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「日本語の生存戦略メモが、凄惨な遺書に誤訳されました〜旦那様が魂の共有儀式を始めようとしています!〜」

大浴場での魔力暴走による『釜茹での拷問(※ただの湯あたり)』から、数日が経過した。


 私は現在、宮廷医の「大事をとって一週間は安静に」という言葉を拡大解釈したユリウス様により、公爵邸の最上階のベッドから一歩も出してもらえない軟禁生活を送っていた。


「……はあ」


 私はふかふかの枕に背中を預けながら、深く、ひどく重い溜息をついた。


 左手の薬指には、私の心拍数と位置情報を彼に筒抜けにする『星屑の指輪』。


 右手首には、ユリウス様の左手首と物理的に繋がった、絶対に切断不可能な『呪いの赤い糸』。


 そして私の真横(ベッドの上)では、王国最高の頭脳を持つ宰相閣下が、赤い糸で私と繋がれた状態のまま、器用に右手だけで国政の書類を裁いていた。


「どうしたんだい、リリア? 溜息などついて。どこか痛むのか?」


 私の小さな溜息にすら瞬時に反応し、ユリウス様は書類を放り出して私の顔を覗き込んできた。


 その氷の青い瞳には、私への底なしの愛情と、「万が一にも死なせない(逃がさない)」という血走った執着が渦巻いている。


「い、いえ……どこも痛くありません。ただ、ずっとベッドにいると、少し手持ち無沙汰で……」


「そうか。では、私が君の退屈を紛らわせてあげよう」


 ユリウス様が甘い吐息を漏らしながら、私のガウンの襟元に手を伸ばそうとしたので、私は慌ててそれを両手で制止した。


「だ、駄目です! 私、文字を書きたいんです!」


「文字?」


「はい! 頭の中を整理するために、少しだけ日記……のようなものを書きたくて。紙とペンを貸していただけませんか?」


 そう。私はこの絶望的な軟禁生活の中で、今後の『生存戦略』を練り直す必要性を痛感していた。


 頭の中だけで考えていては、恐怖と混乱でパニックになってしまう。


一度、現状の課題と目標を紙に書き出して、冷静に分析しなければ!


「なるほど。君が筆を執りたいというなら、いくらでも用意させよう。だが、手が疲れたらすぐに言うんだよ」


 ユリウス様はパチンと指を鳴らし、最高級の羊皮紙と、魔力で滑らかに書ける万年筆をベッドの上に用意してくれた。



 私は分厚いクッションを机代わりにして羊皮紙を置き、ペンを握った。


(ふふふ……。いくらユリウス様でも、私がこれから書く『国家機密(離婚計画)』を読み解くことは絶対にできないわ!)


 なぜなら、私が使うのはこの世界の文字ではない。


 前世の故郷、『ニホン』の文字――ひらがなと漢字を交えた日本語だからだ!


 これなら、隣で彼に覗き込まれても、ただの奇妙な幾何学模様にしか見えないはず。私は完璧な『暗号』を手に入れたのだ!


 私は意気揚々と、羊皮紙に日本語で文字を書き連ねていった。


『生存戦略・最終目標』


一、ユリウス様は私を実家からの暗殺者(スパイ)だと疑っているため、まずは無害を証明する。


二、ほとぼりが冷めたら、円満離婚を切り出す。


三、たっぷり慰謝料をもらって、田舎でのんびり平和に暮らす!


(よしっ! これで目標が明確になったわ! 慰謝料の先払い(宝石の山)はすでにもらっているから、あとは離婚の口実さえ作れば……!)


 私がうんうんと頷きながらペンを走らせていると、不意に、横からスッと長い指が伸びてきて、私の羊皮紙を摘み上げた。


「……リリア。随分と熱心に書いているが、これは一体どんな言語だい?」


「ひゃっ!?」


 ユリウス様が、氷の青い瞳を細めて羊皮紙を見下ろしていた。


 その瞬間、私の左手の『星屑の指輪』が、カッ!と青白く発光した。私の心拍数が跳ね上がった証拠だ。


「……指輪が反応している。君は、私に何か隠し事をしているね?」


「し、してません! これはただの、私の故郷(ニホン)の文字で書いた日記で……っ!」


「そうか。君の故郷の文字か」


 ユリウス様は羊皮紙を光に透かし、じっとその文字列を見つめた。


 私は心臓をバクバクさせながらも、内心で『読めるはずがない』と高を括っていた。


 しかし――相手は、この世界で並ぶ者のない、王国最高の頭脳と魔力を持つ大天才だったのだ。


「奇妙な象形文字だが、法則性がある。……なるほど、魔力による『概念翻訳』を通せば、意味を抽出できそうだ」


「えっ!? が、概念翻訳!?」


 ユリウス様が羊皮紙の上を指でなぞると、彼の指先から黄金色の魔力光が溢れ出し、羊皮紙に書かれた日本語の文字がフワリと宙に浮かび上がった。


 そして、その文字が、この世界の言語に自動的に変換されていくではないか!


(嘘でしょ!? 魔法で翻訳できちゃうの!? 私の完璧な暗号がーーっ!!)


 私は真っ青になり、羊皮紙を奪い返そうと手を伸ばした。


 しかし、赤い糸で繋がれた右手はユリウス様に軽く押さえ込まれ、彼はそのまま空中に浮かび上がった翻訳文を音読し始めた。



「ええと、なになに……。一番、『私は暗殺者に狙われている』」


「……はい?」


 私の書いた『ユリウス様は私を実家からの暗殺者だと疑っている』という文章。


 それが、翻訳魔法の精度の問題(と、ユリウス様のトラウマフィルター)により、『私は(実家からの)暗殺者に狙われている』という、完全な真逆の意味に誤訳されてしまったのだ!


「なっ……暗殺者に、狙われているだと!?」


 ユリウス様の顔色が一瞬にして土気色に変わる。


「ち、違いますユリウス様! それは誤訳で……!」


「静かに! 続きがある。……二番、『ほとぼりが冷めたら、現世のしがらみから円満に離脱する(円満離婚)』」


「えっ? 現世から離脱!?」


「三番、『魂の安らぎ(慰謝料)を得て、永遠の楽園(田舎)で平和な眠りにつく』」


「待って!! 慰謝料と田舎暮らしが、なんか宗教的な昇天みたいになってる!!」


 『円満離婚』という概念がこの世界(特に貴族社会)に存在しなかったため、翻訳魔法が『円満に縁を切る=現世からの離脱(死)』と解釈。


 さらに『慰謝料(精神的苦痛の対価)』が『魂の救済』に、『田舎』が『神のいる楽園』へと、恐ろしいほどの超訳をされてしまったのだ。


 つまり、ユリウス様の目から見た私の日記の内容は、こうだ。


『私は実家の暗殺者に狙われている。もう逃げられない。だから彼らの目が逸れた隙に、自ら命を絶って現世を離脱しよう。そして、天国で魂の安らぎを得て、永遠の眠りにつきたい――』


 完全に、死を覚悟した人間の『悲痛な遺書』である。


「…………ッ」


 空中に浮かんでいた金色の文字が、パリンッ!と音を立てて砕け散った。


 ユリウス様はワナワナと体を震わせ、手の中の羊皮紙を床に落とした。


 そして、その場に両膝をつき、両手で顔を覆って――。


「おおおおおおお……っ!!」


 獣のような、悲痛で、心が張り裂けんばかりの慟哭を上げたのだ。


「ゆ、ユリウス様!?」


「神よ! 私はなんと愚かな男だ!! 私がこれほどまでに君を腕の中に閉じ込め、守っているつもりでいたのに! 君の心は、ずっと見えない暗殺者の恐怖に怯え、自ら死を選ぶ準備をしていたなんて!!」


「ち、違います! 死ぬ気なんて一ミリもありません! 離婚してお金をもらって元気に生きる計画書です!!」


「無理をして強がるなリリア!!」


 ユリウス様は顔を上げ、私の両肩をガシッと掴んだ。


 彼の美しい顔は涙と絶望でくしゃくしゃになり、青い瞳には、前世で私を失った時のあの『底知れぬ狂気』が、ドロドロと溢れ出していた。


「君が背中でそんな恐ろしい重圧を抱えていたとは……! あの男爵家め、まだ裏で君を脅していたのか! 許さない、許さないぞ……! 王国軍を動員して、今すぐあの領地を火の海にして、草の根一本残さず焼き払ってやる!!」


「私の実家が物理的に更地にされるーーっ!!」


 私は全力で彼の胸に飛び込み、その首に腕を回して必死にしがみついた。


「やめてください! 本当に誤訳なんです! 私は暗殺者なんて怖くありません! ここは絶対安全な鳥籠なんでしょう!? 私はユリウス様と一緒にいるから、死んだりしません!!」


「……リリア」


「だから泣かないで! お願いですから、実家を焼かないでくださいぃぃっ!」


 私が涙目になりながら懇願すると、ユリウス様はハッとして、私をきつく、骨が軋むほどの強さで抱きしめ返した。



「ああ、私の天使……。死の恐怖に怯えながらも、私のために実家の命乞いをするなんて、どこまで優しいんだ」


(解釈が違う! 私が「実家と繋がっているスパイ」だと疑われないための必死のフォローよ!)


 ユリウス様は私の背中を優しく撫でながら、荒かった呼吸を少しずつ落ち着かせていった。


 しかし、その瞳に宿った狂気は、決して消えてはいなかった。


「だが、君の潜在意識が『死(現世からの離脱)』を望んでしまっていることは事実だ。私がいくら物理的に君を守っても、君の魂が天国(楽園)へと惹かれているなら、いつか私の腕からすり抜けてしまうかもしれない」


「しません! 天国(田舎)には行きません!」


「いいや。君の魂を現世に――この私の元に完全に繋ぎ止めるためには、より強力な『楔(くさび)』が必要だ」


 ユリウス様は私の体をベッドに押し倒し、そのまま馬乗りになるような形で私を見下ろした。


 彼の長い黒髪が私の頬に落ち、冷たい香木の香りが鼻腔をくすぐる。


 左手の星屑の指輪が、危険を察知して激しく青い光を点滅させ始めた。


「だ、旦那様……? 楔って、まさか……」


「『魂の共有儀式』だ」


 ユリウス様はひどく真剣な、そして妖艶な声で囁いた。


「私の生命力と魔力を、君の体の奥深くに直接注ぎ込み、君の魂と私の魂を不可分なものに融合させる。そうすれば、もし君の魂が天国へ向かおうとしても、私が地獄の底からでも君を引きずり戻すことができる」


(魂の共有儀式!? それって、また何か新しい呪いのアイテムを埋め込まれるの!?)


「ま、待ってください! 痛いのは嫌です! 注ぎ込むって、注射器みたいなもので……!?」


「痛くはないよ。むしろ、君がとろけて声も出なくなるくらい、甘く、気持ちの良い儀式さ。……君の唇から、直接私の命を分け与えてあげるからね」


 その言葉の意味を理解した瞬間、私の顔がボンッ!と火を噴いたように赤くなった。


「ちゅ、唇からって、それってただの……キス、じゃ……っ!」


「ただの口づけではない。魔力を乗せた、魂の融合だ。……さあ、リリア。君の遺書(生存戦略メモ)はもう必要ない。これからは私が、君の生きる意味(すべて)になってあげよう」


 逃げ場はない。


 右手は赤い糸でロックされ、左手は指輪で心拍数を監視され、体は彼に完璧に組み敷かれている。


 「んっ……ぁっ……!」


 強引に、しかしどこまでも甘く塞がれた唇から、熱い何かが流れ込んでくるのを感じた。


 それが本当に『生命力』なのか、ただの彼の『過剰な愛情(ヤンデレ成分)』なのか、混乱した私の頭ではもう判別がつかない。


(ああ、もう……頭が、真っ白に……)


 自らの身を守るために書いた『生存戦略メモ(暗号)』が、翻訳魔法の暴走によって『凄惨な遺書』へと変貌を遂げ。


 私は「死を望む可哀想な妻」として、狂気の冷酷公爵様にさらなる重い鎖(魂の融合)をかけられることになってしまった。


 防犯タグ(指輪)と、物理手錠(赤い糸)の次にやってきたのは、もはや物理法則を超えた『魂の呪縛』。


 二度目の人生、円満離婚への道は――翻訳魔法という名のチート技術によって、完全に、そして跡形もなく消し炭となってしまったのだった。

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