第27話:害虫駆除、完了しました。 ――蓮の知らないところで、蓮の平穏が守られていた。
季節が、ひとつ過ぎた頃。
同棲を始めてから、随分経った気がする。何ヶ月なのか、正確には数えていない。ただ、最初の頃より、部屋の中の空気が明らかに柔らかくなっていた。
そんなある夜。
「旦那様。ご報告がございます」
小夜が、いつになく改まった様子でリビングに現れた。
「なんだ?」
「国家上層部の一部――主に、聖騎士団の統制強化を推進する派閥に、旦那様の存在が『管理下に置くべき不明な戦力』として認識され始めております」
蓮は、テレビから目を離さなかった。
「……そうか」
「危機感は、お持ちになりませんか?」
「別に。いつかこうなるとは思っていたからな」
小夜が、こめかみを押さえた。
「マスコミの一件と、結界破壊の噂が重なり、国家としても無視できない規模になったようです。近く、正式な聴取要請が来る可能性がございます」
雪菜が、心配そうに顔を上げた。
「蓮様……大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だろ」
「そんな軽く……!」
蓮は、特に表情を変えなかった。
面倒なことになりそうだ、とは思ったが、それ以上の感情は湧かなかった。どうせ、大したことにはならないだろう、という妙な確信があった。
◇
数日後。
蓮は、特に何も聞かされていなかった。
ある日の夕方、インターホンが鳴った。
雪菜が「はい」と応対に出ると、スーツ姿の男が、慇懃な笑みを浮かべて立っていた。
「突然失礼いたします。国家聖務庁の者です。烏丸蓮様は、ご在宅でしょうか?」
雪菜の表情が、一瞬で強張った。
「……どういったご用件でしょうか?」
「先日の結界破壊の一件について、簡単な聞き取りをさせていただきたく」
蓮は、玄関先に出た。
「俺だが」
男が、蓮を見て、少しだけ表情を硬くした。値踏みするような一瞬の間があった。
「お忙しいところ恐縮です。いくつか、確認事項が――」
そこで、廊下の奥から、小夜が静かに現れた。
「失礼。本日の聴取につきましては、正式な手続きを経ておりません。事前通告もなく、令状もなく、突然の訪問は、聖務庁の内規にも反するかと存じますが?」
男の顔が、わずかに強張った。
「……いえ、これはあくまで、任意の――」
「任意であれば、なおのこと、お引き取りいただければと」
小夜が、にこりともせずに言った。
「なお、貴殿の所属部署については、後ほど確認させていただきます。念のため」
男は、しばらく何か言いたそうにしていたが、結局、「……失礼しました」とだけ言って、そそくさと帰っていった。
雪菜が、ほっとした顔で扉を閉めた。
「……あれは、何だったんでしょうか?」
「探りだろうな」
蓮は、それほど気にした様子もなく、リビングに戻った。
小夜だけが、しばらく玄関先に立ったまま、静かに手帳に何かを書き込んでいた。
「……小夜?」
「何でもございません。少々、確認したいことができただけです」
その夜以降、同じような訪問者は、二度と現れなかった。
学校に行き、帰ってきて、雪菜と晩飯を食べ、ココアをブラッシングし、いつも通りの日々を過ごしていた。聴取要請とやらも、来なかった。
ある夜、小夜が静かに報告に来た。
「旦那様。先日の一件、片付きましてございます」
「……もう終わったのか?」
「はい」
小夜が、手帳を閉じながら続けた。
「私の【風】で、統制強化派の中心人物数名について、汚職と横領の証拠を一晩で収集いたしました。凍牙様が、それを聖騎士団の正式なルートで提出し、あわせて『この方を刺激すると国が一つ消える可能性がある』という趣旨の報告書を添えられたようです」
「……凍牙、そんなこともできるのか?」
「副団長という肩書きは、伊達ではございません。普段は残念な人ですが……」
蓮は少し黙った。
「それで、どうなった?」
「首謀者は全員、地方への左遷が決定いたしました。聴取要請も、正式に撤回されております」
「……早いな」
「旦那様が本気を出す前に片付けるのが、私たちの仕事です」
小夜が、静かに一礼した。
「害虫駆除、完了しました」
◇
その夜、リビングで、蓮は少し考えていた。
……蓮の知らないところで、こんなことが起きていたのか。
雪菜が、隣に座って、テレビを見ていた。ココアが膝の上で丸まっている。いつも通りの光景だった。
「小夜」
「はい」
「なんで、俺に相談しなかった?」
小夜が、少し間を置いて答えた。
「旦那様の日常を、これ以上煩わせたくなかったからです」
「……そうか」
「旦那様が本気を出せば、確かに解決は早いでしょう。ですが、それでは国がひとつ消えかねません」
「消さない」
「消さないという確信が、周囲にはございません」
蓮は、それ以上何も言わなかった。
雪菜が、少し不安そうな顔で見上げてきた。
「……蓮様、怖い思いをされませんでしたか?」
「別に、何もされてないから大丈夫だぞ」
「よかった……」
雪菜が、蓮の腕にそっと寄りかかってきた。
ココアが、それを見て「わふ」と鳴いた。
――平和だな。
「まあ、な」
蓮は、短くそう答えた。
窓の外は、いつも通りの夜だった。
自分の知らないところで、いくつもの人間が、この平穏を守るために動いていた。
それを、悪くないと思った。




