第28話:季節はずれの、たこ焼きパーティー。 ――記念日は、正確な日付より、みんなが揃う日。
「蓮様! 今日は特別な日です!」
土曜の朝、雪菜が両手を広げて宣言した。
「特別な日?」
「同棲を始めてから、季節がひとつ過ぎました! つまり、記念日です!」
「……正確に何日目だ、それ」
「わかりません! でも、なんとなく節目な気がするので、記念日にします!」
力強い宣言だった。日付の厳密さは、最初から求められていないらしい。
小夜が、キッチンから顔を出した。
「お嬢様、記念日を制定するのは結構ですが、根拠が『なんとなく』ではさすがに」
「小夜、細かいことはいいんです! 今日はお祝いです!」
「……かしこまりました」
小夜が、あっさり折れた。
「では、何をお祝いしますか?」
「たこ焼きパーティーです!」
雪菜が、目を輝かせて即答した。
「覚えていますか、蓮様! 同棲を始めたばかりの頃、なぜか気づいたら四人でたこ焼きを食べていた、あの夜のことを……!」
「……ああ、あったな。誰が言い出したのかも覚えてないやつ」
「あの時は、その、みんな手探りで……ココアちゃんがタコを強奪しようとして、小夜に阻止されて……いろいろと、収拾がついていなかった気がします」
「まあ、そうだったな」
雪菜が身を乗り出した。
「今度は、ちゃんと、みんなで揃って、心の準備をした上でやりたいんです! リベンジです!」
「……お前、たこ焼き作ったことあるのか?」
「あの時は蓮様と小夜にお任せしていました! 今日は私も、戦力として参加します!」
全幅の自信だった。根拠のない自信だった。
◇
夕方、小夜が戸棚の奥から、たこ焼き器を引っ張り出してきた。
「ありましたか?」
「はい。以前使用した際、そのまま戸棚の奥にしまい込んでおりました」
蓮は、少し記憶をたどった。
「……前も、これ使ったんだったな」
「はい。あの夜は、誰も出し方を知らず、私が【風】で埃を払ってから使用しました」
雪菜が、たこ焼き器を懐かしそうに見つめた。
「久しぶりです……! あの夜以来ですね」
生地をボウルで混ぜながら、蓮は少し考えた。
「……凍牙は呼ばないのか?」
雪菜が、ぴたりと動きを止めた。
「……え、呼びますか?」
「呼ばなくていいのか、あいつ」
キッチンから、小夜が静かに口を挟んだ。
「お嬢様。呼ばずにいると、後日『俺だけ呼ばれなかった』と、屋敷の廊下で三日ほど落ち込まれますが、よろしいですか?」
「……それは、むしろ面倒ですね」
雪菜が、若干うんざりした顔で頷いた。本人がいたら泣くくらいでは済まないだろう。
「仕方ないですね。呼びましょう」
「呼ぶか?」
小夜が、すでに通信を終えていた。
「五分前に連絡済みです。『たこ焼き』の三文字だけで、すでに家を飛び出したとの返信がありました」
「早いな」
「聖騎士団副団長の職務放棄が懸念されますが、今更でしょう」
案の定、十分と経たずにインターホンが鳴った。
「義弟よー!! たこ焼きと聞いて!!」
凍牙が、息を切らして玄関に立っていた。仕事着のままだった。
「……お前、仕事中じゃなかったのか?」
「たこ焼きの方が優先度が高い」
胸を張って言うことではなかった。
◇
たこ焼き器に、油が引かれた。
「では、生地を流し込みます!」
雪菜が、意気込んで生地を注ぐ。ボウルからたこ焼き器へ、勢い余って盛大にこぼれた。
「あっ……」
「まあ、そういうこともある」
「す、すみません……!」
小夜が、静かに布巾を差し出した。
「私が焼きます。皆様は、具材の準備をお願いします」
小夜が【風】の刃を薄く展開し、たこ焼きをくるくると回転させ始めた。
高速で、正確に。一つも崩れず、全て同じタイミングで、同じ焼き加減で。
「……なんだそれ?」
「戦闘メイドの多用途応用です。本来は敵の残骸処理用の技術ですが」
「たこ焼きに使うものじゃないだろ」
「美味しく焼ければ、用途は問いません」
凍牙が、目を輝かせて覗き込んでいた。
「小夜殿、すごいな! 完璧な球体だ!」
「恐れ入ります」
ココアが、テーブルの下でタコの切り身を狙って、じっと座っていた。
「わふ……」
「駄目だ、まだ焼いてない」
「わふぅ……」
しょんぼりと伏せた。
◇
最初の一皿が、焼き上がった。
雪菜が、待ちきれない様子で、湯気の立つたこ焼きに爪楊枝を刺した。
「あつっ……! でも、美味しいです……!」
「熱いなら少し待て」
「待てません……! 記念すべき第一口ですから……!」
涙目で言うことではなかった。
凍牙が、五個くらいまとめて口に放り込んだ。
「んん……! これは……! 義弟の料理は本当にレベルが違う……!」
「いや焼いたの小夜だぞ」
「そうだった!」
凍牙が、涙ぐみながらまた食べ始めた。忙しい男だった。
蓮は、ソースと青のりをかけながら、少し思った。
……こういうのも、悪くないな。
学校でもなく、ダンジョンでもなく、静かな夜でもなく。
ただ、賑やかにたこ焼きを囲むだけの時間。
雪菜が、蓮の口元にたこ焼きを差し出してきた。
「蓮様、あーん、です」
ふー、ふー、と丁寧に息を吹きかけて冷ましてから、そっと差し出してくる。
「自分で食べられる」
「記念日なので、特別です」
拒否権は、最初からなかったらしい。
蓮は、仕方なく口を開けた。
ちょうどよく冷めていた。美味かった。
「……美味い」
「っ……よかったです……!」
雪菜が、蕩けるような笑顔を見せた。
その隣で、凍牙が「俺にもあーんしてくれ、雪菜!」と便乗してきた。
「はい、お兄様も、あーん、です」
即座に、焼き立てのたこ焼きが凍牙の口に突っ込まれた。冷ます工程は、一切なかった。
「あづいいぃぃぃぃぃいいいっ……!?あうあうあう、 あづい、あづいぞ雪菜……!!」
「お兄様は熱耐性がおありなので」
「そんな耐性はない……!!ごほごほっ、 口の中が……!!」
涙目で悶絶する凍牙を、雪菜は特に気にする様子もなく眺めていた。
小夜が、たこ焼きを回転させながら、静かに言った。
「なお、本日の記念日ですが」
「結局何の記念日なんだ?」
「正式な同棲開始日から数えますと、実際にはひと月半ほどズレております」
「……えっ」
雪菜が、たこ焼きを落としそうになった。
「そ、そんな……! 私の記念日が……!」
「ですが」小夜が続けた。「日付の正確さより、皆様が揃って笑っている今日という日の方が、価値があるかと存じます」
雪菜が、しばらく黙った後、小さく頷いた。
「……そうですね。今日を、結果的に記念日ということにします!」
「賢明なご判断です」
賑やかな夕食は、夜まで続いた。
たこ焼き器の油の匂いと、凍牙の笑い声と、ココアの「わふ」という鳴き声と、雪菜の幸せそうな顔と。
蓮は、それを眺めながら、静かにたこ焼きを口に運んだ。
……悪くない一日だった。
口には出さなかった。




