第23話:公認カップルは、家での距離がさらに……。 ――遠慮という言葉を、雪菜はもう覚えていないらしい。
実家から帰ってきて、数日が経った。
アパートの空気は、以前とそう変わらない。
ただし、雪菜の距離感だけは、確実に変わっていた。
「蓮様」
ソファでテレビを見ていると、隣にすとんと座ってきた。以前なら、それでも肘掛け一つ分の間隔があった。今日は、完全にゼロだった。
肩が触れている。それどころか、頭がそのまま蓮の肩に寄りかかってきた。
「……近いぞ」
「ええ、とっても近いです」
悪びれる様子が、まるでなかった。
「これまでは、その、我慢していたんです。人目もありましたし、蓮様にご迷惑かもと思って……」
「今は?」
「お父様にも、お兄様にも、小夜にも、公認していただきました」
雪菜が、じっと蓮を見上げた。サファイアの瞳が、いつもより輝いて見えた。
「もう、遠慮しなくていいんですよね……?」
「……別に、今までも遠慮してたようには見えなかったが?」
「していました! 私なりに、かなり!」
かなり、の部分に力がこもっていた。
「じゃあ今までのは何だったんだよ!?」
「六割くらいの本気です、ね」
「……七割増しになるのか、これから……」
「十割です、いえ、十二割ですわ!!」
即答だった。
蓮はしばらく黙って、テレビの画面を見た。
雪菜の頭の重みが、肩にじんわりと伝わってくる。温かかった。
「……好きにしろよ」
「っ……はい……!」
雪菜が、ますます体重を預けてきた。
◇
ソファの反対側で、ココアがそれをじっと見ていた。
「……」
一言もなく、蓮の膝の方へトタトタと歩いていく。
ためらいなく飛び乗った。丸くなる。
「わふん」
――ここも私の場所だ。
雪菜が、はっとした顔でココアを見た。
「あ、ずるいです、ココアちゃん! 私だってまだ全然くっついていないのに!」
「わふ」
――知らん。
「蓮様の膝は、まだ埋まってなかったスペースですよね!?」
雪菜が、蓮の反対側に回り込もうとした。ソファが狭くなる。
「……二人とも、乗るな」
「乗ります!」
「わふっ!」
即答が二つ重なった。
結局、蓮の両側に雪菜とココアが陣取り、膝の上にもココアが乗るという、身動きの取れない体勢が完成した。
「……身動き取れないんだが!?」
「ふふふ、そのままでいてください」
雪菜が、幸せそうに目を細めた。
ココアも、満足げに丸くなったまま動かなかった。
◇
キッチンから、小夜が顔を出した。
いつも通りの光景を見て、特に驚く様子もなく、静かにお茶を運んできた。
「……本日の監視報告書ですが」
「今日は、まだ何も起こってないぞ」
「これから起こる予感がします」
小夜が、テーブルにお茶を置きながら言った。
「お嬢様の距離感が、明らかに変わっております。本家公認となった以上、抑制が効かなくなることは予想の範囲内でした」
「……予想してたのか?」
「はい。念のため、頭痛薬を多めに補充しております」
小夜がエプロンのポケットを、軽く叩いてみせた。中で、瓶の触れ合う音がした。
「小夜、それは失礼ですよ!」
「事実です」
雪菜が唇を尖らせた。ただ、否定はしなかった。
小夜は一礼して、キッチンに戻っていった。
◇
翌日の夕方、宅配便のインターホンが鳴った。
「……なんだ、これ」
玄関先に置かれていたのは、蓮の身長より大きい、平たい段ボール箱だった。伝票には「三人掛けソファ(特大)」と書かれている。
「頼んだ覚えはないが?」
「私が手配いたしました」
小夜が、涼しい顔で答えた。
「……いつの間に」
「昨日、お三方が一つのソファに詰め込まれている様子を拝見し、これは早急な設備投資が必要だと判断いたしました」
雪菜が、興味津々で箱を覗き込んだ。
「新しいソファ、来たんですか……!?」
「はい。従来の二人掛けでは、旦那様・お嬢様・ココア様の三名が同時にお座りになる想定に対応しきれておりませんでした。今後の使用頻度を鑑み、余裕のあるサイズを選定いたしました」
「今後の使用頻度、って!?」
「毎日、密着される想定です」
小夜が、淡々と答えた。雪菜が、耳まで赤くなった。
組み立ては、小夜が【風】を使ってあっという間に終わらせた。木材が宙に浮き、ネジが自動で締まっていく光景に、雪菜が「戦闘技術の使い方が、また独創的です……」と呟いた。
出来上がった新しいソファは、確かに大きかった。三人が並んでも、まだ余裕がある。
「……広いな」
蓮が座ってみると、以前の窮屈さが嘘のようだった。
雪菜が、早速隣に座った。ココアも、反対側に飛び乗った。
それでも、まだ空間が余っていた。
「……広くなったのに、結局くっつくのか?」
「広さは関係ないので」
雪菜が、真顔で言った。
「広くなった分だけ、もっとくっつけます」
理屈が、破綻していた。
小夜が、こめかみを押さえながら、静かに手帳を取り出した。
「本日の追加報告。ソファの拡張は、距離感の是正には繋がらなかった模様」
「……最初から、期待してなかっただろ」
「多少は期待しておりました」
小夜が、素直に認めた。
◇
夜になっても、雪菜の距離は縮まったままだった。
「蓮様」
「なんだ?」
「明日も、こうしていいですか?」
「……好きにしろって言っただろ」
雪菜が食い気味に言った。
「毎日聞きます。毎日、確認したいので!」
「聞かなくていいから……」
「聞きます!」
雪菜が、蓮の肩に頭を預けたまま、幸せそうに笑った。
膝の上でココアが小さく鳴いた。
「わふ」
――付き合うぞ、それ。
蓮は、二人分の重みを両側に感じながら、特に動くことなく座っていた。
窓の外は、いつも通りの夜だった。
ただ、部屋の中の距離感だけが、確実に前とは違っていた。
……悪くない。
口には出さなかった。




