「王様に相談して『模範的夫婦』を召喚しました〜旦那様が『見えない絆=感覚共有(シンクロ)』という新たなヤンデレに目覚めました!〜」
国王陛下の勅命により派遣された最強の生活改善指導員(クール系イケメン)、シリル。
彼の『概念切断』によって私の呪いの装備は無効化されたが、ユリウス様は「魔法がダメなら物理で」と野生の獣のように私に突進し続ける日々が続いていた。
「ハァ……ハァ……」
ある日の深夜。公爵邸の別室で、シリルは肩で息をしながら、空中に展開した『通信用の魔鏡』に向かって報告を行っていた。
『どうだ、シリル。ユリウスの異常行動は改善されたか?』
「……陛下。恐れながら、申し上げます。従兄殿の執念は、私の予測計算を遥かに超えています」
シリルは乱れた銀糸の髪をかき上げ、疲労の滲む声で答えた。
「本日の昼間、義姉上が『掃除をしたい』とホウキを握っただけで、彼はホウキに嫉妬し、王都の空気をすべて浄化して真空状態にしようとしました。私の『概念切断』でギリギリ防ぎましたが……彼の魔力とスタミナは無尽蔵です。このままでは、私の魔力が先に底をつき、義姉上が再び完璧な鳥籠に収監されてしまいます」
『なんと……あの馬鹿者、ついに生態系まで消し飛ばそうとしたか!』
魔鏡の向こうで、国王陛下が胃薬を噛み砕く音が聞こえた。
『シリルよ、理屈やスケジュール管理で奴を押さえつけるのは限界だ。奴には「正しい夫婦のあり方」というものが根本的に分かっておらんのだ!』
「……と、仰いますと?」
『お前の妻だ! お前の領地にいる妻、ソフィアをこの公爵邸に呼び寄せろ! お前たち夫婦の「完璧で模範的な結婚生活」を目の前で見せつけ、奴に「普通の夫婦の距離感」というものを叩き込んでやるのだ!!』
翌朝。
真っ白な寝室に、一人の美しい女性が立っていた。
シリルと同じ銀色の髪をタイトにまとめ、銀縁の眼鏡をかけた、氷のように理知的でクールな美女――シリルの妻、ソフィア様だった。
「初めまして、義姉上。シリルの妻、ソフィアと申します。本日は、私たち夫婦の『模範的な日常』を通じて、従兄殿の歪んだ認知を矯正するために参りました」
「ソフィア様! よろしくお願いします!」
私は感動で胸を熱くした。
ついに! この狂気と管理の邸に、まともな女性の味方が来てくれたのだ!
これでユリウス様も「夫婦とは適度な距離を保ち、互いを尊重するものだ」と学んでくれるはず!
「では、従兄殿。よく見ていてください。これが『健全な夫婦の朝の挨拶』です」
シリルがソフィア様と向かい合った。
二人の距離は、きっちり一・五メートル。
「おはよう、ソフィア。昨晩の睡眠の質(レム睡眠の割合)は規定値を満たしたかな?」
「おはようございます、シリル。心拍数、血圧ともに正常値です。本日の行動スケジュールも、昨日策定したタイムテーブルから一秒の遅れもなく進行中です」
「素晴らしい。今日も互いのタスクを合理的にこなし、有意義な一日にしよう。……以上です、従兄殿」
「(ロボットの会話だーーっ!!)」
私は心の中で絶叫した。
異常だ。ユリウス様の「愛のポエム絶叫」とは真逆のベクトルで、この夫婦も完全に『異常』だったのだ!
シリル様が私の生活を分刻みで管理してきた理由が、今ようやくわかった。
彼にとっての『普通』とは、『完璧なデータ管理と合理性』のことだったのだ。
「……はっ?」
一方、二メートル離れたソファーに拘束されているユリウス様は、氷の青い瞳を点にして、信じられないものを見たような顔をしていた。
「シリル……貴様ら、本当に夫婦なのか? 朝の挨拶で、なぜソフィア殿を抱きしめない? なぜ彼女の髪の匂いを嗅ぎ、その美しさを讃える十万字の詩を朗読しないのだ!?」
「非論理的です。そのような過剰なスキンシップは、時間の浪費であり、互いの自立心を阻害します。私たちは『絶対的な信頼』で結ばれているため、物理的な接触は必要ないのです」
「物理的接触がない愛など、愛ではない!! 貴様ら、仮面夫婦だろう!!」
ユリウス様の怒号を、ソフィア様は眼鏡をスッと押し上げて冷ややかに受け流した。
「従兄殿。愛の形を『物理的な距離(赤い糸)』や『視覚的な監視』でしか測れないあなたこそ、愛の本質を理解していません」
ソフィア様は、私の方へ歩み寄った。
「例えば、私は本日の午後、王都の図書館へ一人で調べ物に行きます。シリルはこの邸に残り、私には護衛もGPSの指輪もつけません」
「なんだと!? 妻を一人で外を歩かせるだと!? 馬車に撥ねられたらどうする! 隕石が落ちてきたらどうするんだ!! 貴様、妻を見殺しにする気か!!」
「何も起きませんし、見殺しにもしません」
ソフィア様は、誇り高い黄金の瞳でユリウス様を射抜いた。
「私たちは、目に見えない『信頼』という強靭な絆で結ばれているのです。物理的に離れていても、私はシリルの愛を心で感じ、シリルも私の無事を信じている。……互いの魂を尊重し合う『見えない絆』。それこそが、究極の愛の形なのです」
――ピタリ、と。
ユリウス様の動きが止まった。
(あ、あれ? ユリウス様が大人しくなった……?)
私は息を呑んだ。
まさか、ソフィア様の理路整然とした説教(見えない絆)が、あのユリウス様のヤンデレ心に響いたのだろうか!?
ついに彼も、赤い糸やカメラといった『目に見える束縛』の愚かさに気づいてくれたの!?
「……なるほど。目に見えない、信頼という絆……」
ユリウス様は、恍惚とした表情で天井を仰ぎ見た。
「物理的な糸(赤い糸)は、シリルに切断されてしまう。魔導カメラは壊されてしまう。……そんな『目に見える道具』に頼っていた私は、何と愚かだったのだ。ソフィア殿、あなたの言う通りだ。真の愛とは、目に見えない次元で繋がることなのだな!!」
「その通りです、従兄殿。やっと理解――」
「ならば!!」
ユリウス様が、バッ!と両手を広げ、凄まじい魔力の奔流を立ち昇らせた。
「道具が不要なら、私とリリアの『感覚神経』そのものを魔法で同調させればいい!! リリアの見る景色は私の視界に、リリアの触れる温もりは私の肌に直接伝わる! 『魂の紋章』の痛覚共有だけでなく、視覚、聴覚、嗅覚、味覚……五感のすべてを完全に同期させる禁断の魔法!!」
「えっ」
「これぞ、切断不可能な『見えない絆(完全同期)』! さあ、リリア!! 今すぐ私の魂と融合し、二つの肉体を持った一つの生命体として新生しよう!! ――『絶対感覚共有陣』!!」
「ぎゃああああああああっ!! 違う!! ソフィア様の言ってた絆はそういう意味じゃないぃぃぃっ!!」
「ピッ……! 従兄殿、解釈の飛躍が常軌を逸しています!!」
シリルが慌ててストップウォッチを投げ捨て、右手を振り下ろした。
「――『概念切断』!!」
パァァァァンッ!!
ユリウス様の放った『五感共有の魔法陣』と、シリルの『概念切断』が空中で激突し、凄まじい衝撃波が真っ白な寝室を揺るがした。
「チッ……! また私の愛(魔法)を切断したな、シリル!!」
「当然です! 夫婦で五感を共有するなど、個人のプライバシーと尊厳の完全な消滅です!!」
「私とリリアの間にプライバシーなどという不純物は存在しない!!」
ユリウス様とシリルが、魔力と概念のぶつかり合いでバチバチと火花を散らす中。
ソフィア様は眼鏡をスッと押し上げ、バインダーに何かを書き込んだ。
「……シリル。従兄殿の認知の歪みは、一般モデルの提示では修正不可能のようです。より強力な隔離プログラムへの移行を推奨します」
「了解した、ソフィア。すぐに次のカリキュラムを……ぐっ! 従兄殿、物理で殴りかかってくるのはやめなさい!!」
王様の怒りによって召喚された『模範的夫婦(ロボット気質)』の指導は。
ヤンデレ公爵に「道具に頼らない、魂と神経の完全融合」という最悪のインスピレーションを与えただけで終わった。
赤い糸がなくても、カメラがなくても。
「目に見えない絆(五感の強制同期)」を開発しようと執念を燃やすユリウス様と、それを分刻みのスケジュールと概念切断で防ぎ続けるシリル様夫妻。
私の二度目の人生は、もはや「普通」という概念が三次元のどこにも存在しない、チートと狂気の入り交じる果てしない防衛戦へと突入していくのだった。




