「無害アピールでお掃除を提案しました〜旦那様がホウキに嫉妬して王都の塵を分子レベルで消滅させようとしています!〜」
エストリア共和国での『謝罪と友好の旅』が、ユリウス様による「平和の鐘・物理粉砕事件」という未曾有の外交的失態に終わってから数日。
私たちはそそくさと王都へ帰還し、再び公爵邸の最上階、『純白の寝室』へと収監……もとい、戻ってきていた。
「義姉上。本日のスケジュールですが、午前十時から『精神修養のための瞑想』、その後は姿勢矯正トレーニングとなります」
「は、はい……」
シリルは相変わらず銀糸の髪を揺らしながら、ストップウォッチとバインダーを片手に私の生活を秒単位で管理している。
彼が『概念切断』で赤い糸を切り飛ばしてくれたおかげで、私はユリウス様と物理的に密着する地獄からは解放された。
……しかし、魔法を封じられたユリウス様は「ならば肉体で」と野生に還り、現在はシリルの目を盗んでは弾丸のようなスピードで私に抱きつこうと虎視眈々と狙っている状態だ。
「リリア……ああ、今日もシリルという障害物のせいで君に触れられない。だが安心してくれ、私の視力(愛)は壁をも透視する。君の毛穴の一つ一つまで、脳内に克明に焼き付けているからね」
二メートル離れたソファーから、ユリウス様が血走った目で私を凝視している。
(息が詰まる!! シリル様のスケジュール管理もキツいけど、ユリウス様の物理的な視線の圧が重すぎる!!)
私はどうにかして、この異常な空間から自分の意識を逸らしたかった。
何か、無心になれて、かつ「私は全く無害で家庭的な女ですよ」とアピールできる行動はないか……。
ふと、純白の床の隅に、ほんの小さな『埃』が落ちているのが見えた。
(そうだわ! 『お掃除』よ!)
「あの、シリル様、ユリウス様! 私、お部屋の『お掃除』がしたいです!」
「……お掃除、ですか?」
シリルがバインダーから顔を上げた。
ユリウス様もピクリと反応し、身を乗り出す。
「はい! ニホンでは『ソウジ』といって、自らの手で周囲を綺麗に拭き清めることで、己の心をも浄化するという精神修養の文化があるんです。適度な運動にもなりますし、何よりお部屋が綺麗になるのは素晴らしいことですよね!」
私は力説した。
掃除なら、ホウキや雑巾を使うだけの無害な行動だ。暗殺武器の針も、毒の粉(お菓子作り)も使わない。完璧な『家庭的アピール』である!
「なるほど」
シリルはストップウォッチのボタンを押した。
「衛生環境の維持と、適度な有酸素運動。そして精神の安定。非常に合理的です。スケジュールの『瞑想』を十五分間だけ『清掃』に振り替えましょう」
「ありがとうございます!」
よしっ! シリル様の許可が下りた!
メイドに頼んで、簡素な木製の『ホウキ』と『ちりとり』を用意してもらい、私は嬉々として掃除を始めようとした。
しかし。
そのホウキを見た瞬間、ユリウス様の氷の青い瞳が、ドス黒い疑念と恐怖に見開かれたのだ。
「……待て、リリア。その木の棒に草を束ねた道具は、まさか……『魔女の飛行具』ではないのか!?」
「えっ?」
ユリウス様のヤンデレ解釈回路が、今日も絶好調に明後日の方向へ爆走を始めた。
「そうか……! 君は『ソウジ』などという名目でその飛行具を手に入れ、窓から空へ飛び立ち、星の海(故郷)へ帰ろうとしているのだな!? 許さん! 君の翼は私がすべてへし折って、この純白の鳥籠に永遠に縫い付けてやる!!」
「違います!! ただの掃除道具です! 飛びません!!」
「ピッ。非論理的な飛躍です、従兄殿。減点」
シリルがホイッスルを鳴らし、ユリウス様の前にスッと立ち塞がった。
「義姉上はただの人間です。あのホウキに浮遊魔法の術式は組み込まれていません。現実を見てください」
「シリル、貴様にはわからんのだ! リリアほどの天使になれば、ただの木の棒に跨るだけで天が彼女を迎えに来てしまうんだぞ!!」
「(どんな理屈!?)」
シリルの論破(物理的制圧含む)により、なんとか「ホウキは飛ばない」ということをユリウス様に納得させた私。
「ふふふ、久しぶりのお掃除……なんだか心が落ち着くわ」
サッサッ、とホウキで床を掃く。
ただそれだけの単純作業が、連日の極限状態にあった私の心を癒やしてくれた。
しかし、その私の姿を二メートル先から監視していたユリウス様は、ギリギリと拳を握りしめ、今度は『別の嫉妬』で顔を歪めていた。
「……リリア。君はなぜ、私ではなく、その薄汚い木の棒の柄を、そんなにも優しく、愛おしそうに握りしめているんだ……?」
「はい?」
「しかも、リズミカルに手を上下に動かし……時折、満足そうな吐息まで漏らして! 私以外のものに触れて悦びを感じるなど、断じて許されない!!」
ユリウス様は、ホウキの柄を握る私の手に、狂気じみた嫉妬の炎を燃やし始めたのだ。
「今すぐその棒を捨てなさい! 何か棒状のものを握って上下に動かしたい(掃除したい)というなら、私が代わりのものを……!!」
「ピッ。セクハラおよび公序良俗に反する発言です。大幅減点」
シリルが冷酷な目でイエローカード(羊皮紙)を掲げた。
ユリウス様はハッとして口をつぐんだが、その殺意は完全にホウキへと向けられていた。
「ええい、要するに『埃』があるから、リリアがそんな不浄な道具を握らねばならないのだな! ならば話は早い!」
ユリウス様は右手を高く掲げた。
「この王都に存在するすべての『塵』『埃』『汚れ』を、私の魔力で分子レベルから消滅させてやる! そうすれば、リリアは二度と掃除などという下等な作業をする必要がなくなり、私の腕の中だけで永遠に微笑んでいられるはずだ!!」
ゴゴゴゴゴゴッ!!
ユリウス様の全身から、空気を凍らせるほどの凄まじい浄化の魔力が溢れ出した。
「――『絶対浄化の真空世界』!!」
「ゆ、ユリウス様! やめてぇぇぇっ!!」
カッ!!と寝室が青白い光に包まれた。
その瞬間。
部屋の中にあった埃が消滅したのはもちろんのこと――『空気中に漂う微細な塵』や『微生物』に至るまで、すべてが完全に消し去られた。
結果として、部屋の中の空気が異常なほど清浄になりすぎ、気圧が急激に低下。
まるで宇宙空間のような『疑似的な真空状態』が発生し始めたのだ!
「かはっ……!? い、息が……っ!!」
私は首を押さえ、酸欠で床に崩れ落ちそうになった。
「ピッ……! 従兄殿、やりすぎです……! 生態系の、破壊……!!」
シリルも苦しそうに眉をひそめ、すぐさま右手を振るった。
「――『概念切断』!!」
パァンッ!!
シリルのチート魔法が炸裂し、ユリウス様の暴走した浄化魔法が強制的にキャンセルされる。
シュゥゥゥ……と窓の隙間から外の(汚れた)空気が流れ込んできて、私は「ぷはぁっ!」と息を吹き返した。
「……リリア! 大丈夫か!?」
ユリウス様が駆け寄ろうとしたが、シリルがゼェゼェと息を切らしながらも間に立ち塞がった。
「従兄殿……! あなたの『過剰な浄化』のせいで、義姉上が窒息しかけました! 本末転倒も甚だしい! 減点どころの話ではありません、本日の接触時間は即座に終了です!!」
「チッ……! だが、あの魔女の飛行具だけは没収させてもらう!」
ユリウス様は私の手からホウキをひったくると、バキィッ!と真っ二つにへし折り、そのまま窓の外へ投げ捨ててしまった。
「ああっ! 私の癒やし(無心になれる時間)が!」
「……義姉上。清掃作業は危険が伴う(従兄殿が暴走する)ため、今後のスケジュールから完全に除外します。代わりに『座禅』を三十分追加します」
「そんなぁぁぁ……っ」
私は真っ白な床の上にへたり込み、絶望の涙を流した。
スパイの疑いを晴らすための、健全で無害な『お掃除アピール』は。
「ホウキ=魔女の逃亡具」という斜め上の疑いと、「ホウキの柄への嫉妬」というヤンデレの極みを生み出し、危うく王都を真空の無菌室(死の世界)へと変えるところだった。
赤い糸が切れても、監視カメラが壊れても。
分刻みのスケジュール(シリル)と、物理的な突進と嫉妬の狭間で、私の二度目の人生の平穏は、今日も掃除の埃のように綺麗さっぱり消し飛ばされてしまうのだった。




