「膝枕でニホンの癒やし(耳かき)を提供しました〜旦那様が脳髄まで支配されたと歓喜しています!〜」
私の二度目の人生は、もはや「防犯グッズの展示会」か何かのように、呪いのアイテムで満艦飾になっていた。
左手の薬指には、心拍数と位置情報を筒抜けにする『星屑の指輪』。
鎖骨の下には、私が受けるダメージをすべてユリウス様に肩代わりさせる『魂の紋章』。
頭上には、私の怯える顔や泣き顔を二十四時間体制で高画質録画し続ける『魔導カメラ』が三台、ウィーンと静かな羽音を立てて浮遊している。
そして何より私を苦しめているのが――右手首に巻かれた、ユリウス様の左手首と物理的に繋がっている『呪いの赤い糸』である。
この赤い糸のせいで、私はユリウス様から二メートル以上離れることができない。
お風呂(釜茹での恐怖)はもちろんのこと、お手洗いに行く時ですら、ドアの隙間から赤い糸を伸ばし、扉の向こうでユリウス様が「リリア、大丈夫かい? 異常はないかい?」と一分おきに声をかけてくるという、プライバシーゼロの地獄の生活を送っていた。
「……もう、限界だわ……」
公爵邸の最上階。
寝室の隣に増設された(元々王城にあった)宰相の執務室の巨大なソファーで、私はぐったりと項垂れていた。
現在、私の右手首から伸びた赤い糸の先では、ユリウス様が超高速で国政の書類を処理している。
「……よし、この予算案は却下だ。南部の治水工事には魔術師団を三部隊回せ」
分厚い防音扉の向こう側から、王城の文官たちが書類を差し入れてくる。
ユリウス様は、左手首を私の近くにキープしたまま、右腕一本で次々と決裁印を押し、指示を飛ばしていた。
本来なら両手を使って、王城の執務室で朝から晩まで行われるはずの激務。それを、私とのイチャイチャ(※監視)を優先するために、片手かつ在宅でこなしているのだ。
(いくら氷の宰相でも、あんな無茶苦茶な仕事のやり方をしていたら、絶対に倒れるわ……)
私はチラリとユリウス様の横顔を見た。
美しすぎる彫刻のような顔立ちだが、目の下にはほんの少しだけ、疲労の影が見える気がする。
無理もない。日中は国の政治を片手で回し、夜は魔導カメラの映像(私)をスロー再生で鑑賞し、その後は私をベッドで逃がさないように抱きしめ続けているのだ。睡眠時間は極端に短いはずである。
(……これは、チャンスかもしれない!)
私のスパイ脳が、キラリと光った。
ユリウス様が疲労で倒れる前に、私が「究極の癒やし」を提供して、彼を深い深い眠りに落としてしまえばいいのだ!
もし彼がぐっすりと眠ってくれれば、監視の目も緩むし、私も赤い糸を少しだけ伸ばして、ソファーの端っこでゆっくりと羽を伸ばせるかもしれない!
(そうよ! スパイの濡れ衣を晴らすためにも、「私はあなたの体調を気遣う、無害で健気な妻です」とアピールする絶好の機会だわ!)
「あの、ユリウス様!」
私が意気込んで声をかけると、ユリウス様はピタッと羽ペンの動きを止め、氷の青い瞳を瞬時に甘く蕩けさせてこちらを向いた。
「どうしたんだい、リリア? 私に構ってもらえなくて寂しくなったのかな? すまない、あと百枚ほど書類を燃やせば終わるから、少し待っていておくれ」
「書類を燃やさないでください!! 国の政治が止まります!!」
私は慌てて彼の右手を両手で包み込んだ。
すると、それだけで星屑の指輪が青く発光し、ユリウス様が「おお……」と嬉しそうに息を吐く。
「そうではなくて! ユリウス様、最近とてもお疲れのようにお見受けします。ですから、私がユリウス様の疲れを癒やす『ニホンの文化』を実践したいと思いまして!」
「ニホンの、文化?」
「はい! 『ミミカキ』というものです!」
「ミ・ミ・カ・キ……?」
未知の単語に、ユリウス様は小首を傾げた。
頭上の魔導カメラが、ウィーンと私たちの顔の正面に回り込んでくる。
「はい! 細い竹の棒を使って、耳の中をお掃除してあげるんです。これがもう、すっごく気持ちよくて、ニホンでは愛する人への奉仕として定番の癒やしなんですよ!」
「……耳の中を……細い棒で、掃除する?」
ユリウス様の表情が、スッと険しくなった。
彼の氷の青い瞳に、わずかな警戒の色が走る。
「耳の奥は、脳髄へと直結する非常に脆い急所だ。そこに細い棒を突っ込むなど……一歩間違えれば、鼓膜を突き破り、脳を破壊して即死させることができる、極めて危険な行為ではないのか?」
――ビクゥッ!!
私は肩を大きく跳ねさせた。
(しまったぁぁぁ!! スパイの監視対象(私)から、「あなたの急所に棒を突っ込ませて」って提案してるのと同じじゃない!! 完全に暗殺の手段だと思われてる!!)
顔面蒼白になる私を見て、ユリウス様はフッと冷たく美しい笑みを浮かべた。
「なるほど。君に『遺書』を書かせたあの男爵家の連中は、ニホンのその文化を悪用して、君に私を暗殺させようと企んでいたのか。……随分と遠回りな方法をとるものだ。だが、君のその震える手で、私の命を奪えるかな?」
(違う!! 誰も私に暗殺なんて命じてない!! ただ耳垢を取りたいだけなのに!!)
私は涙目になりながら、首をブンブンと横に振った。
「ち、違います!! 暗殺じゃありません!! 本当に気持ちいいんです! 私はただ、毎日お仕事を頑張って、私を守ってくれる旦那様に、少しでも休んでほしくて……っ!」
「……リリア?」
「嫌なら無理にはしません! でも、私は絶対にユリウス様を傷つけたりしませんから……信じてください……っ」
私は上目遣いで、祈るようにユリウス様を見つめた。
すると――。
ユリウス様の左手の薬指(星屑の指輪とリンクした部分)が、私の必死の訴えと心拍数の上昇を感知した。
「……ッ」
ユリウス様は短く息を呑み、目を見開いた。
そして、警戒の色が完全に消え去り、代わりに、狂気にも似た『重すぎる愛と歓喜』の光がブワッと溢れ出した。
「おお……リリア……! そうか、そうだったのか!」
「えっ?」
「君は、私が君を疑っていると誤解して必死に弁明しているのだね! ああ、なんて健気なんだ! 愛する夫の疲れを癒やすため、自らの潔白を証明するために、あえて最も疑われやすい『急所への接触』を提案してくれたとは!」
(ヤンデレのフィルターが分厚すぎて、全部良い方向に脳内変換されてるーーっ!!)
ユリウス様は書類を完全に放り出し、私の足元に跪いた。
「許してくれ、リリア。君の純粋な愛を、一瞬でも疑ってしまった私を。君になら、脳髄を破壊されて命を落としても本望だ。さあ、私の急所(耳)を、君の好きなようにしてくれ!!」
「命は奪いません!! あと、跪かないでください、私がやりにくいです!!」
数分後。
私はソファーの上に座り、自身の太ももの上に、大きなクッションを敷いていた。
そして、そのクッションの上に――氷の公爵様が、完全に無防備な状態でコロンと横たわり、私の太ももに頭を乗せていた。
いわゆる、『膝枕』である。
「……おお……これが、ニホンの癒やし……」
ユリウス様は私の膝の上で目を閉じ、恍惚とした表情を浮かべていた。
「君の柔らかな太ももの温もりと、甘い香り。そして何より……自分より小さな君に見下ろされ、完全に無防備な急所(頭部)を預けるこの圧倒的な『服従感』! 素晴らしい! これは間違いなく、愛する女神へ魂を捧げる神聖な儀式だ!!」
(ただの膝枕に『服従の儀式』って重い意味を持たせないでーーっ!)
頭上の魔導カメラが、ウィーン……と降下してきて、私の太ももとユリウス様の顔のどアップを撮影し始めている。
羞恥で顔から火が出そうだった。
私は、メイドのマリーに大急ぎで持ってこさせた(王室の宝物庫にあった白檀の木を削って作らせた)高級な耳かき棒を手に持った。
「そ、それでは、ユリウス様。動かないでくださいね。もし痛かったらすぐに言ってください」
「ああ。君の好きにしていい。いっそ鼓膜を突き破って、君以外の男の声が二度と聞こえないようにしてくれても構わないよ」
「物騒なリクエストはやめてください!! 丁寧にやりますから!!」
私は深呼吸をして、震える手でユリウス様の耳に細い棒をそっと差し入れた。
(絶対に、絶対に痛くしちゃ駄目……! もし少しでも痛がらせたら、「やはり暗殺の意図があったな!」って魔導カメラの証拠映像付きで処刑されるかもしれない!!)
私の心の中は、爆弾処理班のような極限の緊張感に包まれていた。
ミリ単位の力加減で、そーっと、そーっと、耳の壁を撫でるように耳かきを動かす。
カリッ、カリッ……。
「……ッ……あ……」
ユリウス様の口から、艶っぽく、甘い吐息が漏れた。
ビクンッと彼の大きな体が小さく跳ね、私の太ももにその振動が伝わってくる。
「ゆ、ユリウス様!? い、痛かったですか!?」
「いや……違う……。なんだ、この感覚は……」
ユリウス様は目を閉じたまま、頬を微かに紅潮させていた。
「耳の奥の、自分では決して触れられない深い場所を、君の優しさが直接撫で回しているような……。君の愛が、頭蓋骨の隙間から脳髄に直接染み渡っていくようだ……っ!」
「(表現がホラー!!)そ、それは良かったです。気持ちいいなら、このまま続けますね……」
私は冷や汗を流しながら、もう片方の手で彼の漆黒の髪を優しく撫でた。
カリッ、カリッ……。
静かな執務室に、耳かきの微かな音と、魔導カメラの羽音だけが響く。
「……ふぅ……あぁ……」
次第に、ユリウス様の体からふっと力が抜け、呼吸が深く、規則正しいものになっていった。
氷の公爵としての張り詰めた威圧感が消え、ただの疲れた青年としての無防備な顔がそこにあった。
(やった……! スパイの暗殺疑惑を乗り越えて、ついにユリウス様を深い眠りに落とせたわ!)
私は心の中でガッツポーズをした。
これで、彼が完全に眠ってくれれば、私は赤い糸を少し伸ばして、ソファーの端っこで足を崩して休むことができる!
「ユリウス様……おやすみなさい。いつも、お疲れ様です……」
私が小さな声で囁くと、ユリウス様は安心しきったように微かに微笑み、完全に夢の中へと落ちていった。
――一時間後。
「……うぅっ……足が、限界……」
私はソファーの上で、涙目で天井を仰いでいた。
ユリウス様を寝かしつけることには大成功した。彼は私の膝の上で、とても幸せそうな顔で熟睡している。
しかし、大きな誤算があった。
ユリウス様は眠りに落ちる直前、無意識の『防御本能』と『異常な独占欲』を全開にして、私の腰と太ももを、両腕でガッチリとホールドしてしまったのだ!
(赤い糸を伸ばすどころか、指一本動かせない!! 完全にプロレスの関節技を決められてる!!)
私が少しでも体を動かそうとすると、ユリウス様は寝ぼけながら「……駄目だ、リリア……行かないでくれ……」とギリィッと腕の力を強めてくる。
その力は、騎士団長をも素手でねじ伏せる規格外の怪力だ。私が抵抗できるはずもない。
結果として、私は一時間以上、同じ体勢で膝枕を強要され続け。
両足は完全に血流が止まり、ジンジンと痺れを通り越して感覚がなくなっていた。
「……ん……リリア……」
ユリウス様が、寝言を呟いた。
私は「起きて! お願いだから起きて腕をどけて!」と念じながら彼を見下ろした。
しかし、彼の口から飛び出した寝言は、私の絶望をさらに深めるものだった。
「……ああ、最高だ……。私の脳髄は、完全にリリアのものになった……。もう、君以外の音は聞こえないように、いっそ鼓膜を……魔力で……」
「(鼓膜を塞がないでーーっ!!)」
私の「癒やしの耳かき作戦」は。
彼の中で「脳髄まで君色に染めてくれという究極の支配・服従の儀式」として処理され、彼のヤンデレメーターをさらに限界突破させてしまったらしい。
魔導カメラが、足が痺れて白目を剥きそうになっている私の顔を、容赦なくカシャカシャと撮影し続けている。
「……マリー……助けて……」
部屋の隅で待機していたマリーに小声で助けを求めたが、彼女は顔を真っ赤にして「旦那様と奥様の神聖な愛の儀式を、私めがお邪魔するわけにはいきません!」と、そっと防音扉を閉めて退出してしまった。
指輪、赤い糸、魂の紋章、監視カメラ。
そして新たに追加された『脳髄支配(勘違い)による強烈なホールド』。
私の二度目の人生の生存戦略は、今日も見事に裏目に出続け、私は痺れる足の痛みに耐えながら、狂気の冷酷公爵様の寝顔を見つめ続けるしか、道は残されていないのだった。




