「初めての天体観測は対空迎撃戦ですか!?〜旦那様が流れ星を物理的に粉砕しました!〜」
私がカニ一匹から海と生態系を守り抜いた、あの『わずか五分間の海水浴事件』から数日が経過した。
私たちは今もなお、ユリウス様が海を凍らせて渡ってきた絶海の孤島(という名の完璧な牢獄)に滞在している。
「あいたた……もう、本当に体がもたないわ……」
夜の帳が下りたヴィラの寝室。
私は豪華な長椅子にだらりと身を預け、ジンジンと痛む腰をさすっていた。
海水浴での「やめて(海を焼かないで)、一緒にいて」という私の悲痛な叫びは、ユリウス様の中で『私ともっとベッドで過ごしたい』という熱烈な愛の告白に変換されてしまった。
結果として、この数日間、私は本当にベッドから一歩も出してもらえなかった。
(新婚旅行って、もっとこう、観光地を巡ったり、美味しいものを食べ歩いたりするんじゃないの……? なんで王都にいる時より軟禁のレベルが上がってるのよ……!)
今夜はたまたま、王城の副官から『緊急の国家案件(決裁印がないと国が止まるやつ)』の通信が入ったため、ユリウス様はしぶしぶ隣室にこもって遠隔で仕事をしている。
その隙を突いて、私はようやくベッドから這い出し、長椅子で息をつくことができたのだ。
「……はあ。外の空気、少しだけ吸いたいな」
私はそっと窓を開け、バルコニーに出た。
結界が張られているため、潮風のベタつきや虫の侵入はない。
ただ、心地よい波の音と、涼しい夜気だけがそっと頬を撫でていく。
そして見上げた空には――王都では絶対に見られないほどの、満天の星が輝いていた。
「うわあ……綺麗……!」
思わず声が漏れた。
まるで空全体に砕いたダイヤモンドを撒き散らしたような、圧倒的な星空。
天の川が白くぼんやりと光の帯を作り、赤や青に瞬く星々が、今にも降ってきそうだった。
前世の『ニホン』でも、こんなに美しい星空を見たことはなかった。
私はバルコニーの手すりに寄りかかり、うっとりと夜空を見上げていた。
「――リリア」
不意に、背後から低く甘い声がした。
ビクンッと肩を跳ねさせて振り返ると、そこには通信を終えたばかりのユリウス様が立っていた。
漆黒の髪を夜風に揺らし、氷の青い瞳で私を真っ直ぐに見つめている。
その美しさに一瞬息を呑むが、彼の瞳の奥にある暗い熱に気づき、私はすぐに警戒態勢に入った。
「ゆ、ユリウス様……。お仕事はもうよろしかったのですか?」
「ああ。私が少し目を離した隙に、君が外に出て行ってしまうなんて。……やはり、君をベッドに縛り付けておく鎖が必要かもしれないな」
冗談めかして言っているが、絶対に冗談ではない響きがあった。
ユリウス様は私の背後にぴたりと寄り添い、背中から私をすっぽりと抱き込んだ。
大きな手で私の腰を抱き寄せ、首筋に顔を埋めて深く息を吸い込む。
「んっ……」
「外の世界に気を取られている君を見るのは、耐え難い。君の瞳に映るのは、私だけでいいのに。……何をそんなに見つめていたんだい?」
「ほ、星です! 星空が、あまりにも綺麗で……っ」
私はスパイ活動の通信(狼煙など)を確認していたと疑われないよう、必死に空を指差した。
「ほら、見てください! 王都よりもずっとたくさんの星が見えます! 前世の……ニホンでも、こんなに綺麗な星空は見たことがありませんでした」
「……星、か」
ユリウス様は空を見上げたが、その青い瞳に感動の色は一切なかった。
むしろ、忌々しそうに眉を潜めている。
「こんな無数の光の粒の何がいいんだ。君の気を私から逸らすようなものは、すべて空から叩き落としてやりたくなる」
(こわい! 天体への嫉妬が通常運転になってる!!)
このままだと、彼が本気で「空を黒い布で覆う魔法」とかを開発し始めかねない。
私は慌てて話題を逸らすことにした。
「あ、あの! ニホンには、星にまつわる素敵な言い伝えがあるんですよ! 夜空をスッと流れる『流れ星』を見た時、それが消えるまでに心の中で三回願い事を唱えれば、その願いが叶うんです!」
「……願いが、叶う?」
「はい! ロマンチックですよね! だから私、流れ星が見えないかなーって探していたんです!」
――これが、大失敗だった。
私の言葉を聞いた瞬間、ユリウス様の抱きしめる腕の力が、ギリィッ……!と音を立てるほど強くなったのだ。
「い、痛い……ユリウス様……?」
「リリア。君は……『私以外』の何かに、願い事をしようとしているのか?」
地獄の底から響くような声だった。
ユリウス様の声には、隠しきれない怒りと、狂気にも似た独占欲が煮えたぎっていた。
「君の願いを叶えるのは、この私だ。私が君のすべてを満たし、君の望むものすべてをこの手で与えようと誓ったのに……っ! なぜ、ただの石っころの燃えカス(流れ星)などに願う必要がある!?」
「ひっ!?」
「何を願うつもりだった? まさか……『ニホンに帰りたい』とでも願うつもりだったのか!? 私の腕から逃れて、あの星の向こうの故郷へ帰りたいと!!」
完全にヤンデレスイッチが限界突破してしまった!
(ち、違う! 私はただ「美味しいご飯が食べられますように」とか、「明日こそはベッドから出られますように」とか、平和な願い事をしようとしていただけなのに!)
しかし、私のスパイ脳は、彼の怒りを別の角度から解釈してしまった。
(そうか! 『流れ星に願いをかける』=『夜空の光を合図にして、外部のスパイ組織と暗号通信をする』と思い込んでいるんだわ!! だから「ニホン(という名の敵対組織)に帰るつもりか!」って激怒してるのね!!)
「ち、違いますユリウス様! 私はどこにも帰りません! スパイ通信なんてしていません!」
「スパイ? 何の話だ? いや、そんなことはどうでもいい。君が星に願うというなら、私がその星を叩き落として、星の代わりに君の願いをすべて叶えてやる!」
ユリウス様が片手を空に掲げた。
「や、やめてください! 星を落とすなんて物理的に……っ」
その時だった。
満天の星空の端から、ツーッと一本の光の筋が流れたのだ。
「あ! 流れ星……!」
「……見つけたぞ。あれが、私のリリアをたぶらかそうとしている不届きな星だな」
ユリウス様の青い瞳が、魔力でギラリと発光した。
「ゆ、ユリウス様!?」
「我が魔力よ、天空を貫く光の槍となれ。……『対天体殲滅魔法・極光の槍』!!」
――ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!
ユリウス様の手から放たれた極太の青白いレーザービームが、凄まじい轟音と共に夜空に向かって真っ直ぐに撃ち出された。
その光の槍は、大気圏をあっという間に突破し、遠く離れた宇宙空間を流れていたはずの隕石(流れ星)を直撃。
ピカァァァァァッ!!
夜空に、小さな、しかしはっきりとわかる爆発の光が瞬いた。
流れ星は、地上に落ちてくる前に、大気圏外でチリとなって完全に粉砕されたのだ。
「…………え?」
私は開いた口が塞がらなかった。
宇宙空間に浮かぶ隕石を、地上から魔法で狙撃して物理的に破壊した!?
王国最高の魔力、というレベルを遥かに超えている。これはもう、歩く大陸間弾道ミサイルではないか!!
(ひ、ひいいいっ!! スパイ(私)の外部通信手段を絶つために、宇宙レベルで暗号(流れ星)を迎撃したーーっ!! スパイ対策の規模がおかしすぎる!!)
私の絶望の推測を裏付けるように、ユリウス様はふっと冷酷な笑みを浮かべた。
「ふん。他愛もない。これで君の願いを横取りする虫けらは消えた」
「ほ、星を……粉砕……」
「さあ、リリア。私に願いを言いなさい。君の魂のすべてを私に明け渡し、永遠にこの腕の中にいると誓うなら、君の願いを億倍にして叶えてやろう」
背後から耳元で囁かれる、悪魔のような契約の言葉。
私はガタガタと震えながら、必死に首を横に振った。
「な、なにも願いはありません! 私はユリウス様がいてくだされば、それだけで十分です!!(だから殺さないで!)」
「……ああ! リリア……! 私の可愛い天使!」
ユリウス様は歓喜の声を上げ、私の体を壊れんばかりの力で抱きしめた。
「君が私だけを求めてくれるなら、私は神にでも悪魔にでもなろう。……そうだ、少し待っていなさい」
ユリウス様はパチンと指を鳴らした。
すると、彼の足元に小さな魔法陣が展開され、一瞬にして『何か』を空間転移させて手元に取り寄せた。
それは――ほんのりと熱を帯びた、キラキラと輝く小さな鉱石の欠片だった。
「だ、旦那様、それは……?」
「先ほど私が撃ち落とした、あの流れ星の欠片だ。大気圏外から転移魔法で回収してきた」
(隕石の欠片を空間転移で回収!? どんだけ規格外なのこの人!!)
「この星の欠片を、王国最高の宝飾職人に加工させて、君のための『指輪』を作ろう」
「えっ……」
ユリウス様は、その小さな星の欠片を私の左手の薬指にそっと押し当てた。
「君の願いは、あの星が叶えるのではない。私が撃ち落とし、私が君の指に繋ぎ止めたこの星が……いや、この私が叶えるのだ。君は一生、この星屑の指輪(という名の私からの鎖)を外すことはできない」
甘く、どこまでも重たい執着の言葉。
スパイの通信手段(と勘違いした流れ星)を破壊し、その残骸を『二度と裏切らないという契約の証』として私に突きつけてきたのだ!
(ああ……終わった。私の二度目の人生、宇宙レベルで逃げ場を失ったわ……)
私は恐怖と絶望で、目の前が真っ暗になりそうだった。
「さあ、リリア。星空の観測はもう十分だろう。夜風で体が冷えてしまう前に、ベッドへ戻ろうか。……今夜は、君が声も出せなくなるまで、私の愛を刻み込んであげるからね」
「だ、誰か助けてぇぇぇ……っ!!」
私の悲痛な叫びは、またしても愛の嬌声として脳内変換され。
満天の星空の下、絶海の孤島で繰り広げられた初めての天体観測は、ヤンデレ公爵の対空迎撃戦という最悪の形で幕を閉じた。
星をも撃ち落とす冷酷公爵様の狂気の愛と。
それを「国家機密レベルの高度なスパイ対策」と怯える私のすれ違いは、ついに大気圏を突破し、果てしない宇宙の深淵へとこじれ続けていくのだった。




