだ。
――その瞬間。
ユリウス様の氷の青い瞳が、カッ!と見開かれた。
「……ッ!! こ、これは……!!」
彼はおもむろに口元を覆い、ワナワナと肩を震わせ始めた。
「どうしましたか、従兄殿。マナー違反ですよ」
シリルが眉をひそめたが、ユリウス様は茶碗をカタカタと震わせながら、私を……信じられないものを見るような、それでいて、狂おしいほどの熱と『歓喜』を帯びた瞳で見つめ返してきたのだ。
「……素晴らしい。舌の細胞を焼き尽くすほどの、この強烈な『苦み』と『痺れ』。なるほど……ニホンという国で『サドウ』と呼ばれている儀式は、標的を油断させ、密室で確実に仕留めるための『毒殺の儀式』だったのだな!!」
「(……はい?)」
「リリア! 君はついに、スパイとしての本能を取り戻したのか! 私という監視者(夫)から逃れるため、この強烈な神経毒(抹茶)を私に飲ませたのだな!!」
(解釈が暗殺に直結してるーーっ!! ただの抹茶の苦みだよ!!)
「ち、違いますユリウス様! それはただのお茶で、苦いのが普通なんです!!」
「隠さなくていい! 私の強靭な肉体でも、一瞬にして臓器が熱く(※温かいお茶だから)なるのを感じる! 間違いない、これは即効性の致死毒だ!!」
ユリウス様は、立ち上がるどころか、自らその場にバタッと仰向けに倒れ込んだ。
「ユ、ユリウス様!?」
私が慌てて駆け寄ろうとすると、ユリウス様は床に倒れたまま、恍惚とした笑みを浮かべて天井に手を伸ばした。
「ああ……。なんて幸福な死だろうか。私が愛し、守り抜こうとした妻の自らの手によって、私の命が奪われるなんて……! 君が私に『死』をくれるというなら、私は喜んでこの命(心臓)を停止させよう!!」
「ストップ!! 命を停止させないで!!」
なんと、ユリウス様は「リリアに毒殺される」という強烈な思い込み(ヤンデレ的幸福感)により、自らの超人的な魔力と精神力を使って、物理的に『自分の心拍数と呼吸を強制停止』させ始めたのだ!!
「ピッ! 警告! 従兄殿のバイタルサインが急激に低下しています!」
ソフィア様が計器を見て声を上げた。
「馬鹿な! 本当に毒が入っていたのか!?」
シリルが血相を変え、右手を振り下ろした。
「――『概念切断』!!」
パァンッ!!という音と共に、シリルの無効化魔法がユリウス様を包み込んだ。
しかし。
「……駄目です! 私の魔法が弾かれました! そもそも、彼に『毒の概念』も『魔法的干渉』も存在しません!」
「ええっ!?」
「ただの『思い込み(プラシーボ効果)』です! 彼は自らの強靭な意志と自己暗示だけで、自律神経をシャットダウンし、勝手に死のうとしています! 私の魔法は、彼の『究極の勘違い』までは切断できません!!」
(チート魔法すら効かない、ヤンデレの完全なる自家中毒!!)
「リリア……愛しているよ……。君のくれた毒の味、来世まで忘れない……ガクッ」
「死なないでぇぇぇぇっ!!」
私はパニックになり、袖に隠し持っていたお茶請けの『甘い和菓子(羊羹)』を鷲掴みにした。
「ユリウス様! 口を開けて!! これは毒の解毒剤です!!」
「……んぐっ!?」
私は白目を剥きかけているユリウス様の口に、強引に甘い羊羹をねじ込んだ。
抹茶の苦みで毒殺を信じ込んでいた彼の口内に、強烈な糖分が広がる。
「こ、この甘さは……!? そうか、リリア! 君は私を殺そうとしたが、最後の一瞬で私の愛にほだされ、口移し(※手で突っ込んだだけ)で『愛の解毒剤』を流し込んでくれたのだな!!」
「そうです! だから生きて!! 息をして!!」
「おおおおおっ!! リリアァァァッ!!」
バァァァンッ!!
ユリウス様は奇跡の復活(※もともと死んでない)を遂げ、凄まじい勢いで跳ね起きると、そのまま二メートルの距離を無視して私に猛烈な勢いで抱きついた。
「君の愛が私を死の淵から蘇らせた!! これからは毒殺未遂も、君からの愛情表現として毎日受け入れよう!!」
「だから毒じゃないですぅぅぅっ!!」
「ピッ!! ピィィィィィッ!! 従兄殿、ソーシャルディスタンスの規定違反! 接触時間の超過! 以及び、過剰なロールプレイによる秩序の乱れ!! ソフィア、物理拘束陣の展開を!!」
「了解、シリル。対象を隔離します」
再び大乱闘(物理)を繰り広げるクール系夫婦とヤンデレ公爵。
私は、ひっくり返って畳の(魔法で錬成した)上にぶちまけられた緑色の抹茶を眺めながら、完全に白く燃え尽きていた。
精神を修養するための、静かで無害な『茶道』は。
「苦み=猛毒」というスパイの暗殺術に変換され、挙句の果てにはヤンデレの『勘違いによる自己心停止(プラシーボ死)』という、シリルのチート魔法すら通用しない最悪の医療事故を引き起こしてしまった。
私の二度目の人生の平穏は、和敬清寂とは程遠い、大騒ぎと絶叫の渦の中で、今日も甘苦い羊羹の味と共に胃の奥へと沈んでいくのだった。




