「情操教育のためにドッグランへ行きました〜旦那様が犬(神獣)に対抗してフリスビーを口でキャッチしています!〜」
国王陛下の怒りにより派遣された『最強の生活改善指導員(クール系イケメンのシリル)』と、『模範的妻(ロボット気質のソフィア様)』。
この二人のチート&超合理的なスケジュール管理によって、ユリウス様の暴走(魔法によるヤンデレ行為)はギリギリのところで防がれていたが、彼の『リリアへの異常な執着』そのものが消えたわけではなかった。
「……おはようございます、義姉上。本日のカリキュラムを発表します」
真っ白な寝室で、シリルが銀糸の髪を揺らしながらバインダーを開いた。
その隣には、今日も一・五メートルのソーシャルディスタンスを保ちながらソフィア様が立っている。
「従兄殿の異常な執着心は、愛を注ぐ対象が『義姉上一人』に極端に集中していることが原因です。よって本日は、愛情の対象を分散させ、他者(他生物)と適切な距離感で触れ合うための情操教育を行います」
「情操教育……ですか?」
「はい。対象は、この邸に飼われている『犬』です」
ソフィア様がスッと眼鏡を押し上げ、部屋の隅を指さした。
そこには、かつて私が「癒やし」としておねだりした結果、ユリウス様が魔境から拉致して圧縮錬成した『伝説の神獣フェンリル(※現在はポメラニアン形態)』が、プルプルと震えながら丸まっていた。
「私たち四人と一匹で、王都郊外に建設させた『ドッグラン』へお出かけします。ペットと健全に遊び、無償の愛を注ぐことで、従兄殿に『正しい愛情の距離感』を学ばせるのが目的です」
「ドッグラン! わぁ、嬉しいです!」
私は心底喜んだ。
ずっとこの真っ白な部屋に閉じ込められていたのだ。
青空の下で、可愛い白犬(神獣)と走り回って遊べるなんて、前世の休日みたいで最高じゃないか!
「……ふん。リリアが喜ぶなら付き合ってやるが。なぜ私が、こんな毛玉(元・神獣)を愛でねばならないのだ」
ソファーに拘束されているユリウス様は、氷の青い瞳で白犬を睨みつけ、不機嫌そうに舌打ちをした。
白犬は「ヒンッ……」と悲鳴を上げ、私のかかとの後ろに隠れた。
数時間後。
私たちは、王都の郊外に広がる『超広大なドッグラン』へと到着していた。
「……あの、シリル様。ドッグランって、普通は他のワンちゃんや飼い主さんもいるはずじゃ……」
「従兄殿が『リリアの視界に他の生き物を一匹たりとも入れるな』と発狂したため、昨日、王国の国家予算を使ってこの平原の周囲数キロを完全封鎖・買収しました。現在、この空間には私たち四人と犬一匹しか存在しません」
「(ドッグランの規模がおかしい!!)」
広大な緑の芝生の上には、誰もいない。
しかし、青空の下で風を感じられるだけで、私にとっては十分な自由だった。
「さあ、従兄殿。まずは私たち夫婦が『正しいペットとの遊び方』のデモンストレーションを行います。よく見ていてください」
シリルが、一枚の『フリスビー(円盤)』を手に取った。
「犬の狩猟本能を満たしつつ、飼い主との主従関係と信頼を築く『フリスビー・キャッチ』です。……行け」
シリルがフリスビーを軽く投げると、ソフィア様が持ち込んだ『模範的犬型ゴーレム(※本物の犬ではない)』が正確な軌道で走り、空中でフリスビーをキャッチして持ち帰ってきた。
「よくできました、対象A。撫でてあげます。……このように、指示を出し、達成したら褒める。これが健全な愛情の循環です」
「データ収集完了。従兄殿、この適度な距離感と報酬システムを学習してください」
ロボット夫婦による、情緒のかけらもない完璧なデモンストレーションが終わった。
「さあ、次は義姉上の番です。あの白犬と一緒に遊んでみてください」
「はい!」
私はソフィア様からフリスビーを受け取ると、足元で震えている白犬に向かって笑顔を向けた。
「行くよ、白犬さん! えーいっ!」
私がフリスビーを青空に向かって投げると。
白犬は、『クゥン……!(主よ、俺に任せろ。あの狂王からお前を守るため、俺は忠実な犬を演じ切る!)』とばかりに決意の表情を浮かべ、短い足でトコトコと芝生を駆け出した。
さすがは元・神獣。ポメラニアンサイズに圧縮されても運動神経は抜群で、見事に空中でフリスビーをキャッチし、私の元へ駆け寄ってきた。
「わあ! すごい、すごい! えらいねぇ、白犬さん!」
私はしゃがみ込み、白犬の頭や首筋をワシャワシャと撫で回した。
ふわふわの毛並み。嬉しそうに(あるいは安堵して)尻尾を振る姿。
ああ、これよ、これ! この何の裏もない、純粋な癒やしの時間! 私はこれが欲しかったのよ!
「よしよし、もう一回行くよー!」
私が最高の笑顔で二投目のフリスビーを構えた、その時だった。
「……許さん」
背後から、地響きのような絶対零度の声が聞こえた。
「ゆ、ユリウス様……?」
振り返ると、ユリウス様がギリギリと奥歯を噛み砕かんばかりの勢いで、血走った青い瞳を白犬に向けていた。
「なぜ……なぜ、私がシリルに邪魔されてリリアに一指すら触れられないでいるのに、その薄汚い毛玉は、リリアに撫でられ、褒められ、あまつさえ『最高の笑顔』を向けられているのだ……!!」
「ピッ。従兄殿、犬に嫉妬するのは見当違いです。減点」
シリルが警告のホイッスルを鳴らしたが、ユリウス様の耳には届いていない。
彼のヤンデレ解釈回路が、またしても最悪の『ひらめき』を導き出してしまったのだ。
「……そうか。分かったぞ、リリア。君の愛情(褒美)を得るための『システム』が!!」
「えっ?」
「私がいくら愛の詩を捧げてもシリルに減点されるだけ。だが、君の投げた『円盤』を回収して戻ってくれば、君は私を心の底から褒め称え、その手で私の頭を優しく撫で回してくれるのだな!!」
「(解釈が根本的に間違ってるーーっ!!)」
「行くよー、えーい!」
私が(ユリウス様の暴走に気づかず)二投目のフリスビーを投げた、その瞬間。
――ズドォォォォォォンッ!!!!
「なっ!?」
『キャンッ!?』
芝生が爆発したかのような凄まじい衝撃音が響き、白犬がフリスビーを取りに走ろうとした横を、漆黒の残像が超音速で駆け抜けていった!
ユリウス様だ!!
彼は魔法を使わず、純粋な『超人的な身体能力』のみで大地を蹴り、空を飛ぶフリスビーに向かって大跳躍したのだ!
「リリアの円盤は、私のもぉぉのだぁぁぁぁっ!!」
バシィッ!!
……いや、手ではない。
ユリウス様は、空中を飛ぶプラスチックのフリスビーを、なんと自らの『口』で直接ガシッ!とキャッチ(噛みつき)したのだ!!
「えええええええっ!?」
「従兄殿!? 何をしているのですか!!」
シリルすらも、黄金の瞳を見開いて驚愕している。
ズサァァァァッ……と芝生に美しく着地したユリウス様は、漆黒の髪を振り乱しながら、フリスビーを口にくわえたまま、私の元へと猛スピードで駆け寄ってきた。
そして、私の足元にズサーッと四つん這いでスライディングし。
口からフリスビーをポトリと落とし。
私を見上げて、期待に満ちたキラキラの(血走った)瞳で、荒い息を吐き始めたのだ。
「ハァ……ハァ……! どうだリリア! 私はあの毛玉(神獣)の千倍の速度で、君の円盤を回収したぞ!! さあ! 約束通り、私を褒めちぎり、私の髪を君の指がすり減るまで永遠に撫で回すのだ!!」
「(宰相閣下が犬化(退行)したーーっ!!!)」
「ゆ、ユリウス様……! 口から出しなさい! 汚いから!! 人間の尊厳をどこに置いてきたんですか!!」
「君に撫でてもらえるなら、人間の尊厳など犬にでも食わせておけ! ほら、早く!! もう一回投げてくれてもいいぞ!!」
四つん這いのまま、私に頭を擦り付けてくるユリウス様。
その隣で、本物の犬であるフェンリルが、「俺、もうこの人に勝てる気がしない……」と完全に白黒の目をして震え上がっている。
「ピッ……! ピィィィィィッ!! 従兄殿、レッドカードです!! 生態的退行、著しい尊厳の喪失、および狂気! 完全なるアウトです!!」
シリルがホイッスルを吹き鳴らしながら駆け寄ってくるが、ユリウス様は「うるさいシリル! 私とリリアの神聖な主従遊び(ドッグラン)の邪魔をするな!」と、四つん這いのままシリルに威嚇の唸り声を上げている。
「ソフィア! 従兄殿の思考回路が完全に崩壊しました! 物理的に拘束します、加勢を!」
「了解しました、シリル。……分析結果。従兄殿のヤンデレは、環境要因によって『忠犬モード』へと変異しました。致死レベルの重症です」
シリルとソフィア様がかり出され、四つん這いでフリスビーを要求する氷の宰相を、総がかりで引き剥がすという大惨事が展開された。
「離せ! リリア! 私を撫でろ! 円盤を投げろぉぉぉっ!!」
「(もうやだ、この旦那様……っ)」
ペットに愛情を分散させ、正しい距離感を学ぶための情操教育は。
「ユリウス様自身がペット(犬)と張り合い、四つん這いでフリスビーを口キャッチする」という、国家の威信に関わる最悪の黒歴史を生み出す結果となった。
私の左手で、星屑の指輪がパニックを検知して点滅する中。
私のささやかな癒やし(犬との遊び)は、ヤンデレ公爵の異常な対抗心によって、またしても物理的・精神的に粉々に破壊されてしまうのだった。




