「初めての新婚旅行は絶海の孤島(という名の完璧な牢獄)でした〜旦那様が海を割りました!〜」
私が身を挺して『異世界への次元侵略戦争』を食い止めてから、数日が経過した。
公爵邸の最上階では、今日も朝から平和で息苦しい(そしてとことん甘い)時間が流れている。
「あーん、してごらん、私のリリア。今日の『オコメ』も完璧な炊き上がりだ」
「あ、あーん……もぐもぐ」
ふかふかのベッドの上。私はユリウス様の膝の上に抱きかかえられながら、彼の手によって白米を口に運ばれていた。
国家予算を注ぎ込んで作られたオーバースペック魔導具『全自動オコメ錬成機(炊飯器)』は、私たちの寝室の片隅で、今日も神々しい青い光を放ちながら鎮座している。
(まさか、異世界転生をカミングアウトした結果、毎日宰相閣下直々に『ご飯のあーん』をされることになるとは……)
スパイの尋問(という勘違い)を躱すための嘘から、私はユリウス様の中で『星の海を渡ってきた尊い天使』という激重解釈に昇格してしまった。
彼のお米に対する熱意は凄まじく、「故郷の味を食べて、この世界(と私)に永遠に留まっておくれ」と、毎食のように白米とお醤油を使った料理を料理長に開発させているのだ。
「美味しいかい? リリア。君が満足そうに微笑んでくれるだけで、私はこの世界に生まれてきた意味があったと実感できるよ」
私の唇についたお米の粒を、ユリウス様が指で掬い取り、そのまま自身の口へと運んで色っぽく舐め取った。
それだけの仕草なのに、破壊的なまでの大人の色気が漂い、私はカァッと顔を赤くして俯いた。
「お、美味しいです……。でも、もう自分で食べられますから……」
「駄目だ。君の手を煩わせるわけにはいかない。それに、君に奉仕するこの時間こそが、私の唯一の安らぎなのだから」
ユリウス様は私の銀色の髪に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
相変わらずの溺愛っぷりだが、彼の抱える狂気じみた執着心を知っている(と思い込んでいる)私にとっては、この甘い時間すらも『いつ処刑されるかわからない執行猶予』のように感じられていた。
「……ところで、リリア」
「はいっ! なんでしょうか!」
急に真面目な声色になったユリウス様に、私はビクッと肩を跳ねさせた。
「明日から、少し邸を空けることになった」
「えっ……」
私は驚いて彼を見上げた。
私を軟禁して一秒たりとも離れようとしなかった彼が、邸を空ける? まさか、ついに私を切り捨てて、本当の愛人(カミラ夫人)を呼び戻す気なのだろうか。それとも、私のスパイ疑惑の証拠集めに自ら出向くのか。
「あの、お仕事、ですか……?」
「いや。君と二人きりで、『新婚旅行』に行こうと思ってね」
「しんこん……りょこう?」
思いもよらない単語に、私は目を瞬かせた。
「ああ。国王陛下が『お前が邸に引きこもっていると、王城の文官たちが怯えて仕事にならない! 休暇をやるから、妻を連れて王都から少し離れろ!』と煩くてね。まあ、私もこの邸に押し寄せる客や使者の対応にウンザリしていたところだ。君の美しい姿を、誰の目にも触れない場所に隠しておきたいと、ずっと考えていたからね」
(誰の目にも、触れない場所……?)
その言葉を聞いた瞬間、私の背筋にゾクリと冷たいものが走った。
(わかったわ! これは新婚旅行という名目の……『極秘の移送』よ!!)
私のスパイ脳が、またしても最悪の警鐘を鳴らし始めた。
公爵邸のど真ん中(しかも王都)で私を処刑しては、いくら宰相でも外聞が悪い。
だから、「新婚旅行」と偽って、誰も知らない辺境の地や、恐ろしい地下牢のある別荘へ私を移送する気なのだ!
そこで今度こそ、自白剤や拷問器具を使って、男爵家の陰謀と、異世界の軍事機密を吐かせるつもりなんだわ!
「ひっ……! わ、私、お出かけなんて滅相もないです! このお部屋で十分幸せですから!」
「そう怯えなくていい。行き先は、私が君のためだけに用意した、最高の楽園だ。誰一人として君を傷つける者はいない……私以外の人間は、一切立ち入れないようにしてあるからね」
(『私以外立ち入れない』=『完全に逃げ場のない密室の処刑場』!!)
私の絶望の悲鳴は、彼への愛の言葉として脳内変換され、ユリウス様は「ああ、なんて可愛いんだ」と私をベッドに押し倒してきたのだった。
まるで護送車!? 鉄壁の馬車での長旅
翌朝。
私は抵抗する間もなく、豪華なドレスを着せられ、公爵邸の正面玄関に引きずり出された。
そこには、新婚旅行に向かうとは思えない、異様な光景が広がっていた。
「……あの、ユリウス様。この馬車は、一体……?」
「ああ。君を安全に運ぶための、特注の魔導装甲馬車だ」
目の前にあるのは、馬車というより『巨大な装甲車』だった。
窓は分厚い防弾(防魔法)ガラスで覆われ、車体はミスリル鋼でガチガチに補強されている。
さらに周囲には、完全武装の精鋭騎士が百人規模で護衛の陣形を組んでいた。
(完全に重罪人を護送するヤツじゃないの!!)
私は顔を引きつらせながら、ユリウス様に抱きかかえられて装甲馬車の中へと押し込まれた。
当然のように、行き先は一切教えてもらえない。
馬車に揺られること丸一日。
その間も、ユリウス様はずっと私を膝の上に乗せ、「外の景色は見なくていい」「私だけを見ていておくれ」と、窓の外を見ることも許してくれなかった。
(どうしよう……。どこに連れて行かれるの? 山奥の廃城? それとも、底なし沼のある処刑場?)
恐怖でブルブルと震える私を、ユリウス様は「馬車の揺れが怖いのかい? 大丈夫、私が守るからね」と甘く抱きしめ続けていた。
やがて、馬車がゆっくりと停止した。
外から潮の香りと、ザザーンという波の音が聞こえてくる。
「さあ、着いたよ、リリア。降りてごらん」
ユリウス様のエスコートで馬車から降りた私の目の前には――見渡す限りの、青く澄んだ広大な『海』が広がっていた。
「うみ……!」
「ああ。王国の最南端の港だ」
前世でも今世でも、海を見るのは初めてだった。
キラキラと太陽の光を反射する水面に、私は一瞬だけ恐怖を忘れて息を呑んだ。
しかし、周囲を見渡しても、ここには港と海軍の施設があるだけで、別荘らしき建物は見当たらない。
「あの、別荘はどこに……? まさか、船に乗るのですか?」
「船? 冗談だろう」
ユリウス様は鼻で笑い、恐ろしいことを言った。
「船などという不安定な乗り物に、私の最愛の妻を乗せられるはずがないだろう。万が一嵐が来て沈没でもしたらどうする。それに、船乗りのような荒くれ者たちと同じ空気を吸わせるのも不愉快だ」
「えっ、でも、海を渡らないと……」
「だから、道を作るのさ」
ユリウス様はそう言うと、私を片腕でしっかりと抱き寄せ、もう片方の手を広大な海に向けてかざした。
彼の青い瞳が、魔力で妖しく光り輝く。
「――『凍てつく絶対零度』」
ピキィィィィンッ!!!!
凄まじい魔力の爆風と共に、ユリウス様の手から放たれた青白い光が海面を叩きつけた。
次の瞬間、私の目の前で信じられない光景が広がった。
なんと、波打っていた海が一瞬にして凍りつき、遥か水平線の彼方まで続く、巨大な『氷の道』が形成されたのだ!
「ひえっ!?」
「さあ、行こうか、リリア。この氷の道は私の魔力で維持されている。私たち以外が渡ろうとすれば、瞬時に砕け散って海のもくずとなる完璧な防壁だ」
(う、海を凍らせたーーっ!? モーセの海割りの氷バージョン!!)
近衛騎士たちすら「公爵閣下の魔力量、バケモノすぎる……」とドン引きしている中、ユリウス様は私を抱き上げたまま、平然と氷の道の上を歩き始めた。
氷の道を渡った先に現れたのは、真っ白な砂浜と、色鮮やかな花々が咲き乱れる美しい孤島だった。
島の中央には、おとぎ話に出てくるような白亜の豪奢な宮殿が建っている。
「ここは……?」
「私が君との新婚旅行のために、個人的に買い取った島だ」
「し、島ごと買い取ったのですか!?」
「ああ。君の美しさを誰にも見せたくなくてね。この島にいた魔物や危険な動物は、事前に騎士団を派遣して一匹残らず駆逐させた。さらに島全体を私の結界魔法で覆い、虫一匹入れないようにしてある」
ユリウス様は私の耳元に唇を寄せ、うっとりとした声で囁いた。
「ここは、私たち二人だけの完璧な楽園だ。国王陛下の命令も届かない。君の故郷の『ニホン』の者たちが迎えに来ようとも、絶対に奪い返せない……。
君はもう、私だけのためにここで笑ってくれればいいんだよ」
甘く、けれど背筋が凍るほど重たい独占欲。
(わかった……。処刑場じゃなくて、『一生出られない真の牢獄』なんだわ!!)
王都の邸なら、まだ使用人や王城の使いが来る可能性があった。
しかし、この島には本当に、彼と私(と、少しの選ばれたメイド)しかいないのだ。
もし私がスパイだと自白しなかったら? 故郷に帰りたいと泣いたら?
きっとこの海を永遠に凍らせたまま、私をこの島に閉じ込めて、一生かけて「愛の尋問」を続ける気なのだ!
「あ、あわわわ……っ」
「ん? どうしたリリア。感動して震えているのか?」
「は、はい! あまりの美しさに、言葉も出ません!」(恐怖で声が出ないだけです!)
ヴィラに到着した私は、豪華な天蓋付きベッドのある寝室に案内された。
窓を開ければ、美しいエメラルドグリーンの海と波の音が広がる、まさに最高のリゾート地。
しかし、私の心は休まるどころか、生存本能が警鐘を鳴らし続けていた。
(このままじゃ、本当に彼に食べ尽くされて(色んな意味で)、骨の髄まで閉じ込められてしまう! なんとかして、私の『無害さ』と『彼への従順さ』をアピールして、警戒を解かなくては……!)
私は部屋の隅に置かれた見慣れた機械――わざわざ王都から馬車で運んできた『全自動オコメ錬成機(炊飯器)』に目を留めた。
魔法陣が光り、ちょうどほかほかの白米が炊き上がったところだ。
(そうだ! 料理よ!)
前世の日本では、料理は愛情表現の一つだった。
毒も暗器も持たない私が、彼のために自らの手で食事を作る。そうすれば、「私はあなたに危害を加えるつもりのない、ただの家庭的な妻(ニホンの平民)です」と証明できるのではないか!
「マリー! 少し手伝ってちょうだい!」
私は護衛兼お世話係として同伴していたマリーに頼み、塩と、王都から持ち込んでいたお醤油、そして香ばしい海苔を用意してもらった。
そして、炊き立ての熱いご飯を手に取り、ギュッ、ギュッと愛情(と生存への必死の祈り)を込めて、三角形に握り始めた。
「奥様、それは……?」
「ニホンの伝統料理、『オニギリ』よ! 旦那様への、私からのプレゼントなの!」
綺麗な三角形に握ったお米に、お醤油を少しだけ塗り、海苔で包む。
私が前世で、疲れて帰ってきた日の夜によく作って食べていた、不格好だけど最高に美味しいソウルフードだ。
(よし! これを旦那様に食べてもらって、私の献身と無害さをアピールするのよ!)
お皿に可愛らしく三つのおにぎりを並べ、私はユリウス様が休んでいるというテラスへと向かった。
「ユリウス様!」
波の音を聞きながら、優雅に紅茶を飲んでいたユリウス様が、私を見て優しく目を細めた。
しかし、私が手にお皿を持っているのを見て、少しだけ眉を潜める。
「リリア。何か運んでいるのか? 危険だからメイドにやらせなさい」
「いいえ、これは私が……ユリウス様のために、一生懸命作ったんです!」
私はテーブルに、おにぎりの乗ったお皿をドンッと置いた。
「これは……『オコメ』を、丸めたもの……?」
「はい! 私の故郷の料理で、『オニギリ』と言います。手で直接持って食べるんです。あの……いつも私に美味しいものを食べさせてくださるお礼に、不格好ですが、作ってみました」
私は両手を胸の前で組み、上目遣いで彼を見つめた。
どうだ! これで「なんて家庭的で可愛い妻なんだ(スパイのわけがない)」と思ってくれるはず!
ユリウス様は、お皿の上のおにぎりと、私の顔を交互に見つめた。
そして、ゆっくりと手を伸ばし、おにぎりを一つ手に取った。
「君が……私のために、自らの手でこれを?」
「はい! 温かいうちに召し上がってください!」
ユリウス様は、まるですごく壊れやすい芸術品でも扱うように、おにぎりを口に運んだ。
シャクッ、という海苔の音と共に、彼がおにぎりを一口かじる。
「…………っ」
ピタリ、と。
ユリウス様の動きが止まった。
そして、彼の氷の青い瞳が、信じられないほど大きく見開かれたかと思うと――。
「……おお……神よ……!」
なんと、彼の目から、大粒の涙が滝のように溢れ出したのだ。
「えっ!? ゆ、ユリウス様!? まさか、お口に合いませんでしたか!? しょっぱすぎましたか!?」
「ち、違う……! 違うんだ、リリア!」
ユリウス様はおにぎりを握りしめたまま、ガタッと椅子から立ち上がり、私を力強く抱きしめた。
彼の大柄な体が、まるで子供のように激しく震えている。
「君が、私のために……自らの手で、こんなにも温かいものを握ってくれた。この『オニギリ』には、君の温もりと、優しさと、私への果てしない愛がギュッと詰まっている……!」
(えっ!? いや、ただの塩結びだけど!?)
私の困惑をよそに、ユリウス様のヤンデレ解釈は光の速さで限界を突破していた。
「前世……いや、以前の君は、私に手作りの品など一度もくれたことはなかった。ずっと私を怖がり、拒絶していた。だが今の君は、故郷の神聖な儀式(料理)を通じて、私に魂を捧げてくれたんだな!」
「た、魂は捧げてないです! ご飯を丸めただけです!」
「わかっている、照れ隠しだろう? ああ、この塩気は、君が私のために流してくれた感動の涙の味がする。この黒い紙(海苔)は、二人を永遠に縛り付ける愛の契約書だ!」
(重い!! おにぎりの設定が重すぎる!!)
ただの保存食だったおにぎりが、いつの間にか『魂を捧げる愛の契約書』にすり替わってしまった!
ユリウス様は泣きながらおにぎりを完食すると、私を軽々とお姫様抱っこした。
「ありがとう、リリア。君の愛、確かに受け取った。……このお礼は、私のすべてを懸けて、骨の髄までたっぷりと返させてもらうよ」
「えっ? あの、お礼って……?」
「ここは誰もいない絶海の孤島だ。君がどれほど甘い声で泣いても、誰の邪魔も入らない。……さあ、愛の誓い(オニギリ)の続きを、ベッドでしようか」
「ぎゃあああああっ!!」
私の悲鳴は、寄せては返す波の音にかき消され、誰に届くこともなかった。
生存戦略のために作ったはずのおにぎりが、ヤンデレ公爵の愛情の導火線に特大の火をつけてしまうとは。
海を凍らせてまで作られた完璧な牢獄で、私の貞操と体力は、波打ち際の砂の城よりも脆く崩れ去っていくのだった。




