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世界最強を隠したい俺、学校一の冷徹な氷系聖騎士に監視(同棲)されることになった ――中身は激重感情、記録は凍る監視報告書  作者: ざつ
第2章:学校と家、二つの顔

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第7話:ブラッシングが生み出す、局所的な地殻変動。 ――極上のマッサージには、代償があった。

 週末の午後。


 ブラッシングの時間だ。


 ソファにあぐらをかいて座ると、ブラウンのトイプードルが待ちかねたようにトタトタと駆け寄ってきた。膝の上に飛び乗り、前足を揃えて、顔を上向ける。


「わふっ」


 早くしろ、という顔だ。


 蓮はブラシを手に取った。


 これが毎週の儀式だ。ブラッシングが好きというより、ブラッシングを要求することが好きなのかもしれない。始まる前の、あのあざとい上目遣いだけで十分に伝わってくる。


 ちなみに今日は日曜日だ。雪菜が「私も参加していいですか……!?」と朝から楽しみにしていた。小夜は「お嬢様、それはブラッシングへの参加ですか、旦那様との時間への参加ですか?」と聞き、雪菜が「両方です……!」と即答し、小夜が頭痛薬を取り出すという朝だった。


「……わかってるよ」


 背中から始める。根元から毛先に向けて、一定の力でゆっくりと。


 ココアが目を細めた。


 腰のあたりに差し掛かると、尻尾が高速で回転し始めた。


「……気持ちいいか?」

「わふ……」


 間延びした声だった。完全に脱力している。


 雪菜がソファの端から覗き込んできた。


「ココアちゃん、本当に気持ちよさそうですね……!」

「毎週やってるんだ」

「わ、私もブラッシングしていいですか……?」


 ココアが片目だけ開けて雪菜を見た。


 少し考えるような間があった。


「……わふ」


 許可が出た。


 雪菜の目が輝いた。


「っ……! ココアちゃん、今オッケーしてくれましたよね……!?」

「そうだな」

「やったあ……!!」


 雪菜が嬉しそうにブラシを受け取り、ココアの耳の後ろをそっと梳かし始める。ココアが再び目を閉じた。


 これが、ひと月前には想像もできなかった光景だ。


 初日に「シャーーーッ」と威嚇し合っていた二人が、今は日曜の午後にブラッシングを分担している。ココアが雪菜に懐いたのは、先週あたりからだ。きっかけは特になかった。ある日の夕方、ココアが蓮ではなく雪菜の膝に乗り、雪菜が「え……っ!? ココアちゃん、いいんですか……!?」と大騒ぎしたのが始まりだった。


 ただし、これはココアにとって相当な譲歩のはずだった。


 世界最高位の地属性魔獣が、たかだか聖騎士の膝に乗るなど、本来ありえない。ましてや蓮の縄張りを争っていた相手だ。


 なぜ懐いたのか。


 蓮にも正確にはわからないが、ひとつだけ心当たりがある。


 ココアは「美しいもの」に弱い。


 山の頂上から見た夜明けに向かってしばらく動かなかったことがある。満開の桜の木の下で三十分微動だにしなかったこともある。


 雪菜の見た目が、ココアの何かに刺さったのだろう。魔獣としての矜持より、審美眼が勝った。


 小夜については、また話が別だ。


 初日、ココアは小夜を見た瞬間に懐いた。威嚇も主導権争いも一切なかった。純粋に「格上」と判断したのだ。世界最高位の魔獣が服従を示す相手など、本来いるはずがない。それが小夜に対してだけ起きた。


 小夜は今もそのことについて何も言わない。ただ「可愛らしいですね」と言って撫でるだけだ。


 しばらく、静かな時間が続いた。


 ココアの吐息が、だんだんゆっくりになっていく。


 気持ちよくなりすぎている。


 それに気づいたのは、ソファがかすかに揺れ始めた時だった。


「……ん?」


 最初は錯覚かと思った。ソファのクッションが、微細に振動している。指先に、じんじんとした感覚が伝わってくる。


 膝の上のココアは、完全に半眼になっていた。


 意識がほとんど飛んでいる。気持ちよさのあまり、無意識に【大地】の魔力が漏れ出しているのだ。


「わ……、ふ……」


 返事がない。


「わ……ふ……」


 完全に気持ちよくなっていた。


 振動が、少しずつ大きくなっていく。ソファが揺れる。テーブルの上のコップが、かたかたと鳴り始める。


「蓮様、なんか揺れてませんか……?」

「揺れてるな」

「地震ですか……?」

「ココアだ」

「……ココアちゃんですか!?」


 雪菜がココアを見た。ココアは膝の上で幸せそうに半眼になっており、影だけが巨大な神獣の輪郭を帯びてきていた。


「す、すごい……振動が……あれ、でもなんか、気持ちいい……?」


 確かに、この振動は不快ではない。むしろ逆だ。ココアの地属性の魔力が、超微細な振動として周囲に伝播し、触れているものすべてに均一にかかっている。


 肩が、じんわりとほぐれていく。


 背中の凝りが、気づいたら消えていた。首の付け根のしつこい張りまで、するすると解けていく。これが意図的にやられたら、世界中のスパが廃業する水準だ。


「……これ、マッサージだ」

「え……!? マッサージ……!?」


 雪菜がぽかんとした顔になった。それからじわじわと表情が溶けていく。


「あ、ほんとだ……肩が……なんか……ふわふわしてきました……」

「はは、世界最高位の地属性だからな」

「こんな使い方……!?」


 雪菜が力を抜いて、ソファに沈み込んだ。目がとろんとしてくる。


「……気持ちいいです……蓮様……」

「……だな」


 静かだった。


 コップがかたかたと鳴り続けている。ココアの影が、ゆっくりと大きくなっていく。窓の外で、どこかの電線がかすかに揺れた。


「旦那様」


 小夜の声がした。廊下から。防震結界を展開した状態のままらしく、わずかに風の魔力を纏っていた。


「なんだ?」

「家の周囲で、震度一の局所的な地震が連続発生しています。アパート外壁の北側にひびが入る前に、何とかしていただけますか?」


 蓮はココアを見た。


 完全に眠っていた。


「……ココア」


 返事がない。


「……ココア!」

「わ……ふ?」


 半分だけ目が開いた。


「起きろ!」

「……わふ」


 不満そうだったが、諦めたらしい。


 魔力が、すっと引いた。振動が止まる。コップが静かになる。テーブルが元に戻る。


「……収まりました」


 小夜がリビングに入ってきた。


 ココアは小夜を見ると、ふわりと蓮の膝から降りて、小夜の足元へと歩み寄った。前足を揃えて、ちょこんと座る。


「わふっ」

「……お疲れ様でした、ココア様」


 小夜が自然に腰をかがめ、ココアの頭を一撫でした。ココアが満足そうに目を細める。


 雪菜がその光景を見て、微妙な顔をした。


「……ココアちゃん、小夜には素直ですよね」

「そうだな」

「私には一週間かかったのに……」

「まあ、そういうものだ」


 雪菜が唇を尖らせた。


「小夜、何か特別なことをしたんですか……?」

「特に何も」と小夜は答えた。「最初にお会いした時から、ココア様は賢いお方だと思っておりました」


 ココアがふん、と鼻を鳴らした。


 雪菜がじっとココアを見た。


「……ココアちゃん」


 ココアが薄目を開けた。


「さっき、ブラッシングさせてくれましたよね……? ということは、私のことも好きですよね……?」


 少し間があった。


 ココアは無言で蓮の膝に戻り、丸まって目を閉じた。


「……い、今のはどういう意味ですか……!?」

「さあ」

「蓮様ぁぁぁあああ……!」


 小夜がエプロンのポケットから頭痛薬を取り出し、一錠飲んだ。


「なお、アパート外壁の北側に0.3ミリのひびが入りました」

「……補修しておく」

「旦那様の炎で溶かして固めるやつですか?」

「そうだ」

「……戦闘メイド協会の建築補修マニュアルに、その項目はございません」


 もう一錠飲んだ。


 ココアは膝の上で、ぐっすりと眠っていた。


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