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「読書で現実逃避を試みました〜旦那様が王国の恋愛小説をすべて『監禁ハッピーエンド』に改竄しています!〜」

 私が「人間としての尊厳(干物女からの脱却)」を取り戻すために提案した雪遊びが、ユリウス様による『私を模した超巨大氷像(ゴーレム)の錬成&自家中毒による爆破』という大スペクタクルを経て終了した翌日。


「さあ、リリア。今日の果物も甘くて美味しいよ。口を開けてごらん」


「……あーん……」


 私は結局、公爵邸の寝室のど真ん中に鎮座する『超特注コタツ(熱源:火の精霊王)』の中へと連行・収納され、昨日と全く同じ、手も足も出せない究極の介護生活へと逆戻りしていた。


 左手の薬指には、私の心拍数と位置をユリウス様に筒抜けにする『星屑の指輪』。


 鎖骨の下には、私が受けるダメージをすべて彼が肩代わりする『魂の紋章』。


 右手首には、ユリウス様と私を物理的に繋ぐ『呪いの赤い糸』。


 頭上には、私の怯える顔を四六時中録画し続ける『魔導カメラ』が三台、ウィーンと羽音を立てて浮遊している。


(駄目だわ……。外の世界(中庭)に出ようとすると、生態系や私の巨大氷像が破壊される。もう、物理的に動く趣味は諦めるしかないのね……)


 ユリウス様は私の口元をハンカチ(血染めの刺繍入り)で優しく拭いながら、蕩けるような甘い微笑みを浮かべている。


 私はコタツの中で、安全かつ無害に時間を潰せる方法を必死に探した。


(そうだ! 『読書』よ!)


 本を読むだけなら、一歩も動かなくて済むし、暗殺武器(針)を持つこともない。


 前世のニホンにいた頃、休日はよくベッドの中で恋愛小説や漫画を読んで現実逃避をしていたものだ。


 読書こそ、私が今できる唯一の「安全な趣味」であり、スパイ疑惑を誤魔化すための「無害アピール」に違いない!


「あ、あの! ユリウス様!」


「どうしたんだい、リリア? もっと果物が欲しいのかな?」


「いえ、そうではなくて……私、本が読みたいです!」


 私が提案すると、ユリウス様は少し驚いたように目を瞬かせた。


「本? 君が読書を?」


「はい! ずっとベッドやコタツにいるのも手持ち無沙汰なので、物語の世界を楽しみたいなって。……駄目、でしょうか?」


 ユリウス様はふっと表情を和らげ、私の髪を優しく撫でた。


「もちろん構わないよ。本は知識の宝庫であり、安全な娯楽だ。外で雪だるま(巨大ゴーレム)を作るよりずっと健康的でいい。君が望むなら、王城の巨大図書館ごとこの寝室に転移させようか?」


「図書館は転移させないでください!! 本棚が数個あれば十分です!!」


 私の必死の制止により、寝室が図書館に改造される事態は避けられた。


 数分後、執事長たちが王都の書店から見繕ってきた、数十冊の「令嬢向けの流行小説」がコタツの上に積み上げられた。


「ふふふ……これよ、これ!」


 私は積み上げられた本の中から、装丁が可愛らしい一冊の恋愛小説を手に取った。


 タイトルは『涙の公爵夫人と、秘密の逃避行』


 あらすじを見ると、「冷酷な夫との政略結婚に絶望したヒロインが、ある日邸を抜け出し、身分を隠して平民として生きる中で真実の愛を見つける」という、貴族令嬢たちの間で大流行している王道の逃亡ロマンス劇だった。


(今の私の状況にちょっと似てるけど……でも、フィクションの中でくらい、冷酷な旦那様から逃げ出して自由になるヒロインを見て、スッキリしたいじゃない!)


 私はユリウス様が隣の執務室スペース(赤い糸がギリギリ届く距離)で仕事をしている隙に、コタツに潜り込んでその小説を読み始めた。


 ――ヒロインが夜陰に乗じて邸を抜け出すシーン。


 ――追っ手の目を誤魔化し、馬車に乗って見知らぬ街へ逃れるシーン。


 ――そして、自由な空気の中で温かいスープを飲み、平凡だけど幸せな生活を送るシーン。


(ああ……いいなぁ。私もこんな風に、変装して田舎の村に逃げて、のんびりと畑仕事でもしながら暮らしたい……)


 小説の中のヒロインの自由な姿に、私は深く感情移入してしまった。


 現実の私は、指輪でGPS監視され、赤い糸で手錠をかけられ、魔導カメラに録画されているのだ。


逃げることなど、宇宙の果てまで行っても不可能である。


「うぅ……っ、よかったねぇ、ヒロインちゃん……」


 私は物語の美しさと、自分の現実の悲惨さとのギャップに、思わずホロリと一筋の涙をこぼしてしまった。


 ――トクンッ!!


 その瞬間だった。


 私が感情を揺さぶられたことで心拍数が上がり、左手の『星屑の指輪』がカッ!と青く点滅したのだ。


「……ッ!! リリア!?」


 執務机に座っていたユリウス様が、弾かれたように立ち上がった。


 そして、赤い糸を一瞬で手繰り寄せ、私のいるコタツへと猛スピードで滑り込んできた。


「ど、どうしたんだリリア!? なぜ泣いている!? どこか痛むのか!? それとも、その本に遅効性の毒の粉でも仕込まれていたか!?」


「ひゃっ!? 毒じゃありません! ただ本を読んで感動しただけで……っ!」


 ユリウス様は私の涙を乱暴なほど焦った手つきで拭うと、私の手からその小説をひったくった。


 そして、表紙のタイトルと、私が開いていたページ(逃亡の成功シーン)に鋭い視線を落とした。


 ピタッ、と。


 ユリウス様の動きが、石像のように完全に停止した。


「……『涙の公爵夫人と、秘密の逃避行』……?」


 ユリウス様の声が、地底の底から這い上がってきたような、絶対零度の冷たさを帯びた。


 頭上の魔導カメラが、危険を察知してウィーンと高く避難していく。


(しまったぁぁぁ!!)


 私のスパイ脳が、警鐘をガンガンと鳴らした。


(このタイトル! そして逃亡のストーリー! 絶対に、『私が本の中に隠された暗号(逃走マニュアル)を読んで、公爵邸からの脱出計画を練っている』って勘違いされたんだわ!!)


「ち、違いますユリウス様! これはただの流行りの小説で、私が逃げたいとかそういう他意は一切……っ!」


「……逃避行。夫からの、逃亡……」


 ユリウス様の氷の青い瞳が、ドス黒い殺意と狂気に染まり始めた。


「なるほど……。まだあの男爵家の残党が、君に『逃げろ(遺書を実行しろ)』とそそのかすために、こんな薄汚い暗号書を流行りの小説に偽装して流通させていたというわけだな!!」


(やっぱりーーっ!! ただのラノベがスパイの暗号指令書に認定された!!)


「許さん……!! 私の愛しい天使の純白の心に、このようなおぞましい思想(夫からの逃亡)を植え付けようとするなど!! 万死に値する!!」


 ボウッ!!


 ユリウス様の手の中で、青白い魔力の炎が上がり、私が感動して泣いていた小説は、一瞬にしてチリ一つ残さず焼き尽くされてしまった。


「あああっ! 私の現実逃避が!」


「リリア! 君は騙されているんだ! こんな夫を裏切るような物語を読んで涙を流すなど、君の心が毒されている証拠だ!」


 ユリウス様は私を力強く抱きしめ、私の耳元で荒い呼吸を繰り返した。


「こんな危険な思想書が、王都で流行しているだと? 冗談ではない。私が国中の書店を検閲し、夫から逃げ出す妻を描いた物語は、すべて回収して焼却処分にしてくれる!!」


「焚書(ふんしょ)!? 国家権力による言論統制ですか!?」


 一国の宰相が、妻の読んだラノベの内容に嫉妬(激怒)して、国中の出版物を発禁処分にしようとしている!


 いくらなんでも暴君すぎる!


「や、やめてくださいユリウス様! これはただのフィクションです! 著者の先生が一生懸命書いた物語を燃やさないで……!」


「君がそこまで言うなら、燃やすのは待ってやろう。……だが、こんな結末(逃亡成功)は絶対に間違っている!」


 ユリウス様はパチンと指を鳴らし、部屋の外に控えていた執事長を呼びつけた。


「執事長! この『涙の公爵夫人と、秘密の逃避行』の著者を、今すぐこの公爵邸の寝室へ連行してこい!!」


「は、ははーーっ!! 直ちに!!」


「著者を拉致しないでぇぇぇっ!!」


 それからわずか三十分後。


 魔法陣による強制転移で、寝室に放り出されたのは、丸眼鏡をかけた気の弱そうな中年の男性作家だった。


 彼は突然、王都で最も恐れられる『氷の公爵』の寝室に連行され、しかも公爵が妻(私)と赤い糸で繋がれたままコタツに入っているという異様な光景を前に、ガタガタと腰を抜かしていた。


「ひぃぃぃぃっ!! わ、私めが何か粗相をいたしましたでしょうか!?」


「貴様が、このくだらない逃亡劇を書いた三流作家か」


 ユリウス様はコタツの中から、絶対零度の威圧感を放って作家を見下ろした。


「貴様の書いたこの小説は、現実から目を背けた妄想の産物だ。妻が夫から逃げて幸せになるだと? あり得ない。妻は夫の絶対的な保護(鳥籠)の中にあってこそ、真の幸福を得るのだ。……この結末を、今すぐ書き直せ」


「か、書き直す、と申しますと……!?」


 作家が涙目で震える中、ユリウス様は恐るべき『改竄案』を提示し始めた。


「まず、ヒロインが夜の邸を抜け出すシーン。ここでは、夫が『星屑の指輪(GPS)』で瞬時に位置を特定し、先回りして彼女を待ち構えていることにしろ」


「えっ」


「そして、彼女が馬車に乗ろうとした瞬間、夫が『絶対零度の魔法』で街ごと氷漬けにして、彼女を優しくお姫様抱っこして寝室へ連れ戻す。……その後、彼女の右手首に『絶対に切れない呪いの赤い糸』を結びつけ、二度と一歩も歩けないようにコタツの中に幽閉して、二十四時間魔導カメラで愛の記録を撮り続けるのだ!」


「(それ、完全に今の私だわ!!)」


 ユリウス様の語る新しいプロットは、ロマンスの欠片もない、完全なる『ヤンデレ・サイコホラー』だった。


 しかし、命の危機を感じた作家は、震える手で羽ペンを握り、必死にメモを取り始めた。


「そ、そして……ヒロインは、どうなるのでございますか……?」


「決まっているだろう。夫の深く重い愛に包まれ、何も考えず、ただ夫の口移しでお茶を飲まされながら、永遠に幸せに暮らしましたとさ。……これこそが、真のハッピーエンドだ!!」


「す、素晴らしい!! なんという圧倒的な所有欲と、背筋の凍るような究極の愛!! これぞ、時代が求めていた新しいロマンスの形です!!」


(作家の先生、ヤンデレの魅力に目覚めちゃったーーっ!?)


 恐怖のあまり脳内麻薬が分泌されたのか、作家は目を輝かせてユリウス様の狂気のプロットを絶賛し始めた。


「すぐに出版社に持ち込みます! 『監禁公爵の重すぎる溺愛~もう逃げられない赤い糸~』として、明日から王都中で大々的に売り出しましょう!!」


「うむ、許す。我が公爵家の財力で、初版を一千万部刷らせてやろう」


「経済効果の無駄遣い!!」


 結局、その日を境に、王都の書店から「逃亡劇」や「自立するヒロイン」を描いた小説は一切姿を消した。


 代わりに書店を埋め尽くしたのは、ユリウス様が国中の作家を脅迫(監修)して書かせた、『ヤンデレ夫に監禁されて永遠に愛される妻』の物語ばかりとなってしまったのだ。


「さあ、リリア。新しい本が届いたよ。これを読んで、私がいかに君を正しく愛しているか、じっくりと学んでおくれ」


 コタツの中で、ユリウス様から渡された真新しい小説。


 表紙には、私とユリウス様にそっくりな男女が、赤い糸でぐるぐる巻きにされて微笑んでいるイラストが描かれている。


「…………」


 私は、その本をそっとコタツの天板の上に置き、静かに目を閉じた。


 スパイ疑惑を晴らすための『無害な趣味(読書)』は。


 王国の出版業界をヤンデレ一色に染め上げるという、最悪の文化的テロを引き起こしてしまった。


 フィクションの世界(現実逃避先)すらも、ユリウス様の狂気の愛によって完全に支配されてしまった今。


 魔導カメラに見つめられながらコタツに沈む私の二度目の人生には、もう、一文字の自由すらも残されていないのだった。

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