「生存のためにバレンタインのチョコを作りました〜義理チョコの概念を説明したら旦那様が他所の男を全滅させようとしています!〜」
私が提案した『節分の豆まき』が、ヤンデレ公爵の悪魔のルール改変により『年の数(25回)だけコタツの中で愛の儀式を行う』という地獄の耐久マラソンへとすり替わってから、数日が経過した。
「……あぁ……魂が、口から出そう……」
私は公爵邸の最上階、寝室のど真ん中に鎮座する『超特注コタツ(熱源:火の精霊王)』の中で、完全に干からびたスルメイカのようにぐったりと横たわっていた。
『魂の紋章(ダメージ肩代わり)』のおかげで肉体的な疲労や痛みはユリウス様がすべて引き受けてくれているはずなのだが、精神的な摩耗と、三日三晩に及ぶ過剰なまでのスキンシップの嵐により、私のHP(気力)は完全にゼロになっていた。
「おはよう、私の愛しいリリア。どうだい? 君の年齢(18歳)と私の年齢(25歳)を足して、合計43回の『フク』を君の体内に注ぎ込んだわけだが。無病息災の加護は実感できたかな?」
隣で書類仕事(※赤い糸で繋がっているためコタツで在宅ワーク)をしていたユリウス様が、信じられないほど爽やかな、後光が差すような笑顔で私を覗き込んできた。
(回数が増えてるーーっ!! いつすり替わったの!?)
私は抗議する気力すらなく、ピクピクと痙攣する指先で、左手の『星屑の指輪』をいじった。
右手には絶対に切れない『呪いの赤い糸』。頭上には私の疲弊した顔を録画する『魔導カメラ』が三台。
(駄目だわ……。このままコタツの中にいたら、次の行事(ひな祭りとか)にかこつけて、またどんな恐ろしい儀式を捏造されるかわからない……! なんとかして、彼を『普通の生活』に引き戻さないと!)
私は震える体を起こし、ユリウス様に向かって決死の提案をした。
「あの、ユリウス様。私、お料理がしたいです」
「料理? 君がわざわざ厨房に立つ必要はないよ。お腹が空いたなら、私が世界中の三ツ星シェフをこの寝室に拉致してこよう」
「拉致しないで!! そうじゃなくて、私が、ユリウス様のために『お菓子』を作りたいんです!」
私は両手を胸の前で組み、上目遣いで訴えた。
「もうすぐ、ニホンでは『バレンタインデー』という行事があるんです。女性から、親しい男性に向かって『チョコレイト』という甘いお菓子を贈り、日頃の感謝や愛情を伝える、とても平和で安全なイベントなんですよ!」
これだ。甘いお菓子を手作りする。
これぞ「無害で家庭的な妻」の究極のアピール!
しかも、お菓子作りならコタツから出られるし、節分のような「標的」もいないから、彼がマゾヒズムに目覚める心配もない!
「……バレンタインデー」
ユリウス様は氷の青い瞳を瞬かせ、ふっと甘く、そして熱を帯びた吐息を漏らした。
「妻が、夫への永遠の服従と愛を誓うために、自らの手で甘い供物を捧げる神聖な儀式というわけだな。素晴らしい。君がそこまで私に尽くしたいというのなら、喜んで受け取ろう」
(また解釈が重くなってるけど、コタツから出られるなら何でもいいわ!)
数十分後。
私は公爵邸の厨房(※完全封鎖)に立ち、フリフリの可愛らしいエプロンを身につけていた。
もちろん、右手首の赤い糸はユリウス様と繋がっているため、彼は私のすぐ横の椅子に座り、魔導カメラと共に私の作業をニコニコと監視している。
「さあ、リリア。君の愛(供物)を形にするための、最高の素材を用意したよ」
ユリウス様が指を鳴らすと、メイドたちが銀のトレイに乗せて食材を運んできた。
「これは、魔界の最深部に生える『幻の暗黒樹』から採れた、最高純度のカカオ豆だ。そして甘みをつけるのは、千年を生きる『光の妖精の涙』を結晶化させた伝説の砂糖。これらを混ぜ合わせれば、どんな神薬よりも美味なる『チョコレイト』が完成するはずだ」
(素材がエグい!! なんでバレンタインに世界樹クラスのアイテムが出てくるの!?)
私は引きつった笑いを浮かべながら、その伝説の素材たちをボウルに入れ、湯煎で溶かし始めた。
ドロリ……と溶けていく魔界のカカオは、なんとも言えない芳醇で甘い香りを放ち、これだけで魔力が回復しそうなほどのエネルギーを感じる。
(よし、これを可愛い『ハート型』の型に流し込んで固めれば、無害な手作りチョコの完成よ! これで私が毒殺を企む暗殺者じゃないって証明できるわ!)
私は慎重に、溶けたチョコレートをハートの型に流し込んでいった。
その様子を、ユリウス様は瞬き一つせずに食い入るように見つめている。
「……それにしても、リリア」
「はい?」
「その『バレンタインデー』というのは、ニホンのすべての女性が行うものなのかい? 親しい男性に贈るということは……父親や、兄弟にも?」
ユリウス様の声が、少しだけ低くなった。
私は型にチョコを流し込みながら、何気なく答えてしまった。
「ええ、そうですね。家族に贈ることもありますし、職場の人やお友達の男性に配ることもありますよ。そういうのをニホンでは『義理チョコ』って呼んでいて、日頃のお世話のお礼として、コミュニケーションの一つみたいな感じで……」
――ピキィィィィィンッ!!!!
厨房の空気が、一瞬にして絶対零度に凍りついた。
私がハッとして顔を上げると、ユリウス様の氷の青い瞳から、ドス黒い、底なしの殺意と嫉妬のオーラがドロドロと溢れ出していたのだ。
「……『義理』、だと?」
ユリウス様の声に、厨房の窓ガラスがビリビリと震える。
「君は、前世で……私以外の男どもに、そんな甘い供物(愛の証)をばら撒いていたというのか!? 職場? 友人!? どこの馬の骨とも知れない薄汚い男どもに、君の微笑みと手作りのお菓子を……ッ!!」
(しまったぁぁぁ!! 地雷を踏んだ!! ヤンデレに『義理チョコ』の概念を教えちゃ駄目だった!!)
「ち、違いますユリウス様! 義理チョコはただの社交辞令というか、挨拶みたいなもので、愛なんて一ミリもこもってないんです!」
「愛がないのに贈るだと!? そんな欺瞞が許されるはずがない!! 男という生き物は、君のような天使からお菓子をもらえば、絶対に『俺に気がある』と勘違いする愚かな生き物なんだぞ!!」
(あなたのことですけどね!?)
ユリウス様はガタッ!と立ち上がり、右手に凄まじい魔力の氷剣を出現させた。
「許さん……! 前世とはいえ、私のリリアから供物を受け取った不届きな男どもめ! 私は今すぐ次元の壁を破壊してニホンに乗り込み、過去から現在に至るまで、君に関わったすべての男の首を刎ねてやる!!」
「次元を超えた大虐殺をやめてぇぇぇっ!!」
私は赤い糸を引っ張り、ユリウス様の腰に全力でしがみついた。
「もうニホンのことは忘れてください! 誰も勘違いしてませんから!!」
「リリア! 離れなさい! そいつらは君の優しさに付け込む寄生虫だ!!」
「違います!! 私が本当に心を込めて作るのは、『本命チョコ』だけです!!」
私が涙目で叫んだ瞬間。
ユリウス様の動きが、ピタリと止まった。
「……ホンメイ?」
「はい! 本当に、心の底から愛している、たった一人の運命の相手にだけ贈る特別なチョコレートです! 今、私がユリウス様のために作っているこれが、正真正銘の『本命チョコ』なんです!!」
私は必死に、冷やし固めた『ハート型のチョコレート』を両手で掲げて、ユリウス様に突き出した。
「だから! 他の男の人のことは気にしないで、私からの『本命』を受け取ってください!!(そして次元を超えた虐殺を止めて!!)」
――トクンッ、トクンッ、トクンッ!!
私の左手の『星屑の指輪』が、恐怖とパニックによる心拍数の上昇を感知し、激しく青い光を点滅させた。
しかし、ユリウス様にはそれが「愛の告白による緊張」としか映らなかった。
「……おお……」
ユリウス様の手から氷剣がスッと消え去り、代わりに、大粒の涙が彼の美しい瞳からポロポロとこぼれ落ちた。
「ホンメイ……。真の命、と書いて本命か。君は、この甘い供物に、君の『本物の命(魂)』を込めて、私というただ一人の男に捧げてくれるというのだな……!!」
(解釈が重い!! 「命」を込めたつもりはない!!)
ユリウス様は震える手で、私の掲げたハート型のチョコレートを恭しく受け取った。
まるで世界の至宝を扱うような手つきだ。
魔導カメラが、その感動の瞬間を全方位から激写している。
「ありがとう、リリア。君の命……確かに受け取った。ああ、このハートの形は、君の『心臓』そのものを意味しているのだね!」
「(ただの可愛い型抜きです!)」
ユリウス様はそのハート型のチョコレートに口づけを落とし、そして、一口だけかじった。
「……甘い。いや、ただの砂糖の甘さじゃない。君の私への愛が、限界まで濃縮された味がする……。これほどの愛を受け取ってしまっては、私はもう、君なしでは一秒も呼吸ができない……っ」
ユリウス様は恍惚とした表情でチョコレートを飲み込むと、私を軽々と抱き上げ、熱い、チョコレートの香りのするキスを降らせた。
「んんっ……!」
「君の愛(心臓)、本当に美味しかったよ。……さて、リリア」
ユリウス様は唇を離すと、恐ろしいほどに甘く、逃げ場のない瞳で私を見下ろした。
「ニホンの文献には、こうも書かれていた。『バレンタインデーに贈り物を受け取った者は、一ヶ月後のホワイトデーに、必ず三倍にしてお返し(三倍返し)をしなければならない』と」
「えっ」
私の背筋に、ゾクリと冷たいものが走った。
「君は私に、君の『命』と『心臓』を捧げてくれた。ならば、私が君に返すものは一つしかない」
ユリウス様は私の耳元に顔を寄せ、悪魔の囁きを落とした。
「私の命と、愛と、そしてすべての時間を……今から一ヶ月間、休むことなく『三倍の濃度』で君に注ぎ込み続けよう。
一ヶ月後なんて待てないからね。
今夜から、さっそく三倍返しのスタートだ」
「…………ひっ」
25回の節分の儀式で干からびていた私が。
これから一ヶ月間、三倍の濃度で愛され続ける!?
「だ、旦那様! お返しは結構です! クッキーとかマシュマロでいいんです!!」
「遠慮しなくていい。さあ、安全なコタツへ戻ろうか。三倍の愛に君の体が耐えられるか少し心配だが、魂の紋章があるから大丈夫だね」
私の「無害な家庭的アピール(お菓子作り)」は。
『義理チョコ』の概念による次元規模の大虐殺未遂を引き起こし、それを止めるための『本命チョコ宣言』が、ヤンデレ公爵の「三倍返し(永久機関)」のスイッチを完璧に押し込んでしまった。
結局、私は厨房からそのまま再び『魔のコタツ』へと連行され。
星屑の指輪の青い光が虚しく点滅する中、私の二度目の人生の自由は、甘くほろ苦いチョコレートの香りと共に、完全に溶け落ちてしまうのだった。




