第25話:カメラマン、蓮の地雷を踏む。 ――威圧に、魔力はいらない。
噂は、学校の外にも漏れ始めていた。
きっかけは、些細なことだった。新聞部の記事が、部内誌の域を超えて、地域のフリーペーパーに転載された。「名門聖騎士学園、氷の令嬢に婚約者」という見出しがついていた。
数日後、正門の前に、見慣れない大人たちが立つようになった。
「……なんだ、あれ?」
蓮が眉をひそめた。
カメラを構えた男が数人、校門の少し離れた場所に陣取っている。芸能誌のロゴが入った腕章をつけた者もいた。
「マスコミのようです」
小夜が、静かに答えた。今日は珍しく、送迎のために校門まで来ていた。
「神代の令嬢の容姿は、業界内でも以前から噂になっておりました。今回の件で、火がついたのかと」
雪菜は、明らかに動揺していた。
「な、なんで、こんな……!」
「お嬢様の容姿は、この国の美的水準の中でも突出しております。スカウトの申し出も、過去に何度か」
「知りません、そんな話……!」
「お断りしておりました。ご存じないのは、私が対応していたためです」
雪菜が、絶句していた。
「そ、そんなに大騒ぎするようなものじゃ……その、普通です、普通……」
「普通ではないだろ」
蓮が、あっさりと言った。
「お前の顔は、普通に整ってる。まぁ、俺は容姿だけで惚れたわけじゃないけどな」
「っ……!?」
雪菜が、その場でぐらりと傾いだ。足がもつれ、そのまま横に倒れかけたところを、小夜が慣れた様子で片手一本で支えた。
「毎回、これくらいで倒れられては困ります」
「い、今のは不意打ちです……! 心の準備が……!」
「褒められる予定を立てて生活しているのですか?」
「そうしないと、命に関わります……!」
蓮は、その会話にはあまり反応しなかった。
……容姿の話はどうでもいい。
問題は、別のところにあった。
◇
校門を出たところで、一人のカメラマンが近づいてきた。
「烏丸蓮くんだよね? ちょっといいかな?」
「……何の用だ?」
「婚約、おめでとう。それでね、君のことも少し聞かせてほしいんだ」
カメラマンが、手帳を開いた。
「出身は? 家族構成は? 前の学校での成績とか、部活とか」
「関係ないだろ」
「いやいや、これから神代家の婿になるかもしれない人だからね。読者も気になるところだと思うよ」
カメラマンが、笑顔のまま続けた。
「特に、SSS級の結界を壊したって噂、あれ本当? どこでその実力を身につけたのかとか、そういう過去の話が――」
そこで、空気が変わった。
蓮は、何もしていなかった。
魔力を放出したわけでも、殺気を飛ばしたわけでもない。
ただ、視線を上げただけだった。
カメラマンの手帳を持つ手が、震え始めた。
「……あ」
言葉が、続かなくなっていた。
蓮の目の奥に、何か――底の見えない、圧倒的な質量のようなものが、ちらりと覗いた気がした。
理屈ではなかった。本能が、警報を鳴らしていた。目の前にいるのは、自分たちが太刀打ちできる相手ではない、と。
「……過去の話は、しない」
低い声だった。怒鳴っているわけでも、脅しているわけでもない。ただ、それだけの重みがあった。
「それ以上、詮索するなら……」
蓮は、それ以上、言葉を続けなかった。
続ける必要が、なかった。
カメラマンは、後ずさりした。手帳を閉じる手が、まだ震えていた。
「……し、失礼しました」
そのまま、逃げるように離れていった。他のカメラマンたちも、その様子を見て、そそくさと機材を片付け始めた。
数分後には、校門前から人影が消えていた。
◇
雪菜が、恐る恐る蓮の顔を覗き込んだ。
「……蓮様、今、何をされたんですか?」
「別に、何も」
「いええ。絶対何かしましたよね!? あの人たち、顔面蒼白でしたよ!?」
「気のせいだ。ちょっと朝ご飯に消化に悪いものでも食べたんだろ」
小夜が、静かに口を挟んだ。
「旦那様の『気配』は、常人には認識できないレベルで抑えられております。ただ、ほんの一瞬でも意図的に緩めれば、ああなります」
「……小夜、見てたのか?」
「はい。なかなか見事な威圧でした」
蓮は答えなかった。
……容姿を詮索されるのは、まだいい。
……だが、過去を根掘り葉掘りやられるのは、話が別だ。
隠しているものが、あまりにも多すぎる。
雪菜が、少し不安そうな顔で蓮の袖を掴んだ。
「……怒って、いますか?」
「……少しだけな」
「私のことで、ご迷惑を……」
「お前のせいじゃない」
蓮は、短く答えた。
「ああいうのは、慣れてる」
嘘だった。慣れてなどいなかった。ただ、雪菜にこれ以上、不安な顔をさせたくなかっただけだ。
雪菜は、それでもしばらく、蓮の袖を離さなかった。
◇
その夜、リビングで、小夜が静かに言った。
「旦那様。今後、同様の接触が増える可能性がございます」
「……だろうな」
「対応方針を、決めておいた方がよろしいかと」
蓮は、少し考えた。
「容姿の話は、好きにさせておけ。それは雪菜自身の魅力だ、隠すようなものじゃない」
「かしこまりました」
「ただしーー」
蓮の声が、少しだけ低くなった。
「俺の過去に触れようとする奴には、今日と同じ対応をする」
小夜が、静かに頷いた。
「承知いたしました。それでよろしいかと存じますわ。なおーー」
小夜が、エプロンのポケットから手帳を取り出した。
「アパート周辺の対策は、すでに講じております」
「……なんの話だ?」
「本日の朝から、私とココア様とで、自宅周辺一帯に結界を展開しております。無許可で敷地内にカメラを向けた者は、機材が一時的に誤作動を起こす仕様です」
「誤作動……とは?」
「レンズが曇り、シャッターが切れなくなります。害はございません、写らないだけです」
蓮は少し黙った。
「……そんなことができるのか?」
「私の【風】と、ココア様の権能を組み合わせております。おそらく、国内の防諜設備としても、かなり上位の性能です」
足元で丸まっていたココアが、得意げに「わふん」と鳴いた。
「……お前も一枚噛んでたのか?」
「わふ」
――当然だ。
小夜が、淡々と続けた。
「本日だけで、敷地周辺で七件の誤作動が確認されております。今後も、定期的に強度を調整してまいります」
「……いつの間に、そんな準備を?」
「旦那様と雪菜お嬢様が学校にいらっしゃる間、私は暇ではございませんので」
蓮は、それ以上何も言わなかった。
なんとなく、敵に回したくない相手だと思った。
雪菜が、ソファの隅で、その様子をじっと見ていた。
何か言いたそうにしていたが、結局、何も言わなかった。
ただ、いつもより少しだけ、蓮のそばに寄った。




