「呪いの赤い糸のせいで混浴不可避です〜釜茹での拷問を背中流しで回避します!?〜」
『平和な王都デート』が開始わずか三十分で強制終了し、ユリウス様に抱えられて公爵邸の寝室へと逆戻りした翌朝。
「……あいたた……もう、本当に、体が……っ」
私はシルクのシーツに沈み込みながら、重すぎる鉛のようになった体をピクリと動かした。
左手の薬指には、大気圏外から狙撃された流れ星の欠片で作られた『星屑の指輪(GPS&生体モニター)』が青く輝いている。
そして、私の右手首には。
デートの露店で銀貨一枚で買ったはずが、ユリウス様の魔力によってミスリル以上の強度を誇る『呪いの赤い糸(絶対に切れない物理手錠)』へと魔改造されたブレスレットが、しっかりと巻きついていた。
「おはよう、私の愛しいリリア。今朝も最高に美しいよ」
背後から、低く甘い、そして大満足といった様子の声が降ってくる。
私の右手首から伸びた赤い糸は、ユリウス様の左手首のブレスレットへと繋がっている。
物理的に、彼から二メートル以上離れることができないのだ。
「……おはようございます、ユリウス様……」
「昨日は本当に素晴らしい一日だったね。君から『ずっと繋がっていたい』と、この赤い糸を望んでくれるなんて。……おかげで、昨夜は少し愛しすぎてしまった。君のその赤い糸を見るたびに、理性が吹き飛んでしまいそうでね」
チュッ、と右手首の赤い糸の結び目にキスを落とされ、私はゾクッと肩を震わせた。
違う。私が望んだのは「無害な妻アピールのための安物ペアグッズ」であって、こんな「絶対に逃亡不可能な呪縛アイテム」ではない!
「さあ、リリア。汗をかいてしまっただろう? 沐浴にしようか。君の疲れを癒やすために、公爵邸の大浴場にお湯を張らせておいた」
「お、お風呂ですか……」
私は体を起こそうとしたが、ふと、重要な事実に気がついた。
私の右手は、赤い糸でユリウス様の左手と繋がっている。
この糸は、ユリウス様の魔力でロックされており、彼以外の何者にも、どんな名剣を使っても切れないと宣言されていた。
「あの、ユリウス様。お風呂に入る時、この糸は……一度外してくださるんですよね?」
「ん? なぜ外す必要があるんだ?」
「えっ、だって……繋がったままだと、一緒にお風呂に入らなきゃいけなくなりますし……」
私が顔を真っ赤にしてモゴモゴと言うと、ユリウス様は不思議そうに小首を傾げた。
「当然だろう? 私と君は、常にこの赤い糸で運命を共にしているんだ。お風呂の時だけ離れるなんて、そんな寂しい真似ができるはずがない」
(混浴不可避ーーっ!!)
絶望する私をよそに、ユリウス様は「歩くのは辛いだろう」と私を軽々とお姫様抱っこし、寝室の奥にある隠し扉から、公爵邸の地下へと続く専用の大理石の階段を降り始めた。
案内された公爵邸の大浴場は、古代ローマの公衆浴場を思わせるほど広大で、豪奢な造りだった。
真っ白な大理石の湯船には、たっぷりと澄んだお湯が張られ、湯気がふわりと立ち込めている。
壁には美しい女神の彫刻が施され、湯口からは絶え間なくお湯が流れ出ていた。
「すごい……こんな大きなお風呂が、お邸の地下にあったなんて」
「ここは私と君の専用の浴場だ。誰も入ってこないように、扉は完全に魔力で封鎖した。……さあ、リリア。おいで」
ユリウス様はすでにガウンを脱ぎ捨て、鍛え上げられた広い胸板と、大人の男の色気を惜しげもなく晒している。
私は羞恥のあまり、用意されていた大きなバスタオルで全身をぐるぐると巻き、「だ、旦那様はお先に入ってください! 私はここで、背中を向けておりますから!」と必死に抵抗した。
しかし、ユリウス様が左手を軽く手前に引くと。
「ひゃっ!?」
赤い糸がピンと張り、私は見えない力に引っ張られるように、ユリウス様の広い胸の中にすっぽりと収まってしまった。
「無駄だよ、リリア。この糸は、君が私から離れようとすれば自動的に引き寄せる仕組みになっているからね。それに、私の前で何を恥ずかしがる必要がある。君の隅々まで、昨夜のうちに私の瞳と唇で堪能したじゃないか」
「そ、それはそれ、これはこれです!!」
抗議も虚しく、バスタオルは無情にも没収され、私はユリウス様に抱きかかえられたまま、チャプンと温かいお湯の中へと沈められた。
「……あ、温かい……」
「だろう? このお湯は、私の火と水の魔法を組み合わせて、君が一番心地よいと感じる温度に完璧に調整してある。君を包み込むこのお湯も、言わば私自身の魔力の一部だ」
それを聞いた瞬間。
ホッと息をつきかけていた私のスパイ脳が、瞬時に最悪の警報を鳴らした。
(お湯が、ユリウス様の魔力……!?)
私はハッとして、周囲の大浴場を見回した。
密室。逃げ場なし。そして、彼自身の魔力で温度が操作されているお湯。
これは、ただの沐浴ではない。
(『釜茹で』の処刑場だわ!!)
間違いない。彼は私を密室に閉じ込め、このお湯を使って私を尋問する気なのだ!
もし私がスパイの黒幕(男爵家)の情報を吐かなければ、彼は「では、少し温度を上げようか」と笑いながら、このお湯を一瞬にして沸騰させ、私を文字通り釜茹でにしてしまうに違いない!
「ひっ……!」
「ん? どうしたリリア。震えているのか? まだお湯が冷たかったかな。少し温度を上げよう」
ユリウス様が指先を動かした瞬間、お湯の温度がジワリと上がった。
「や、やめて!! ちょうどいいです! これ以上温度を上げたら煮えちゃいます!!」
「煮える? 冗談が可愛いね。君が火傷するような真似は絶対にしないよ。さあ、こっちへいらっしゃい。私が君の背中を洗ってあげよう」
ユリウス様は私の腰を引き寄せ、手ぬぐいを取ろうとした。
(背中を洗う!? 違う、自白剤の代わりに、痛みを感じる特別な石鹸か何かを刷り込む気だわ!!)
これ以上、彼に主導権を握らせては危険だ。
釜茹での拷問を回避するためには、私が「従順で、彼に尽くす無害な妻」であることを、この場で全力でアピールしなければならない!
「だ、旦那様! お待ちください!」
「ん?」
「きょ、今日は、私が! 私が旦那様の背中をお流しします!!」
私の決死の申し出に、ユリウス様はピタリと動きを止めた。
「君が、私の背中を……?」
「は、はい! いつも私ばかりお世話になっているので、たまには妻として、旦那様に奉仕させてください!」
私は震える手で石鹸を泡立て、ユリウス様の広い背中に手を伸ばした。
前世の『ニホン』の知識(ドラマやアニメの知識)によれば、お風呂で夫の背中を流すのは、良き妻の定番の愛情表現である。
これで、「私はあなたに尽くす気満々です! だから茹でないで!」というメッセージが伝わるはずだ!
「失礼します……っ」
私はゴシゴシと、ユリウス様のたくましい背中を洗い始めた。
氷の公爵と呼ばれるだけあって、彼の背中は驚くほど綺麗で、傷一つない。
しかし、その筋肉の付き方は、彼がただの文官(宰相)ではなく、戦場でも無双できるほどの卓越した騎士であることを物語っていた。
(この背中の筋肉……絶対に私を逃がさないっていう物理的な説得力に満ち溢れてるわ……)
私が恐る恐る背中を洗っていると、ユリウス様は「ふぅ……」と深く、そしてひどく熱を帯びた吐息を漏らした。
「リリア。君のその小さな手で背中を撫でられると、お湯よりもずっと体が熱くなってくるよ……」
「あ、あの、くすぐったいですか? 力加減は……」
「完璧だ。……だが、驚いたな。君が、私のためにこれほどまでの『愛の儀式』を行ってくれるとは」
「えっ? 愛の、儀式……?」
嫌な予感がした。
ユリウス様のヤンデレ解釈装置が、またしてもフル稼働し始めている音がする。
「ああ。実は先日、君が『ニホン』から来た転生者だと明かしてくれた後、私は王国の錬金術師と歴史学者を総動員して、星の海を渡った向こう側にある『ニホンの文化』について、古代文献から徹底的に調べさせたんだ」
「な、なにをしてるんですか国家権力!!」
「そこで知ったのだ。ニホンの『ツマ』という存在が、夫の背中を流すという行為は……」
ユリウス様はゆっくりと振り返り、濡れた黒髪の隙間から、狂信的な光を宿した青い瞳で私を見つめた。
「『あなたに私の命と貞操を永遠に捧げます。私の心も体も、すべてあなたの好きなように洗って(染めて)ください』という、究極の服従と永遠の愛を誓う、神聖な儀式であるとな!!」
(どこの文献にそんな激重な解説が載ってたのーーっ!? 絶対に間違ってる!!)
日本の古き良き「背中流し」が、異世界の学者の手によって、とんでもない「奴隷契約の儀式」に誤訳されてしまっていた!
私の「無害アピール」は、またしても特大のヤンデレ燃料を投下する結果となってしまったのだ。
「ち、違いますユリウス様! 背中を流すのは、ただのスキンシップというか、思いやりで……!」
「照れなくていい。君のそのいじらしい覚悟、この私が全身全霊で受け止めよう。ああ、素晴らしい! 君がここまで私を愛してくれていると知って、私の魔力も抑えきれなくなってきた……!!」
ゴゴゴゴゴゴッ……!!
ユリウス様が感動のあまり両手を天に掲げた瞬間。
大浴場のお湯が、ボコボコッ!と音を立てて波立ち始めた。
彼の高ぶった感情(激重の愛)に連動して、お湯の温度を管理していた魔力が暴走し始めたのだ!
「ひっ!? お、お湯が熱く……!!」
「リリア! 君の愛が、私を燃え上がらせる! この熱は、私たちの愛の炎だ!!」
「物理的に燃え上がってます!! 本当に釜茹でになっちゃう!!」
お湯の温度が急上昇し、大浴場は一瞬にしてサウナのような蒸気に包まれた。
ただでさえ連日の軟禁生活で体力が落ちている上に、心拍数モニタリングのプレッシャーと、激重ヤンデレ解釈の連続。
そして、この急激な温度変化。
「あ、あつ……い……」
私の頭はクラクラと揺れ、視界がぐにゃりと歪んだ。
息が苦しい。
(ああ……結局、釜茹での拷問が実行されてしまったのね……私の、二度目の人生……)
赤い糸で繋がれた右手がだらりと落ち、私はそのままお湯の中へと崩れ落ちそうになった。
「――ッ!! リリア!?」
私が意識を手放す直前。
ユリウス様の顔から狂気と歓喜がすっぽりと抜け落ち、代わりに、前世のあの『死のトラウマ』を呼び起こされたような、絶望と恐怖の表情が浮かんだのが見えた。
「ん……」
次に目を覚ました時、私は見慣れた寝室の天蓋付きベッドの上にいた。
体には柔らかなガウンが着せられ、頭には冷たい氷嚢が乗せられている。
そして、私の右手を両手で固く握りしめ、ベッドの横に跪いて祈っている、巨大な影があった。
「……ゆ、ユリウス、様……」
「リリア!!」
私の声に、ユリウス様は弾かれたように顔を上げた。
その青い瞳からは、ポロポロと大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちていた。
氷の宰相の威厳など見る影もない、ボロボロに泣き腫らした顔だ。
「ああ、よかった……! 目が覚めた……! すまない、本当にすまないリリア! 私が君の愛(背中流し)に歓喜するあまり、魔力を暴走させて君をのぼせさせてしまうなんて……! 私はまた、自分の欲望で君を殺しかけたのだ!!」
「こ、殺しかけた……」
やはり! 彼は無意識のうちに、拷問(釜茹で)を実行しようとしていたのだ!
私は恐怖で身をすくませた。
「私を許してくれとは言わない。だが、君を失うくらいなら、私はこの身を氷漬けにしてでも君を守る……! 宮廷医には『ただの湯あたりです』と言われたが、万が一に備えて、今日から一週間は絶対にベッドから出さないからね!!」
(お風呂のせいで軟禁期間が延びたーーっ!!)
私の生存のための「背中流し」は、結果的に彼のトラウマ(私が倒れることへの恐怖)を呼び起こし、さらなる過保護という名の監視強化を招いてしまった。
「リリア。お水が飲みたいかい? それとも、君の故郷の『オコメ』で作った消化に良いスープ(お粥)を持ってこさせようか? 君が元気を取り戻すまで、私は瞬き一つせずに君を見守り続けるよ」
右手には呪いの赤い糸。
左手には星屑の指輪。
そして目の前には、私を絶対に死なせない(=逃がさない)と血走った目で誓うヤンデレ公爵様。
釜茹での拷問は回避できたものの。
私の二度目の人生の自由は、もはやお風呂の蒸気と共に完全に天高く蒸発してしまったのだった。




